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おはようございます、Moです。こんにちは、こんばんは。
みなさんお元気ですか?私はおかげさまで元気です。
えっと、なんかこれね、決まり文句になっちゃって、なんか気持ち入ってないみたいで、ちょっと嫌ですね。
でも、いつも思ってます。みなさんお元気ですか?って思ってるし、えっと、私もそうですね。
ちょっと元気のない時もあるけど、ほとんど元気です、本当に。
えっと、そうだな、あんまり元気じゃない時はないんだけど、
今日は実は朝から、なんかこう、本当はお友達とね、
あの、ユネスコの文化資源?違うな。文化遺産か。
それになっているボタニックガーデンを歩きに行こうとしてたのに、朝から大雨が降って、それも中止になってしまって、
そういうことがあると、ちょっと嫌だなって思ったりします。
でも、まあだいたい元気ですね。
で、今日は、この前ね、樋口塾でやっている、樋口塾ってポッドキャストみんなね、やってるポッドキャスターっていうのかな。
その人たちの中で、早草さんという方がリレー形式で配信していきましょうって言ってくれて始まった、
ニュートンのゆりかごっていうのがあるんですけど、
それのリレーで回ってきてっていうか、伊沢さんが招待してくれて、
この前お話をさせていただいたんですけど、これ今ちょっと言っていることわからないかもしれないですけど、わからない人は概要欄に貼っておきますが、
全部ね。それで、とにかくそのニュートンのゆりかごで、お話、伊沢さんとしているときに気づいたことがあって、
実は、実はって言うほどのことでもないんだけど、よく考えると、やっぱり最近ね、日本に帰れてないので、コロナのせいで。
今まではね、年に2回から3回は帰ってたんですよ。
必ずね、夏と冬と、あとは春とか秋とか、休みのときに帰ってたんでね。
日本の様子とかよくわかってたんですけど、なんか最近ちょっと全然帰れてないので、忘れちゃってた。忘れちゃうんですよね。
それでね、なんかよく考えたら、やっぱりこの私が今いる環境っていうのは、日本にいる方にとっては結構珍しいかも、みたいな感じで、
お話ししてたときに気づいて、でも何が珍しいのかとか、もう本当、私にとっては、なんかこれが普通っていうかね、自分の毎日の生活だから、
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どういうことがね、皆さんだったら興味があるのかなとか、あんまりもうわからないですよね。
本当にリアルで会っている友達もほとんどが、前も言ったかもしれないけど、旦那さんが、最近はね、ママ友とかテニスの友達とかあれですけど、
ほとんどがこっちが長い人とか海外生活が長い人、一番仲良くしてもらっている人たちはほとんどが、
一番たくさん会ったり話したりする人を順番にやっていくと、ほとんどがね、海外生活の方が長い人なんですよね。
だからね、なんか皆さんがどんなことに興味があるのかとか、なんかちょっともうわからないんですよ。
それでね、なんか思ったときに、どうしたらいいかなと思って、で、昨日ちょっといろんなことを考えていたときに、
今までに私がどんな人と出会ってきたかっていうかね、影響を受けてきたかっていうことをちょっとここで発表させてもらって、
そしたらなんかその中から、ご興味がある方とかがいたら、こういうことを聞きたいとか言ってもらえれば、
もしかしたら、なんとなくお話できることあるかなと思って、ちょっとね、よくわかんないんですけど、一応ちょっと試しに話してみようかなと思ってるんですよ。
でね、どの辺から話そうかと思ったんだけど、私が海外に来るきっかけは、この前ちょっとどっかで話したんだけど、
とにかくね、高校のときの友達が、高校のときの友達からなんですよね、そのときにやっぱり帰国子女とかそういうのが多い学校だったので、
本当にね、その中でお友達になった子が海外にすぐ高校に行ったら、高校を卒業したら、高校のときにも海外留学してたし、
あとはその後、学校を進んだりするときも、向こうの大学というかアメリカの大学に行っているところとか、
あとは就職するときに海外に行った子とかがいて、そういう子たちに刺激を受けていて、
私はね、やっぱり自分の家の家庭がやっぱり別にパスポートとか持って幼少期を過ごす感じの家じゃなかったので、
自分で働き始めてからパスポートとか取って、それからやっぱり海外が興味がありすぎて出てきちゃった感じなんですけど、
