小学校教師から社会保険労務士へ
FIWAプレゼンツマネーマネーマネー for you
商品の販売に関わらないアドバイザーが
パパママ目線でお金に関するさまざまな気になることをお話しする番組です。
ちょっと学べて、たつたつする情報をお届けします。
パーソナリティは
個人向けに株式や不動産などの参加サービスをしている小屋と
子ども向けの金融教育を行っているキャサリンと
男子の3人でお届けしております。
はい、お願いいたします。
今日はですね、久しぶりにゲスト会にしまして
FIWAのリーチをやっていただいている石津さんにですね
ゲストで来ていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
私たちはバーバラさんってお呼びするんですか?
そうですね。
なんでバーバラさん?
まあ、バーバラですね。
バラですよ、バラ。
いやいやいや。
私の中ではいつもバラのね。
そんな言うてもだろ、もう。
赤もよく着られてません?しかも。
確かにイメージある。
イメージあるよね。
バラっていう。
バラじゃないんですけど。
ちょっとバーバよりもおしゃれかなでバーバラで。
よろしくお願いいたします。
はーい。
お願いします。
で、このラジオを聞いていただいている方はですね
おそらく僕らもそうなんですけど
石津さんのことをあんまり知らないと思いますんで
まずは簡単に自己紹介とあと
最近どんな活動されてるのかなみたいなところも
お伺いしたいんですけど
ちょっとお願いしてもよろしいですか?
はい。
どんな人間かって言ったら
本当に今までは自由奔放に生きてこれた人です。
本当にありがたいことに。
そんなふうに自分では周りの人に感謝はしています。
どんなことしてきたかというと
別に大したことしてないんですけど
自分はまず小学校の教師を
学校出て3年間やりました。
山の中の小学校で
結構これは楽しかったんですけど
何県?
奈良県の生駒郡の小学校の教師ですね。
だから結構生駒の山が
ちょうど大阪府と奈良県の間に横たっていて
そこが県境になってるんですけど
ちょうどその県境の山のところから
ちょっと降りてくるんですね子どもたちは。
1時間くらいだから朝日を浴びながら
ずっと降りてくるみたいな
そういうところで
私は奈良盆地の奈良市の方からずっと車でずっと
山に上がっていくって感じで
生地が走ったりね
けんけんって言いながら走るんですよ
飛べよって思うんですが
しかも?
しかはいてへんいてへん
生地がいてたりね
そんなような山のね
小学校に3年勤めたんですけど
なんでも小学校の教師って
どこまでやったらいいかっていう
限度が自分で決めないと仕方がないんですよねそこはね
自分との売り合いみたいな
すごく面白く楽しくて
毎回毎回毎日毎日結構
いっぱいいっぱいやって
家帰ってまた翌日のことをどうしようかって
いっぱい考えてみたいなことやってて
当たり前時間がなくて
体を壊したっていうのが結局原因なんですよね
熱血がもうその時から出てますね
熱血が
ちょうど金髪先生もやってた頃だし
熱中先生って水谷ゆたかがやってる
そういう番組もやってたみたいな時代で
40分や50分でそんな問題解決しないんですけどね
普通テレビ番組のようにはね
そういうわけにはいかないんだけど
日常はドラマじゃないっていう
でもすごくやっぱり子供たちは純真だったし
すごい楽しかったんですけど
大人の世界がちょっとね私は苦手で
職員室が嫌でしたねちょっとね
最後の方はね
社会保険労務士としての活動
小さいコミュニティですもんね
当時はまだタバコの煙が結構もくもくしてて
それがつくのも嫌だったしなんか嫌でね
ずっと教室にいたっていう先生でしたね
女性の先生っていうのは多かったんですか少なかったんですか
やっぱり小学校の教師は小学校は女性が多くて
男性はそうですね2割ぐらいかな
そんな感じでしたね昔はね
8割女性な世界
そうでしたね
みんな若い先生多かったんですけどね
その3年されてから
