自己表現の難しさ
あ、おはようございます、Moです。
こんにちは、こんばんは、皆さんお元気ですか?
私はおかげさまで元気です。
一応ね、なんとなくライブで流してますが、
結局この録音を収録したものをダウンロードして、
えっと、ポッドキャストのスポティファイの方に上げるので、
えっと、一人で勝手に喋ってますが、
中にもしね、入ってきてくださった方がいたら、
お話しし始めようかなと思っています。
えっとね、今日はね、面白い話があったので、
面白いというか、なんか皆さんにも聞いてみたいなとか思った話があって、
あの、これはね、
人に言いたいことを言うかどうかっていう話なんですけど、
皆さんどうですかね、私ね、
結構、言いたいことは言えるんですけど、
やっぱりこう、その時に、
言うべきか言わないべきかとかいうことは考えるじゃないですか。
それはまあ、小さい時からとか言いたいことだけ言ってきて、
いろんな問題を起こしたりとか、
多分ね、問題になっちゃったんだろうなとか言ってみて、
後悔したりとか、今でもいっぱいそういうことが、
後悔することはいっぱいあるんですけど、
まあもう大人なので、こういうことは言っていいのか、
言わないのがいいのかとかって考えながらするわけですけど、
家族とか近しい間柄だと、
でもちょっと待ってね、
何も考えずに何かを言うなんていうのはやっぱり、
家族ぐらい近しい間柄だと、
あとがね、やっぱり一言とかで、
人の関係って修復できなくなるようなこともあるから、
だからすごくやっぱりその辺は気をつけているような気がしてるんですけど、
今までもね。
皆さん、逆にね、やっぱり日本の方とか言っちゃうとあれなんだけど、
気にしすぎっていう感じのこともありますよね。
それで、そういうのはずっと毎日のことなので、
考えているわけなんですけど、
この前ね、
どの回だったかな、
深井さんが、
アメリカンスクールでの教育
ちょっと待って、
どこで言ってらっしゃったのかな、
自分で口で話すことが、
日本人はね、文化的なのか何か、
足りない、足りない、不足しているとか、
そういうようなこと、
なんだったっけな、ちょっとね、
どれで言ってたのか忘れちゃったんだけど、
おっしゃってて、
ああそうか、だから空気読むんだとかさ、
そういうことってあるんだなって言って、
すごい勉強になったんですけど、
そうなんですよ、言語化がちょっと苦手とか、
そういうふうに言ってたのかな、
言語化するような訓練がされていないような感じのことを、
ちょっと言葉違うかもしれないけど、
言ってたんです。
それで、ああそうなんだよねって思って、
うちの子、例えば近いところで言うと、
うちの子とかは結構アメリカンスクールとかに通っていて、
脳みそと中身半分アメリカ人なんじゃないかと、
私は思ってるんですけど、
教育がそうだから、
ちょっと今ね、車運転しながらなので、
ちょっとうるさいかもしれないんですけど、
ちょっとうるさすぎたらね、配信やめますが、
それでね、やっぱりね、大人になる、
大人じゃない、うちの娘が今高校卒業したり、
なんかね、言いたいことを言語化する能力が、
やっぱりちょっと違うなって、
わかってきたんですよね、最近。
で、それって何でなんだろうと思って、
やっぱり訓練されてるからだな、
本当に幼稚園ぐらいの時から、
プレゼンテーションみたいなのを、
全員させられちゃったりするんだよね。
私、一番すごいいいなと思って、
それがいいなって、
私は日本の教育を受けてきたから、
こういうのあったらいいなって思ったことが、
すごい印象的だったのが、
なんていうのかな、
それも忘れちゃったけど、
舞台に全員立たされて、
舞台に登るわけですよ。
誰か代表が言うっていうのも、
それはいろんなオケーションであるわけですけど、
なんか日本だとさ、
やっぱりそういう得意っぽい人がやることが多くて、
全員が一人ずつが、
自分の意見を述べるなんていう機会がない、
ほとんどないんじゃないのかな、どうなんだろう。
自分はそうだったんですけど、
でも、うちの子たちは、
苦手だろうがなんだろうが、
舞台の上に立って、
その時の自分の何かを発表するっていうのを、
ちょっとなんですけどね、全員分だから。
だけどそれをお母さんたち全員が見るっていうのを、
5歳ぐらいからかな、やったんですよね。
あれ、教室ぐらいだったらみんな、
たぶんどんな日本でもあると思うんだけど、
私はね、結構舞台の上で300人強の人たちにいられて、
やるっていうのはね、すごい。