その友達たち、やっぱり高校の友達というかね、すごい今思えば本当に人生を変えてくれた人たちだなと思っていて、
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その高校もね、実は今頃になって不思議だった。
私がそれを普通じゃなくて、友達に影響を受けたのもあるんだけど、今思い返すと高校も結構変わってたんですよね、結局はね。
その高校が今はね、多分みんな知ってるみたいなんだけど、私はあまり知らなかったんだけど、色々人から聞いたりして、
今では日本全国で1位とか2位とかになっているらしいですよね。私の時はそんなじゃなかったんだけど。
校長先生がね、今もご顕在で、この前もね、オンライン同窓会みたいのがあって、それに行って見たんですけど、
校長先生が言ってらっしゃることがほとんど変わってないっていうか、何ていうのかな、自分で考えて、自分で調べて、自分でやりなさいみたいな感じで、
そういえばこうしなきゃいけないとか、しなきゃいけないとかっていう感じじゃなくて、先生方もすごい自由な感じで、
僕、勉強しに行くんでって言って、学校にサポートしてもらって、留学しに行っちゃう先生がいてみたりとか、
テニス、私は大好きだったんで、テニスをやっているときには、僕、テニスの選手に戻りますとか言っていなくなっちゃう先生がいてみたりとか、
不思議な学校であったんですよね。だから、そのときの校長先生の話とか毎週聞いてて、校長、こうは?とか言って聞いてて、不思議な話しかしてなかった、私にとってはね。
でも、そのときに、やっぱりノリに焼き付けられたものとか、いろんな、世界広いよみたいな、そういう感じのことはあったのかなとかって今は思うと思いますね。
外人の子とかも学校にいたしね。よく考えたら、最近聞いたのは、クラスメイトで、某Mソフト社の社長になった人とかいたり、
この前、同窓会やってきましたけど、この前というか、もう3、4年前だけど、会いましたけど、そんなになっちゃうんだみたいな。
あとは、すごい一番仲良かった子が今、大学の教授やってたりとか、その子もテレビに出たりとかたまにしてたんですけど、今はどうか分からないけど。
後は、後輩はテニスのプロになったりとかして、その後プロになったけど、それはね、何十年もやってられないんで、その後新聞記者になったって言ったかな。
そういう子もいて、その子のつながりで、こっちに来て、シンガポールに来てからも、その子の友達だっていう子に会って、友達だっていうのはプロフェッショナル、テニスのプロだった子で、その友達だっていう子に会ったりとかして、一緒にテニスしたりとかして。
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そんな感じで、不思議な人たちが周りにいたんですよね。それが高校でしょ。大学でいろいろな人に会ったんだけど、刺激的だった人というのは、やっぱりシンガポール来てから会った人たちですかね。
周り、みんなどこどこの社長さんとか、東南アジアリリジョンの一番偉い人とかいう人とか、みんなテニス仲間なんですけど、20代にそういう方たちと会って、そういう方たち明るいし、何回テニスとかやってても、初心者とかでもすごいお上手でね。
なんでこんな上手なのかなと思ってよくよく聞いてみたら、スキーは一級ですとかね。一級ってね、私、彼氏が一級取ってすごい大変だったって言ってたのを聞いてたので、一級ってすごいよね。私、雪山が結構好きだから、スキーとかできる人いいですよね。
スキーできるのすごいです。一級ってすごいですねって聞くと、いや、何回か行ったらできるようになっちゃったんだよ。だから、そういうのを取っておいた方がいいかと思ってっていう人が、テニスのその中に4人もいたんですよね。
私、東京にいたときに、そんな4人とか目の前に、私、スキー部とかではなかったわけだし、いないわけですよ、普通にはね。私、テニスだけしてるのに、そんな人にも会えたりとかして、なんか自分としてはすごい感動してたんですよね。やっぱりスポーツ系っていうか体育会系だから、なんていうのかな、感動しますよね。
運動ができる人みたいなのを見るとね。しかも結構もう、究極いってますよね、スキー一級って言ったら。だから、そういう人たちと会って、それで話しして、テニスして、仕事もできて、みたいな人たちに会って。
自分の会社の人とかでは、やっぱり日本の企業に働いてたんですけど、そのときに出会った上司の人たちは日本人で、日本から来られていた方で、皆さんすごい尊敬できる方たちだったんだけど、それプラス、また普通って言っちゃうけど、
