鹿児島旅行の楽しさ
みなさんこんにちは、みゆんです。
鹿児島の旅行から帰ってきました。
今日は、鹿児島の旅行でも私の中でメインだった、
知覧の特攻平和記念会館のお話をさせていただきたいと思っております。
前段は、鹿児島の旅行の楽しかったこと。
私がどうして鹿児島に行きたいかって思ったのは、
知覧の特攻平和記念会館と鹿野屋に行きたかったのがあって。
そしてうちは、父方のおじいちゃんは鹿児島出身なんですよね。
日置市っていうところでした。
お墓に印字がされていて、
もうね、全然親戚とかもいてないんですけど。
そしてね、なんと、私が大好きな元阪神の横田慎太郎さん。
あの、農書屋で亡くなられた。
横田慎太郎さんも日置市出身なんですよね。
いやー、私誕生日6月9日で一緒だったりとか、
なんか、うん、縁があるなっていうのをすごく感じました。
鹿児島すっごいいいとこでした。
なんか初めてと思えない感じ。
桜島がいつもいろんなところからの角度から桜島が見える。
そして海が見える。
私も海大好きなんで。
もうなんか景色も最高だし、
あと人が本当にね、温かい人多かったですね。
気楽に、フレンドリーに話しかけてくださったりとか。
特によかったのは、1日目に行った焼肉屋さんだったんですけど、
もうね、おじいちゃんがめっちゃいい人で、
ちょこちょこちょこちょこ途中で話しかけてくださって、
で、鹿児島のいいところとかもいろいろ教えてくださって、
地元の人と話すのっていいなって思いました。
ご飯で、いやーこれ初めて美味しいって、食べたの初めて美味しいって思ったのは、
朝食のバイキングで知ったんですけど、
京阪、鶏飯とか書いて京阪です。
それがめちゃめちゃ美味しかった。
鶏のお茶漬けみたいにして食べる感じなんですけど、
それこそあれはささみかな。
茹でたささみと菌糸卵と、あとシソとかゴマとか、
あと煮出汁だけとか、
そういうのを自分の好みでご飯の上に乗せて乗っけて、
それを京阪用の出汁、ちょっと調べてたら鶏出汁がベースなのかな。
それをかけて食べるんです。
いやーめちゃめちゃ美味しかった。
これそれこそ鶏肉に卵にみたいな、めっちゃ筋肉飯だなって、
そんなことも感じました。
他にも鹿児島の有名なザボンラーメンだったり、
お蕎麦、私の大好きなお蕎麦、
吹き揚げやんだったり、
あとは鶏の刺身を食べてみたりとか、
そしてさつま揚げに焼酎。
美味しく鹿児島を楽しんできました。
特攻平和会館の訪問
ここからは本題で、
ちらんと平和快感でいろいろ感じた話をさせていただきたいと思います。
少し重めの配信となりますので、
戦争のこととかあまり聞きたくないなって思う方は、
ここでやめておいてくださいね。
皆さんはちらんと平和快感に行かれたことはありますか?
あとカヌヤ航空基地資料館、そちらも行ってきたんですけど、
そちらも行かれた方はいらっしゃいますか?
ちらんと平和快感は陸軍の特攻隊さん、
そしてカヌヤの方は海軍の特攻隊さんということでした。
永遠のゼロ、皆さん見たことありますかね?
あの映画で舞台になっていたのは、
カヌヤの方の海軍の方の特攻隊さんのお話だったそうです。
カヌヤの方は航空基地資料館ということもあって、
外にね、戦闘機だけじゃなくて、
たくさんの本当に飛行機、たくさんたくさんの飛行機が展示されているんです。
リアルな飛行機が。
いやー、テンション上がりましたね。写真撮りまくりでした。
この前、自衛隊の防衛モニターの方で、
南海レスキューの研修行かせていただいたんですけど、
そちらで使われていた、陸と海両方行ける飛行機。
それの昔の飛行機の展示もあったりとかして、
いやー、本当にすごかった。
あの言葉がすごいだけで失礼しました。
そして中には、やはり、
あのー、特攻隊さんの家と遺書と資料がたくさん残されていました。
いやー、写真を見ながら遺書を読んでいると、
胸がギュッとくるものがありましたね。
そして、チラン特攻平和会館の話をここからさせていただきたいと思います。
チラン特攻平和会館は、戦争の虚しさ、命の尊さ、平和の大切さ、ありがたさ、
それを込めて建てられた会館だそうです。
中には、特攻隊で戦死された方の家、遺品、遺書等がたくさん展示されていました。
もちろんこちらの写真とかは撮影不可ですし、SNSにも上げられないものでした。
特攻隊で亡くなられた方は、1036人いられたそうです。
そして、チランから特攻隊として、いかれた方は、亡くなられた方は、439人だったそうです。
平均年齢は、21.6歳。若いですよね。
一式戦闘機、ハヤテというのに、片方に250キロの爆弾、そして片方に燃料弾。
