1. MORNING NOTE by 平瀬楽器
  2. 鉄砲の玉からライブ配信まで!?..
2025-08-17 11:17

鉄砲の玉からライブ配信まで!? 150年の歩み

MORNING NOTEは兵庫県三田市にある平瀬楽器がお届けする毎朝10分くらいの音楽トーク番組です
ピアノのこと、教室のこと、イベントづくりや動画制作の裏話まで、音楽とまちのあれこれを、毎朝少しずつゆるっと気軽にしゃべっています。
朝の支度や通勤のおともに耳だけご参加ください。


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サマリー

平瀬楽器は創業150年を迎え、歴史を振り返りながら、楽器販売からライブ配信へと進化してきたことを語っています。歴史的背景として、元々はメガネ店からスタートし、様々な商品を扱うようになった経緯が説明されています。

平瀬楽器の創業と歴史
おはようございます。MORNING NOTEにようこそ。平瀬楽器の平瀬智樹です。今日は、鉄砲の玉からライブ配信まで!? 150年の歩みというタイトルでお話をさせていただきます。
この平瀬楽器って、今年創業150年にあたる年なんですよ。 でも、よく言われるんですけど、150年前から楽器ってあったんですか?って言われるんです。
実はですね、最初は楽器屋さんじゃなくて、いろんな商品を扱ってきた歴史があるんですよね。 今日は、ちょっとそのユニークというか、そういう歴史の変遷を少しだけやってみたいなと思います。
このMORNING NOTEは兵庫県三田市にあります平瀬楽器がお届けする、毎朝10分ぐらいの音楽トーク番組です。
ピアノのこと、教室のこと、イベント作りや動画制作の裏話まで、音楽と街のあれこれを毎朝少しずつお話ししています。
朝の支度とか、通勤のともに耳だけご参加ください。 YouTube、Instagram、スタンドFMで配信しております。
イイネとか感想のコメント、それとフォローですね。どうぞよろしくお願い致します。 というわけで今日日曜日なので、三田ミュージックガイドをMORNING REVIEWということなんですが、今日はどっちかというとMORNING REVIEWの方ですね、振り返りのお話をさせていただきたいと思います。
冒頭にもお話をさせていただきましたけれども、150周年記念イヤーということでね、先月の末と今月の末ですね、講師コンサートやったりとか、いろんなことやってるんですけれども、この平瀬楽器、150年前明治8年に創業したんですが、その時から楽器ってあったんですかって結構言われるんですよ。
たぶんね、楽器自体はあったと思うんですけども、実は明治8年創業した時はですね、平瀬楽器ではなくて平瀬メガネ店、メガネ屋さんでスタートしているんですよね。
僕6代目なんで、6代前のおじいちゃんが神戸の元町っていうところで修行してきて、この三田っていう町で平瀬メガネ店っていうのを作ったのがスタートというふうに言われています。
明治8年って言ったらね、さっきまで江戸時代でしょ、大正奉還した後ですもんね、その頃にメガネは当然あったと思うんですけども、おそらく当時のメガネってね、高級品やったと思うんですよね。
生活必需品、必需品、生活必需品というよりは、生活に潤いを与えるものだったと思うんです。
そういうものを扱い出して、商売をスタートしたそうです。そこからですね、時計とか宝石とか、そういうふうな思考品の分野に仕事を広げていってたようです。
なくても困らへんけども、あると生活が豊かになるものっていうのを届け続けて、これ一体何年頃に始めたのかはちょっとわかんないんですけども、
150年前に創業してからは、まずメガネ、それから時計、宝石というふうに広げていったというふうに聞いています。
そこからですね、鉄砲の弾とかも扱っていたそうなんですね。まだそういう時代ですよ、明治とか大正年代なんでね、鉄砲の弾を扱ってて、他にも写真の現像とかね、
楽器販売の進化
あとレコード、そういうふうなものも扱い出したというふうに聞いています。
要はここまで見てみると、先ほど言いましたようにも、なくても困らないもの、生活必需品ではないけども、あったら生活が豊かになるもの、人の心を満たすものっていうものを少しずつ広げていっているような感じがします。
そういう商材を選んできてたのかちょっとわかんないんですけども、今見るとね、俯瞰的に見るとそういうふうな感じだなというのを感じるんですよね。
結局その娯楽というものがどんどん変遷していってて、だんだん持ち運ぶものから聞いて楽しむものがね、そういうものになっていっているなというのを感じます。
で、楽器販売というところになるんですけども、楽器の販売はね、実はまあまあ早い段階からしていたというのは聞いていて、
もともとメガネ屋さんで、メガネってねドイツからの輸入品が結構多かったらしいんですよ。
なのでそのドイツからの輸入品の輸入の時にですね、ハーモニカとかオルガンとかそういうものも一緒に入ってきてたっていうのは聞いてたんで、
お店の片隅にね、そういうものが置かれていたらしいっていうのは聞いてたんです。
で、そういうふうなものも扱ってて、ある時ですね、ヤマハ音楽教室ってあるじゃないですか、あっこがどうも声をかけてきたらしいんですよね。
今でも実はそうなんですけども、ヤマハ音楽教室の全国の特約店リストっていうのを見ていると、なんちゃら時計店とかね、なんちゃら時計メガネ店とかね、
なんちゃら書店もあるんですけども、そういうの結構多かったりするんですよ。