一緒に働いている子たちはね、みんなシンガポーリアンとか、その中でも中華系がいて、中国語で喋る子、ダレグって言って、方言をね、喋ったりとかして、全然わからないですけど、あとインド系の子とか、あとは、もちろんマレー系の子とかいて、
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そういった中で、あとはね、こっちで言うと、Mainland Chinaって言いますけど、中国の本土の方から来られている中国人の方とかがいたりとかして、とにかくいろんな人と働いたりとかして、いろんな文化の違いとかもあるんですけど、結局は仕事をしなきゃいけないんで、
たまたま私は日系の企業だったから、日本人のこととか日系のこととかを、そんなによく思ってない人なんていうのはいなかったんで、居心地が良かったというかね、私のこととかも興味を持って皆さん接してくださったので、すごい楽しく仕事はしてたんですけど、そういう感じの人たちがいましたと。
で、その後仕事を辞めて、たまたまであって、主人と結婚したんですけど、主人はアメリカ人だったんですよね。今もアメリカ人ですけど、彼もシンガポールに長くて、東南アジアとか長くて、だから2人とも外国人なんですよね、シンガポールでは。
急に結婚したのは30代なんですけど、20代は先ほど言ったような感じで、30代になったら今度アメリカ人、私はアメリカに行ったことがなかったんですけど、彼のおかげで行って、アメリカから一歩も出たことがないという人たちに結構会いまして、それもまた衝撃的で。
英語を喋れないような人とか、英語が母国語でないような人に一度も会ったことがないという人が、私みたいな本当にブロークの英語しかわからない人を見ても、英語がわからないってことをわからないんですよ。
だから、普通に喋ってくるんですよね、初めて会っても。これね、東南アジアだとそういうことないんですよ。私とかが日本人になってわかれば、英語あんまりわからないだろうなと思って、みんなちょっと優しく喋ってくれるんですよね、言葉、ゆっくり喋ってくれたりとか。
だけど、この主人の兄弟とか親戚はね、そういう人を見たことがないので、もうめちゃくちゃ普通に喋ってくるんですよ。わからないことをわからない。私泣いたんだよね、初めのときゲームしてて。
ピクショナリーっていうゲームがあるんだけど、紙にいろんな絵を描いて、その絵でどういう言葉とか文章だったかな、それを当てるっていうのがあるんだけど、わからない、全然何言ってるかみんな、本当に。
うちの主人がね、ちゃんと面倒を見てくれてなくて、大丈夫だろうと思うんだろうね、私みたいな性格だし、ほっぽらかされて1時間以上経ったときに、もう何もわからない状態だと泣きますね、あれは。
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英語の世界に行って泣いたのは2回目だったんだけど、それはもう1回のときは、日本でね、仕事してたときにオーストラリアに行ってて、そのときにホームステイをしたんだけど、そのときに家族の言ってること一個もわかんなくて、もう帰りたいな、休みでね、ホリデーで2週間のホームステイだったのに泣きましたね、そのときもね。
そのホームステイの話とかもしたいですけど、とりあえずそんな感じでですね、アメリカ人は外国のことを知らない人がたくさんいるということですね、そういう経験もしましたね。
それが30代結構いろんな、そんな感じが多かったかな。で、その後、子どももちょうど生まれてきて、大体幼稚園に、幼稚園というかナーサリーってこっち、ナーサリー1、2、キンダーガーデン1、2とか言うんですけど、プリナーサリーかそうか、2歳くらいから行かせてたので、
そのときの初めのクラスがすごくてね、初めのクラス1人目なんで気合が入ってるんですよね。たまたま20何人のクラスだったんだけど、ほとんど1人以外は全員が1人目だったの、子どもが。それもすごい奇遇なんだけど。
みんな全員すごい気合が入ってるんですよ、お母さんたちが。だから子どものために作って持っていきましょうとか、カップケーキ持っていきましょうとか、みんな気合が入っていて、いつも集まるんですよね。それですごかったのが、その20何人が全員違う国籍だったですよね。