そっから体壊したっていうのがあって
その間に結婚もしてて
結局夫からしばらく1ヶ月ぐらいはじっとしてたんですけども
1ヶ月短くないですか
1ヶ月ですね
でもやっぱりこの家の中でしか自分の存在はないんかなみたいな
そんなふうなことも思ったりして
社会に場所がないみたいな
そういう感じに似てますね
似てますね似てる似てる
まったく一緒で聞いてて一緒やなと思って
そんなこともあって夫にも悶々とした気持ちを訴えたら
じゃあ主人の家というのは
実家の家というのは兄が税理士で
本人は行政書士やってて
そこで社会保険労務士の資格があったら助かるかなみたいな
そういうオファーがあり
なるほどめっちゃいいですね
じゃあ何か全然分野もちゃうし分からへんかったんやけど
じゃあ勉強するって言って取り寄せてみたら
なんか全然分野ちゃうじゃないですか
そんな労働問題とかそんな全然分からへんし
まず社会に出たことがない人ですよね
言ったらごなんて特殊な世界だからね
FIWAの活動とお金について
全然分からない
社会保険も分からないし何も分からない
それで勉強しか他にすることがなかったから
やって社会保険労務士になり
即戦力ですね家族経営じゃないけど
一つそういうのがあれば
そこでワンストップで結構いろんなことができるなんていうのがあって
重宝されるだろうと思ったし自営業の妻ですから
それはありかなって長いこと考えるとね
そんなふうに思ったんですけど
実際ちょうどね昭和60年に開業したんですけど
ちょうどその時年金国会やってて
それまでは厚生年金国民年金教祭とか
全部バラバラの縦割りの制度だったんですよね
横には通算制度っていうのがあるぐらいで
それを大幅にガラッと変えて
国民年金を年金など年金にして基礎年金にして
2階建てにするよっていう制度改革があった年なんですよ
昭和60年ぐらいの話なんです
そうなんです
61年の4月から実際施行されたんですね
だからちょうど自分が勉強したのは
昭和59年の試験でしたから
古い法律を学んで洒落死になって
いきなり法律全部変わっちゃって
いろんなことがドラスティックに変わった年なんですけど
その年っていうのは61年っていうのは
基準法もそれまで48時間労働が40時間にしていこう
みたいなことに変わったり
本当に変わったんです
いろんなことが
男女雇用機会均等法が批准されて
まだ女子はあまり外で働いてない時代だったんですけど
そんな時で
61年特に私は年金が
親の年金と自分の年金というのをすごく考え出してて
自営業ですから
上野生の高生年金がないわけですよね
そんなことを考えていると
親は大正15年生まれだったんですよ
親はね
ちょうど基礎年金始まるでっていう先頭の人だから
一番全部振替加算にしても
経過的加付加算にしても
一番最高をもらう人で
そういう母の年金と自分を比べた時に
母は25年で万額支給
私は40年かけて万額支給
これですごく減ってるの分かりますよね
そんなことを思いながら
上野生の必要性と家族による関連話
これは自分の年金自分で作らなあかん
その時に思ったんですよ
法律を見たらすごく分かるし
これから
そういうことか
作らなあかんっていうのはためなあかんみたいな
自分で作っていかないといけないって思ったんです
自分自身の問題として
それから人口ピラミッドとか
そういうのも全部
もちろん社会保険法も勉強しながら分かってたし
これは
なるほど
そこからもうずっと意識づけされて
自分の上野生を作るのが
自分とこれからの仕事だな
一つのライフワークとしてもやっていかないといけないことだな
っていうのをインプットしながらしたんですが
子育てしながらがまずその後に来て
子育て二人でしたっけ
子供一人なんですよ
女の子一人なんですけど
彼女61年に生まれてて
そうなんで
それでもう全然やることがそっちに向いちゃうし
もちろん仕事やりながらでしたけれども
夫と本当にそこは毎こと事業同士なので
職案に子供手の平を引きながら
連れて行ったこともあるし
