ポッドキャストの再会
どうもこんばんは。今日は話し相手に、イケダさんに来ていただきました。
こんばんは、キキ役のイケダです。
我々は1年前ぐらいにポッドキャストで、2週間に1回ぐらいですかね、配信していて、
それがちょうど1年間ぐらいやった後に、それが終わってですね、そこから各々ポッドキャストをやっている状態で、
僕がですね、ちょうど1年前に辞めたぐらいなので、1年ぶりにちょっとお話ししてみたいなということで、ちょっと今日お越しいただいたみたいな感じでございます。
はい、キキ役のイケダです。
大丈夫ですかね。お願いします。
思いの丈をじゃあ。
イケダさん、1年ぶりにお会いして、ちょこちょこお会いしてたりとかは、オリに触れて会ったりはしたんですけれども、
なんか俺、結局1年前にポッドキャスト終わってから、イケさんにお話ししたんですけど、引っ越したんですよ、俺。
もともと杉並区の方に住んでたんですけれども、ぐっと東京のど真ん中の方にですね、引っ越したんですね。
で、なんか過去のアーカイブで自己肯定感の話したの覚えてます?
うん、なんかでも何回もしてる気がする。それ系は。
自己肯定感?
うん、それ系は。
なるほど、なるほど。
自己肯定感の話した時に、俺、別に聞き直してないんで、ちょっと厳密にどういうことを話したかっていうのは、ちょっと性格じゃないかもしれないんですけれど、
なんかこう、自分をもってなすことが結構大切じゃないかみたいな、たぶん話をね、したと思うんですよ。
だからなんかオーガニックコットンの根巻きにしてみたりとか、なんかこう、自分が嬉しいなーって思うようなことを自分でしてあげることが肯定感が高まることですよ、みたいな。
で、少なくとも俺もそう思ってたんで、で、僕の中でそれが今住んでる部屋だなっていうふうに思ったんですよ。
だから、もうちょっと、なんかこう、キッチンが広くて、仕事場にも近くてっていうような部屋を選択して、そこに引っ越してちょうど1年ぐらい今経つんですね。
でですね、じゃあ僕の自己肯定感上がったかって言われると、全然上がってないんですよ。
これすごい不思議だなーって思うんですよね。
なんかあれだけ自分をもてなして大切にすれば肯定感が上がると思ってたのに、全然上がってないっていう現状があるんですよ。
で、俺今実は日記を書くワークショップに行ってるんですよ。
これお話ししたかちょっとわかんないんですけれど、通っていて、ちょうど2014年、あ、2024年になってから通い始めてて、3ヶ月のプログラムなんですけど、毎日日記を書くんですよ。
で、1ヶ月間、ちょうど今経ったんですね、ちょうど。
本当にこの今収録してる段階で1ヶ月経って、それでも毎日毎日自分と向き合いもするし、自分の感じたことや見たものを記録していくんですけれど、俺ね、それでちょっとあることに気づいちゃったんですよ。
俺ね、自己肯定感が大切なんじゃないんじゃないかなって思ってて、その前に自己需要が大切なんじゃないかなって思ったんですよ。
受け入れるということ?
あ、そうそうそうそう。日記って池田さん書きます?
日記はね、書かないかな。
何か日々の記録的なものは、食べてるものについては記録してるけど、こう思ったとか、そういうことは書いてない。中身のことは。
でも、いわゆるレコーディングダイエットじゃないけど、これを食べましたみたいな。
そう。
あ、そうなんだね。
それは単純に、自分がどういう栄養をとってるのかが、見るのが楽しくなったからなんだけど。
え、どういうこと?どういうこと?
