1. なかよしインターネッツ
  2. 263. (前編)イラストで生きて..
2024-08-08 59:56

263. (前編)イラストで生きていってみよう[ゲスト:田中寛崇さん]

今回は初のゲスト回。盟友・イラストレーターの田中寛崇さんをゲストにお迎えしました。新潟の大学でイラストを教える講師でもある寛崇兄の画業15年を振り返る回。前編後編の2部構成でお送りします。

📍index

ツイッターと赤ふぁぼの思い出/大学卒業直後のニューヨークデビュー/多摩美時代のコンプレックス/バイトとギャラリーと扶養控除/作家からイラストレーターを目指すタイミング/ネットに上がってこない「プロの仕事」/祝画業15周年/ツイッター限定のコンペ/初仕事の思い出/書籍界隈での知名度/ターニングポイントは青崎有吾さん「体育館の殺人」装画/LOFTのPOPBOXで発見された/月いくらで・何本仕事をやれば生活できるか計算/業界と企業の構造によるキャップ/クレジットが残る仕事/バイネームのクリエイターとして活動する/被らないポジションで積み上げる戦略/「描きたい絵を描く」ではなく需要を見極めて絵柄を考える/久米田康治の背景と荒木飛呂彦の色遣い/レンブラントの明暗とフォーカス/知名度と共に自分のテイストで描けるようになった/バイタリティないです/生まれ持った190cmの体格のよさと健康の暴力/さぼりたい欲けっこう強い、家にいたいし/22歳に戻っても馬鹿力でやっていくかもしれねえ

🎤ゲスト: 田中寛崇( https://x.com/tanakahirotaka )

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00:02
イラストで生きていってみよう
ということで、なかよしインターネッツ初のゲスト回です。
それではゲストのイラストレーターの田中寛崇さんです。どうぞ。
田中寛崇 あ、こんにちは。田中寛崇です。イラストレーターやってます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。ということで。田中寛崇 ありがとうございます。
初のゲストでございます。田中寛崇 はい。初ですね。
初ですね、ちなみにあれですね、我々の慣れそめはという話で言うと、もうだいぶ前、もうインターネット時代ですよね本当に
そうですね、インターネット時代っていつを指すのかちょっとわかんないけど
もう十何年くらい前じゃないの本当に
そう、十年以上は前なんじゃないかな、知ってる、まだ会ってないけどインターネット上で存在を知り合ってるみたいなフェーズがあるじゃないですか
あるある の時で考えるともう10年以上前の話
この間さ、とあるイラストレーターさんとお打ち合わせした時にさ、田中寛孝さんに結構書いていただいててって言ったら
知ってますって言って、そのIDゴム長の存在を知ってらして、今でこそね、アットマーク田中寛孝先生として活動されてますけれども
いわゆるインターネットアカウントがね、ゴム長.orgというね、ドミニがありましてと
あれ何だっけ、あれ何の駅の時に、何ていうアカウントなんだっけあれ
何がですか、ツイッターアカウントゴム長.orgの話
そうのさ、プロフィールに書いてあるやつってさ、あれなんかプロフィールにさ、何かの駅を通過するためにって書いてあったじゃん
あれ何の駅だっけ あれ天皇ズアイルですね
何で天皇ズアイルを通過するために天皇ズアイルツイートするのがライフワークって書いてあるのこれ
あれね、一時期だから今はもう何年も出てないですけど、イベントに出てた時ってやっぱりイベントって基本ビッグサイトでやるじゃないですか
デザフェスしかりコミュニティアしかり、僕はそれらに出てたから、イベントのたんびにやっぱ天皇ズアイルを通過するわけですよ
天皇ズアイルって人名っぽいなっていうのがね、あって、まさしく苗字と名前っぽいじゃないですか
天皇ズアイルっていう名前からイメージした人格っていうのが僕の中ではちょっとこう刻ったらしいやつだったんですよね
天皇ズアイルを通過するたんびにツイッターで俺の名前は天皇ズアイルって言ってその後にもう一言ぐらい付け加えるっていうネタツイート的なものをやってて
イベントがある日だと行きと帰りで2回やるんですよ、1日、それを年に、コミュニティアだったら4回あるし
03:04
デザフェスに出てた時は年に2回の2日間出てたから、そのまま年4回天皇ズアイルツイート、天皇ズアイルを通過するたんびにやるっていうのをしばらくやってて
ここ最近はイベントにも出てないし、一般参加もしてないからやってないですけど、それをなんかやり始めたのがそれ、やり始めたというかそれしかやりたいことなくなったんですよ、ジオゴム長の方のアカウントだと
何なんだよもう、もうなんか、これね我々は結構長い仲なんですよと、我々はと、たぶん初めて聞いてる人もいると思うんだけど
あのたぶんね今ね検索してほしいの、田中ひろたかって言って検索してほしいんだけど、あのね、画集も出してるしね、いろんなね、それこそ、あれ何宇宙の、あれなんだっけ宇宙の仕事イラスト
ジョージ あーえっとジャクサの ジャクサ、いやジャクサなんだよ、あとさ
ジョージ ジャクサとカオさんのやつ、ジャクサさんとカオさんのやつ そうでしょ、あとさ、奨学金のやつなんだっけ
ジョージ あーえっとあれは、あれなんだっけ あれ国のやつでしょ、なんか国のさ
ジョージ 奨学金のポスターじゃん そう、なんか文科賞かなんかのやつですよね確かにね
ジョージ でしょ、あと教科書もやってるじゃん、なんか やってます
ジョージ 教科書やって、文科賞やって、ジャクサカオやって、でまあ清涼陰老水のねやつもやって、でいろんな、まあそれこそVTuberさんのね事務所さんのタレントさんのイラストとかもやってと
もういわゆる公のお仕事を結構されているわけですよね、公からエンタメまでと、なので多分検索してこうね今のメインアカウント見ていただくと、これきっとクールな人なんだなみたいな、きっとキリッとしてるんだろうなって言ったら
俺は天皇ザイルっていきなり言いましたから、何何何何って感じになってると思うんだけど、いやでもそうなのよね
そう、そうなんですよ、そうなんですよとしか言いようがないんだけど
ジョージ そうなんだよね、そうそうそうそう
僕はでもやっぱり、その表向きのアカウント、それこそ田中寛高で検索してもらうと出てくるアカウントっていうのは、もともと作家用のアカウントとして作ってるアカウントで
そう、だからイラストレーターとして活動をしていこうって言ったときに作品を載せて広報になるようなアカウントとして運用を始めたんです、あのアカウント自体は
ジョージ 公式アカウントってことだね
公式って言っても個人だからあれだけど、仕事につなげやすいようなとか、仕事のことを考えるためのアカウントだったんですけど、今ではそっちの方がメインだけど、もともとはそれの他にもう1個メインのアカウントがあって、それがゴム永、GOMNAGAっていうアカウントで