海分だけで山が見えるそうなんですけど、そこを手を振りながら、それが見えなくなった時が、
自分が死を確保する瞬間っていうのを思ったって、特攻隊として出陣して、生き残られた方が言われていたそうです。
片方に250キロの爆弾、そして片方に燃料弾。もう帰り道の燃料はないってことですもんね。
いやー、なんともですね。
その当時、陸軍の少年飛行兵の募集は、14歳から16歳だったそうです。
いやー、若い。14から16。
特攻隊員として、こちらのチランの基地に来て、そこで泊まるところが、三角兵舎と呼ばれているものがあったそうです。
枕が涙で濡れていることがあったとのことでした。
うーん、どんな思いでそこで過ごしていたのかなーって。
うーん、やっぱり胸がギュッとしましたね。
さて、今からはいくつかの私が心に、うん、かなりね、あのギュッと響いた、感慨させられた特攻隊さんのエピソードを紹介したいと思います。
一つ目は、4ヶ月の赤ちゃんに送った遺書でした。
父は今から出席する。
特攻隊員の物語
赤ちゃんの成長を見られないのは、やっぱり寂しい。
でも、お母さんのことを守ってくれって。
そんな感じの内容が書かれていたそうです。
そして最後に書かれていたのが、まだ4ヶ月の赤ちゃん。
なので、奥様にこの子が理解できるような時期になったら、この遺書を渡してくれと書いてあったそうです。
そしてね、それがなんと、うん、そのお父さんが突撃して戦死されました。
その不法を聞いたお母さんは、ショックで母乳が出なくなってしまったそうです。
でもね、その時って栄養のあるものなんて、うん、手に入らないですよね。
そして、その4ヶ月の赤ちゃんは、8ヶ月で亡くなったとのことでした。
二つ目は、婚約者の方にあてた手紙。
〇〇さん、幸せになってほしい。僕がいなくなっても、うん、幸せになってほしいって。
中で最後に書かれていたのが、一つ願いが叶うなら、〇〇さんに会いたい。うん。
いやー、これもなんとも来ましたね。
そして三つ目は、それこそ出撃する前の隊員さんです。
その隊員さんは、お弁当を整備士さんにあげたそうです。自分のお弁当です。
その時、整備士さんに伝えた言葉が、
俺は空母を食うから、腹いっぱいになるから、弁当はいらんよって言ったそうです。
空母を食うからって、うん、もうなんかなんともですよね。
そして四つ目は、特攻隊の写真で、子犬と遊ぶ特攻隊員って写真でよくみなさんも見かけしたことあるかな。
その、穂柄家隊と呼ばれていた隊員さんたちのお話です。
この穂柄家隊、隊員さんたちは、17歳、18歳の子が多い隊員さんでした。
出撃前の2時間前に、子犬が迷い込んできたそうです。
その子犬を抱っこしている写真、そこにみんなが集まって笑顔でいる写真、それが新聞社の方が撮った写真として残っています。
その時の犬の名前は、シロと言ったそうです。
このね、真ん中で抱っこしている方がまたグンマの方だったんですよね。
そしてチロっていう犬の名前が、うちおじいちゃんがどの犬の名前もチロ、チロって呼んでたんですよね。
いや、なんかつながるものがあるのを感じました。
そしてなんとも言えなかったのは、この穂柄家隊、本当にみんな笑顔なんですよ。
他の特攻隊員さんの写真でも、笑顔の写真が本当にいっぱいあった。
この笑顔は、どんな思いの笑顔だったんだろうと。
死を覚悟して、今この仲間たちとのこの今の時間を、
なんやろ、本当に一瞬を大切に生きているのを感じました。
この笑顔が本当に一番、私の心に刺さりましたね。
生きたくても生きられなかった隊員さんたちの思い、
うん、命の尊さ、うん、それを本当に忘れずにいたいなと思うし、
そして一瞬の今を、うん、大事に生きたいなって改めて思いました。
特攻隊員さんたちに心からの感謝を込めて、ご冥福をお祈りいたします。
今日の配信、長くなってしまいました。
思いが込まりすぎた。
最後まで聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございます。
最後に衣装を一つ紹介させていただき、配信を終わらせていただきたいと思います。
出撃前の衣装になります。
あんまり緑が美しい。
今日これから死に行くことすら忘れてしまいそうだ。
真っ青な空、ポカンと浮かぶ白い雲。
6月のチランはもう蝉の声がして夏を思わせる。
作戦命令を待っている間に、
小鳥の声が楽しそう。
俺も今度は小鳥になるよ。
日の当たる草の上に寝転んで杉本がこんなことを言っている。
笑わせるな。
本日13時35分。
いよいよチランを離陸する。
懐かしの祖国よ、さらば。
使い慣れた万年筆を片身に贈ります。