そんなこともしながら
社会保険法修行やってたんですね
でも上野生のところまでは頭いかずしてたんですけど
株に関するエピソード
ちょっとあれですね
本当にすごく思ったのは
私がもともと20歳になった時に
祖母が私に
1000株
大阪の大阪ガスですね
大阪ガスの株式くれたんですよ
お祝いって言って
それなんで
おばあちゃんが
お祝いって今教えない
お祝いにくれたんです
株好きだったってことなんですかね
株っていうかね
そのおばあちゃんね
年金の話でいくと
本当は明治時代も生まれによっては
福祉年金をもらえる世代と
それに外れてしまってる世代があるんですけど
ちょうど外れた時にいたのが祖母だったんですね
だから福祉年金も受け取れない人だったんですよ
年金制度から外れちゃってる人です
なるほど
だけどね
たまたまおじいちゃん
亡くなってるおじいちゃんっていうのが
北浜に著名でずっと仕事してた人なので
北浜で
だから証券と絡んでた人で
だからそういう証券のことは
主婦しながらも多分学んでたのか知らないけど
ずっと大阪のよく分かる株式を育てた人なんですよ
だけどそんなは株みたいな
本当にどうなんこれっていうぐらいの
そんな大きな単位株がバッと持ってるわけではなくて
本当にちょろちょろなんだけど
それが分割分割になっていって
高度成長
高度の成長があってね
そうなんで
祖母がくれたのは
二十歳の誕生日にくれたのが
大阪バスの1000株の
なんかあの時って1000株単位ですもんね
そうなんです
でその時に私はこんなんもらったって
元気の方がいいわぐらい本音やから
でこれ父に
これ株式ってこれどうしたらいいのって言ってたら
祖母もね
私が何か欲しいと
何かどうしても欲しいなと思った時に
これがあるのを思い出してくれたら
なんとかなるんちゃうっていうような言い方してくれて
で多分その時は150円ぐらいだったので
15万ぐらいだったと思うんですよ
金銭にしてみたら
そういうことがあって
で実際に忘れてたんですけども
娘がちょうど3歳の
クリスマスぐらいの時に
ちょうどヤマハの音楽教室に連れて行き出してて
祖母からの教えと株式投資
でピアノをちょうど買ってもいいよねっていう話になってた時に
金ないわって
であそやそやそんなのあったねって言うんで
それを父にこれ監禁したらいいって相談もしたら
じゃあまあ今やったら監禁したらええやんみたいな
そしたらそれが93万になったんですよ
それ覚えてるんですねやっぱり
それが平成元年の12月だったんですよ
一番いい時ですよね
ビギナーズラックってこのこと言うんやなと思ったんやけど
でもその時に祖母が本当に
祖母が生きてきたのは多分年金もないから
株式を上手にねやりくりしながらね
ハイトーもジャムも全部つけてるってノートがくれたんですけど
それでやりくりしながら機嫌よくね
かんぽの宿に行ってゆっくりしてきたり
みんなで民謡踊ったりと機嫌よくしてた人なんです
祖母が明治生まれですよ
だからね私後でずっとツラツラ考えると
あの時の株式って本当によくわかる株式で
私もそれを目指してほしい
それをね本当に大事にしてたら
いざという時に私になるよって言ってくれた
それがまさに娘のピアノに変わったんですよね
おばあちゃんも喜んでますね
おばあちゃんのピアノっていつも娘に言ってるんですけど
そういうピアノが家に結局ずっとあるんです
これって当時は株権でもらったんですか
株権ですね株権じゃない株権じゃない
どういう風にもらうの
名義でもらったな
株権は実際にもらってない
権利証明なんかそういう鉱山のなんか
権利を移したんじゃないかな
これどうしたのかな
私はよくわかんないけどちゃんと株式自分のありましたね
それはだから株権を見たわけではない
実物を見てるわけではない
ファイナンシャルプランナーとしての奮闘
裏面に名前が書いてるっていうのは見てない
後々そういうのを見ることもあるんですけどね
でもその時はそんななくて
父親がたぶんずっとサラリーマンでしたけれども