06:00
そっちの方ではもう別にネタツイーみたいなことをずっとしてたんですよね
すごいね、ネタツイって単語がさ、こんなにもさらっと出る令和6年ないよこれ、ネタツイートって何みたいな、もう2000年生まれとかの子は何ネタツイートってみたいな、なになにそれってあるんだよね、面白ツイートをして、ファボッターとかファブログとかね
そう、ファブスターとかね ファブスター、あったね、ファブスターね、でそれでね、いっぱいいいねを集めると、もう今普通に自然に口でいいねって言っちゃったけど、ファボだよ、ファボ
ファボですね ファボ、まあその時代
そう、だからファボッターの時代なんか、赤ファボ5から、5で赤ファボだったから 赤ファボね、5でさ、何かこう褒めがもらえるのって結構いいよね、なんかね
そうそうそう、だって赤ファボがいわゆる赤スパ的な、その最上位なんですよ、赤ファボって、赤ファボって最上位なんだけどそれが5でもらえた時代だから、まあよっぽど人も少なかったんだろうなっていうのもありつつ
そうね、我々褒められて育ってきたからね、5赤ファボでね、まあということでですね、作家イラストレーターをねやられてるということで、まあいろんなねお仕事をしていてと
すごい接続だ 今ではあれでしょ、大学の講師のお仕事もしているとか
そうですね、非常勤講師で新潟の大学、会市専門職大学っていうところで、アニメ漫画学部、キャラクターデザインコースっていうところで
キャラデザコース はい、非常勤講師やらせてもらってて、まあでもね、最初にお話しいただいた時は僕キャラデザの畑の人じゃないから
どうしようかなっていうのは思いつつ、まあでもなんかいろいろね、受けるにあたってのこう事情だったりとか流れみたいなものもあったんですけど
とりあえずまあ、いろんな条件を鑑みて、まあ受けるか受けてもいいなみたいな感じになって、今やってらせてもらってるって感じですね
なるほどね、まあ確かにそのいわゆるゲームとかアニメとかのキャラクター、まあそれは基本的にエンタメ業界だと美少女キャラクターとかそういうものをデザインするというよりは
まあ広高兄は本の総画、表紙の絵とか、だからある程度その本の内容を踏まえて本に出てくる登場人物を踏まえて
まあ例えば体育館の殺人だったらね、かささしてる子が印象的ですけれども、女の子が出てくるとしたらじゃあまあこんな雰囲気かなみたいな、ある種その物語から想像を膨らませて
総画を作る、顔になるようなものを作る、で人物画がメインで描かれてるというので、キャラクターデザインもあるのかなっていう感じだけれども
まあ確かにいわゆるところのそのポップなエンタメのオタク業界と言いますかサブカル業界のキャラデザインとはまたちょっと毛色が違う感じっていうのはまあなるほどわかるっていうね
09:12
でも格闘女子のやつとかは結構ね
懐かしい、格闘女子、めちゃめちゃなんかそうあんまり言うべきもんでもないですけど、割と不本意めな仕事ではあって、でもやっぱ駆け出しの頃って不本意な仕事いっぱいあるんで
おもしろい
そういうのも込み込みでね、やってきたっていうのもありますね
そんなね今日のタイトルはイラストで生きていってみようということで、その駆け出しの頃みたいなのね今ありましたけど結局イラストレーターとしてもちろん世の中にねイラストレーターとして生きるんだみたいなクライアントと交渉するんだもうとにかく数字なんだ
みたいなのもあるんだけど、どちらかというと商業イラストレーターとして層がまあ意図っぽい度目線だけど死ぬほどずっとやってきててめちゃめちゃ数やってるわけじゃんぶっちゃけ
そうですねやらせてもらってる感じですね、数をたくさん
ワンチャンだからこのリスナー電機閣議は多分田中さんの絵だとわかってないけれども絶対に純駆動の平澄で見たみたいな人生経験あると思うんだよね
絶対あるじゃん、あの数でさコンスタントに出てるからさもう視界の中に入ってると思うんですよね
そういうようなお仕事をやってきてでもやっぱりある種その作家、いわゆる商業クリエイターっていう側面と
あと作家っていう側面と両方をやってきてるということでちょっとそれどんなテンションでやってきたのかっていう話
いわゆる生きていってみるってどんな感じだったのかっていうのをちょっと最初に聞いてみたいかなと思いやすと
ぶっちゃけ最初ってコミティアとかでさエレキギターとかを持っている女の子のアクリルスタンドとかステッカーとかさ
なんかステッカーだっけグッズあったじゃないですか、あれを結構出してたっていうところの印象からかな
たぶんワンチャン、ビル番的なというか、あのタイミングってもう商業デビューしてた?
知ってました、だから僕のスタートで言うと、これいろんな場所で話している内容なんで多少割愛しつつ話すんですけど
僕その大学卒業して、タマ美術大学卒業なんですけど、情報デザイン学科、情報芸術コース
情報芸術コースっていうね、メディアートをやる学科だったんですけどね、そこのまあ卒業をしてて
学科によって様々あるんですけど、うちの学科の場合は4年次1年間かけて卒業政策に取り組むんですよ
12:05
逆に言ったらそれしかないんですよね、4年間4年制って、その4年の時に作った卒業政策っていうのは学科内でめちゃめちゃ評価が高かったんです
で卒業前にいくつか展覧会が決まっちゃって、企画展とか、自分で個展やろうと思ったから個展もあったりとかしてて
それが卒業後にいくつか決まってて、そのうちの一つ、例えば銀座のギャラリーの企画展に参加して
その企画展がそのままニューヨークでやるなって、ニューヨークに投稿して
話が早い、何どういうこと、どういうこと
でもこれは僕の作品云々というよりかは、もともと何人だったっけな、6人ぐらい、5、6人確か作家を集めて、プリントに焦点を当てた作品の企画展だったんですね
僕の場合そのデジタル作品なんだけど、そのデジタル作品を大盤でプリントできる布の用紙が、プリント用紙があるんですけど
それにプリントして、自分で額を作って額装したものを展示してたっていう作品だったんですけど
それを後期にプリントものとして、版画作品とかと一緒に企画展として放り込まれて
その企画展は新規にできてたわけじゃなくて、その前の年だったかもやってたやつで、その時もその企画展をそのままニューヨークに持って行ってたんですよね
そのギャラリーが、ギャラリー発案の企画でニューヨークでもこの企画展はやりますよっていうのは最初から言われてたんで
で、ニューヨークにグループ展というか企画展に参加する形で僕も一緒に行って、2週間向こうで過ごして
へーすげー
もうフルフルでね、楽しませてる
2週間ってもうやばいじゃん、ちょっとしたホームステイレベルじゃん本当に
そうそうそう、ずっとホテル暮らししながら
うわー最高やん、それが何歳の時?
