1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #38 戦争突入~敗戦。対GHQ、..
2024-11-20 23:58

#38 戦争突入~敗戦。対GHQ、逆境にも一歩も引かない交渉術。高橋荒太郎編④

▼今回のトーク内容: 

松下入社7年目/取締役総務部長に昇進(40歳)/1938年頃、日本は戦時態勢に以降/民事生産は軍事生産へ/グループ会社も軍用生産に/松下造船を立ち上げ/木製の船を生産/250トン船を56隻生産/軍からは賞賛/「今度は飛行機を作れ」/2年かけて試作機を完成/終戦/多額の借金が残る/松下幸之助が社員に演説/「産業人としての使命は戦後も残る」/裏腹にGHQからは「民事生産を止めろ」/活動制限もかけられる/会社資産も凍結される/松下幸之助が「財閥家族」指定を受ける/資産を動かすこともできない/高橋荒太郎がGHQとの交渉担当/100回以上GHQを訪問/とにかく様々な戦犯指定を受けた/高橋荒太郎が交渉/7年で全ての指定を解除/松下幸之助は「高橋君には足を向けて寝られへんで」/松下電産最大の危機を救う

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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オーツー・パートナーズ公式サイト

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/kymmtsm⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

松下電機産業は戦時中に多様な製品を生産し、飛行機や船の製造などに挑戦しています。しかし、終戦後はGHQの制限に苦しみ、資産が凍結されるなどの困難に直面しています。松下幸之助氏はGHQとの交渉に尽力していますが、厳しい経済状況が続いています。このエピソードでは、戦後の混乱の中で松下幸之助氏と高橋荒太郎氏が直面した公職追放や経済制限について語られています。また、困難な状況を乗り越え、松下電機産業が繁栄と平和を追求する中で設立されたPHP研究所の意義についても触れられています。

戦時中の挑戦
スピーカー 2
二番経営、No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなか表に出ない会社の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ、取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 2
原島社新しい経済編集長のしだらゆうすけです。二番経営第38回、今回のテーマは前回に引き続きまして、経営の神様松下幸之助が神様と呼んだ大番党、高橋荒太郎編の第4回となっております。
スピーカー 1
前回までですね、マンドウェーまで進んじゃったこの高橋荒太郎さんなんですけども、入社したら、松下さんのですね、その経営の基本方針に衝撃を受けて、最初のミッション、経理組織の統一っていうのが大成功をしてですね、後の松下電機産業の基幹をなすような経営経理制度を作り上げることができましたっていうのが前回のお話だったわけですけども、
この経理組織の統一っていうのはずっとですね、手直し続いて教育もしっかり浸透させてですね、推進していったんですけど、その後高橋荒太郎さんは総務の領域ですね、そういったところも任されて、入社して7年目、昭和18年1943年にはですね、取締役総務部長に就任されました。
監査課長で入社して、総務の仕事も見てて、この時に取締役総務部長に就任されました。5年で40歳。この1943年という前後から見ていきたいんですけども、今回の話のベースっていうのは、実はこの1940っていうのが出てくるってことは戦争と関係してくるわけですけれども、この松下電機産業の時代ですね。
1938年、取締役に就任したところから5年前に、1938年、昭和13年頃からですね、日本は戦時統制経済体制っていうのが強化されていきました。これはどういうことかっていうと、もう民生品と言われる一般的なものはですね、ほとんどが贅沢品と言われてですね、生産が禁止されます。
例えば電気ストーブとか扇風機、そういったものが贅沢品と言われて生産が禁止されます。規制がどんどんどんどん多くなっていって、民衆生産っていうのが圧迫されて、ほとんどのものはですね、軍需生産に移行せざるを得ない状況なんですね。