いや、これはね、結構いいなぁみたいな。
しかも、湧き役とかじゃないんですよ。
全員が同じポジショニングでやるっていうのがあって、
それすごく印象的だったんですね。
それが10何年前に、もう20年近い前か前に、
15年ぐらい前かなんですけど、
それからやっぱりね、
そういう発表の機会みたいのがめちゃくちゃたくさんあるんです。
遅刻の考え方
自分の言葉で喋る、自分のポエムを読むとか、
自分の、それもポエムを書きなさいって言われてるわけじゃない場合とかもあって、
自分はストーリーにします、長めのストーリーにします、
ポエムにしますとか、
決まった形じゃなくて、自分のやりたいようにやりなさい、
みたいな感じで言われてるっぽいことを、
発表の機会があって発表するっていうのがあって、
そういうのが頻繁にあるわけなんですけど、
やっぱりそのプレゼンテーション能力みたいのが
つくような教育をされてるなと思うんですよね。
その時にやっぱり言語化っていうのを、
もちろんするわけですけど、
こうしなさい、愛しなさいじゃなくて、
あなたはどう思ってるからこう書きなさい、
みたいな指導をされているわけなんですよ。
日本とかって、わからないんですけど、
いろんな学校が最近あるから、
やっぱりその対話をしながら、
対話って出てきちゃうな、言葉。
やっぱりその時間が少ないよなと思うんですよね。
空気読みよっか、学校でもね。
先生たちと生徒さんの間でも、
やっぱりそれって時間もないしさ、
やっぱり時間かかるじゃない、一対一って。
だからそういうことで、
そこを重視されてこなかったのかな、
みたいな深井さんの言葉を聞いて思ったんですよね。
だってそれでも近くにいて、
同じ人種で、
身を見まねでわかるよね、みたいな。
お父さんとお母さんがやってることを見てれば、
おじいちゃんとおばあちゃんがやってることを見てれば、
わかるよね、やることは。
こういう時にどういう振る舞いをしなきゃいけないかとか、
わかるよね、みたいな感じだから、
言葉なし、みたいな。
それで生きていけちゃう、
そういうことがあったりするのかなとかって、
結構考えてたんですよね。
それでも私は例えばなんだけど、
例えば友達が遅刻をしてくる、
違うんですよ、逆。
私が遅刻をするんですけど、
遅刻をする理由は、
なんとなく甘えてるからですよね、相手に。
こんな私も認めて、みたいな感じなんですよね。
言語化すると。
あとは、
このすごい仲のいい友達と会う時に、
めちゃくちゃ頑張ってその時間を目指してる自分とかが、
すごい窮屈すぎて嫌なので、
なんとかちゃんと何時に会うっていうのは、
なんとなくそこに行きたいのは当たり前なんだけど、
そんなに焦ってその時間に向かって頑張るみたいなのがしたくない、
っていう理由なんですけど、
その理由が、
なんかおかしいなって思う人もいると思うんです。
私は逆でやられても、
そうやって私と会うために、
すっごい一生懸命来てもらうのっていうのが、
すごいなんか窮屈なので、
お互い様がいいなと思ってるんですね。
あらららららら、救急車が来ちゃいました。
これちょっとさっき、
今これは救急車、
あー、うるさい。
うるさい。
でもしょうがないですね。
このぐらいしないと車運転してて、
今、横を通ってきました。
なんか事故があったのかな。
さっき行きも、今子供をね、
学校に送ってたんですけど、
今家に帰ろうとしてるんですけど、
今行きもね、事故があって、
今日事故多いんだな、きっと。
そういう日なんでしょうかね。
困りましたね。
話ね、ちょっとずれるんですけどね、
このシンガポールってね、
この私たちが今通っている道がね、
マレーシアのクアラルンプールから、
直接イミグレーションを通って来る道なんですよ。
だからね、マレーシアから通勤でね、
いらっしゃるバイクの方がいっぱいいるの。
ハエみたいにブンブンブンブン来るわけ。
日本だと多分ハイウェイって、
左側一番左車線しか通っちゃいけないと思うんだけど、
こっちはね、どこを通ってもいいのね。
うわ、またこれもまたすごい。
渋滞なのにね、車の間をね、
駆ぐって、飼い駆ぐってね、
走ってくるんでね、
気をつけないといけないんですよ、これ。
ちょっと気をつけないと。
J、Jですよ、あのね、Jから始まるの。
あのナンバーがね。
今、車線を、
ああ、この今、
そうそうそう、
これ車線を変更しようとしてるのに、
私の横をめちゃくちゃたくさんバイクが、
ちょっと気をつけて。
どうしたんだろう、事故ですね。
