1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #30 内部の粛清を経て、No.2の..
2024-09-25 27:22

#30 内部の粛清を経て、No.2の地位を確立。鬼の副長・土方歳三編②

▼今回のトーク内容: 

1863年頃「尊王攘夷」の興隆/反幕府の乱暴狼藉(テロ)が全国的に多発/やっていたのは主人を持たぬ浪士たち/逆に浪士を集め治安を維持する「浪士組」を募集/近藤勇も手を挙げる/剣の腕で名を挙げるチャンス/浪士組、尊王攘夷を鎮めるため京都へ/のちに江戸に戻されるも23名が京都に残る/近藤勇も残る/様々な混乱の中、京都御所を警護/名称を「浪士組」から「新選組」に変更/近藤勇はこの頃まだNo.3ほど/土方歳三は下っ端/No.1芹沢鴨は傍若無人/近藤は芹沢を暗殺、派閥を一掃/1864年、近藤はNo.1である「局長」に/土方歳三がNo.2へ/池田屋事件/「不逞浪士」による京都放火や天皇誘拐計画/近藤隊と土方隊に別れ京都を捜索/討伐/新選組の全国に名を轟かすことに

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/kymmtsm⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、1863年の日本の混乱期における新選組の副長・肘方歳三の役割と、尊王上位の思想が彼に与えた影響が考察されています。特に、清川八郎による老子組の結成とその後の動きが新選組の形成に深く関連していることが語られています。また、近藤勲が新選組のナンバーワンに昇進する過程や、肘方歳三が実質的なナンバー2として内部の統制を強化する様子が描かれています。さらに、1864年に発生した池田屋事件において、新選組が過激派の老子を捕らえ、名声を得る瞬間が語られ、池田屋事件と浜栗拷問の変における新選組の活躍が紹介されます。特に肘方歳三の冷静な判断が評価され、新選組の名声が高まり、幕府を守るための組織としての役割が浮き彫りになります。

新選組の結成の背景
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなか表に出ない会社の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ、取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 2
言頭者、新しい経済編集長のしだるゆうすけです。二番経営第30回。今回のテーマは、前回に続きまして、新選組鬼の副長・肘方歳三に見るNo.2論のパート2となります。
スピーカー 1
前回、肘方歳三と近藤勲が出会う、剣術の先生と生徒でした。ただ、それ以上に二人はめちゃくちゃ仲良くなく、友達兄弟のようなそんな関係でしたということを申し上げました。
はい。
ここからがいよいよ本番の新選組に向かっていくということになるんですけれども、時代は1863年という時代になっていきます。
1863年というのはどんな年だったかと申しますと、実はその10年前にペリーが日本に来て、黒船来航が1853年。
そこからその翌年、1850年に日米和親条約という不平等条約を締結されて、そのあとさらに5年後に、
伊藤大郎が桜田門外の変と。その前に安政の大国という、いろんな弾圧の政治的なイベントがありまして、桜田門外で当時の伊大郎が暗殺されると。
本当に一国の首相に相当するような人が、国会議事場の前で殺されるっていうようなイメージですね。
それが起こるぐらい世の中は大混乱の時代。
その時に出てきたのが、海外から不平等条約をされたということで、そんなの許されないということで、外国を討つべしという上位という思想。
それから不甲斐ない幕府っていうのは宛にならないので、我々がいただくのは天皇陛下なんじゃないかということで、王を尊ぶということでの尊王ですね。
尊王上位って言葉がずっと何年も出てきた。
そういう時代の中の1863年ということになります。
幕府が非常に弱体化して、いろんなところで尊王上位を小肌感に言ってる老子集団が乱暴労絶を働いていると、反幕の小さいテロのようなことを国中で起こしている。
そんな時代でした。
それをやっているのは、統制が取れてる各藩の、殿様がいてその部下の務め人である武士ではなくて、
京都での活動の開始
