1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #31 会社が大きくなる時と同じ..
2024-10-02 28:48

#31 会社が大きくなる時と同じく、新選組も「同志から組織へ」。土方歳三編③

▼今回のトーク内容:  新選組の裏側/近藤勇の政治的発言が増える/土方はじめ古参の隊士たちは困惑/この頃、新選組は大々的に入隊者を募集/剣術の腕や思想もバラバラに/土方は「規律を保たねば」/会社が大きくなる時と同じジレンマ/同志的な集まりから組織へ/スタートアップ時は崇高だったのに代表取締役になったら「儲け」かよ/当時の入隊者は脱藩者が多く尊王攘夷派が多かった/「俺たちは近藤勇の部下ではない」/隊長格はほとんど古参(同志)/古参と新参の軋轢/本拠を強引に西本願寺に移転/西本願寺の懇願も聞かず組織として傍若無人に/「忠義」の思想はどこへ

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/kymmtsm⁠⁠⁠⁠

サマリー

新選組の肘方俊三についての考察が続く中、同志たちが組織の変化について語っています。池田屋事件を経て、指揮命令系統の重要性が認識され、個々の思いと組織の運営における摩擦が浮き彫りになります。このエピソードでは、新選組の組織的変化とそれに伴う肘方俊三の役割が深く掘り下げられています。特に、山並圭介の切腹事件を通じて、組織内の葛藤や理念の変質が明らかになります。また、新選組の西本願寺への移転や訓練方法の変化も話題にされ、組織が抱える問題が描かれています。新選組の内部で勢力争いが激化し、伊藤一派が誕生する中で、徳川家持と孔明天皇の死去が重要な転機となります。この出来事は後の時代への影響を示唆し、政治的なパワーバランスの微妙な変化を引き起こします。

新選組の同志的結合
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなかおもてんでない会社の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツー・パートナーズ取締役の勝宮氏でです。
スピーカー 2
厳当者新しい経済編集長のしだれゆうづけです。二番経営第31回、今回のテーマは前回に続きまして、新選組鬼の副長をひじかたとしぞうに見るNo.2論の第3回目となります。
スピーカー 1
はい、第3回ですね。前回の2回目で、新選組のクライマックスと言ってもいい、池田屋事件の話をさせていただきました。
その前はですね、老子大統という形で江戸を立ってですね、京都に入っていって、新選組のちょっと前のところからお話をあげました。
今回はですね、その江戸から京都に来たタイミング、それから池田屋事件の後ぐらいで、この新選組あるいは老子組の中で近藤勲ってどう思われていたのかっていう話をちょっと触れていきたいと思います。
まずですね、その新選組が江戸を立って京都に入ったときに、近藤勲、それからひじかたとしぞう、それ以外にもですね、沖田壮志、長倉新八、東道平介、原田佐之介等々ですね、
あのよく新選組のドラマなんか出てくる主要なキャストっていうのがみんな一緒でした。
で、そのときには実はですね、みんな司令官の道場の仲間だったんですけども、どっちかっていうとですね、近藤とひじかたの最初の関係がそうであって、
同志ってことですね。非常に仲のいいグループがちょっとなんか名前を挙げるチャンスがあるぞっていうので出てきたっていう状況です。
はい。なのでこの同志的な結合であったっていうのが一番最初、1863年のタイミングではそうだったんですね。
そうやって京都に来るんですけども、その中でも同志組の中で近藤勲は比較的上のほうにいましたので、
いろんなですね、当時のその政権というかですね、京都守護職なんかとのやりとりも発生をしていきます。
その中で前回触れた後部合体説という、後部合体派っていうところにも近づいていくんですね。
なので非常にですね、政治の権力に近づくような発言だったりとか考え方っていうのがいろいろ出てくるわけですね。
天下を語るようになると。
なるほど。