これソニー編の時にもやりましたけども、井深政さんがやっていた会社っていうのが、軍需産業の方にシフトしていったっていうのがあったと思いますけども、まさに全く同じ状況ですね。その時に松下電機産業にいろんな会社があったわけですけども、松下無線という会社なんですけども、無線機器を作ってた会社なんですけども、当然その名の通りですね、今度は軍用無線とか航空機用の伝送品。
航空機用の伝送品でレーダーまで作るような会社にどんどん変わっていったと。それから松下乾電池という、乾電池の方ですね。ここも軍用の空気電池っていうものですとか、電池だけじゃなくてですね、この会社が開発した高純度の金属、マンガン。
マンガン電池とかいますもんね。
なるほど。
木造の船を作り始めます。当然船なんか作ったことないわけですよね。ラジオを作ってました。ラジオを作るときの生産、流れ作業で物を作るというメーカーでLINEで作るのがあると思いますけども、それを参考にですね、陸上で流れ作業で船の部品とかですね、絵彫りを作っていくっていうのをどんどんやっていきます。
資材が非常にないような時代だったんですけども、250トン船、ちょっと大きさ全然わからないですけども、それぐらいの船を56隻建造したという記録が残ってますね。
スピーカー 2
ラジオのLINEがあったといっても大きさ全然違いますからね。
いや、本当ですよね。
そのラジオを作ったところで作るのは。
スピーカー 1
はい。で、その56隻作ってですね、軍部からは教育の行き届いた従業員とか、その気概ですね。やりきるんだと、僕ら初めての成員だけど頑張って作るんだっていう気概を称賛されるという感じですね。
当時の松下伝さんのグループで働いている方たちが本当に作りたかったかどうかは、本格としてですね、やっぱりものづくりの技術者たち、そこで働く人たちの気持ちっていうのが出て評価されてしまったと。
なるほどね。
評価されてですね、船作ったんだったらこっちもって言われてですね、今度飛行機作れって言われるんですね。
スピーカー 2
何でも作る、すごいですね。
スピーカー 1
松下飛行機株式会社っていうのが生まれてきます。
大阪にある飛行場があったみたいなんですけども、その隣接したところに工場を作ってですね、当然飛行機も作ったことないわけですよね。
そうですね。
そこで2年をかけてですね、試作機を作って完成させて、その後ですね、本当に資材が豊富にあったらもっと作れるっていうことだったみたいなんですけども、終戦までにですね、3機飛行機作ってんですよ。
スピーカー 2
えー、すごいですね。
スピーカー 1
すごいですよね。軍事統制下の中でちょっと特殊な状況だったとはいえですね、今ホンダ技研さんがホンダジェット作って、
ありますね。
移動社会社が飛行機ってすごいって感じじゃないですか。
はい。
電気メーカーが飛行機作ってんですよ。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
信じられないですけども。
スピーカー 2
しかも材料があればもっと作れてただろうし、実際2年かけて飛ばしてるわけで。
スピーカー 1
はい。ちなみにこの飛行機、資材不足だったんで木造で作ったんですね。
おー。
もう意味わかんない感じですけれども、ただまあそういうものづくりに長けたその技術者ですとか機械のある方たちが集ったのがこの松下電装グループということだったのかなということです。
GHQの制限と苦境
スピーカー 1
そういった飛行機も作って、ものづくりの人たちとしては素晴らしい活躍だったんですけれども、当然戦争は終わりました。中戦になりましたと。
これまでものづくったら当然国からですね、軍からお金をもらっていたんですけれども、それがですね、その時のルールでお金は全部返納させられます。
スピーカー 2
うわー。
スピーカー 1
軍需産業っていうのがもう全部敵だということで、ここにお金を払う必要もないということで、全部返納しました。
うーん。
でも材料を買ってるわけですよね。だからそういった取り立て不能の債券、軍からお金を払ってもらえないものと不良債券と多額の借入金、要は仕入れのお金っていうのはいっぱい借り入れて作ってますから。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
しかも慣れない飛行機なんでね、作っちゃってますから、もう多額の借金が残ったっていうのが終戦直後の松下電装グループですね。