スピーカー 1
いろんな個藩を辞めた老人、老子と言われる人たちだったんですね。
統制取れてない人たちでした。
そういう不定な老子を弾圧していくというか、抑え込むには、
それだったらそういう老子を逆に、どこをもってどこを制せばいいんじゃないかっていうことを考えた人がいて、
清川八郎という美都藩の脱藩老子の人が考えて、デバッグに進言するんですね。
どこもってどこを制したらいいよと。
だったら老子集めたらなんとかするんで。
ということで、老子組というのを作って、
当時江戸に徳川将軍、将軍家持でいましたので、
京都に行くときに幕府の将軍を守るために、
そういった老子隊を作って、その敬語をあたらせましょうということで、
老子組に入る人を募集ということを江戸がずっと言いました。
そのときに、よっしゃ行ったるかと言って手を挙げたのが、
近藤勲と肘肩俊三だったんですね。
近藤と肘肩だけではなくて、
当時近藤が主催していた天然利伸流の支援館という道場になるんですね。
他にも音程というのが何かいるんですね。
そこの当時の現実の道場でよくあったんですけども、
他の道場で目録を持った人たちというのが、
お客さんのような感じで指導員としてサポートしてくれるみたいな。
そういう人たちもいて、そこで育った人、
それからよそで目録を持った、すごい腕プシ持って、
でも近藤勲に何か惹かれて、
そこにお世話になってるっていう人たちが結構いたんですね。
そういう人たちみんなで、
じゃあこれは一丁剣術の腕で世に出ていけるチャンスかもしれないので、
老子組に入りましょうということでですね、
10名ぐらいがですね、その老子組に入ってきました。
それでその団体がですね、京都に行くんですけれども、
その老子組の結成っていうのを、
当時の幕府に進言していた清香八郎という方がですね、
京都に行ったんですけども、
それを進言したら、幕府に対して将軍守るから、
そういうのをやったほうがいいよって言ったんですけど、
京都に行ったらですね、
清香八郎という人はもう本当に尊の上位をですね、
徹底的にしたいということで、
実は幕府よりも天皇への忠義っていうのが高いので、
天皇陛下を守るための集団なんだ僕たちはということを言い始めて、
そうすると幕府としては、あれあれなんかちょっと思ってたと違うぞと、
何だったらこう抑え込まなきゃいけない人たちに油注いじゃってるようになったと、
いうことでちょっとお待ちなさいということで、
一旦京都にみんな行ったんですけども、
江戸に戻ってきなさいというわけから言われました。
改めて江戸に行って、天皇陛下は大事だっていうことを俺が言ってやろうということで、
清香八郎その他老子大はですね、
バーッと江戸にもう一回戻るっていうふうになったんですけども、
その中でですね、
当時100人ぐらいですかね、行ったんですけど、
23、4人はですね、
いや京都に自分たちせっかく来たんで残りますと。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
京都に来てそこの支柱、敬語などをするような仕事をちょっとやろうと思いますということで、
残ったマイナーな人たちがいるんですね。
それが23、4名いまして、
その中に近藤いさみもいましたと。
残った人たち、ただその人たちも老子集団ってことになるので、
そのままだと統制が取れませんので、
当時ですね、
京都っていうのは京都守護職という、
京都を司る警察庁長官というか、
もうちょっと行政の庁みたいなので、
京都守護職というのがあったんですけども、
その京都守護職を務めていたのが、
藍津藩主のですね、松平固守子という方がですね、
その京都守護職ということを務めていました。
要は藍津藩のお殿様が京都に来てですね、
そこのトップを務めていたということになります。
ですので、その老子組っていうのは、
その藍津藩の預かりになると。
うちのもう配下に入ったら行ってもいいよっていうことで、
認めてもらったということになるんですね。
後部合体派の影響
スピーカー 1
このときの京都っていうのはどういう状況だったかと申しますと、
当然京都ですので、
当時の天皇陛下、皇命天皇という方だったんですけどもいらっしゃいます。
それから幕府側からはですね、
今申し上げた京都守護職、これは藍津藩主の松平固守子がいます。
その配下にですね、町部行書ですとか京都書次第などを持ってですね、