サラリーマンがやっぱりちょっとお金を持とうと思ったら
株式を運用しないといけないっていうのも
口癖の父親だったから
父親自身がね
だからたぶん父親との間で
お前ことちゃんとやってくれてて
それをバイバイしてくれたんやと思うんです
だからそれぐらい何もわからない人間でした
株とか原画等
なるほどね
それぐらいの距離感っていう感じで
証券会社とかそんなんも全然行ったこともないし
むしろその年金の方が気になる気になるって言って
結構その行政省社会の提防をされてたんですよね
そうですそうです
そんな人だったんだけど
株式って人幸せにできるとか
それはすごく思ったから
ちょっとそういう悪い印象なかったんですよね
なるほどなるほど
それがまず底辺にあります
そっからファイナンシャルプランナーに
93年です
もうだから30年か
30年ですね
AFPになったのも93年だったんで
そっから97年にCFP取って
していって
その中で
いつでも言ってるんですけど
旧郵政省がやってたクラスの相談センター
っていうところ
これね本当に
すごい場所だったんです
そこは
元々郵政の人と
話し合って
これをやりましょう
CFPが担当するよっていう話し合いをつけてくれたのが
野田誠さんっていう方で
生活設計塾クルーの
元々の創始者の方なんですけど
彼がやってくれてて
彼は絶対に顧客本位じゃないといけない
っていうことで
相当長い間接触して
話しつけてくれてたから
だからCFPの担当する各都道府県の
そこで担当する
人たちに対しても
絶対に顧客に寄り添う
顧客本位じゃないとダメよと
だからもし郵政の商品が
本当に売りつけられてるような
状況でその人にとって
良くないあれだったらきちっと
それは説明してあげないといけない
と
解約するかどうかはその人の
任せるにしてもきちっと
それは説明してください
っていうことで
そこから私7年ぐらい
相談員をずっと
奈良と京都ですることになるんですけれども
その間にも全国的には
やっぱり特定局の
郵便局長が
郵政省に向かって怒っていったりね
どうして
自分たちの客の
売り取ったものを解約させるんだ
みたいな
だからそういう日本全国で
きっちりこの顧客に寄り添ってやろう
っていうCFPを
勉強もさせてくれたしね
そうじゃないと
FPとしたらダメだよって
当時は今あんま逆に
FP協会そういう活動聞かないけど
当時は割合協会とか
協会はそこは
タッチしなかったんですよ最初から
だって事業側の
金融機関が入ってきてた時だし
それで大きくしようっていう
こともしてた時期だから
2位の郵政と
2位の人たちの
取り組みみたいな感じ
だから生活設計塾を
立ち上げられた野田誠さんとか
その辺の方々が
顧客本位なファイナンシャルプランニング
本当に
顧客本位じゃないと
ファイナンシャルプランナーの進化と
言われてる時だから頑張らないといけない
すごくそれはもう素晴らしいこと
してくださってて慈悲があったんですよ
また郵政もよくやりましたね
そうそこは
覚悟を持ってしてくださったから
徐々にやっぱり
その時代すごい
90年代後半からは
保険会社がバタバタと
潰れたり
した時期ですしね
それから証券会社もしっかりですし
金融機関が合併
とかいうことでひっついたり
あるいは99年2000年ぐらいから
投資の窓版が始まったり
売り付けとかあるじゃないですか
打ち合わせで
投資とそんなことがあって
その時ずっと私は
相談員でいてたから
もうひどい
バブルの後の整理みたいな
ひどいことを
全部そこへ
集まってくるようなところで
その相談員っていうのは
郵政の窓口ってことですか?
郵便局ではなくて
別にクラスの相談センター
一応独立してるんですけど
それがほとんど
どこにあるかっていうと
特定局の2階であったり
ちょっとそういうところを
社会の情報不足と顧客の知識
借りてたり
あるいは公共的なところを
ずっと借りれるところを借りてたり
それを郵政がやってたってことですか?