それが1年目、卒業して1年目ですね
めっちゃ若い時から
そうそう、22から23にかけての時にそれやってて
ただ、そういうことをやってたわけですよ、要するにその作家活動
多少語弊もあるけど芸術家としてやってたわけですよ
だからあれでしょ、すげー普通の人にもわかりやすい単語で言うと、いわゆる新卒でサラリーマンにならなかったってことでしょ
そうですね、就職活動は一切してなかった、僕企業説明会とかあるじゃないですか
ある
1回も行ったことない
やばいね、なるほどね
2ターンとかも一切行ったことないし
面白いな、そうなんだ
だから僕は何をするのかがわからない、いまだに
就職活動の流れの中で何をするのかが全然わからない
15:03
なんかさ、これ結構たぶん今までの話ぶりとかさ、こういうのトントン聞いてかなりみんな意外だと思ってると思うんですね
結局やっぱり大学卒業してさ、普通に専業作家になるって、いきなりこうやるってなるとさ
例えばサラリーマン経験してない、企業経験してないとクライアントワークとかで苦労する作家さんとかも多いじゃないですかぶっちゃけ
どうやってメール書いたらいいのだろうとか、なんかちょっとやっぱこうコミュニケーションするのがとか
結構よくインターネットでもあるあるの悩みだと思うんだけど
そこ経験してなくても死ぬほどクライアントワークめちゃくちゃやってきてるじゃん
そうですね
なんかちょっと変わってるよねっていう
そうなのかな、どういう
これはマジであると思うよ本当に
でも僕、たまび時代って周りの友人がとにかく全員変だったんですよ
そうなの
よく美大生に対する偏見としてね、変わり者っていう偏見あるじゃないですか
あるよ
別に偏見じゃなくて、かけでなしにみんな変だったんですよ僕の友達たちは
で、僕はそれと比較して大学時代を過ごしてるから
大学時代僕は自分のことものすごい普通の人間だと思ってて
なるほどね
で、誤解を恐れずに言うと
僕は友人たちの中で言ったら比較的だいぶ社会性のあるタイプだったんですよ
まともだと
周りのイカれたメンバーと比べると、俺はだいぶまともでちょっとおとなし目だぞと
そうそう、社会性もってだいぶ普通に一般の人とコミュニケーションとれるし
面白い、いいね、22歳いいね
それを自分が誇ってたわけではなくて、普通だからこういうふうにできるなっていう振り舞いとして
振り舞いとしてこういうことができるなっていう
若干だからコンプレックスだったんですよね、自分の普通さっていうのが
そうなんだ
そうそう、僕が大学時代は友人たちがやっぱりみんな変の中で自分だけが普通っていうのがすごいコンプレックスで
ええ意外
なんでかって言ったら、パーソナルな人格的に深い部分、バックボーンだったりとかパーソナルな部分って
そのまんま作品に反映されるんですよ
へえ
で、デザイン領域だったらまた話は違うんですけど
そうね、デザインはね
僕が行った場所は芸術領域なんだどちらかというと、アートの世界だったから
その作家本人がどういう特性を持ってて、どういう人生のバックボーンがあって
っていうのがそのまんまその作品に消化できて
かつその作家それぞれのパーソナルの部分っていうのが備わってる作品っていうのがやっぱ評価高かったんですよね
18:03
なるほどね
で、そこ行くと僕はあくまで普通だったから
おお
例えば人にこうひけらかした、人にこう懐賃したときに
特筆するような場所がなかったんですよ
自分の人生、これまでの人生だって別に何か大きい挫折もないし
例えば家庭事情に何があるとかもないし
そういう何だろうな、一筋縄じゃいかなかったみたいなことって
自分の人生にかつてそれまでなかったんですよね
ある程度器用に物をこなしちゃうタイプだったから
結構ポンポン調子で来てたところがあって
そういう中で作品を作っていくとやっぱり自分の普通さってのがどんどんコンプレックスになってくるんですよ
それがコンプレックスのまんま一旦卒業しますと
卒業したんだ
卒業後、作品の評価が高かったっていうのもあったし
卒業前にその流れでいろんな展示が決まってたっていうのもあって
そのまま就職活動もせずに1年間ずっと作家活動してたわけですよね
作家活動していく中で1年間とりあえずやってみたと
ってなったときに食えんぞこれはとなったわけですよ
マジで?そこで食えんぞなんだ
当時バイトしながらやってたんですけど
神奈川県の中で割と最低時給に近いぐらいのところでやってた
なんのバイトしてたのそれ?
満喫です満喫
満喫?マジで?