町道場の先生がですね、それをこう見てですね、京都に来てしばらく経ったメンバー。
そのメンバーっていうのは、ひじかたとし蔵も生まれてるんですけども、ひじかたとし蔵、
井上玄三郎っていうふうに、本当に子さんの支援官からの仲間。
この3人がですね、当時の江戸のですね、仲間うちの人にですね、近藤が天軍になっちゃったということを訴えています。
要はその後部合体論者としていろいろこう動いているというところなんですけども、
なんかちょっと偉そうに、めちゃめちゃなんかうちの先生偉そうになっちゃって、ちょっとやってられないっすよみたいなことをひじかたとし蔵も言っています。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
その時には同志、仲間なので、その仲間うちの中でリーダー核の近藤勲の態度とか行動っていうのをチェックして、
なんか偉そうだから直そうとしてる節があるんですね。
スピーカー 2
はいはいはいはい。
スピーカー 1
なのでちょっと言ってやってくださいよ。近藤勲超偉そうでやばいんですけどみたいなことを地元の人たちにお願いしてるっていうような記録が残ってます。
組織化の必要性
スピーカー 1
いわゆるナンバー1とかナンバー2とか組織というのとはまたちょっと違う印象ですね。
それからこれはまだ池田屋事件の前のタイミングだったんですけれども、
池田屋事件後、それから浜栗拷問の変という大きいイベントの後なんですけども、
今度はですね、長倉新八、齋藤はじめ、原田晒之という、これも新選組初期からのメンバーなんですけども、
この3名を含む6名がですね、近藤勲っていうのが我々は同志のはずなのに家来のように取り扱っていると。
これは何たることだと。別に近藤勲の家来になるために今日に出てきたわけではないと。何とかしてくれないかって言って、
京都守護職の藍津藩主、松平片森宛にですね、近藤勲の非公誤過剰、非礼な行為ですね。誤過剰というのを列挙してあげています。
何とか言ってくださいとボスから言ってもらえませんかっていうような感じだったんですね。
それを聞いてあげる松平片森も偉いお殿様だなというふうに思うんですけれども、
その同志的結合っていうところ、そうだったんだよなお前らはというふうに理解をするんですけれども、
もしこれで新選組っていうのが分裂するようになると、京都守護職配下の組織ですので、
それは困るので君たちの言い分も分かるんだけれども、そこは何とか理解してくれないかというようなことでですね、
何とかこう説明をして納得してもらうということがありました。
その時にですね、もともと長倉、齋藤、原田、それからさっきの話だと肘方、岡田、みんなこう同志ということで、
全然上も下もないような感じの結合体だったんですけれども、
実際にですね、戦う現場に行った時にはですね、仲間同志というわけではなくて、
やっぱり上名下副っていう形での指揮命令系統っていうのはしっかりしなくてはいけないですし、
この頃にですね、新選組の大使っていうのを大募集してるんですね。
先ほどのこう同志って言ってたのは、本当は道場時代から気心知れた、しかも腕も立つっていうそういう人たちなので問題ないかもしれないですけども、
これからどんどん人が増えてくるとですね、いろんな人たちがいると、
剣術のレベルもそうですし、思いの持ち方もそうかもしれないですし、
そういうこういろんな人たちが集まってくると、ほっとくとただの右往の衆になっちゃうと。
ここではしっかりと規律を用いて組織をして、権力を集中してですね、
指示命令系統っていうのもしっかりしなきゃいけないっていうのが近藤勲の考え方ですね。
なので組織化しなくてはいけない、規律化を重なじなくてはいけないというところ。
一方でやっぱりこう友達感覚で来たメンバーもいますので、
どうしてもですね、そういうこう同志的な思いのまんまっていう人たちもいたので、
常にですね、こう内部矛盾っていうのがあるような状態っていうのは、
思想の不一致と序列
スピーカー 1
この陳選組がライジングした池田事件の後、その年っていうのを考えるんですね。
スピーカー 2
何か数人で起業して初めの役員と、あとその時から働いてた人たちの初期メンバーが、