その京都、特に御所と呼ばれる天皇陛下のお住まいのところですとか、
そういったものを警護するっていうのと、
過激派、そういった志士たちを弾圧する、鎮圧するということをやっていた職種になります。
それからその京都守護職の配下でですね、
京都書次第っていう役職があるんですけども、
これは桑名藩主、三重県の桑名ですけども、
そこのお殿様、松平貞明という方がですね、
その京都書次第を務められています。
こちらの役目は朝廷とか区議の監察、監督ですね。
それから西日本の諸大名の官司、京都諸役の統括、
京都市長みたいな感じの役割ですかね。
そういうものを務めていた。
この京都書次第の桑名藩主、松平貞明さんという方はですね、
京都守護職の松平片森の実の弟さんになります。
なんで兄弟で京都を守ってるんですね。
それからですね、この松平という名字なんですけども、
この松平というのもですね、徳川の大本松平という名字です。
で非常に徳川家とですね、ゆかりの深い親藩であると。
なんで本当に徳川に忠誠を誓ったど真ん中の、
そういったお殿様が京都でしっかりと構えていた。
まあそういうのが当時の京都だった。
この京都守護職、京都書次第の二人とですね、
もう一人ですね、まだ京都にはいないんですけども、
後の徳川義信、最後の将軍になる。
当時は一橋義信と言ったんですけれども、
この一橋義信の一っていう漢字と、それから合図の合、会字ですね。
それに桑名藩主の桑、これ全部合わせて一回想。
一回想勢力っていうのが実は言われてですね、
この人たちはですね、幕府もちろん大事なんですけども、
実は後部合体と言ってですね、天皇と幕府っていうのを合体して、
南極を乗り切ろうという思想の持ち主たちだったんですね。
まあそういうリーダーの人たち。
そういう一回想勢力の人たちが京都にいるっていう時代に、
近藤ひじかたっていうのは京都にバンと登場したと。
はい、こういう背景があります。
スピーカー 2
なかなかもう本当に混乱期というところですけれども、
ちょっと複雑ですよね。
スピーカー 1
複雑だと思いますね。
スピーカー 2
一部の意思では重なるところがある思想というか、
人たちが集まってるというか。
スピーカー 1
ここがちょっと分かりにくい、ラジオで非常に分かりにくい説明なんですけども、
幕末で明治維新にかけての、よく言われるのが、
尊王攘夷を言っていた維新の志士たちと、
あと旧幕府の対立構造っていうのをよく言われるんですけれども、
その間にもう一つの勢力として、
幕府と朝廷っていうのを一緒になっていけばいいねっていうのを言っていた、
後部合体派っていうのがあるんですね。
その後部合体っていうのが実は、
この新選組の裏に流れる、ベースの思想になっています。
新選組の裏に流れるというよりも、
近藤勲がですね、その後部合体論者に強くなっている。
この新選組っていう組織の構成にも非常に影響を与えてくるということになります。
この後部合体派っていうのがあるわけですけども、
実はですね、1863年近藤たちが京都に来たときにですね、
後部合体派の空出たっていうのが起きます。
これはどんなことだったかと言いますと、
当時ですね、尊王攘夷っていうのを日本で一番声高に言っていたのは、
長州藩だったんですね。
その長州藩っていうのは、
久芸の方たちともいろんなコネクションを言ってですね、
幕府を倒してその天皇を中心のっていうことを言っていた。
新選組の成立と近藤の昇進
スピーカー 1
かつ海外をどんどん排斥していくってことで、
非常に強い力とそういう思想を持っていたんですけども、
後部合体派っていうのは、
いや幕府も一緒になってやらなきゃいけないんだっていう考えですので、
その長州が尊王攘夷ばっかり言ってるのは非常に邪魔になってくるんですね。
なのでその長州っていうのは、天皇陛下を守る敬語職などもやっていたんですけども、
そこからですね、京都から長州を一回追い出すっていうことをするんですね。
それをやったのが、薩摩藩と藍津藩が手を結んで長州藩を追い出すということをやりました。
実はこの818の空出た、818制編と言ったりするそうなんですけども、
この長州対薩摩プラス藍津という戦いというかですね、
追い出しの作戦にですね、当時はまだ新選組とは言わなかったんですけども、
老子組がデビュー戦になってくるんですね。
いわゆる新選組をイメージしたときに、彼らが着ている羽織ですね。