郵政の郵便貯金
振興会がやってたの
へー
だから郵便貯金なんかの
儲かった分を
預けてくださった方に
還元するみたいなので
メルパルクとかああいうところも
運営してるところ
そういう団体が
そういうこともしようと
お客様に還元しよう
だからCFPは
お金にまつわるヨロズ相談
をやってたし
あとは弁護士さんの法律相談もあったし
あと税理士さんの税務でしょ
年金相談社会保険労務士
あと介護の
介護相談もあったんですよ
これから始まるぞと2000年から
介護保険始まるぞっていうのを見込んで
保険
保険婦さんや保険士さんかな
それを主導で
郵政が取り付きって
暮らしの相談センターとかを
ボンボンボンボンって
全国100ヵ所ぐらいはあったと思う
100ヵ所ぐらいあったと思う
結構先進的でしたね
すっごい先進的
だから今国がね金融庁がね
やらせるのあるけどね
できるやんって言いたいねんか
国がちゃんと保護仕入れて
やる気があれば
本当にね
できるよって思うんだけど
今状態はな
今それこそないじゃないですか
クラスの相談
もう公社化するって決まったでしょ
郵政が
公社化して法人化するって決まったから
2005年ぐらい
もう全部そうなっていったから
それまでに全部閉じるところは
閉じていって
ってなったから今でも
残骸は残ってるかもしれないけど
もうそれは全然
全く違う
ものになってるはず
それ一つ聞きたいことあります
いいですか
なんかその印象的な
お客さんみたいな人がいらっしゃるなら
一つお伺いしたいなと思うんですけど
印象的というか
もう本当に
一番やっぱり多かったのが
保険の見直しだったんですね
90年代っていうのは
そしたら教営生命っていうのがあって
それはもう
今もないんですけども
ほとんど公務員
特に教育公務員の人たち
学校の先生方のところで
結構広がってた
保険会社なんですよ
そしたら学校の先生方の中には
本当に
なんていうのかな
もう退職金を
一部分これに
入れたらいいって
一時払いで入れたら
ちょっと待ってもらったら
その後3年後からあるいは2年後から
ずっと収支年金があるとか
そういう話をされて
したんだけど
それがもう1ヶ月もしないうちに
教営生命
具合悪いみたいな話になって
どうなるんですか
どうなるんですか
泣きつくようなそういう方がおられて
そういうのは
打ってはいけないだろうとか思うし
もっとどうして
情報をしっかり入れないの
みたいにネットないですもんね
そうは言っても
新聞とかを見れば
分かる話だし
ソルベンシーマンジンとか
そういうふうに使って分かるし
ここここはちょっと次は
低いよみたいなところも
分かってるじゃないですか
だから一時払いすると他のところ
先に潰れていく
というかね
破綻したところがどういう意味になってるかも
分かってるだろうし
全く知識がないんですかって
言いたいぐらい
業者任せの
知識がないのは
顧客の方
相談者の方
相談者も知識を
持たなくちゃいけないって思われた
すごく思った
あくまで何も信じてるとか言っても
こんな世の中騒いでるのに
それを知らないっていうのは
すごくそれはおかしいし
おかしいじゃないですか
やっぱりこんだけ世の中が騒がれてるのに
それ全く知らないで
恐々と仕事指摘張ったとしたら
それもおかしいでとか思うし
もうちょっとなんか
世の中どうなってるかとか
今どういうことが
多分親の世界でもそういうことが多分起こってて
子どもに影響あるところもあるだろうし
もうちょっと社会のことを知らないといけないんじゃないって
思ったこともあったし
そういう人が多かったってことですか
そういう人が多かったってことですか
退職金に関する相談事例
たまたま多かったんじゃなくて
たまたまそのインパクトがあったね
さっきそういう
どうしてどうしてとか
思ってしまうし
でも契約しちゃってるしお金も振り込んじゃってるってなったら
それは本当に後だから
どういうような処分になるかっていうか
どこが助けに
海外のところが来て
予定履歴をうんとされて
そのまま引き継ぐっていうようなことが
行われてたんだけど
どうなるかっていうのをしっかりと確認されて
それでもよかったら
ずっとね
年金を受け取ることは受け取れるから
って話はしながらも
なんかすごくずしい
それは来てね
仕事してある人の
倫理観っていうか
それもあるし
相談者側ですね
相談者側の知識を持たなきゃいけない
あまり知識がなさっていうか
もうちょっと
しかも学校の先生とはもうちょっと
というようなことも思ったりしたのが
すごくインパクトがありましたね
でもよく似た
よく似た方はたくさんおられた
やっぱりね退職金をね
ドサッとやっぱり
定期預金は今低いから
抱き合わせで
等身等どうですかみたいなのにボンと入れたとかね
そういう人もいらっしゃったしね
結局それって1990年代の話