7日とか1ヶ月単位で、栄養のグラフが出るんですけど、それが綺麗な線っていうか、だと嬉しい。
綺麗な、凹凸のない、例えば、全体のカロリーとか、糖質とか脂質とか、ビタミンとかのグラフが、綺麗な、一本線に近いぐらいのやつだと嬉しい。
いわゆるアスケンとかのアプリで、要は塩分とりすぎですって怒られないように、線をなぞっていくような感じが楽しいってことね。
それが楽しい。
だから、日々ではあんまり気をつけてないですけど、1週間単位ぐらいでは、その線になぞるように。
長尻をね、合わせるかのように。
それが楽しい。っていう日々の記録はつけてます。
なるほど、なるほど。面白いですね。
俺もあんまり気にしたことないから。
グラフ綺麗やと思うと嬉しい。
俺さ、多分さ、そういう楽しみ方とかってめちゃめちゃ大事だなって思ってて。
俺さ、結局さ、食事で言ったらさ、記録してたときにさ、あれ?俺、全然毎日同じもの食べてるなとか思ったりとか。
なんか、でもそれって別にいいっちゃいいじゃん。好きなものだったらっていう。
でも、なんとなく周りから、なんかこう、なんか、もやしは貧乏臭いとかさ。
俺、全然そうは思わないんだけど、なんかそういうふうに、なんか思われていたりとか。
まあ、要はもやし生活が始まるって、そういうことじゃない?でもっていう、なんか。
俺、でも全然もやし好きな人はさ、全然それを突き詰めていけばいいと思うんだけど。
ある意味、人、世の中から与えられている、こうしたらいいよっていうことが、
もう既にその肯定感の呪いの始まりだなって思ってるんですよ。
つまり俺は、キッチンが広いとこに住んだほうが、きっと自分をもてなしていることになるだろう。
部屋を広くしたら、自分をもてなしていることになるだろうっていう、そもそも自分発露じゃない、まやかしのようなものにごまかされて引っ越した結果、
もうなんかもう、常にこう、霧の中に進んでるみたいな状態みたいなことなんですよ。
だから結局、自分がその受け止める前に、そういう行動を、なんかより良いだろうという行動を起こしても、
結局なんかザルに水をあげているような感覚がすごい近いなっていうのを、やっと気づくみたいなそんなことがあったんですよね。
だからなんか、結局自分がその1ヶ月日記を書いてって、自分が思っていることを、まあ時間が経って眺めてみると、
なんか俺って、意外と別に仕事場の近くに住むことを喜びにも感じてなければ、
まあキッチンが広くなったおかげで、俺は実はお菓子作り始めてるんですけど、まあそれはそれで楽しいから全然いいんだけど、
どういうことが自分にとっていいのかっていうものを受け止めないまま、なんかこういろいろ試しちゃったみたいな。
まあそのおかげで、わかることはたくさんあるんだけど、まあ住まいを変えるってことはめちゃめちゃ大変なことなんで。
なんかそんなにさ、その住まいを変えたことで、それをなんていうか、その自己肯定感という言葉に結びつけなくてもいいんじゃないんだろうか。
自己需要の重要性
どういうことですか?
自己肯定感を高めるために住まいを引っ越したっていうわけではなく、
まあもちろんそういう部分は副産物としてある人もいるかもしれないけど、
単純にキッチンが広いとこがいいとか、日当たりいいとこいいとか、お風呂が広いとこがいいとか、そういった、もっと生活しやすい。
単純に、生きやすいっていうものを求めた結果、そこに今いるっていうだけじゃダメなんですかね。
どうなんですかね。
それこそ自己肯定感っていう言葉に縛られてしまってるんじゃないかと。
一石二鳥自体。
もったいないのかなって思いました。
そうかもね。
ただ結構俺は、副産物的に期待してた感があるみたいなのは結構でかいんですよ。
なんかやっぱりこう、いくつだよって話かもしれないんですけどね。
なんか田舎から出てきた大学生が、より良い生活に憧れるような、そんな気持ちみたいな。
なんかここに住んだら、私もう本当に救われるんじゃないかみたいな、なんかそういう。
現に俺、松子デラックスさんと野口こぶしの石村さんの番組で、
なんか六本木に50日住んで、イタリア人に毎日褒められたら、女の子が綺麗になるっていう番組が昔あってですね。
そうそうそう。
なんかそれで、これはどこまで本当かわからないんだけど、
確かになんか水の原理とかのね、モーツァルトを聞かせると水の結晶がすごく綺麗になるみたいな。
なんかそういうこととか、いろんなことを結びつけると、
まあ、野口そんなに間違ってないのかなみたいな。
なんかそういう影響があったもんだから、
じゃあ実際ちょっとこう、スマイル映してみようと思った結果がですね、
まあ俺の結晶は全く綺麗になってないみたいな。
あまり満たされなかったってことなんですかね。
そうだね。
満たすっていうことが違うか。
多分ね、住んでみて、初めの半年間ぐらいはめちゃめちゃ楽しかったね。
ただ、向こう半年間は、まあなんかやることがないんですよね。
そこからなんか。
じゃあそれはやっぱスマイルを変えても、何かそういう手段ではなかったみたいな。
あ、ないのかなみたいな感じがしてたねっていうふうに思ったんですよね。
っていうのが、今の俺の経過報告です。
まあこう、何歳だよとか関係なしに、日々いいスマイルだったり、
いい生活の仕方とかを求めるのは、別に全然普通じゃないですか。
そうだね。いや、ほんとそうだと思う。それは。
いい家だったり、なんでもいいんですけど。
確かにね、それはあると思う。
反対にこう、持たないことをね、さらになんか、
まあ自分が充実してるっていうね、タイプの方もいらっしゃるから、
自分にそもそもそれが向いてるとか、合うとかっていうことを、
いやまず知ること、向き合うこと自体はすごい大切だったんかなーってふうに今思ってる感じがあるね。
で、今日実は池田さんに来てもらって、
なんか俺、駅からね、ちょっと今日貸し替えギスで撮ってるんですけど、
駅からここまで歩いてくる間に、俺どうやって紹介しようかなっていうふうに思ってたんですよ。
で、昔、肩書きの話したの覚えてます?