それもね、なんか珍しいとこだ。多分日本人の人で珍しいかなって思うのは、ウクライナ。今ね、女性が本当、なんかどうなっているのかちょっと今日は見てないけど、昨日は少しソ連が撤退したって言ってたかな。もうなんかこう、こういう世の中なんだから平和で行こうよって思ったりしますけど、ウクライナ人の人がいました。
クエイト、エジプト。クエイトは大使館の娘さんだったんだよね、クラスにいたのが。それもすごい、しかもシンガポールのクエイト大使館っていうのができて、その時に初めての1人目の大使の娘さんでね。それも面白かったですけど、あとスウェーデンとかね、南アフリカ人、ノルウェー人、チリ人かな。
エジプト言ったかな、エジプト人。エジプシャン。あとは普通にね、なんかオーストラリア、ニュージーランド、で、東アジアでインドネシア、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、インド、パキスタンだね。
あとはまあ普通に、オーソドックス、イギリス、アメリカ人、韓国人ももちろんいて、で、日本人、私たちね、っていう感じかな。それ以上ちょっと思い出せないんだけど、他はねちょっと、オランダ人ね、いた。
ドイツ人、いた。あとはスイス人、いた。そうだね、その辺で大体20ぐらい行ったと思うんだけど。で、そんな感じでね、その時にいろんな人に会ったんですよね、やっぱりね。
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でもね、子どものことをね、一番に思ってるんで、その辺は文化の違いとか乗り越えて、あとはまあシンガポールにみんな来てる外国人なんで、まあその、私たちが例えばそのいろんな国に行ったときにマジョリティが向こうの人たちっていうのと違って、私たちも外国人だから、だからまあお互いね、寄り添ってね、いろんな違いも乗り越えて話もできて楽しかったですね。
今でもね、4人ぐらい、なんか仲良くさせてもらっていて、この前一緒にね、あのママ友でね、この前って言ってももう5年前ぐらいか、あの現地集合で、えっと、えっと、ドゥバイにね、行ってきました。それすごい楽しかったですね。
で、そんな感じですね。それでママ友のね、付き合いはそんな感じで終わって、終わんないです、まだですけど、それでその後うちの子どもたちがアメリカンスクールに行ったので、
えっと、そのアメリカンスクールでは、まあアメリカ系の人が多いので、で、でもまあその中でもね、やっぱりあのおけごごととかするといろんなね、違う国の人たちとも交わるんですけど、まあだんだん子どもたちも大きくなって、親が出かけていくこともなくなって、特にコロナになってね、それ以上は、まあ最近はね、それほどあの親密にお付き合いしている人たちは、なかなか新しくは出ないですよね。
で、そんな感じでね、いろんな人に出会ってきたんですよ。で、こんな感じなんだけど、なんか興味があることとかあるかなぁ、なんか、うんと、そうだなぁ、うちのね、妹は日本にいるんですけど、妹にね、なんか話したりするときに、なんか、あの話すことがないときはだいたいお姉ちゃんのこと話すんだよ、おランジュのときはとか言って、それ何?って言ってね、本当にね、あの、
話すことがないときに、私の話を勝手にしないでほしいんですけど、まあだいたいなんか珍しい話らしいんですよね、なんか私がやってることとかが、たまに言ってることがね、だからまあ、わからないですよ、私にはね、どれが珍しいのかとか、だからもし、なんか今日聞いたことでね、なんか興味がある方がいたら、
あの、ぜひね、なんかお声かけていただいて、もうね、なんかネタもつけてきてね、しゃべることがね、あの、ちょっと困ったなぁと思って、で、何回かね、いろんな方と対談とか、あの対談、雑談させていただいて、そっちの方が楽しくて、っていう感じもあるので、もしよかったらお声かけていただければと思いますけれども、あの、
はい、そんな感じで今日は20分、しゃべりましたね、やっぱ人生ね、もう長く生きてるとしゃべることもいっぱいあるんですよ、ということで今日も雑談にお付き合いいただいてありがとうございました、今日も一日良い、皆さん今日も一日、え、違うな、今日も良い一日をお過ごしください、ですね、
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あのね、英語だと簡単なんで、Have a good day とかね、そう、そうです、だから、えっと、なんだっけ、もう一度ね、えっと、今日も良い一日をお過ごしください、合ってる?
じゃあ、そういうことで、またね、バイバイ