だからヤマハっていうのが、ちょっと高級商材、生活必需品じゃない、ちょっと浮遊層へのビジネスみたいなものを扱っているところに多分声をかけていったんだと思うんです。
それで音楽教室やってみようかなって思ったんだと思うんですけども、音楽教室、あと楽器の販売とかを始めたっていうふうに聞いています。
この楽器の販売とか音楽教室とかいうのは、僕の1代、2代前のおじいちゃんがやり始めたっていうふうなことを聞いているんですけども、
当時はですね、チャリンコの後ろにカゴつけてハーモニカ売って回ったみたいなことも聞いてて、すげーな、そんな時代やなんやなと思ってたんですけども。
まあ物は確かに売っていたんですけども、その音楽教室というもの、要はその物の販売からサービスに移っていったなというのを感じています。
今はもちろんうちは楽器の販売してるんですけども、どっちかといったらサービス業のほうの要素が強いかなと思うんです。
ここでやっぱその転換、大きな転換ではないんですけども、物を売る商売からサービスに広げていっているような感じがしますね。
でじゃあ現在、150年後の現在、一体どうなっているかというとですね、今は先ほど言いましたメガネとか時計宝石とか、まあ鉄砲弾はもちろんそうなんですけども、
もう売ってなくてですね、写真の現像もしてなくてですね。 CDは売ってます。あと楽器も売ってます。
楽器の販売もしているんですけれども、それに付随しましてイベントの仕事っていうのが新しく生まれています。
イベント制作であったりとかイベントの音を出す音響であったりとか。もう一度そこから派生しまして、ライブ配信という仕事ができてきています。
物を売るっていうところから、物からことに変わってきている。よく言うじゃないですか、物からことへっていう。それが本当にリアルにそう感じますね。
うちの場合はまだ物をもちろん売っているんですけども、物とことを売っている。ことがちょっと昔からすると全然変わってきていますよね。
150年前のおじいちゃんは平成メガネ店としてメガネを売るところからスタートしたんですけども、6代後になるとライブ配信をしていると、全然形が変わっているんですけれども。
これも基本的に生活に必需品ではないんですけども、心を豊かにするもの、人の生活を豊かにするものを扱っているというところでは本当に共通しているなというふうなものを感じます。
音楽と街の笑顔
正直ね、150年前のことを知っている人って本当にもういなくて、この話は何年ぐらい前かな、10年ぐらい前かな、今でも生きてるんですけども近所に住んでる
うちのおばあちゃんの妹にあたる人に聞いた話なんですよ。それが100%正しいかどうかちょっとわかんないんですけども、もうそこしか信じるところがないので、それを今定説として使わせていただいています。
もしね、150年前のことを知っている人がいれば教えてほしいんですが、そんな感じで、おそらくこの話っていうのはそんなにブレはなくて、やっぱり最初は物を扱っていました。
でも生活必需品ではなくても、あると心が豊かになるものばっかり扱ってきていた。今150年経ってまだのライブ配信までを仕事にしている。要は一緒に心を豊かにするものをやっていると。
結局、今は音楽というものだけしか扱っていないですけども、形は変わったとしても音楽でこの街の音楽を増やすっていう思いっていうのは変わってないんだな。
もともとのその150年前の人は、音楽ではないですけども、この街の笑顔を増やすっていう意味では一緒だったんだなというふうなことを振り返ると感じるわけなんですよ。
このモーニングノートでは実はあんまりお話ししていないんですけれども、冷やせ楽器のYouTubeチャンネルに金曜日で動画が上がっている
音楽特化型放課後等デイサービス三角っていう仕事もしています。これは福祉の仕事なんですけども、これも音楽を使った福祉の仕事をしているんですね。
なのでやっぱり背骨がバーンって通っていて、音楽の仕事でプラスこの街の笑顔を増やすっていう意味では本当に一気通貫できているなというふうな感じがします。
ここからどんな仕事が発生するかわかんないんですけども、うちが急に魚屋さんになりますよとかパン屋さんしますよって多分ないと思うんですよね。
音楽っていうところに片足突っ込みながら違う仕事をまた探っていくんだと思うんですけども、基本的にはこの街の笑顔を増やす、心を豊かにする商材とかサービスっていうのを多分扱っていくんだろうなというふうなことを考えています。
ざっくり言うとこんな話。最後に話しました福祉の話っていうのはまたどこかでお祝いできればなというふうに思っております。
これで150年前で楽器やってたんですか、楽器ってあったんですかっていう質問にはお答えできたかなというふうに思っておりますがいかがでしたでしょうか。
はい今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。今日のお話で気になったことがあれば、そして音楽とかレッスンイベント動画のことなんでも平成楽器の公式LINEからお気軽にご相談ください。
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今日の話が何か一つでもあなたのヒントになっていたら嬉しいです。また明日の朝もモーニングノートでお待ちしています。
音楽でこの街の笑顔を増やします平成楽器の平成智樹でした。ではでは。
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