アドバイスをするときの考え方
こんにちは、ながおかのプログラミングチャンネルです。
今回は、人にアドバイスをするときであったり、人からアドバイスをされるときの話をしたいと思います。
このアドバイスをするというのが、基本的な考え方としては、ものすごいトラップで、
本当にそのまま思ったこととか、考えていることを言ってしまうと、じゅっちゅうはっく悪いことが、不幸なことが起きてしまうというものだと思っているんですね。
これどういうことかというと、例えば、何かアドバイスくれないと言われたときに、ついやってしまいがちなミスとしては、
こここういうふうにするといいんじゃない、みたいなのがあると思います。
改善点を伝えるとかですね。
これはすごく危険というか、うまくいく場合は非常に少ないと思っていて、それは何でかというと、
例えば、まずそもそも人って結構否定される、否定ではないんですけども改善のアドバイスって、
ただすごいポジティブなものではないですよね。
そういったのを受けたときに、なかなかすぐパッと受け入れられるというような状態になかなかならない。
これって2つの状態であれば受け入れられると思うんですが、そのうち1つは、その人とものすごい信頼関係があると。
そういったネガティブなことでも言い合えて、お互いちゃんとそこから改善していこうと前向きになれるような関係性がある場合ってですね。
もう1個が、よく人と行為を切り離す、つみを憎んで人を憎まずというような状態になっているアドバイスを受ける側が、
あの話って、つみを憎んで人を憎まずの話って、受ける側がどこまでできているかというのが大事というか、受ける側が9割ぐらいの重要度があるんですね。
アドバイスという側って結構無責任に言っている人もいるんで、受ける側がどうするかというのがすごく基本的に大切になっていると思います。
こういうふうにした方がいいんじゃないみたいに言ってしまうことですら、結構トラップになりがちなこのアドバイスというところで、
どういうふうにするのがいいのかだったり、どういうふうな状態が場合があるのかというのをちょっと簡単に分析していきたいなというふうに思っています。
じゃあまず最初の状態として、相手とそこまで親しくないであったり、結構仕事上の付き合いのような時とか、そういう関係性の時にどうアドバイスをするかというのを自分なりのお考えをお伝えすると、
アドバイスをするときの状態による分析
自分だったら基本的にまずいいところだけを伝えると、ここがすごく良かったであったり、これがすごく可能性がありそうだと思ったであったりというのをまず伝えます。
で、あともう一つあるとすれば、自分の感想を伝えるということがありますね。
なんかこれってこういう、なんだろう、自分はこう感じたであったり、なんかこういうふうに、こういうのがすごく嬉しかっただったり良かったというようなその感想を自分の感想として伝えるというのがありますね。
で、これどういうことかというと、なんか自分なりにその良かれと思って何か言っても、結局一番その何かについて考えてるのはやってる主体のアドバイスを受ける側なわけであって、
自分の視点からこれ絶対こうした方がいいよって言っても、いやそんなんはやってない理由がこうこうであるんだよっていうのが結局あるわけですよ、ほとんど全ての場合。
だからそういうのをあんまり言っても、まあ響かないどころか、なんか良いことにはあまりならないんじゃないかなと思っています。
なので基本的に最初は、基本的に良いことだけを伝える。9対1とかそういうわけでもないです。
良いこと9、改善した方が良いこと1とかでもなくて100%良いことだけ。
で、あとは自分の感想として伝えるというのを心がけています。
で、これなんで改善することを言わなきゃ意味ないじゃんって思われるかもしれないんですが、これはさっき言った通り結局その関係性がちゃんと築けている、
またはアドバイスを受ける側がもう完全な訓練を積んで、そうやって人と行為を切り離しているというような場合でない限りは全く意味がないのでしません。
じゃあもう一つの状態として相手とかなり信頼関係があるような場合、それは良いことを多めに7対3ぐらい。
良いこと7で改善した方がいいんじゃないかなと思ったことを3ぐらいというふうに伝えるということはありません。
という感じで基本的にはやっています。
口汚い言葉でのコミュニケーション
最後によくプログラミングの世界であるクソコード問題と言いますか、よくあんまり良くないコードをクソコードと言ったりするんですよね。
これ自体は個人的には良くないと思っているんですが、結構言われていることは事実と。
例えばよくあるのがLinuxという開発の時に、最初はすごい少人数、Linuxというオープンソースのソフトウェアがあって、
特にリーダーのLinus Tobalsさんという人がすごい口が悪いと、すぐFワードを言ったりとか、女性に対して差別的な発言をしたりとかしていたんですね。
これ個人的な性格によるものももちろんありますし、
あと最初はすごく少人数で開発が進んでいて、オープンソースなんでいろんな人が開発に参加しています。
このいろんな人が参加している中で、その初期の少人数の人たちはお互いの実力だったり、認め合っていて、信頼関係もすごくあったと。
だからそういうFワードだったり、これはクソコードだみたいなような英語だと思いますけど、
言い合っていても回っていたと。
それを言われたからといって、特にショックは受けるのかもしれないですけど、
ふざけんなみたいな感じで、バネに頑張るとか、それでも前向きに回っていくようになっていたわけですね。
ただ、こういう時代も違いますし、そもそも。
もっとさらに多くの人が参加するようになってきて、そういうのは認められなくなってくるわけですね、社会的にも。
なので、結局そういうのは認められなくなると思います。
時代的にも、コミュニティの今もLinux、ものすごい多くの人が参加して開発されていますので、
そういった公共、公になるような場では当然そういったのは認められないという風になってきています。
だから逆に言えば、今のこの時代でも本当に数人の信頼関係のあるクローズドな場では、
そういうような一見口汚い言葉で開発されているようなことはあると思いますし、
別にそれがいいならいいと思います。
例えば、よく言われるのが、
そういう丁寧な言葉遣いに気を付けるあまりに、
良くないものを良くないと言えなくなるのは良くない、みたいな。
ダメなものをダメと言えるのは大事だ、みたいなことをよくまさかりを投げるとか言いますけど、
というような話もあるんですね。
もちろんそれはそうなんだが、今のこの状況だと、
それが単にきつい言い方をするためだけだったり、
ちゃんと相手のことを考えた伝え方をするコストを払わないためだけに、
その言い訳が使われているというふうには思っています。
ただ、ものすごい少人数で信頼関係があるコミュニティなら、
そういうのを全く考えずに、コストを払わずに、
こんなクソコード書いてるんじゃねえよ、みたいな、
そういうコミュニケーションがあり得るとは思っていますが、
そういった場合でも結局成功するとどんどん人が増えていって、
大きな組織になっていって、
そうなったら当然そんなことはできないわけですね。
Facebookがハーバードの寮の一室で友達同士で作っているときは、
そういうのもありかもしれないけど、
今のように何万人もいるような会社だったら絶対ダメみたいな、
そういうような話なので、ステータスによって、
ステータスというかステージによって、組織のステージによって、
そういうのはどんどん変えていかないといけないなという話でした。
アドバイスをするときにどう考えるかというのはお話でした。
ありがとうございました。