栗山巧選手の引退
11月26日の栗日記をアップしようと思います。
豊かな話ですが、今週は通勤の初日です。
今日も京都に行ってきました。
ノーコメントということで、また話しましょう。
今日はどうしても喋りたいことがあります。
私は40年来のセーブライオンズファンです。
悲しいお知らせがありまして、趣味の世界の話になります。
興味のない方は聞き流していただければと思います。
我々がライオンズに栗山巧というベンテラーの選手がいます。
彼が来年1年をもって引退をするということで、
この日が来たかという感じです。
彼は特別な選手でした。
彼は2000本アンダーです。
2000本アンダーって数える人は多くないです。
2150本なので歴代でも20何位です。
ものすごい数のヒットを取っています。
サイターアンダーも取ったことがあります。
記録上も非常に優秀な記録を残しています。
バッティングの上手い選手です。
何が特別な選手かというと、
彼は高校を卒業してからライオンズに来てくれました。
そこから25年を区切りに辞めるということです。
25年間ずっとライオンズで続けてくれた選手は、
なかなか記憶に残っていません。
そんなに長い一筋をやってくれた選手は、
多球団に移ったり、
私の地元の愛知の清原もそうですが、
多球団に移るかメジャーに行くかの輸出も多いです。
生涯ライオンズでやってくれる選手は少ないです。
その中で長くやってくれたことについても、
一途に球団やファンを愛してくれたということで、
誰よりもファンから愛される選手です。
何が他にもいくつもあるのですが、
私の長女は栗山が好きなんですよ。
セバンゴ一番。
何が好きかというと、男前だというわけです。
顔も男前なんですよ。
顔も男前なんですけど、生き様がすごく好きで、
きっちりとここで結果を残す。
そのために誰よりも早く練習場に来て、
誰よりも最後まで練習している選手なんですよ。
結果を出した時もガッツポーズはしない。
当然ですというような顔で仕事をする。
でもマイクを差し伸べられた時のユーモアとか、
人を笑かしたりということは忘れない。
関西人だからね。
そういうところをファンサービスとか、
場の空気を明るくするということも忘れない。
ものすごい好きなんですよ、男前だということで。
今回も結構ショック。
1年間ファンとして有志を見届けることができるので、
そういう意味ではどこかでちゃんと心して見に行かないといけない。
だから結構お世話になりましたね。
本当にこう、よく若い頃にありがちなんですけども、
栗山選手の影響と教訓
あいつはさほど勉強もしないのに、
いとも簡単に勉強できる勉強でテストで点取るねんとかね。
そういうことを言うわけですよ。
私はこんなに必死にやってここまでしかできない。
あいつはみたいなことをよく言うんだりするんですけどもね。
アホ言えと。
やってる奴がめっちゃ努力してるんですって言うかいと。
そういう時にね、クリアマーの話を例に出して、
あれだけ結果残すのに最初から来て、
あれだけ最初から来て最後まで練習すんねんと。
誰が言うか分からないんですよ。
あれだけ最初から来て最後まで練習すんねんと。
お兄さんって我らで言ってるんですけどね、クリアマーのことは。
誰がお兄さんがね、
俺こんなに練習してるんですって言うかと。
言わへんやんと。
なってて。
生き様を見習うが好きなら生き様を見習いなさいよなんてことをね、
よく言ってそうやなというふうにね。
本当に子供の教育にも使わせていただいた子では、
本当に武士のような男でしたが、
あと1年間、
しっかりとね、
鴨目して応援し続けたいなというふうに思うということで、
ちょっと寂しい限りでございますがというところでございます。
まあな、
そんなそれだけね、
努力もする、
結果を出しても喜ばん。
でもおもろいことも言う。
俺にな。
さあ、俺にどれだけのことクリアマーの要素を当てはまるか。
ちょっとおもろいこと言うだけやなということで、
今日はこのへんで。
それではまた。