会社が大きくなるときに、何か大きくするのかしないのかみたいなので意見が分かれるみたいな。
スピーカー 1
そうなんですよ。
あー面白い。
決めなきゃいけないから、じゃあみんな取締役だけど代表取締役を彼にしようよって言って、
言った途端に代表取締役が、俺はトップでこういう組織回さなきゃいけないから、
君には仕探ってくれと。
いやいや友達だったじゃんって。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
そういう状況が起きて。
あー。
あるんですよね。
スピーカー 2
そんなことがあったんですね、なるほどね。
スピーカー 1
これがまあその同志的な集まりから組織化されたチームというかですね、
グループになっていくっていう過程だったんですけども、
もう一つですね、この時代の背景ですね。
頬部合体って言葉を前回からお話しているんですけども、
一方ですね、この江戸から京都に来るときに、
勤能っていう言葉をですね、しっかりと胸に抱いて、
やっぱりこう天使様が一番大事であると、
で尊能上位っていうのも大事であると。
ただ不定の輩とは違うので、
秩序だってやるべきだっていう風に、
その勤能尊能っていう言葉っていうのは結構重要な思想としてですね、
持っているメンバーっていうのも結構いたんですね。
なるほど。
その中のメンバーで、これはあのいろんな諸説があるので正しいかわからないんですけども、
東道平八というですね、子さんのメンバーがいたんですけども、
彼はですね、ずっとその勤能っていう言葉をすごく意識していたんですけれども、
江戸にですね、新選組の新しいメンバーを集めに行くという時があったんですけども、
その時に北神一刀流の道場をやっている伊藤嘉太郎という方がいるんですけども、
そこに行ってですね、近藤勲というのはですね、幕府の手先になっていると。
勤能っていう目的が全然達成されてないと。
今度はとにかく幕府が第一になっているので、
近藤勲を暗殺して、新選組を純粋の勤能党に作り変えたいと。
だから伊藤先生、新選組に入ってくださいっていうような口説きをしに行く。
そういう大使がいたっていう説もあります。
これは審議は怪しいかもしれないですけども。
この後この伊藤嘉太郎っていう江戸でですね、
結構な道場を経営していた非常に優れた人材がですね、
新選組に入ってくるっていうのがこの後起きているんですね。
この伊藤嘉太郎っていうのもキーマンとして登場してくるんですけれども、
なぜこの彼が新選組にわざとですね、
一旦こう下に、誰かの下に入るっていうか、
その人もトップの人材だったんですけども、
入ったのかっていう理由が定かではないので、
こんな説も出てくる。
なので先ほどの同志的なところで仲間で始めたスタートアップがあって話があったんですけども、
例えばですけれども、今サステナビリティってすごく大事。
なのでそういった持続可能性を意識した、
自分たちはサービスを作っていこうとか、
こんなプロダクターを作ろうっていうふうに掲げて始めたはずなのに、
なんかあの台取りになった瞬間に儲けのことしか言ってない。
スピーカー 2
そうですね、ほんとそうですね。
スピーカー 1
いやいやこれはおかしいと、
持続可能な地球のために僕らやるはずだったのに、
あいつを外して新たに会社を建て直そうって言ってるメンバーがいるスタートアップ。
スピーカー 2
でカブオさんみたいなね、なんかそういうことを裏でやってる。
これもやっぱり池田屋事件とかである程度メジャーになったが故のですよね、多分。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
でもそれにはやっぱりリーダーが必要だったのかもしれない。
非常に運命的というか。
じゃないとやっぱりちゃんとしたそこで指揮系度があって、
おそらくですけど動いたことでチームに分かれて攻めて防いだわけじゃないですか。
そういうことができたっていうのはある程度混同の手柄なんだと思うんですけどね。
でもそれによってこうみんなが注目してってなると、
本当にある意味スタートアップとかに置き換えられる。