昭和20年8月15日に漁港放送があって、天皇陛下が話されて終戦っていうのをみんなわかったわけですけども、その翌日ですね、8月16日に幹部と責任者を松下電機産業の本社行動に集めてですね、松下幸之助さんがこういうことをおっしゃったそうです。
授業員を不安の状態に置くことは許されない。どのような社会変動が起ころうとも物資の欠乏に苦しむ人々のために生産をするという産業人の務めは変わらないはずである。その産業人としての使命を果たす以外に2万人の従業員と60の工場を生かす道はないのだというふうに下地されたというかね。
これからメーカーとしての音量を発揮して、人のためそれから従業員のために頑張ってやろうというところをバーンと言ったところなんですけども、その思いとは裏腹なんですね。日本はGHQの占領下に置かれるわけですけども、GHQからまず民主生産を全部止めろと。ラジオも作っちゃダメだと。電球もダメだと。万電池もダメだといきなり言われるんですね。
9月にラジオだけ生産許可というのが降りて、10月以降他の製品も許可され始めたということになるんですけども、最初の頑張ろうというところはちょっとストップされて、出花をくじかれたという感じになっていたんですけども。
実はそれはまだまだですね。この松下電機産業が創業以来最大の危機と言われるものがこの翌年に起きています。出産した昭和20年の翌年、昭和21年3月なんですけども、GHQから松下電機産業が制限会社指定というのを受けます。制限会社指定というのはどういうものか。
当時戦争に貢献した軍事産業に対して、活動を制限するこの会社はやっちゃダメよっていうような指定で。この指定を受けると何が起きるかというと、全会社資産を凍結されるんですね。
会社としての企業活動を全部できなくなるっていう感じです。それと合わせて、この松下電機子会社の過去10年分の経過を報告せよと。しかも45日に。今だったらですね、コンピューター叩いてですね、バーッとデータを出して、これです、前年度はこれです、10年前これですって出せたかもしれないですけども、もう紙しかないわけですね、当時。
どんな高橋新太郎さんが経理制度を作ったって言っても、全部紙ですね。手で書いてあるものしかないわけです。修正のときにですね、そういうものも全部燃やしちゃったりとかしてるわけです。
あーそうか。なのでそういったものも全部出せと、45日、1.5ヶ月で出せと言われたので、もう徹夜で作業してですね、燃えちゃったやつも全部記憶をたどりながら10年分、全部書き出してですね、もうメンバーが本当にもうしんどくなっているところを激励しながらですね、何とかこの45日に提出をしたそうです。
この指定を受けた会社の中で松下電機産業だけ、期限に間に合って提出したということだったみたいな。すごいですね。それくらい気概のあると思うんですよね。この制限っていうのは先ほど言った全資産を凍結されということなんですけども、借り入れもできない、不動産売買もできない、買いの購入なども一切できないというところだったんですけども、それが制限を受けることですね。自由にやっちゃいけないってことなんで、すべて大倉大臣が許可すればOKって感じになる。
企業活動するのにこの取引をやっていいですかっていうのを毎回大倉大臣の、大倉省に反抗をもらわないとできない。この状況がですね、昭和25年10月まで続いたということなので、4年半。結構長いですね。苦しいですね。かなり苦しいと思います。
これは会社に受けた制限だったんですけども、今度は同じ21年6月、松下幸之助さんが財閥家族の指定を受けることになる。財閥三井住友ですとか周りにいますよね。そういった本当にコングロマリット化した大きい企業グループで、そういった企業グループが戦争するのに支えていたというようなものと、松下伝さんが同じように扱われる。
松下幸之助さん、あなた財閥です。あなた財閥家族ですって急に言われたんですね。松下幸之助さん、最初家族3人で奥さんと義理の弟で電球のソケット作り始めたというのが数十年前なわけですよね。今や大きい会社。財閥って感じなんですけども。
でもまあ確かに一台で築いて、株式公有企業ってもう30社ぐらいなんだけれども、全部合わせてあって財閥の子会社の1社分にも満たないですと。軍の養成で不慣れな仕事をして、飛行機作れって頑張って作って、船作って、借金抱えて、我々の方がなんかもうちょっと被害者なんじゃないかなって感じですよね。
その訴えを松下幸之助さん、大阪です。松下電機産業。そこから東京のGHQの本部に50数回にわたって直接訪問して講義をし続けるということをやるんですけども、全然聞いてもらえない。
スピーカー 2
これは財閥家族の指定を受けると何がされちゃうんですか?