満喫の昼晩だったんですけど
昼晩、はいはい
それであんまり時給も良くないし
かといって例えば今だったらわかりますけど当時だったら
なんとなくふんわりこれはここまで稼いじゃダメらしいみたいなのあるじゃないですか
ああありますねいわゆる扶養工場みたいな話ね
そうそう104万だが超えるとどうのこうのみたいな
なんとなく当時ふんわりを持ってて
だからそれを超えないようになんとなくシフトの数を調整しながらやってたんですよね
当時はまだ健康保険も親の保険の扶養に入ってたから
そうだよね
それプラス僕地元が新潟で
上京して東京の方で活動してるってなってる
だから一人暮らししながらなんですよね
普通にだから生活費もかかって家賃もかかって
そうだよな
でまあ仕送りはもらってるんですけど
その仕送りは丸々家賃分ぐらいなんで
ああなるほど
だから生活費とか制作費作品の制作費とかは
自分で稼がなきゃいけないんですけど
ギャラリーで展示すると売り上げってギャラリーと接班なんですよ
結構接班だよね確かギャラリーって
そうまあたいてい接班ですね
かつその接班の割合っていうのはゴーゴーですだいたい
だよね結構だから我々例えばインターネットソフトウェア提供者側からすると
21:00
手数料50%マジみたいな
何それ何それ何それみたいな
それ何のしのぎの話って思うんだけど
そうなんだよね美術賞とかアートの世界だとギャラリーさんは結構50%とかね
だいたいそれが当たり前なんだけど
そうそれがまあそういう世界の話なのでまあそのね是非はまた別の話なんですけど
まあそういう世界だったんで結局その作品は売れなかったわけじゃないんですけど売れたとてなんですよ
まあそうか
そうでこれでこれ一本でだから成形立てようと思うとちょっと先が見えんなみたいなのがあって
でじゃあちょっと商業的な活動にシフトしていかなきゃっていうのをその時考えて
おおそこで
でその時作っている作品のテイスト絵柄みたいなとかを部分を
そのまま流用というか変えずに商業活動するには何がいいかなってなった時に
イラストレーターだったらなれそうだなっていうのがあったんですよ
じゃあイラストレーター 例えば今ってさ絵描く人ってさ
ワンチャンデジタルでアプローチする人も多いからさイラストレーターって単語は結構工技の意味で使われるじゃないですか
でも当時はそうかいわゆる作家じゃなくて商業的なイラストを描く人っていう意味で
イラストレーターという職業っていう感じで認識してたんだ
そうでも当時も工技ではすでにあってっていうのはやっぱピクシブがもうすでにあったから
そっかそっか
デジタルで描く人口っていうのは当時も飛躍的に伸びている時期なんですよね
かつイラストっていう単語が示すものっていうのがだいぶ広いものに当てられるようになってて
当時の僕の感覚で言ってもプロとアマの垣根っていうのがだいぶなだらかな時代だったんですよ
何を持ってプロとすんのかみたいな
何をどこからがプロでどこまでがアマチュアなのかみたいなのが
ネットでピクシブとかで絵を見るだけだとあんまりわからない
つかみにくいみたいな時代だったんですけど
とはいえ職業としてのイラストレーターっていうのは明確にあって
今ほど曖昧じゃない感じで捉えてたのは
たぶん今みたいにSNSが発達してなかったんで
ツイッターはあったんだけどツイッターに画像を貼るみたいなのがちょっとひと手間あったんですよねやっぱり
ツイットピックとかの時代だったんじゃないか
そうツイットピックとかで外部サービスに画像を上げてそのリンクをツイッターに上げるみたいな
ちょっとワンクッションはあった時代だし
ツイッターの仕様も今とだいぶ違った
今のXの状態とかだいぶ違ったみたいな時代だったから
絵を見るインターネット上で絵を見るってなるとピクシブに行くか個人サイトに行くっていう時代だったんですよね
かつ仕事してるイラストレータープロのイラストレーターもプロとしての仕事ってネットには上がってないんですよ
今はそんなことないじゃないですか
こういうのやりましたとかああいうのやりましたっていうのは告知ができるからなんだけど
24:03
当時は当時の契約形態がそれぞれどうなってるかっていうのは僕はあんま分かってないけど
基本的にあんまり告知みたいなことがなくて
実際の雑誌とか本とかでこういう作家さんがいるんだなっていうのを見て仕事を発見することはあっても
ネット上で好きな作家を検索してその人が実際にどういう仕事をしてるかみたいなのはあんまり参照できない時代だったんですよね
勝手に載せちゃダメだったりとかして
そういう時代だったから多分今よりもイラストレーターっていうのは若干ちょっと上の存在として
イラストを描く人っていうのが広くいるとして
ただプロの仕事っていうのはネットに上がってこないちょっと上のものとしてなんか別のレイヤーにある感じだったんですよ
まあでも確かにめっちゃ思い出をたぐってみると
そもそも例えばアニメとかゲームとかもそれの作る人っていうのは上から降ってくるものというか
いわゆる派遣コンテンツとかさ派遣アニメとかもあったけど
なんかこうよくわかんないプロの大人の天井人たちが作ってるもので
でそれをこうインターネットの俺たちが何かこうちょっと見て
端に構えて楽しんでみたりみたいなちょっと段差あったよね
段差ありましたね
そうかそれも同じことだもんね商業のいわゆる作品と言いますか
いわゆるアウトプットみたいなものでも実際に作ってる人はまあ普通に人間だしなっていうのが
ネット環境が慣らされてきたから今でこそまあみんなそうだよねってなるけど
確かに当時その時は何歳だった20
えっと23?23から4とかですね4前かな
あのスピード感早くないなんか
いやでも本当なんかさ例えばさこれがロッキーオンジャパンとかのさインタビューだったらさ
まあ3,4年ちょっとプラプラしててみたいな風にさそういうのあるじゃん
なんか3,4年4,5年プラプラしててっていうのが3回ぐらい発生すると思うんだけど
なんか普通に卒業ニューヨークいらっしゃるじゃんだろうっていうのがパンパンパンってなってて
なんか経営戦略じゃねえんだぞみたいな
でもこれねあれですよそれこそ近年になって思い返して
ああなんかこういうことだったんかなってちょっと気づきがあったんですけど
当時で言うと自分の話自分のことだから
その時々でこう必死にやってたことだからあんまりこう意識してなかったけど