スピーカー 1
かもしれないですね。
その混同暗殺説っていうのが本当かどうかわからないんですけども、
とにかくともどんどんどんどん新しい大使を募集している時期で、
その時には将軍を第一にっていう言葉ではやっぱり募集をしていないんですね。
入ってくるメンバーっていうのはどっかの班を脱犯した人たちでも非常に多くてですね、
みんな尊能上位ということで海外を外に出してですね、
天皇中心の国家づくりをしていきたいと、
そのために自分の腕が使えるんであればということで新選組に入隊してきたんですけども、
決して混同潔みっていうその当時のトップに惚れたわけでも、
使えるためでもないっていうのが基本的な考え方だったんですね。
なのでここの思想の不一致みたいなものと、
一方で軍事組織として序列があるというところ、
そこに先ほどのこう動詞的な部分にヒエラルキーができてしまう。
組織内の葛藤
スピーカー 1
あるいはその動詞的だって思ってた人たちは旧司令官、混同の門邸の人たちが多いわけですけども、
その人たちは文句は言うんだけども言ってもですね、
隊長とか南蛮隊っていうのがあるんですけども、
そこの組長をやったりとかリーダーをやってるんですよ。
なので組織のヒエラルキーとしてはまあまあ幹部なわけですね。
徴用されてるのは間違いない。
でも後から入ってくる人たちはどうしてもですね、
昔からいるメンバーには追いつけない状態もあるので、
なのでこう思いの部分と組織の序列に対するなんかちょっとこう、
粉満やる方ないみたいなのがちょっとある。
そういうのがくすぶっている軍事組織、傭兵組織だというところも。
まあそこのですね、流れの一つと言えるかもしれないんですけども、
ひじかた敏蔵は実はナンバー3で、本当のナンバー2は山並圭介という人がいましたという話を申し上げました。
山並圭介は実は病気療養をずっとしていて、なかなかナンバー2の仕事ができなかったというのがあるんですけども、
1865年ですね、その池田家事件の翌年なんですけども、
この山並圭介が切腹するという事件が起きます。
これは切腹したという事実は記録残っているんですけども、
なぜ切腹したのかっていう理由、詳細っていうのは実は不明なんです。
いろんなドラマとか映画の時にも、こういう背景で腹を切ることになったんじゃないかっていう説が、
そのクリエイターの人によってあるんですけども、
この時にもある説ということにはなるんですけれども、
自分は療養中で本当のナンバー2の責務が果たせないということで、
疎外感を感じたりとか、自分の面目がない名誉であるとかっていうので、
自分で苛立って、そこで紛死をしたというような考え方もありますし、
この時に新選組は三部村っていう京都の市中からちょっと離れたところにみんな住んでいたんですけども、
そこからちょっとそれだと不便だからということで、拠点を移動するという話が出たんですね。
そのときにこの山並圭介がその移転先についての意見を言ったんですけども、
近藤勲と肘方俊三にそれを却下されたということがあります。
近藤勲、肘方俊三と意見の対立があったということで、
自分はいやしくも副長を務める立場なんだけども、
その発言が通らないというのはちょっと納得がいかない。
ナンバー3の肘方俊三が近藤勲にこびへつらいついてる。
お前らくっつきすぎてんじゃないかっていうことを言ったとか言わないとかっていうのがあるんですね、話として。
なので、もしそれが本当なんだとしたら、近藤勲に対する批判というのは先ほど申し上げたようにいくつか出ていたんですけども、
それだけではなくて、肘方俊三批判っていうのも表に出てしまうということにもなりかねないということで、
真相っていうのが表に出ないんですね。
埋められたんじゃないかっていうような説もあります。
どっちが本当かは全然わかんないですけども。
新選組の移転
スピーカー 1
いずれにしてもナンバー2だったこの山上恵介がいなくなったということで、
1865年ですね、肘方俊三が明日ともに新選組のナンバー2ということになりました。
1863年に結成されて、2年経ったところでようやくトップ近藤勲、ナンバー2肘方俊三が完全にオフィシャルになったということになりますね。