山形の模様があって、浅黄色の水色っぽいものの羽織を着てですね、
そこに誠っていう言葉だったり、忠義の忠っていう言葉がどんと背中にあるような。
あれを着て、その五将の守りを固めるっていう仕事が、彼らがデビュー戦だったんですね。
そのときに、それまでは老子隊とか老子組って言われていたんですけれども、
初めてですね、新選組っていうふうに命名されて、
そこからずっと新選組になっていきます。
ここでポイントになるのは、後部合体派っていうところに組みする形で、
新選組っていうのは動き始めたということですね。
その後ですね、そこで一定の活躍をしたということで、
藍津藩からも京都の見回りっていうのをこの新選組がやっていくよっていうことを、
いろんなところに言ってもらってですね。
ただ見回りするだけじゃなくて、
不定老子がいた場合に怪しかったり手に余る場合には切り捨ててもいいという権限まで与えられる。
スピーカー 2
というのがこの1863年になります。
スピーカー 1
ここまで新選組というか、老子組の動きを説明してきたんですけども、
そのときの新選組なんですけども、どんな組織になってたかというと、
近藤勲はナンバーワンではないんですね。
肘方俊三もナンバー2でも全然なくてもっともっと下のほうにいます。
当時ナンバーワンになっていたのが、
競り座加茂という子ですね。
この人は未踏の脱藩老子の人だったんですけども、
それからもう一人、平間純介という方。
それから任意認識と言われるような人たちがいました。
今藤井さん以外にですね、上役っていうのが3人ぐらいいた感じなんですね。
トップに近いところに近藤勲もいたということで、
そのときに、もともと近藤勲っていうのは自分の道場の支援官の人たちと行って、
約10名ちょっとぐらいのところだったんですけども、
それ以外の派閥っていうのが2,30人ぐらいいたんですね。
なのでマイナー派閥になっていました。
ゆえにトップじゃなかったっていうのがあった。
なんですけれども、
そこでこれは藍津藩の指示だったんじゃないかと言われてるんですけども、
先ほど近藤よりも上だったセリザーカモという人がいましたと申し上げたんですけども、
かなり乱暴者だったらしいんですね。
傍若無人な行いもしていたということで、
もうちょっとしっかりと統制を取るように控えさせろというふうに
藍津が言ったと言われているんですけれども、
それを受けた近藤は、
じゃあということで、このセリザーカモの派閥の殲滅を図ります。
殲滅っていう言葉はあんまり使わないですけども、
スピーカー 2
暗殺をするんですね、セリザーカモ。
スピーカー 1
そのあとセリザーカモとそれ以外の人たちも、
何癖というんですかね、ルール違反ということを咎めて
説服をさせたり、そういうことをしていきました。
まあなんでこう空データを起こした、そういうことですね。
そのときの近藤派っていうのは約10人ちょっと、
セリザー派っていうのは30数名と言われていましたので、
マイナー派閥がトップを暗殺して一気に勢力拡大を図ったというのが、
先ほどの長州を廃絶する空データの後に起こった。
これもドラマとか映画にもなったりもするんですけれども、
かなり血なまぐさい権力争いをしていたという感じですね。
肘方敏夫の役割と内部統制
スピーカー 1
そのときにですね、近藤が自分より上にいた人たちを暗殺して、
その派閥っていうのを一掃してしまったので、
その時点で近藤がナンバーワンになります。
翌年1864年に近藤っていうのは新生組の局長につきます。
近藤がトップになったということで、
肘方敏夫がナンバー2になりそうなんですけども、
実はこの時点で山田肘方敏夫はナンバー3です。
江戸から来た近藤一派の中に、
山並圭介、正しくは三並圭介という方たちですけれども、
ドラマとかで山並さん山並さんって言って、
ここでも山並という名前でいたいんですけれども、
この山並圭介が副長を務めていましたので、
肘方敏夫は副長次席ということで、
ナンバー3のポジションになります。
ナンバー3だったんですけれども、
実はこの頃に一定の新生組で活躍をしましたということで、
京都を司っている京都守護職とも非常に近しくなってきますので、
近藤一三は京都守護職との対外接触ですとか、
そこの命を受けて動くことが非常に増えていて、
新生組を留守にすることが非常に多かったわけですね。
と同時に非常に優秀で、県の腕も立って頭もいい山並圭介という方も、