あの今思い返すとなんかその時々でめちゃめちゃ戦略的に動いてたなっていうのが一気に思っている
なんかその僕来年で15周年とかなんですよ画業が
じゃあ絵を描くのお仕事に始めてもう15年
27:01
15年卒業後1年間の作家の部分は含めずですね
イラストレーターになってからの15年が来年ぐらいなんですけど
なんかあれですねその当時何話をしたか忘れと
でもさ例えば画業15年だとで2年目からもうお仕事始めたって言ったけど最初の仕事は自分から取りに行ったの
取りに行きました
その話じゃあ一旦戻りますか
ツイッターがさっきまだ仕様がいろいろ違うみたいな話をしたと思うんですけど
ユーザーも少なかったんですよね
僕が商業活動するためにイラストレーターだったらなれそうだっていうことを思いついたぐらいのタイミングで
ちょうどツイッター上でブックウォールさんという書籍メインのデザイン事務所があるんですけど
そこのアカウントがあったんですよ当時
だいぶそういうデザイン事務所がアカウントを持つみたいなので言うと結構早めの段階だったと思うんですけど
でその時に今ツイッター上で絵を描ける人っていうのがどれくらいいるのか知りたいっていう名目で
ツイッター上限定のコンペっていうのをやったんですよね企画して
面白い
で参加方法は当時ハッシュタグとかもなかったからリプライだったかな
リプライで絵を送りつける
メンションかDMか定かじゃないですけど
ただ画像は載せられないから自分の作品が閲覧できるURLを乗っけて
エントリーしてくださいっていう形式だったんですよね
すごい世界だな
で僕もそれを見つけて参加して
でそれが僕の言ってみればイラストレーターになるための営業の第一歩目というか一番最初のその具体的な行動だったんですけど
運良くそれで仕事をもらってしまって
ああそうなんだ
それで選んでもらって
でそのコンペの商品っていうのがその時そのタイミングでぶっころさんが抱えている仕事の中の一つをお任せしますっていうのが商品だったんですよ
でなんで僕はその時に選んでもらって
シグナルっていう作品の小説の文庫カバーを初めて任せてもらって
でそこからがだからそれが8月ぐらいの話かな夏ぐらいで
発売したのが確か10月秋観光とかなんですけど当時今でもそうなのかな今あんまり聞かないですけど当時はやっぱり読書の秋のキャンペーンに合わせていっぱい本を出すっていうターンがあったんですよ
でそれもそのタイミングで出したいからっていう本でイラスト自体の締め切りは8月ぐらいだったんですよね
30:04
だから僕がちゃんとプロのイラストレーターになって仕事しましたっていうのは大体2010年かな2010年の8月ぐらいが初
2010年か2010年やばいな
もう遠い昔のような2010年
いやでも2010年って数字だけ見ると全然最近ですけどね
いやでももう今2024年だからねっていう
そう14年経ったから
やばいねじゃあそっからそうかそれが本だったっていうのもあってじゃあ本の総画みたいなのが結構コンボみたいに十字繋ぎみたいに
そうですねなんかやっぱり最初は知名度がないのもあるんですけど
アイアナってわりと狭めの世界で動いてるというか業界内での知名度っていうのはわりと仕事をたくさん受けるにあたっては
大事とも言わんけど結構影響はあるんですよ
で話題のあの作品の総画を書いてたとかだとより効率的に業界の知名度が上がって
そうするとあの人に頼みたいっていう風になってくるんですけど
あんまりだから他の業界から引っ張ってくるみたいなことって大きいとしてはあんまりないんですよね
書籍だったら書籍界隈の中で有名な人の方がやっぱ強いし
みたいなのが業界の特性としてはあって
でなんかその時は最初に仕事させてもらってまだ知名度がないから
やっぱり年に1冊2冊ぐらい
普通そうだよね
そうそうそれを同じ事務所からもらったりするんですよね
それこそ格闘女子さっき一番最初に話してたあれも同じところからなんですよ
でも初期の頃はもうやっぱりこういつもお仕事をくれるというか
やり取りしてるクライアントさんとやってて
でなんかちょこちょこ別のデザイナーさんが見つけてくれたりとか
編集さんから別の出版社の編集さんから連絡来たりとか
みたいなことがちょこちょこ増えていくみたいな感じでやっていくんですけど
でも言うても最初の頃最初の数年はやっぱり年に1冊2冊ぐらいが続いて
2010年11年2012年に体育館の殺人があるんですよね
早くない体育館の殺人って言ったらまさに今も繋がっている関係値ですよね先生とは本当に
で僕的にはあれがやっぱりターニングポイントというか
そうだよね
2012年の体育館の殺人の説明をすると青崎優吾さんっていう
先日地雷栗子っていう作品で文学賞をどんどん総のみにしていくという
33:06
最強派でした
見た見た
最終直木賞まで取るかって言われてノミネートまではしたけど
結局直木賞は取れなかったんだけどそれ以外の賞も全部取ったみたいな
すごいよね
会心劇をした今まさに揺れっこの若いんですよしかも当時まだ名大生だったから
そうだよね
大学生の時にデビューしてみたいな感じで
若い作家さんのデビュー作だったんですよね体育館の殺人が
でそれが東京創券社っていう出版社の綾川哲也賞っていう本格ミステリーの
文学賞があるんですけどそれの綾川哲也賞を受賞する形でデビューしたんですよね
で僕はその創画を任されたと
でこれねなんでその創画を任されたかっていうと編集さんが僕のことを見つけてくれたんですけど
さっき業界内での知名度の話したじゃないですか
でもその編集さんは僕のことをロフトのポップボックスで発見したんですよ
ロフトねロフトかロフトのイメージ確かにあるかもロフトね
その時代ね2011年くらいからかな
うわぁロフトにあったよねそのコーナーっていうかさ
そうそうそうサイジスペースなんか大きめのね広めのサイジスペースで
すごいたくさん何人くらいいるかなわかんないけど20人くらいの作家さんをこうわーって集めて
作家さんそれぞれでブースをそれぞれ作るんですよね
幅60センチくらいかなのブースをそれぞれ持って
ポップショップの小さい版みたいなやつをみんなでやるっていう催しが
全国のロフトを巡回する形でやるんですよ
でその中で東京だと東京何店舗かロフトをいっぱいやるんですけど
その中で確か渋谷だったかな渋谷ロフトでやった時とかにその編集さんが見つけてくれて