俺だから、池田さんの肩書きって何なんだろうってずっと考えてた結果、
じゃあ話し合いてということに一旦しようかなっていうふうにしたんですけど、
肩書きの問題って、あれから池田さんって、なんか変わったりしました?
いや、あんま考えなくなったかな。
あ、そうなんですか。なんでもいいや、みたいな感じですか。
でもね、俺もね、実はそうなんですよ、今。
なんか自分がもともとね、声の仕事をしていて、
ナレーターとして活動してる期間もあれば、なんか声優として活動していることもあって、
映像として顔を出してね、おしぱいすることがあって、俳優っていうのもあって、
それを全部並べちゃうと、なんか一体何なんだろうね、みたいなそういう、
一言で表せるものがあったらいいな、みたいなのがあったんですけど、
なんかもう、あんまり気にならなくなったなっていうのは、僕もあるんですよね。
あります。
ただ人に紹介したりとかさ、紹介されたりするときさ、
まあ今日、特にそうなんだけど、なんか困るなって思っていて、
で、それを僕、今ちょっとその、パーソナル編集者みたいな、
そういう活動されてる方に実はついてもらっているんですけど、
その人にね、相談してみたんです。
そう。そしたら意外と、いや僕らだけじゃなくて、
普通の社会人の人とかサラリーマンの人でも、
肩書きの悩み
肩書について困ってるっていう話がやたらあるらしいんですよね。
で、俺友達で一人、まあ編集やってる、本の編集やってる人がいるんですけど、
もともと営業部だった人なんですよね。出版社の営業部の人がいるんですけど、
で、その人が、昔は営業部だったから、営業の○○ですって挨拶してるんだけど、
編集部に移った瞬間から、編集の○○ですっていうの変だよなっていう風に言ってて、
だって私は別にそんなに仕事の関わりというか、別にスタンスもマインドも何にも変わってないのに、
なんか編集部に移ったからって言って、なんか編集の○○ですっていうのなんか変だよなーみたいな、
なんかそれで悩んでて、編集部に行ったから、まあ多分、初めから編集部にいる人は全然不思議には思わないんだけど、
自分が○○ですっていうこと自体がちょっと違和感があるんですよ、みたいな。
で、それに対して、すごく便利っていうか、ハックというか、解決策があるって言われたんですよ。
それがですね、自分で会社を起こしちゃえば、代表っていう言葉が使えるみたいな。
だから代表取締役って、まあ一個の肩書きじゃないですか、だから別にいろんなことやっててもいいけど、
それ別に、なんかいろんなことやってて、全部トータルで、ああそういうこと言ってる代表の○○ですって言っちゃえば、一番いいなーって、それなんか思ってて、
なんかそれめっちゃいいよねっていう、あーんま思わない。
自分が何者かをあまり言わなくても、なんかそんな体制に影響ないなっていうのが実感で、
だから悩まなく、そんな前も悩んでたわけじゃないのかもしれないけど、
そうなんや。
自分の言葉
別に、桂田裕子です。
まあいいね、名前肩書きというかね、名前で仕事できるんだったら別にそれは。
いやいや、そんなことはないんだけど。
普段はこんなことやってます、みたいなので説明すればいいか、みたいな。
あーそうなんだね。
ナレーターでは嫌な、嫌っていうか、ちょっと表しきれてないなって感じなんですね。
そうなんですよね。
自分の何かが。
なんか多分これは人それぞれだともちろん思うんですけど、なんか俺ね、自分の言葉をもうちょっと喋りたいなっていう気持ちが年々強くなってきてるんですよ。
まあこれをおじさんかと言えばおじさんかかもしれないんですが。
わかる気がする。
なんかね、基本、いけさんちょっとわかんないんですけど、
僕はもう完全に誰かが書いた言葉を読み上げるっていう仕事がもう9割ぐらいなので、
何かアドリブでやってくださいって言われることはほぼないんですよ。
だから自分のこの肉性を使っているにもかかわらず、自分の意思ではないことを読む。
なんかひどい言い方をするとそうなんだけど。
あくまで他人が書いた言葉が自分の言葉として言ってますよっていうふうに喋るってことをなりわえにしているんですけれども、
なんかね、ちょっと窮屈に感じてきちゃってる瞬間があるんですよね。
いけさんあんまないですか?