ちょっとアンビュランス来てるってことは、
誰か具合悪くなっちゃったのかな、なんだろう。
ああ、バイクだ、やっぱり。
ねえ、さっきも行きもね、
ちょっとバイクが壊れてたりして、
いたのでね、困ります。
だからね、こんなぶんぶん行っちゃいけないんですよ、
本当に気をつけてって、
いつも思うんですけど。
あ、大丈夫でした。
それで、えっと何、どこまで行ったんだっけ。
どこまで、え、ごめん。
えっと、困りました。
何を話してたのか忘れてしまいました。
後で聞き直して、
何言ってたか忘れちゃったなってなるんですが、
えっと、考えよう。
あ、そうだ、遅刻の話をしてたんですね。
えっと、遅刻の話です。
そうでね、私はそういうことで、
お互いにリラックスして、
10分前に来なきゃとかって思わないで、
だいたいそのくらいで、
だから早めに私が着いちゃっても、
だいたい来ればいいなと思うんですよ。
じゃあ、どのぐらいまで遅刻してもいいよって思うかなんですけど、
まあ、本当に会いたければさ、来るじゃん。
本当に会いたいって思ってても、
何ていうの、なんかこう事故みたいな途中であって、
遅くなっちゃったわ、でも全然構わないわけなんですよね。
あ、またここにも、ここでも今ぶつかってる。
あ、困っちゃうわね。
あ、もう一台あった。
それでね、ちょっと気をつけてって感じですよね、私。
これ、今聞いてくださってる方。
そんな遅刻の話よりも、
毛さん、ちゃんと運転してくださいって思ってる。
いやー、すごい。
あららららららら。怪我しちゃった。
うわ、すごいぶつかってる。
遅刻と友達とのコミュニケーション
困りました、2台も。
今日すごい、3個。
ここにもいる4個。
あらららららら。
バイクの人が怪我してました。
これ、すいませんね、なんか急に。
本当、気をつけてくださいって思うよね。
毛さんがこれで事故したら笑っちゃいますよね。
こういう時は気持ちを引き締めて参りたいと思うんですが。
とりあえず、だいたい今すべて終わったので、
ちょっとまだ話しますけど。
遅刻をするかどうかなんですけど。
でね、そしたらね、この前ね、
結構ずっと仲のいい友達なんですけど、
私ね、時間通りに多分あまり行ったことなかった気がしてたんだけど、
この前ね、
毛さんね、ちょっと本当に何時って言ったら、
その時間に来てって言って。
私はちょっと10分前に来るんだからとか言って。
怒られたんですよ。
でね、あ、怒られた、ごめん。
私はこういう理由なので、
今までもね、そんなぴったり来たことなかった気がするんだけど、
テニスプレーにおける人間関係
早く寄ってくれればよかったのにーって言ったんですよ。
それで、一回その日は終わったんですけど。
で、この前ね、また彼女と会うことになったので、
時間通りに行ったんですよ、それは。
だって嫌だって言われたからね。
別にそれはそれで私は彼女と会いたいからそれでいいんだけど、
すごく喜んでくれてね。
えー、なんか嬉しい。
言った通りにしてくれて嬉しいって。
いや、当たり前でしょって。
だって言ってくれたから。
で、そこからね、
そういったことを言い合える中っていいよね、みたいな話になって。
いやそうっしょ、嫌だったら嫌だって。
言ってくれないと困る、みたいなことを言ってね。
私だってこれで遅刻する人って決めつけられてさ、嫌われちゃうの嫌だし。
でもさ、っていう話になって、
どういう人になら言うかとか、
どういう人じゃないと言わないか、みたいな話になってね。
で、いろいろ考えたんですけど、
私だったら、
例えば、
これは直接的にお互いが嫌な気持ちになるから言ったらいいんだけど、
例えば、これね、いつもはテニスとかの話になっちゃうんだけど、
ボールをね、
自分の近くに来ても、
拾ってあげない人がいるんですって。
そこももうおかしいなって思うんだけど、
でもさ、
それをパートナーのために拾ってあげなよっていうのは、
当たり前じゃん?とか思うんですけど、
でも、例えば拾わない人が、
なんとなく威圧感のある人だったりしたら、
私知らない人なんですけど、
ボール拾わない人知り合いにいないんだけど、
例えば、自分の近くに来たボールは、
拾うよね、みたいな話じゃないですか。
普通ね、普通って言ったら一般的にはね。
でもこれも何人かっていうことにもよるんですけど、
ちょっとこれ例え話なんでね、一応挙げさせてもらうんだけど、
そろそろ悪気があって、
取らないわけじゃないのかもしれないんですよね。
文化的にそういうのを普通と思わない?