それで声かけてくれたんですよね
でなんでそれ体育館の殺人に関しては実はまあその業界の知名度とかではなく
普通になんか編集さんが気に入ってくれたから声かけてもらって
そうなんだ
でまさしくでもその仕事から僕のその業界内での知名度っていうのがガンって上がって
でたくさん仕事をいただけるようになってみたいな
そうなんだねそっからか
今年表にすると早いんですけど
これ当時の感覚で言うと毎月毎月金ねえと思ってやってたから
えマジで
そう毎月毎月ギリギリの生活してたから当時の年表で見ると早いけど振り返ると長いんですよ結構
あれこんな文化っていう
そうそうそう
でもさもちろん例えばなんだろうな若手の頃のデビューのねそのきっかけとかステージっていうのは
36:02
なかなか尊いものだからあんまり価値に一概に金額だけとか数字だけとかの判断ってすごい難しいと思うんだけど
今さ金ねえとか結構意外と時間感覚として自分でゆっくりだったみたいな話だと思うんだけどさ
年に何個ぐらい絵描くと生きれんのっていうのって分かるようになったどのタイミングで分かるようになった
でもこれは分かるかどうかは分かるかどうかっていうのは話とはまた話違うんですけど
もうちょっと細分化して月にいくらあったら生きれる生きれるかなってのは当時考えたんだって
それ考えるとだいたい月15、6万あったら最低限生活できると思ったんですよ
確かに家賃があって公立費あって食費があってそしたらまあそうね来ないとかだったらまあいけるね
当時計算した1ヶ月16万ぐらいあったら生活できるなっていうのって
仕送りとして家賃もらってる前提の話ですけどね
なるほどね
でもまあそんぐらいあったら普通の生活ができそうだな多少みたいな感じの感覚はあって
でイラストレーターとして書籍の表紙の仕事をもらうようになって
業界のその相場みたいなギャラの相場みたいなのがなんとなく肌感でわかるようになって
でこんなこのぐらいの金額なんだなっていうのがあるの
プラスあんまりそのキャリアを積んだところであんまり上がんないんだなっていうのが
なんかどこからか知りたいものがあったんですよ
だから応募書に頼んでも例えば僕が文庫本の相場をこの金額で受けますってなった時に
その同じ仕事をじゃあ仮に応募書に頼んだ時に応募書はじゃあ3倍の金額ですみたいなことってあんまりないらしいみたいなことを
なんかどっかから伝え聞いて
あるある
そうで結局そのこのぐらいになってくると会社の構造みたいなのまで多少ね想像力が働くようになるから
わかるじゃないですかそのあなるほどね一冊出すのにこれだけの制作予算があってそこから切り売りしてるから
基本的に我料っていうのは会社側の規定の料金があるものなんだなみたいなのがなんとなくね
わかるようになるんですけど当時はわかってないのといろんなところから伝え聞いて
なるほどねなるほどねの連続だったからなんかそういうのをやりつつ
大体だから月の計算だったんです当時は年間の話じゃなくて月毎月どれぐらいがあったら
これ最低限生活できるようになるからじゃあ月何本仕事をもらえるようにしようみたいな目標値は当時あって
それがだいたい月総が3本だったんですよね
わかるわかる
3本やったら16万以上もらえるんですけど
39:04
16万で言ったら2本あれば16万もらえるだろうかな大体
でもだから月3本あれば家賃も込みで生活できるぞみたいな感じだったんですよ
だからとりあえず当時は月3本もらえるようにっていうのを目標にしてやってた感じでありますね
それ目標にしてどうやってもらうの早く納品して次あったらくださいっていう雰囲気を出すとかってこと
それがね難しい話なんですけどこれは何だろうな作戦とも言えない感じではある
結局どんなに仕事を早く終わらせたとしても観光するタイミングって決まってるんですよね
そういうことね
だからその出版社とかその編集部内でよっぽど好かれたらじゃあこっちもお願いしますこっちもお願いしますみたいなことはあるかもしれないんですけど
デザイナーさんだったらその売り方できると思うんですよ
イラストレーターで総画を任すみたいな仕事になってくるとあんまりそのやり方になることって多分恐らくないような気がする
そうだよね出すもの出すもの全部同じ人だとまた違うメッセージ戦も出るだろうし
そうそう
ちょっといろいろバランスが必要だからね
あとかつ当時体育館の殺人が出た時に編集さんに言われたのが僕と青崎さんをタッグとして認識させたい
っていう出版社内で
だから青崎さんの作品といえば田中博太がっていう形の構図にしたいから青崎さんの体育館の殺人シリーズが続くうちは僕は他の作家の仕事をしないっていう
それがなんとなかったんですよ
それめっちゃわかるわすっごいわかる
その問題ってあるじゃんいやもちろんありがたいことだし楽しいし嬉しいんだけどね
そっかみたいな気持ちになるじゃんなんか普通にこうペースとか計算してさなるほどみたいな
思うちょっと欲しいなみたいなね
あれみたいな意外と時間は合っちゃうなみたいなあるじゃん
そうそうあるある
それどうしたのでもだから15年間やってきたわけじゃんで今さ振り返ってわーってみるとめちゃくちゃ本出てるわけ本当に
でそれも違う出版社いろんなところにあるじゃん
それはやっぱり業界内の知名度があったから結構いろいろこう声かけてもらって
でそっから一つ一つの出版社さん開拓していってみたいないくつかの出版社さんが取引先としてずっと繋がってる状態でってきたっていう話
そうですねなんかもう本当に戦略的な話ではなくて申し訳ないんだけど
本当に毎回仕事に対して本気で取り込むというかちゃんと売れそうな体裁を整えるっていうのを意識するのが一個と
あとその時は多分ツイッターで画像を載せられるんだったはずなんですよ
42:03
だからツイッターに結構バンバンイラスト載っけてそこ経由で探してもらうみたいなのを狙って
あんまり直接的に出版社に全く売り込み行ったことないとかではないんですよ
そうなんだ
そうそうそう
あとデザイナーさんとか憧れのデザイナーさんとかいたからその人にポートフォリオ送ったりとか
持ち込みの窓口がある出版社は当時もうすでになかったんだよな
へー
だから出版社の窓口に送ったことはないけどデザイナーさんに送ったことは2回ぐらいあって
その時がやっぱり月にだから3本が目標ぐらいの時代にはそういうことをやってて