スピーカー 2
結構気になりますね。
スピーカー 1
これになっても何も残ってないのでわからないのかもしれないですけど。
そうですね。
スピーカー 2
それこそ20年前の大河ドラマでこの山上恵介役を坂井雅人さんがやられていたんですね。
スピーカー 1
私は坂井雅人さんという役者さんをその大河ドラマで初めて知ってすごいなって思ったんですけども、
結構その切腹のシーンっていうのは今でも記憶に残るぐらい、
この山上恵介の悲壮感というか悲しみが出てやるせないようになった記憶がありますね。
ちょっとドラマチックな感じではありました。
新選組の引っ越しの話っていうのがあったんですが、
その時にですね、どこから引っ越したかというと、
岐阜村というところから西本願寺ですね。
京都で西本願寺って大きいお寺がありますけども、
その中に駐屯所を作るということになります。
これ西本願寺がですね、新選組さえこちらにどうぞって言ったわけではなくてですね、
新選組側がかなり無態なですねリクエストを出して、
強引に西本願寺に引っ越した。
なるほど。
だったようです。
傍若無人と言ってもいいかもしれない感じなんですけど。
スピーカー 2
もう断れなかったみたいな話ですよね。
スピーカー 1
そうですね。もうなんか狂担に近いような。
はい、横暴な交渉をしたという記録が残っています。
この頃はですね、西本願寺への移転もそうなんですけども、
岐阜村でもですね、もともと行ったところで、
いろんなこう調練、訓練をですね、していました。
その訓練をする会場としてですね、
三部寺という三部村のお寺をですね、
訓練場に使いたいという申し出をして、
お寺側はですね、そこで訓練されたらたまたまじゃないので、
参拝客もいるのでそれやめてくれと言われたんですけども、
これもかなり強引に。
ただその時にもう百歩譲って訓練してもいいです。
その代わりこれだけは守ってくださいっていうので、
例えば馬に乗らないとか、
大砲は使わないとか、
参拝客の迷惑にならないよとかっていう、
6カ所ぐらいですね、三部寺からのリクエストを出して、
あ、わかりました。これ守りますと言ったので、
訓練場としてOK出したんですけども、
全部破られたそう。
スピーカー 2
言うこと聞かないんですね。
スピーカー 1
言うこと聞かない。
なので、この時はもうかなり組織としても増長していたという感じですね。
理念と現実の乖離
スピーカー 2
それがもうまかり通っちゃったってことですよね。
スピーカー 1
はい。なので、もともとその尊能上位とか、
そういう高い思いを持った人中宝国って言葉があって、
尽くす忠義の忠で宝国の方で国、
人中宝国っていう古い中国の言葉があるんですけども、
その国のためにですね、
自分の忠義を尽くすっていう国からしてもらったことに報えるために、
自分の忠義を尽くすって言葉があってですね、
そういう思想のもとに結成された団体だったはずなんですけども、
常にですね、このタイミングで1865年頃っていうのは、
そういう思いっていうのがなくなっちゃって、
なんだかなっていうふうにちょっと成りつつあった。
なるほど。
そんなタイミングみたいですね。
スピーカー 2
ビジョンがなんか崩れていくっていうか、分かんなくなってくる感じですかね。
スピーカー 1
そうですね。
なんかもう株かどうなんだってことしか、
そんなマネジメントがいるところかもしれないですね。
スピーカー 2
結構ね、もう社長たちはブイブイはしてるのに夜の街でみたいな。
スピーカー 1
ブイブイはしてる。
スピーカー 2
大々なことをしてるみたいな。
スピーカー 1
本当にそんな感じだったようです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
これが1865年という年だったんですね。
池田矢次君の翌年です。
1866年という年が来るんですけども、
このときにはですね、大きいイベントは新選組としてはなかったんですけども、
近藤勲はですね、京都守護職の命を受けて、
広島に2回ぐらい出張に行っています。