スピーカー 1
まずですね、もう資産を動かすことができない。
スピーカー 2
松下さん個人の、なるほど。
スピーカー 1
そうです。なのでそこで当然蓄財してるわけでもないんですね、松下幸之助さんっていうのは。それでも家族のための時もあったでしょうと。そういうものもできないと。
合わせてですね、実は松下幸之助さんも当然会社経営していて、そこで給料というかですね、お金をもらって生活してるわけですよ、同じ人間なんで。そのもらう給料もですね、公務員がもらう最低限のお金しかもらえなくなっちゃう。
松下の交渉と努力
スピーカー 2
ええ、制限されるんだ。
スピーカー 1
そうです。グループ30社を抱える会社のトップがですね、たぶん一般の従業員よりも低い金額しかもらえない状況です。
なんでもう知人から借金をして回ってようやく暮らしをしていたという状況だったんですね。だから4年間。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
本当にもう大変で。
スピーカー 2
これ知らなかったの、こういうことがあったんですね。
スピーカー 1
松下コノスケさんが50数回GHQを訪問しました。高橋新太郎さんが担当責任者として、こちらGHQと交渉に当たっています。
松下コノスケさん50回なんですけども、高橋新太郎さんは100回以上ですね、GHQに行っています。
会社は大阪です。大阪に住んでいます。大阪から東京に行くんですけれども、望みも光も小玉もないんですよ。
だからもう鈍行で行くわけですよね。当時はですね、大阪からまず名古屋に行きます。
着かないんですよ、1日は。だから名古屋で一泊するんです。
名古屋で一泊して、朝4時の始発で東京に向かうんです。
もう大混雑なわけですよ。
そういった中で、借金もないような状況で帰ってかなきゃいけないっていうことをですね、これ100往復してるんです。
そこでずっとGHQと報告をします。GHQにですね、松下コノスケさんの財務報告っていうのを出します。
GHQが、「いや、これ嘘だろ。ふざけんな。財閥なのに別荘がないのはどういうことだ。」
家族3人で始めたファミリー企業ですと、全部自分の財産も全部新しい事業に突っ込み続けて、お金なんかないですよ。
他の財閥と違うんです。いやいや、信じられん。
だいたい個人の財産を全部ぶっ込むなんてことはあり得ない。
アメリカ人だったら個人の資産と会社の配額に分けると。
これが松下なんですみたいな話をするんです。
そういう交渉を100回繰り返してようやく解除されるまでに4年間かかった。
スピーカー 2
本当にえげつない制限を受けるということが起きます。
スピーカー 1
じゃあトップだけではないんですね。
公職追放と戦後の困難
スピーカー 1
この同じ21年の今度11月に、松下小之介さんも含めなんですけども、
常務以上の役員が中軍事企業の役員であったっていうことから、公職追放の指定っていうのを受けた。
公家系の仕事に就いちゃいけないと。
その仕事をしていたマネジメントっていうのは。
スピーカー 2
この常務以上っていうところに高橋新太郎さん5本人も含まれる。
スピーカー 1
松下小之介さんも含まれる。
これは公職追放の指定を受けた会社のトップたちっていうのは、
スピーカー 2
みんな会社から去っていってたんですね。他の会社はほとんど。
スピーカー 1
でも松下小之介さんの場合は、当時あった労働組合とか社員、それから社員の家族、
それから全国にある代理店から全国で署名が1万5千人分集まってた。
それをもって陳情をして、あらゆる手を尽くしてJHQと交渉をして、
なかなか解除が得られなかったんですけども、ようやくその指定を受けた翌年に正式解除をされることになって、
その公職追放っていうのがあった。
これも財閥指定家族と同じように指定されたら仕事もできないという状況になってました。
スピーカー 2
会社としての機能、マネジメントがいない状況でほぼ止まる。
スピーカー 1
今お話ししたのが、制限会社指定、財閥家族の指定、公職追放の指定という3つお話。
これだけじゃないんですね。まだ4つぐらいあります。
持株会社の指定、賠償控除の指定、軍事保障打ち切り、
過度経済力集中排除法の適用っていう、
もう中身はとにかくめちゃめちゃ制限を受けた。
お前ら戦争の戦犯の一人であるぐらいの勢いで抑え込まれたんですね。
7つ大きい指定を受けたんですけども、それを1つ1つ丁寧に説明して、
スピーカー 2
解除のために交渉に当たったのがこの高橋あなた。
スピーカー 1
時間もかかったんですけれども、本当にタフな交渉を積み重ねて、
4年後はすべてこの指定が解除されるという状況になりました。
スピーカー 2
すごいなあ。
スピーカー 1
当時を思い出しながら、松下幸之介さんが、
高橋さんに足を向けて寝られへんでと。
もしもあのとき、朝日寒電池との提携がなかったら、
そして高橋君が入社するということがなかったらということを考えると、
やはり人の縁の不思議さ、ありがたさというのをじみじみと感じるのです。
そうですよね。
この頃が松下電機産業の最大の危機と言っていい?