だから何が起因してコンスタントに仕事がもらえるようになったかっていうのは
タイミングがちょっとずれ込んだりとかするからあんまり明確なこと言えないんだけど
ただ絵を描く発表するみたいなのを仕事のラインとオリジナルの自主制作のラインでどっちもやり続けてたっていうのは
大きいかもしれないそれこそポップボックスもずっとその時代出続けてたし
あとデザフェスも出てたしそういうなんかイベントに出展するとか
で個人の名前を僕売るのをすごい最優先にしてたんですよね
へー
これは昔からデビューした当時が大事というか曲げてないことなんですけど僕クレジットが出ない仕事をやんないんですよ
あーなるほどね
必ずイラスト田中寛高っていう名前がどこかに乗る仕事じゃないと僕やんなくて
それプラス当時で言うとポップボックスとデザフェスとかで田中寛高のグッズがここに行けば買えるみたいなので
ちょっと草野の活動的にファンを増やしてる時期があって
そういうのをやってると徐々に業界の人とかの耳に入ることが増えたりとか
言うて結構近めのところにあるんですよね業界の距離感で言うと
そういう編集さんとかブックデザイナーさんとかも当時はやっぱりイラストを想定に使うっていうのが大流行りしてた時代だから
でどんどん成熟しきってねしかもこれから今どんどん持ち上がってますっていう時代だったから
みんないろんな作家を探してた時代なんですよ
でピクシブから作家さんをオファーしてピクシブで見つけて作家さんにオファーしたんだけど連絡つかなくなってみたいな痛い目を見る編集さんとかもいたりとか
これ分かるって言いそうになったけど
当時はあるあるだった
あるあるだよねめっちゃあるあるだよね本当に
それの尻拭いとかもあるんですよ
ちょっと連絡つかなくなっちゃってって言って
本当に納期が1週間しかないんですけどっていうので
45:01
もう駆け込み寺みたいな案件とかも来る時代もあった
今はもうあんま聞かないですけどねそういう話はね
そうだよね
そうか
でも多分だけど普通に外側から見えてる印象としては
言われてみれば確かにイラストレーターこの田中寛鷹漢字四文字もしくはアルファベットで書いてある
寛鷹田中って言われてみればそうかって感じだけど
例えばさすごくわかりやすく言うと顔面ドーン
美少女の女の子のお胸がブーンみたいな
そういうインターネットSNSタイムライントリミング全部っぱ型イラスト
あるじゃないですかそういうジャンルが
今でこそここまでツイッターXのよしよしというのは足足しかないかもしれないんだけどさ
それとはまた違うじゃん言ってしまえば
だからかなりちゃっかりって言い方は変かもしれないんだけど
めちゃくちゃ他の人とかぶりがないポジションで積み上げてるっていうのはこれファクトだと思うんだよね
そうですねでも僕だからあれです今の作風になるのにやっぱ
自分の描きたい絵をシンプルに描こうと思って今の作風になってるわけじゃないんですよね
それもやっぱりちょっと考えてたんだ
そうそうイラストレーターになる時にイラストレーターになるためにはどういう絵柄にするのがいいんだろうっていう
どういう絵柄というかどういうものを描けたらいいのかとか
需要をやっぱ見極めなきゃいけないのが考え方としてあって
そこはもう完全に戦略ですなんか当時の世相というか
インターネット上とか実際仕事をしている人たちの中でイラストを描いている
人たちをわーっとこう浮かんで見た時に僕みたいな絵を描いている人がいなかったっていうのがあって
もうちょっと神くだりというとキャラクターを描ける人と背景描ける人って別だったんですよ当時
あー当時ね確かにね
背景描く人は背景をすごい上手に描く人だし人物を描く人は人物をすごい上手に描く人で
それを2つ一緒に描いている人はいなかったんですよね
あーそっかそうだよね背景まあ今でも古い言葉ですが背景絵師みたいなさ
なんかあったよねそういう言い方
割と多分パソコンゲーム系のギャルゲーとかの背景
グラフィッカーさんだ
そうそうグラフィッカーからの実際にある職業から連想されてアマチュアに降りてくるんですよ当時って
だからみんな背景を描きたい人はやっぱり背景を描いているし
キャラクターを描きたい人はキャラクターを描いているしっていう住み分けがなんかあったんですよ業界の中に
でそれを一緒にできたらこれは需要がありそうだなっていうのが一個と
48:02
あと描き方自体そのリアルなものとして実際にこう
例えば夜の住宅街みたいなやつを夜の住宅街として描く人っていうのはまあいっぱいいるだろうけど
これをもっとグラフィック寄りにグラフィカルな感じで既存の色を使わずにかつ線画主体で描くっていう人はいないなと思って
いないね
で僕その着想を得ているのが基本的にコミックの文脈から得てて
はいはいはい
僕の背景の描き方って久米田講師と荒木博彦なんですよね
あ久米田先生なるほどねわかるわ
久米田先生の僕どっちかっていうと勝手に改造時代なんですけど
勝手に改造の表紙絵がすごい好きだったんですよ
うわーなんかすげー納得いくわその話
なるほどね
そうでプラスジョジョの表紙の表紙とかカラー原稿のあのカラーリング
色使い
そう色使い
面白い
すごい好きで
でそこの2つをまあ合わせたっちゃ合わせた
プラスもうちょっとこう
若干こう高尚な言い方ものになってしまうかもしれないけど
それプラスレンブラントとか
はいはいはい
ああいうレンブラントってまあ光と影はすごい綺麗なんですけど
僕が好きなのって影で潰しちゃってたりとかする絵なんですよ
はいはいはい
だからすごい要素を限定させて
見え方のここにフォーカスを当てるっていうのはすごいこう
何だ狙ってやってる絵がすごい好きで
いわゆるコントラストが強いよねレンブラントはとにかく
暗いところガーンと暗くて
見立たせたいところをバッてこう明るさ上げてというか
すごいフォーカスがいくというか
そうであの感じがしたかったから
でじゃあ色をよりシンプルにして
ああなるほどね
例えばこうドミナントとして今2色ぐらいでまとめた時に
こことここにフォーカスが合うようにとかっていうのを狙ってできるように
みたいな感じであの自分の絵柄を作って
でこれだったらあのやってる人気ないし
需要もありそうだっていう形でどんどんこう絵柄が決まっていったみたいな感じですね
へえそれはやっぱ仕事しながら結構決めてたの?