ないです。
あれなんて言うんですか?いけさんのその仕事って、なんて言うんですか?キャスターって言っていいんですか?
キャスターです。
キャスター業の仕事をしているときって、どこまで台本があるんですか?そういうのって。
流れだけですね。
ここでこういうことをして、こういうことをして、こういうことをして、こうっていう流れが書いてあります。
やはりキューシートみたいな感じですか?
やるべきことが書いてあります。
やるべきって何?
自分、司会として出さなきゃいけないものが必ず何個かあるわけなんですけど、
何個っていうか、何十個であるわけなんですけど、
それをその時間の中でタイミングよく出すわけなんですけど、
その出すべき項目が書いてあります。
なるほど、なるほど。箇条書きみたいにこうなってるってことですか?
そんな感じです。
一応時間も書いてあって、あるんですけど、
その一個一個の時間までは書いてなくて、
そこはもう自分と、あと出演者のタイミング、話の中の流れの中で、
このタイミングで、これは言う、これを言う、これを言うっていうのを、
そのこと細かなセリフは書いてないです。
それは自分でもう頭の中で作るんですか?その瞬間に。
そうです。
めっちゃすごいね。
でもまあ、慣れればっていうことですね。
最初は私も確かに、自分の言葉を、私の場合は苦手だったので、自分の言葉を言うのが、だったんですけど、
慣れればできるようになります。
そうなんだ。
コミュニケーションの重要性
もう10年やってるんで。
ベテランですな。そういう考えでね。
すごいなあ、それ。苦手なんですよ、俺。どっちかっていうと、そういうのが。
そうそう、なんか言葉にしようとした瞬間に、首にこう圧力がかかるみたいな。
めちゃめちゃわかります。
なんかこれ、なんかあれ?なんか言いたいのと、体は言っちゃダメって言ってるのがあって、
なんかそれって、どうなんか訓練とかするんですか?
最初の頃は、喋るべきことを自分で書き出してました。一言一句。
えー、そうなんだ。完全台本にするってことですか?
完全台本に。ここでこの言葉を言うって。そうじゃないと、本当に無の時間を作ってしまう。放送事故になっちゃう可能性があるので、
1秒、2秒、無になるだけでも、すごい時間に感じるんですよね。
だから、その時は、本当手元見てもいいから、これを言うっていうのを書いてました。
いや、すごいなあ。え、いつぐらいから、完全原稿から、私これ書かない、まあ書いてないですよね。
書いてないです。
もう書かなくていい。
書かなきゃいけない時は書いてますけど、あの普段と違う流れの時とかは書いてますけど。
ある程度、こう書かなくていいやって思ったのは、どのくらいなんですか?
どれくらいですかね。そういうアシスタント業から、その司会、MCというか、主に進行する仕事をし始めて、どれくらいだろう。2年、3年ぐらいかな。2年、どうだろう。
あ、でもまあ3年か。
2年、うん。
池田さん的には長く、長いですか、それは。短いですか?