取ることを普通と思わない人って、
そんな人いるのかなって思うんだけど。
で、その私の友達は、
それを取ってあげなよって言ったと。
いや、私も言うよそれは。
自分の近くにあるなら、
なんであなた取らないんですかって言いますよね。
例えば全然見知らぬ人で、
たまたま今日だけテニスをする人だったら、
私はそういう人なんだって思って言わないかもっていう話をして。
でも自分のチームメイトだったりとか、
あとあまりにもひどかったらね、
そうだな、1回だったら言わないけど、
チームメイトだったりとかしたら、
あと毎週テニスをやるような人だったら、
なんか言うかなとかいう話をして。
で、チームメイトでも言えないっていう人もいるらしいんですよね。
でもそれはさ、どういう感じなんだろう。
チームメイトで本当に、
ああいう人ってしょうがないよねっていうことだよね。
諦めるとそうなるんだけど。
でも言えないという人もいる。
でも私は言うほうだなっていう話になって。
彼女も言うと言ったんですよ。
でも私も言うのめんどくさいから、
やっぱりチームの一員だから言うと思うっていう話だったんですけど、
彼女の場合は別にその時に自分が、
え?って思うから言っただけで、
その後どうなってるかわからないっていうんですよ。
だからね、
やっぱりみんなその言う、伝えるっていうことについても、
意味がみんな違ったりするんだなとかって勉強になったんですけど、
でもやっぱり言いたいことが言えないというか、
その相手にご縁のあった人が、
この後はこのままで大丈夫かなと思う。
これは私があなたならそういうことしないよみたいなことを言っちゃうと思うんですよ。
大切な人なら。チームメイトとかさ。
だけど言わないっていうことは、
自分も言われたくないのかなって逆に思っちゃったり。
私は言ってもらいたいですよね。
本当に自分のこと、私のことを大切に思ってくれるなら、
おかしなことしてて、
あなたみたいなことやってると、
円切りますよぐらいの勢いで言ってもらった方がいいんですよ。
だからそういうことって、
陰口の危険性
ちょっと話まとまらないけど、
あるよなぁみたいな。
気になるのはね、
言いたいことを言わないで、
言うほどの仲じゃないっていうこともあると思うんですよね。
だからさっき言ったように。
でも言いたいことも言わないから、
しかし、友達とかできないんじゃないかと思ってるのね。
言いたいこと言わないと。
でも、
言いたいことを言える人がやっぱり友達なんじゃないとかさ。
やっぱりそこで会話ができるのが友達なんじゃないの?って思うんだけど。
だからさ、私何回も言ってるけど、
私はこの人たち友達と思ってるけど、
相手に私のこと友達って思ってるって聞いたことはないわけですよ。
だから、私って友達いないなって思うのね。
でも、困った時にちょっと聞いてよっていう風な
人はいると。
皆さんどうですかねっていう話なんですけど。
そう、そういうことです。
だから、遅刻をしてきて、
えーって思って、その人とご縁があって、
これからも付き合いたいのであれば、
遅刻する人は嫌いなんで、でも、
お願いだから遅刻しないで、みたいな言い方にもよるんですけどね。
対してその人のことが大切でなくて、もう二度と会わなくていいやって思うんだったら、
言わなきゃいいし。
一番良くないのは、それを後で陰で言うこと。
相手のことを大切だと思わないんだから、陰で言っても当たりもないってことか。
でも、やっぱりそういう陰で言うような人を聞くと、
あの人とは言いたいことは陰でしか言わないのかって思って、
ちょっと距離を置きますよね。
逆にね。
そう、どうでしょうかね。
これちょっと配信するのかな、後で聞いてみて、できたら配信しようと思いますけど。
車を運転しながらこんな感じで。
ちょっと事故があってびっくりですし、
今ね、なんかまだ混んでるんですよね。
帰り道は通勤の時間なので、
こっちは混んでるのしょうがないんですが。
はい、ということで、
そう、自然に陰口を叩いている人がいるんですけど、
自分のことを言われてなくても、
人の陰口を言っているということを見てしまうと、
そういう人とは関わりたくないと思ってしまいます。
はい、ということで、そんな感じで。
そういう感じで、え、違う、だからそう、事故、そう、そうですね。
そんな別に陰口を言うようなぐらいの、
ご縁の人のことをわざわざ言わないほうがいいんじゃないかと思ったりするということですね。
ご縁のあって仲良くしたい人とは仲良くしましょう。
言いたいことを言いましょう。工夫をしてね。
はい、という感じです。
じゃあ、今日も一年、これは真剣に、今更なんですが、真剣に運転したいと思いますので、このぐらいにします。
またねー。
あ、良い感じの一日をお過ごしください。
バイバイ。