広島というのは当然長州藩の隣、山口県の隣ということになりますので、
長州藩の情報収集ですね。
それを近藤がその密命を受けていってると。
なんで留守はですね、ひじかたとし蔵に任せて、
新選組の拡張対象をどんどん増やしていくということをしています。
残されたひじかたとし蔵なんですけども、
先ほどミブ寺で大砲をぶっぱなすっていうことをおっしゃってたんですけども、
ひじかたとし蔵はですね、
様式の調練というかですね、
西洋風の軍事訓練っていうのをかなり推進していたようなんですね。
なんで西洋化っていうのをとにかく急いでると。
鉄砲と大砲ですね。
これを持ちなくてはその軍事組織としてはだめだということで、
かなりこれを推進したようです。
その様式化っていうのは非常に合理的だと思うんですね。
刀よりも鉄砲のほうが遠くの敵に対するダメージを与えられますし、
大砲のほうがもっと加えられるのでいいと思うんですけれども、
この新選組あるいは老進というのは尊能上位って言ってたんですよね。
上位っていうのは異敵を破るということ。
異敵誰かと言うと西洋なわけですよね。
でも軍備は様式化を進めるっていうことで、
やっぱり上位を唱える人っていうのはこの様式化自体が
スピーカー 2
なんか納得いかないというところがある。
スピーカー 1
ここがちょっと本当に合理的な肘方俊相っていうのがちょっと出てる。
将軍は大事にするって思いはあるかもしれないんですけども、
戦うってことに関しては非常に合理性を求めてる。
そこでやっぱり思想の歪みみたいなものが
隊の中でもずっとあるということが見えると思います。
ひょっとしたらそういうところも山上圭介の切腹には
影響したんじゃないかって考える学者さんもいらっしゃいます。
1866年なんですけども、ある記録が残っています。
近藤勲と肘方俊相が出てくるエピソードなんですけども、
三井両替店、今の三井住友銀行の前身の三井両替店。
もともと五福屋さんで両替商もやられていたというところなんですけども、
そことちょっとしたトラブルがあってですね、
お金を貸すの貸さないのっていうのがあったようです。
その時に近藤とか肘方が貸してくれっていう話をしたわけではないらしいんですけども、
大使がいろいろやらかしたのを抑えるために
近藤、肘方が三井両替店と交渉した時の記録なんですけども、
その時にはですね、近藤は穏やかな人だった。
肘方っていうのはなかなか優秀、頭がいいけど短気だったっていうような記録が。
ただ二人ともですね、近藤、肘方は随分と決断が早い人物。
一旦通うにといえばそれで事が済みますと言われていると。
これはですね、本当に二人の性格。
なんとなく私は肘方とそのイメージが強いんですけども、
即断即決と守備一環っていうところがこの二人のモットーだったんですけども、
即断即決っていうのもそうなんですけども、
この守備一環っていうところがモットーだっていうのはわかるんですよね。
わかるというか感じるものがあって、
さっきから話している尊能上位の考え方とか大事なビジョンというかですね、
パーパスみたいなのを掲げているメンバーがいると思うんですけども、
そういったことも決して内外通りにするつもりはなかったのかもしれないんですけども、
それよりも目的とかゴールに向かって行くっていう何かを定めたら、
一気にそこに突っ走るっていう感覚があってですね、
そこは合理性っていうのは一番目的に達成するまでに最短を走るっていうのに近い感じなので、
新選組の分裂
スピーカー 1
戦うのに強くなるであれば大砲とか鉄砲とか海外の技術がいいじゃんって言って使う。
そこには上位とかだから嫌だとかっていう感覚も一切ない感じですとか、
そのあたりの考えてるんですかね、
守備感と目的を合目的性っていうんですかね、
それと合理性っていうのはすごく感じるんですね。
将軍が大事っていうのが思想の根底にあるのかもしれないですけども、
だから将軍を内外押しにできない。
故に勤労の気持ちもあるから後部合体以外はないって感じになるでしょうし、
一方で尊の上位を掲げる大使たち、
あと武士としての何たるかっていうのを、
どっかの脱藩の老子の人たちはみんな持ってるんですけども、
維持方も近道も武士の生まれ育ちではないので、