短いです。
あ、そうなの。
はい、あの、かといってそのずーっと、ほんとにいちごいこずーっと2年間書いてたってわけじゃなくて、だんだんこう減ってくわけじゃないですか、減ってくんですよね、書くべきことが。
そう考えると、別に長くは感じなかったです。
あ、そうなんですね。
俺さ、その、たぶん、池田さんだから、たぶんちょっと話す話があるのが、さっき言った1秒でも間が空くと、なんか放送事故になっちゃうとかあるじゃないですか。俺これ、日常生活にないですか、そういうの。あんま感じないですか。
放送事故。
なんかその、たとえば3人とか4人ぐらいで、お酒の席でもいいし、会話をしててもいいんだけど、そのときに、なんか、あれ、たぶんもうこれ今、みんな誰もしゃべんないターンになったなって思ったこの瞬間に、俺しゃべっちゃうんですよね、なんか。あんま池田さんそういうの気にしないですか。
あんま気にしないかもです。無の時間、別に、普段は気にならない。無言の時間。
それは、なんかオンエア上のときの自分と、こう、要はプライベートの自分ってのが、結構こう切り替わってるって感じじゃないですか。
そうかもですね。やっぱ、ね、オンエア上だと、そりゃ無理じゃないですか。誰もしゃべらない時間なんて。2秒。
怖いよね。めちゃめちゃ。
わかんない。実質の1秒、2秒と、自分の体感の1秒、2秒がだいぶ違うとは思うんですけど。
そうね、確かにね。なんか、永遠に感じられる1秒とかもね、あるからね。
ある。でも、プライベートでは、まあ、何ですかね、結構何も、何もしゃべらずに、3人いるみたいなときとか、ある気がします。
深夜のファミレスみたいなね、そういう感じね。
まあ、でもまあ、相手によってはそれが気まずいって思うかもしれない。
あ、意図的に、えー、なんかこう切り替えてるってわけではないって感じですかね、でも。
うん、そんなにないと思いますけど、まあ、仕事のときはさすがにスイッチ入ってるから。
こう、やばいって、この沈みそうな船を何とかして、水をかき出さないといけないみたいな。
さ、ということでとか、何でもいいから。
いや、気持ちめっちゃ上がるんだよな。
ということでとか、めっちゃ連発するときある。
俺、でもなんか、なんかね、そこ、すっごい大事なとこだと思ってて、
特にこう、空気を操作する職業の、空気を読まなきゃいけないっていう職業の人が、
プライベートになったときに、空気読まないって、
多分なんか俺ね、ここに何かありそうだなって思ってて、
というのも俺、ずっと空気読んでるんですよ。仕事の最中もプライベートもずっと空気読んでて、
で、それで最終的に、最近ちょっと僕、ノートっていうインターネットサービスに記事を起こしたら、
2万ぐらい読まれたんですけど、
この瞬間のコミュニケーションを大切にしすぎてて、
長期的なコミュニケーションを全く重視してないから、
俺、相手の話を全く聞いてないみたいな。
なんか指揮者みたいに、はい、さあ、というわけで。
私それ、ゆうすけさんにすごい感じたことあるっていうか、
結構感じてる日々。
あ、そういうことか。原因がわかった。
確かに、そっちに気持ちが行ってるからか。
え、それさっき言った、この間言ったじゃんとかって、例えば言ったりすると、
あ、そうなんですね。さらって逃されて。
すごいあると思った。
なるほど、その場のコミュニケーションにかなりこう。
比重が大きすぎて。
すごいちょっとすっきりしましたね。
本当によかったね。
俺も、実は俺、去年の年末にメンタルコーツっていう資格を取ったんですよ。
その時に、俺すごい自分の中で、全然しゃべれないし、
全然話を聞かれても、なんかボケちゃうんですよ、すぐ。
例えば例で、子供がね、学校で悪さしたことを黙ってて、
お家帰ってきて、その時に、なんて声かけますか?ってこっちの。
って言われた時に、え?って思って。
え、言えないなら、書き出してあげればいいんじゃないですか?みたいな。
なんかそういう、よくわかんないコミュニケーションしちゃうみたいな。
それってでも、これを言ったら、ちょっとひねったコミュニケーションになるかなっていう感覚がちょっと自分の中にある。
それってもう自分主体。
自分が主人公になる聞き方とか答え方をしてるから。
要はここで一つ沸かせてやろうって気もないんだけど。
自然とそういう。
そうそうそうそう。
多分俺このまま、この質問に対して真面目に答えちゃったら、
ずっとこう、要は空気はずっと思いままみたいな。
だけど、別にこの人の言ってることって、別におかしなことも言ってないし、
普通に講座の中で、
コミュニケーションの重要性
ちゃんとして研修とかなのに、
俺なんでこんなこと言っちゃうんだろう?って。
今まで学んだことが身についてるかの確認の質問って感じじゃないですか?