って今言ってくださったじゃないですか
90年から2000年ちょいにかけてずっとね
それまだ今もじゃないですか
全然1ミリも進んでないなっていう
ちょっと
だから情報もね
なんかすごく溢れてるようで
本当に必要っていうか
あかんでっていうね
またどう言ったらいいのか
情報が届いてないところもあって
それこそ私たち小学校行くとき
小学校とかも行くけど
学校の先生は
そのさっき言ったみたいに
今みたいに今も大して状況は変わってないな
っていうのはすごく
思いましたやっぱりちょっと
なんていうかな
世の中で何が起こってるかっていうことよりも
学校教育にすごく興味がある先生が
多いのかもしれないなっていうのは
今もバーバラさんがおっしゃったのは
すごく似てるなって思います
だから今もバーバラさんは
そういう人を
相談者とか
その相談者も知識を持つべきだと思って
今も相談に
当たられてるってことですよね
そうですそうです
だから結局
後輩になるのかも分からないけども
最終的に私が
いい投資
私は投資資格の積み立てっていうのは
金融業界における学び
すごくいいなっていうのは
沢上投資員が
98年か99年から始まったときに
この人うさんくさいやん
って最初思ったわけですよ
はいはいはい
金融の人信用できへんもん
理想を言ってますもん
会長のことですか今の
会長さんの話
絶対おかしいと思って
どうしてピクテとかそういうところやめて
そういうサラリーマンの
作っていくんだ
おかしいんちゃうかって
なんかどっか裏あるんちゃうか
そんなことしか見れなかったんですよ
すごくそういうところにいたから
それでいろんなところ
いろんな情報紙とかも見たし
マネー紙も見たりしながらも
ちょうどあの
和服っていう勉強会
女性FPの会ってもともと言ってたんですけど
それと関西でね
事務局してたのでずっと
だからその事務局しながらも
皆さんこの方いっぺん
来てもらえるかどうか
勉強会に
で教会っていうか直接ね
勉強会
沢上さんに勉強会に来てもらえるか
で電話したらいいよーって
手弁当に行くよーって
簡単に言われてそこから手弁当で
来てもらえることになって
ずっとそうですね
本当に結構年に3回は
手弁当で来てくれて
ずっとそのなんていうのかな
自分のファンドのことは
もちろん素晴らしいと思ってらっしゃるけども
でもそれ以外の
もっとこういうところを勉強しなさい
こういうことを勉強しなさいって
すごく勉強させてくださったんですよ
例えばどういう勉強なんですか
まず福利ってすごいよーって
実際叩いてみようって
ところから始まったり
それから当心には
歴史があるんだよもともとはね
っていう話からずっと
イギリスの話からずっとしてくださったり
それから自分が
業界におられて
どういうアメリカ方の
考え方と
そのどういうのかな
貴族とかそういう
人たちのお金を
保全してきた
今は一緒かもしれないけど
そういうような
もともとの考え方であるとか
自分の老いたちから
自分が実際に
金融業界に
行った時の話であるとか
いろんなこと本当に
教えていただきましたね
その中で
自分をコツコツコツコツ
詰め立てをすることによって
資産形成ができるなっていうのを
実感して
ITバブル後のファイナンシャルプランナーの受け止め方
しました
ITバブルが弾けた後
バリア落ちた
重厚長大な株式の
あれがバッと上がりだして
はーすごいなーって
あ、そうかって初めて
今までファイナンシャルプランナーって
それからもう10年くらいファイナンシャルプランナーやってたから
偉そうに言うてたな
マジゴテた
本当に企業ってこういうことやねんな
違うわってすごく
目から鱗で思って
で、私本当に
相川美藤氏の
大阪の販売会社
販売店じゃないけど
大阪の支店でも何かさせてくれ
みたいなことは言ったりもしたんだけど
そんだけやる気あるなら
自分で大阪でやるよみたいな
周りで手伝うよ手伝うよ
手伝うような話になって
そんなことできるわけないじゃないですか
だいたいお金もあれへんし
いや5000万あればできるんだよ
って言うんですよ
5000万積めばいいんだよ
5000万って
いっぱいの家庭の人らに
話しとっちゃいますよみたいな話で
ずっと言ってたんだけど
パパラさんすみません
そろそろですね
後半、ご自身でやる話
石鎮さんが相川美さんに会ってから
ご自身でやる話は
後半に
そうです
だいたい今
時間もいいところになったんで
よう喋りましたね
よう楽すこと
一旦ですね前編は
これにしてまた後編で
来週ですねお話
聞かせてもらいたいなと思います
じゃあ南氏の方に締めていただきます
はい
熱いお話ありがとうございました
ということで
パパママ
パーソナリティは
さんコンサルタントの小屋と
セファリンと
南氏の3人でお届けしました
ではまた来週
また来週
石鎮さんもありがとうございました
ありがとうございました