ボスっていうのは一人しか持てないですね、武士っていうのは。
武士っていうのは憎んに使えずって言う言葉があってですね、
お殿様がもう絶対なんですね。
だから尊の上位って言ってる人たちは、
天皇陛下というか朝廷大臣っていう感じに考えるから、
そこで近道勇が出てきたって、それはボスとは思えないっていう感覚があるんですけども、
そこらへんの違いみたいなものとかもなんとなく感じられる。
そうですね。
そのときに先ほど近道勇の勤労尊能の思いが足りないので、
暗殺してしまおうということで、新選組に入ってくださいと言って入った伊藤嘉太郎という人がいたんですけども、
スピーカー 2
かなりの実力者だったので、だんだんその新選組で伊藤一派っていうのができてくる。
スピーカー 1
その伊藤一派と従来の近道派閥っていうのが、だんだん考えが違う感じになってきます。
伊藤派っていうのは勤労、とにかく天皇の英師になる。
近道は徳川幕第一で、道は後部合体しかないということで、この対立っていうのが出てきて、
本当は新選組の対義規則として、対から抜け出すっていうのは一番やっちゃいけないということで、すぐ切腹っていう感じなんですけども、
うまく伊藤に言いくるめられて、この伊藤一派っていうのは完全に新選組から分離するということに、
成功して別の部隊が出来上がるっていう感じになってきます。
そういう中の分裂みたいなことがあると同時に、その頃近道たちが一番と掲げていた徳川将軍家持が亡くなります。
徳川家持と孔明天皇の死
スピーカー 1
亡くなって、そこでバトンをもらったのが徳川義信ですね。
最後の将軍になる徳川義信。将軍になったときには29歳。
その同じ年に徳川家持と一緒に仲良くというか、天皇としていた孔明天皇、この方も死去されました。
ですので後部合体をやっていこうということで、同じにされていた将軍と天皇が同じ年に亡くなることが、
これまた後時代も動いていくという感じですね。
スピーカー 2
すごいな。本当に何かガバナンスが取れていない、一個の強い中央がガバナンスしているというわけではないのに、
いろんな話が出て、でもあれですよね、ちょっと僕は勉強不足かもしれないですけど、
逆にその天皇と幕府側はどう思っていたんでしょうね、この時期ってね。
僕からするとその次の世代の人たちがこうだこうだという思想を戦わせているような気が、
思想というか実際に動いているような気がしているんですけど、
それもこういう時代だからこそのことなのか、誰かがこれ決めなきゃという状況ですよ。
本当の上で話して決めればどっちかになる話じゃないですか。
でもどっちかにならないのか、すごくパワーバランスか微妙な状況を感じちゃったんですけどね。
スピーカー 1
そうですね、将軍と天皇の思いっていうのがそこで一致すれば一発解決という感じですよね。
実際ここに至るまでそれぞれの思いでそれぞれの動きをするんですけど、
微妙にずれているっていうのがずっと続いていて、
なんとかそこを一致させようとして頑張っていたのが京都守護職の松平方文であり、
一橋義信でありっていう感じだったんですね。
その後部合体論者の一橋義信が結果的に最後の将軍になりましたけれども、
一橋義信ということで最後の将軍になったというところで、
その後部合体論者が将軍になった時にどんな動きをしていくのかっていうのが、
次回のお話になっています。
スピーカー 2
楽しみですね。ありがとうございます。
スピーカー 1
それでは次回ちょっと楽しみに今回のエピソードはここまでとなります。
スピーカー 2
2番K、No.2の引きこもごもここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたらぜひフォローの方をお願いいたします。
番組への感想もお待ちしております。
ここまでのお相手はしだれゆうすけと、
スピーカー 1
勝宮水礼でした。ありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
28:48

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