そうなんだよね。
そうだし、こう、みんなでね、4人ぐらいでこうロールプレイじゃないけど、
この後にその回答に対してどうだった?みたいな話をしなきゃいけないんだけど、
俺人の話聞いてないからもう、何にも回答できなくて。
よくそこにでも自分で、そういう人ってでもいると思うんですけど、
なかなかそこに気づけなかったりするじゃないですか。
よくそこで自分を客観的にそういうふうに発見しましたね。
俺ね、でもね、これね、いろいろつながってるんだけど、
芸人の友達がいて、芸人の友達ってめちゃめちゃコミュニケーションが上手いのよ。
だからどういうことやってんだろう?と思っていろいろ観察したり聞いたりとかしてたんだけど、
俺それが、要は自分に視線をやっぱり引きつけたり、
自分のことを話す機会を増やすっていうことだから、
それをそのまま応用すると自分が主人公にどうしてもなっちゃうんだけど、
これが意外と人の話聞くときにも同じようなことをやっちゃってると、
全く相手の話を聞いてないのね、やっぱり。
大縄跳びに入る、この絵はリズムをとってるみたいな感じにだけになっちゃうみたいな。
あれ、ここ入れるな、俺。ここで入れるな。
ここで入れるな、みたいな、そういう感じになっちゃうんだよね。
なんかいろいろつながりました。
あ、そうなんだ。
あんまり時間を気にしないで話すっていうことを結構優先しないといけないなとは思ってるかな。
あと、この場限りのコミュニケーションというよりかは、
ちょっと長く、明日会う、1週間会う、1週間後会う、1ヶ月後会うみたいな感じの関係を、
年頭においたコミュニケーションをしないと、ただ単に嫌な人っていうか、
テレビのバラエティの真似してる人みたいな感じになっちゃうから。
相手が言ったこととかを結構考えちゃったりしませんか?
じっくりっていうか、ずっと頭の中でぐるぐる考えたりとかはしない?
その瞬間は全くしないんですよ。
だから、リズムあるじゃないですか。リズムとか波形とかあるじゃないですか。
だからオーケストラで言ったら、今、オーケストラというかバンドとかで言ったら、
あ、今ギターソロ終わったからってことに書かないといけない。
今、長い人がずっと長く喋ってたから、じゃあここはちょっと調子を変えなきゃいけないから、
ちょっと違う人の方に話を振ってみたいな。そういうふうに考えちゃうんですよ。
なるほどね。どんな音色をしてたかは聞いてないんだ。
全く聞いてないんですよね。
ギターソロでどこをどう工夫してたかとかを聞いてないわけなんだ。
全く聞いてない自分がいて。
なるほど。
だから、それがバレたことが1回だけあって、
6人ぐらいで偉い、権威のある人を車座にして話をしてる時に、
別の人が青森の素晴らしさみたいなのを話してて、
みんな青森の話をそれぞれし始めたんですよ。
その時に俺はその人が青森の話しすぎだなって思ってて。
なるほどね。
その時に、なるほどねって思いながら、次誰に話を振ったらいいんだろうって考えてたら、
その目の前で青森の長話をしてた人が、
俺に向かって全然興味ないですよねって言われて、
バレてる、この人に。
なんか俺はちゃんとそば立ててるんですよ。
音みたいにして。
音はね。
なんだけど、なんか興味ないって言われちゃうんだなって思ったのは、
去年気づいたんですよね、そういうことを。
なんか次のこと考えてるんだろうなって思う時はある。
そう。そうなんだよね。
ここにないんだよね、もう感覚が。
それに気づいてから、
それを思ったことをウェブ上に書いたら、
だからわかんない。
正直俺はどこがどうみんなに引っかかったのかわかんないんだけど、
でも俺にとってはもうなんかもう、
これだっていう。
これです、聞いてください皆さんって。
私話聞いてなかったわけじゃないんですけど、みたいな。
そういう弁明をしたんですよね。
なるほど。
というわけで。
興味を持つことの難しさ
面白い話が聞けました。
本当ですか。よかったです。
納得です。
池田さん、なんかお知らせありますか?
お知らせは特にないです。
池田さん、ポッドキャストもやってますからね。
ポッドキャストはやってます。
池田さんのやってるやつを概要欄に貼っておきますんで。
ありがとうございます。
そちらもお聞きください。
ありがとうございます。
ありがとうございました。