そうなんか仕事しながらだし
最初からねあのそのいうこれこの感じで
この感じのレシピでやっていこうかなみたいなのは
最初の頃にある程度決まってたんですけど
まあやりながらこうねいっぱい絵を描くに従ってこう変わっていくもんなんで
その辺は更新されていくから
そうなんかそんな感じでやってて
そしたら一番最初の仕事は
それの数年ぐらい前のファンアート
なんかあのあれマキナミの
エヴァのマキナミのファンアートを
そのサイトで見てくれたブックオールさんが
51:02
この感じでっていう感じでオーラーされて
それで総画を描いたのが僕のデビュー作なんで
その時のあれそれがだから2010年だから
2010年の絵柄じゃないですよあの僕の最初の作品って
最初の仕事の表紙のやつってね
当時の絵柄じゃなくてもう2年ぐらい前の絵柄のやつでやってたから
まあもうちょっとなんかできるんですけどね
僕みたいな感じで思いながら
最初の数年は仕事しながらやって
だけど徐々に自分の好きなテイストというか
自分のテイストっていうのが知名度上がっていったんで
田中寛孝っていう作家はこういう絵を描く人なんだなっていうのが
なんとなく徐々に知名度が上がっていって
でオリジナル作品でこういうのありましたよね
こういう感じでお願いしますみたいな感じで言われるようになって
だから最初の数年は全然好きに描けなかったんですけど
しばらくしたらあの自分の
その時のテイストでちゃんと描けるようになってみたいな
感じだったんですね
へえ面白いな
なんかそれでぶっちゃけど振り返ってみてさ
15年経ちますと15周年でございますと
これ例えば今流行りの異世界転生じゃないですけれども
もう1回22歳に戻るとしたらもっとうまくやれると思う
いやどうかな
なんか僕あんまりこうなんだろうバイタリティ高いタイプじゃないんですよ
ちょっと待って面白い
何それ何それバイタリティが高いタイプじゃないんだ
戦略立てたりとかするのが好きだけど
頑張り続けるとかできないんですよ
かわいい
それ自分で言うんだバイタリティがない方なんだね
正直生まれ持った体格の良さとか健康帯とかで
だいぶ一人体力あるんですよ
いやだってタッパめちゃくちゃあるしさ
僕190くらいあるんだけど
いや本当だよね
まずここ笑いどこなんだよね
そのなんかこの喋り方とこのコア色で
いやなんか創画とかやっててつって
自分もねすごいなつって戦略的にやってた
すごいしっかりした真面目な方なんだなつったら
いや僕190くらいあるんだよっていうのはさ
もうなんか暴力なんだよそれ
でまぁね小中学校野球部だったりとか
高校バレーブだったんですけど
バレーブねはいはいはい
胸にね穴あけて廃棄狂っていうのにかかって
それで辞めてそっから美大受験にシフトしたみたいな感じの
それまでは美大とかあんま考えてなかったね
そうですねそのままでは
あそこ行こうとしてたあのね
立命とか同志者とか
関西のなんで
京都住みたいなと思って
すごい高校生の発想
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なるほどねカンカン同立は確か西の方だみたいなそういうね
あそうなんだ
普通僕がいた高校ってその新潟の中で行ったら私立なんですけど
私立の中で一番上の偏差値だったんで新学校なんですよね
でそれもあってみんな結構だからそういう上の方の大学に進学希望を出してたから
僕もあんまり美大っていう選択肢がない状態で
どうやったら京都住みたいなみたいな感じで
自分の父親が立命官出身だから
だから京都の大学に対する憧れだけで
その辺の志望をふんわり1年生くらいの時に決めてて
美大受験決めたのは2年の冬とかなんで
そこから色々変わっていく気はするんですけど
それまでは本当に帰宅部でぬらりくらりと生活して
青春時代の遊びをずっと謳歌してましたけどね
なるほどね
体力はあるんですよ
体格が良かったりとか
運動部出身だったりとか
もともと体自体強い子で結構健康体ではあったんで
そうだよね
だからもともとその体力的な部分とか恵まれてるんだけど
サボり体力が結構強い
嘘だ嘘だろそれ
絶対嘘だよだってサボり体力がそんなに強いっていう人が
背景あの書き方で一生懸命頑張って書くかよ
それは嘘でしょ
マジであれ僕の中で言うとあれ一番楽なんですよ
方法としてね
避けられると考えなくていいから
そういう意味の楽ね
だって線が書いてぬるだけだから
思いそう二つでいいんですよあれは
それさね簡単でしょって言ってる奴と言ってること変わんねえからさ
本当に
あそう
そうそうそう
じゃあなにやっぱ最短コースでみたいなのは結構そういうところから来てんの
いわゆる戦略を立てるっていうのはさ
そうですね
例えばバイタリティを高く持って
東奔西走でいろんなところに行って
もうフッカルでフットワーク軽く活動していくみたいなのは
僕はあんまりできないんですよ
やっぱり家にいたいし
家にいたいし
家にいたいんだ
190センチ家にいたいかそう
別になんか人付き合いが嫌いとかでもないし
人と話すのは好きだし
なんていうかな
外に出たくないとかではないんだけど
家の方が好きなんですよね
比較するとね
なるべくだったら電車乗りたくないなとか
そういうのもあるし
あとなんか
翌日のことを考えて寝たくないみたいなね
なんで
大学生みたいなこと言ってんじゃん
なんか
そう
マインドはそうかもしんない
57:00
なんかねあるんですよ
翌日例えば
明日あそこ行こうみたいな
例えば行こうって
約束ごととか
打ち合わせとか
明日どこどこに顔見せに行かなきゃとか
受け取りに行かなきゃみたいなのが
いろんなところであったりとか
するんですか
っていうのを考えながら
じゃあ何時に起きなきゃなみたいな寝るのを
極力避けたいんですよね
なるほどね
僕いまだにそうなんだけど
眠くなってからしか寝てないんですよ
なるほどそうなんだ
朝9時でそれでお家は別に
大丈夫なの意外と
ある程度常識の範囲内ではありますけど
なんかこう
例えば明日
明日朝早い日
っていうのは基本的にそんなに
多くはないからそういう日はさすがに寝てるんですけど
例えばなんだろうな
明日お昼から打ち合わせだな
みたいなのがあったりするじゃないですか
っていう時にちょっとちょうど
昼夜逆転のタイミングで
9時ぐらいまで眠くなんなかった
朝の9時ぐらいまで眠くなんなかった
みたいな時があった時に
別に普通にそこまで起きてるんですよね僕
9時に寝て12時に起きて
1時から打ち合わせみたいな感じで
あの
なんだろうな起きる
睡眠時間を短くすることにあんま抵抗がないっていう
あーなるほどね
すごい恵まれた体から繰り出される
運用って感じがしますけど
そうそうそう
そういうなんか馬鹿力じゃないけどね
馬鹿力だよ
雑にね
やっていけたら一番気が楽だな
みたいな感じだから
それで言うと
今から例えば22歳とかのところに戻って
今より
うまくできるかって言ったら
いや今と変わんないだろうなって思うんですよね
マジ
そうか
でもまあね今の話を聞いてる限りだと
自分の好き嫌いの特性と
やりたいことと
また特性からなる
戦略性みたいなものが
奇跡の一致を果たし
そして一歩目は
インターネットの奇跡から始まり
あとは着実とね
ずっとこう
ある種積み重ねてきた
ということじゃないですかと
生きてこれたという話ですよね
今回前編後編でやろうと思うんですけど
前編がたぶん
190歳
パワー系
バイタリティがないを辞書している
画業15年の作家っていう
嘘だろ
っていう
文脈を聞いた上で
後編で
先生をやられてる
先生がさ
バイタリティとかないんですよって言ってさ
どう先生やってる
自分が先生って聞いてさ
どう思った
59:56

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