スピーカー 2
実は病気をしてしまって療養中でした。
スピーカー 1
そうすると、あとは元気でいるナンバー3が、
この新生組の内部をずっと司るということで、
内部を統制したり組織を作り上げるっていうのは、
実はこの1864年ぐらいから肘方敏夫が非常に一生懸命になっていたと。
このときにナンバー3になって、
実質ナンバー2の働きをし始めた肘方敏夫の手紙が残っているんですけども、
そのときに肘方敏夫があんまり言わないんですけど、
政治的なポジションを言っていて、
自分は将軍の命令があれば正しに戦死するつもりです。
死後には何も遅れませんので、
遅れませんっていうのは昨日の実家のほうにはくれないから、
今書いてる日記とハチガネって言って、
戦うときにハチマキに鉄をはめたやつをおでこになって、
頭を割られないようにするんですけど、
それを送りますって手紙に送った。
ものが残っているんですけども、
この記録でわかるように、
天皇様とか朝廷とか幕府っていう言葉より、
とにかく将軍ということ、徳川幕府イコールだと思うんですけども、
そこを第一に考えている、
4月発祥の考えっていうのが文書として残っているというのが、
このときの手紙にあります。
池田屋事件の発生
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
このタイミングでですね、
いわゆるトップ本堂いさみと、
実質ナンバー2のひじかたとしぞう大政っていうのができ始めたところなんですけども、
この後ですね、
1864年の6月に新選組の名前をですね、
世の中にとどろかしていく大きな事件があります。
これがですね、池田谷事件なんですけども、
先ほどですね、後部合体派のクーデターで長州藩、
長州藩士っていうのが、
ずっと京都から外に出されちゃった状態というのがあります。
その上位ばっかりいう長州藩はもう京都に入ってくるなと、
天使さんのそばにいてはいけないということで出されたんですけども、
実はこの6月に長州藩士ですとか、
あるいは他の藩の尊王上位を過激に推進する過激派の老子っていうのが、
どんどん京都に忍び込んできています。
彼らが考えてる計画というのがですね、
京都を謳歌してですね、町中を火の海にして、
天皇陛下を誘拐して、今の山口県長州藩を連れてってしまうという、
なんかどえらいクーデターというかテロをですね、計画したという情報を、
新選組が入手します。
そのときにですね、新選組で稼働できる。
いろんな怪我とか病院が多かったんですけども、30名でした。
その30名を10名と20名ぐらいチームに分けて、
どこに長州藩士、過激派の老子たちがいるのかっていう情報がなかったんですね。
京都のローラー作戦をずっとしていくんですね。
本当はですね、京都守護職とか京都諸支代とか、
そういった藍津藩とか桑名藩の人たちを待ってですね、
一緒に行けばよかったんですけれども、
新選組は早く手柄を立てたいという思いもあったので、
人数少ないんですけども、
そこで一気にですね、新選組だけでですね、
怪しいと言われたところが2箇所あったんですけども、
二手に分かれてですね、そこの不定老子と彼らは言っていたんですけども、
それの捕獲に向かいます。
一つがですね、近藤勲率いるチームなんですけども、
ここは非常に10名弱ぐらいで行くんですけども、
近藤勲と沖田宗司という名前も新選組で有名ですけども、
それから長倉新八、東道平八という名前があるんですけども、
そこで行きます。
そこで行ったのが池田屋という旅館屋なんですね。
そこに行くとですね、その二手の老子が40名ぐらい集まっていたそうですが、
スピーカー 2
かなりの人数が入ってますね。
もうすごい来てますね。
スピーカー 1
そこで手柄の計画をちょうど立ってるところにですね、
応用改めであるっていうふうに、今度イサミが大声を張り上げてですね、
その彼らがいる部屋に打ち入って、
そこでバッタバッタと斬り倒しながら進んでいるという感じです。
そこで新選組そのときに5人ぐらいで乗り込んじゃって、
でもここは40人なので、
完全に多勢に無勢というところでも非常に美しかったんですけども、
非常に剣術の腕に長けた人たちが大活躍をしています。
そのときに二手に分かれて、近藤隊が池田屋に入ってって、
もう一つの隊がですね、これ肘方隊になるんですけども、
20名近くのメンバーでですね、