スピーカー 2
しかもその事業で失敗して危機に至るじゃなくて、
極めて外部環境じゃないですか。
そして今の時代で考えると非常に不条理な、
もちろん敗戦国であるというところがあるのかもしれないけれども、
でもね、みたいな条件で。
スピーカー 1
ほんとやるせない思い。
スピーカー 2
だから非常に生産性がないじゃないですか。
これらの解除していくということ。
別に何か新しい商品を作って、
それこそ会社のビジョンがどうのか関係ない仕事で、
しかも何年もかかるということをやっているというのはすごい。
逆に言うと、こういうある意味すごいディスアドバンテージを受けたのに、
この後松下の製品が世界に出ていっているってすごいですよね。
この先に。
潰れてもおかしくないようなことをされているのに。
スピーカー 1
いやもうまさにそうで、
実際にその財閥は解体されて、
当時のものとは全く違うものになっているわけですし、
あと過去に紹介したホンダ、ソニー、戦後の勃興をしてきた企業というのは、
この制限を受けるではなくて、そこからゼロから始まっていた。
何もないところから始まったという大変さはあるんですけども、
持っていた会社もそれなりに大変だったというのが今回のことですごく分かりますよね。
この時がですね、とにかく戦後の状況というのが大変であったということをですね、
PHP研究所の設立と理念
スピーカー 1
戦争の時も大変だったと思うんですけど、松下晃介さんがこんなことをおっしゃっています。
戦後の混乱の中、会社経営はいしじれしく困難に陥ったけれども、
そうした困難の中で支えになったものは、生産人としての使命感であり、
何のためにこの経営を行っていくかという会社の経営理念であったというふうにですね、
松下晃介さんはおっしゃっています。
メーカー、ものづくりの会社に携わるものとしての矜持、使命感というのを訴えられていてですね、
そこから考えるわけですね、松下晃介さん。
どうしたら人間は苦しみをなくして幸せになることができるのか。
正しい平和な社会を築くにはどうしたらいいのか。
ということをこの時も多分哲学的に考えられたんだと思います。
そこで得たものは人々が正しい人間性、自然の道理に従って考え行動するならば必ず道が開け、
全ての人々が繁栄し幸福で平和な生活ができる正常な社会が築かれるのではないか。
人々が繁栄したら幸せで平和になるっていうことを考えました。
つまり繁栄によって平和と幸福を実現。
なんかちょっと今僕は宗教っぽいことを言ってる風になってますけども、
繁栄、プロスパリティ、平和、ピース、幸福、ハピネス。
ピース&ハピネススループロスパリティ。
これを実現しようということで作ったのがPHP研究所。
スピーカー 2
出版社、なるほど。
スピーカー 1
当番組2番経営のプロデューサー野村さんの最初のファーストキャリアです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
つまりこれがないと2番経営もなかったのかもしれない。
スピーカー 2
確かに。違うことやってるかもしれないですからね。
スピーカー 1
この後も出てくるんですけども、松下電機産業で事業部制を始めます。
独立採算でやってますっていう話があります。
カンパニー制、分社もあって統合で経理の仕組みなんですけども、
それぞれ独立あったんですけども、
こういったですね、創業者の思いを実現するような平和とか幸せとかっていうのを願うこの活動って
ひょっとしたらCSR的にですね、会社にそういう部署を作ってやるっていうのがありそうな活動なんですけども、
ここはPHP研究所っていう独立の法人を作ってる。
スピーカー 2
なるほど、なるほど。
スピーカー 1
つまり独立採算でやんなさい。
スピーカー 2
すごいなぁ。
スピーカー 1
平和を願ってもちゃんと事業として独立でできるっていうことをベースとして考えてる。
こういう極限状態の中で人間の未来のことを考える中でもそこを考えてたんだなっていうのが、
この研究所の設立っていうのを見てですね、ぐっと来てしまった。
スピーカー 2
確かに確かに。ありがとうございます。
はい。
2番KNo.2の引き込みもここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたら、番組のフォローをお願いいたします。
エックスやお便りサイトでの感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、しだれゆうせと、
スピーカー 1
はつみやすいででした。
ありがとうございました。
23:58

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