池田屋事件の成功
スピーカー 1
そのもう一箇所行ったところに誰もいなかったので、
すぐに池田屋にですね、取って返して行きます。
そのときに本堂たちは5名で40名ですので、
とにかく来たらもう斬り捨てるしかない状況だったんですけども、
人数がいたところで、もう殺すんではなくて、
そこでもう捕まえなさいっていうふうに、
捕まえる捉えろっていうふうに肘方と出動が行ってですね、
そのあと打ち取った人は7名、殺しちゃったのは7名なんですけども、
捕獲者は23名ということでですね、
しっかりと殺戮だけではなく対応者を出すということで、
ちゃんとできたのは肘方とし蔵の冷静な判断のおかげだということも言われています。
この活躍が非常に評価されて、
朝廷ですとか、あいつ派などから報酬をもらえるという立場になっています。
これが6月だったんですけども、
6月のこの池田屋事件はテロの計画を未然に防いだということで、
ほっとくと京都が火の海になっちゃうところを抑えたということで、
本当にすごい活躍だったんですけれども、
その興奮が冷めやらない翌月にはですね、
1860年の7月には浜栗拷問の変という戦いがあります。
これ何かというとですね、
追い出された長州藩が今度は藩としてもう一回攻めてきたという戦いですね。
そこで長州を追い出すことができたんですけども、
それによってこの後長州藩を幕府として整頭しなきゃいけない、
撃たなきゃいけないということで、大きい戦争になっていくんですけども、
この浜栗拷問の変、金門の変とも言いますけども、
ここでも新選組はしっかりと活躍することができるんですね。
2ヶ月連続でですね、そういう大活躍の場があって、
一気に新選組の名前が幕府の中ですとか、
江戸、京都、大阪の市民に知られるようになる。
ということで1864年、これが新選組の大臣の年であります。
スピーカー 2
いやーでもこれすごいですね、やっぱり。
これがまさに認知を広げたところで有名な事件ですけれども、
そもそもは幕府を守るために全体的に統制が取れてないので、
雇い主みたいなのが非常に親戚に対してフワフワしてるというか、
そういう状況ですよね。
今回池田への聖火も結局朝廷に行って、そこでギャラをもらうみたいな。
傭兵じゃないんですけれども、そういう感じなんですよね、新選組って。
スピーカー 1
まさに傭兵武闘集団、傭兵隊みたいな感じです。
一応オフィシャルには京都守護職預かっているので、
京都の治安を守る遊撃隊、傭兵部隊って感じですね。
その活躍があまりにも特筆するものだったので、
さっきの池田事件のときには朝廷からも報酬が出たと。
京都の大火事から守ったということですね。
新選組の名声の高まり
スピーカー 2
いやでもすごいですね、この辺りが。
まさに幕府の終焉というか、この後の話ですけれども、
そういったのをめちゃくちゃ感じられる。
国内でもこういうふうに攻め込んできてるわけですからね。
ある意味統一されてた日本が崩れていく、でうごめいてるっていうような。
当たり前のことかもしれないですけど、
組織の中でやっぱりナンバーツー論とかナンバーワン論とか、
マネジメント論とかあるわけですけれども、
その組織を大きくするとか、注目を浴びる、要は力を持つっていうことと、
土地を守るとか土地を取っていくってもの、やっぱり密接にあるじゃないですか。
なんかそういうところが感じられたエピソードだなと思いましたし、
これ以降のエピソードになってくると思うんですけど、
ひじかたと近藤の関係どうだったのかっていうところは、
こういう最中ですね。この後わかってくるかもしれないですが、気になるところでございます。
はい、ということで今回はここまでとなります。
2番K、ナンバーツーの引き込みもここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただきましたら、ぜひ番組のフォローをお願いいたします。
番組への感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、しだれゆうすけと、
スピーカー 1
かつみやすいででした。ありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
27:22

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