学校教育の未来
お疲れ様です。
薩摩訛りの耳毒ラジオ。
時代の波に乗り切れず負け続けた反省。
この配信は残りの人生一度でも勝ちたい。
私、みやけんがチャレンジ最後のチャンスに奮闘した記録を薩摩訛り全開で発信しています。
動画先生のAIで作られたアニメーションが、ちょうど不気味の谷にいるなぁと思っている。
で、お馴染み、うまく描きたきゃ絵を描くな、絵を作れ、イラスト講師、みやけんです。
なんか、結構、なんだろう、動きの不気味の谷っていうのもあるのかなってちょっと思ってますね。
日本のアニメとかのね、
あれ、何フレームだったかな、どう忘れちゃったな。16フレームかな。
っていうコマ数のアニメーションに慣れてるせいなのか、
例えばディズニーとかトムとジェリーとかの動きがヌルヌル動くのがちょっと気持ち悪いなって感じるみたいなね。
24フレームとかね。
要はフレーム数が多いんですよ。1秒間に切り替わる絵の数が多いんですよね、海外のアニメはね。
というか日本のアニメが少ないんですよね。
それと同じように、今画像生成AI、動画生成AIか、作られるアニメーションとかの動きがどうしてあんなに気持ちが悪いのかと。
これあれ何フレームで描画してるのかちょっとわかんないですけど、
実写の、実際のリアルな動きまでいけば自然になるんでしょうね。
日本のアニメぐらいのコマ数だと、それはそれで不自然さを感じない。
そのちょうど中間の、しかもよりリアルになればなるほど気持ち悪く感じるという現象が不気味の谷というやつなんですけど、
AIの作る動きに不気味の谷を感じているんだぞっていう話でした。
鹿児島の高校の比較
以上です。
おやすみなさい。
じゃなくて、そんな感じで本日耳毒ラジオ行ってみましょう。
では行くぜ。
あのね、名前の話結構いろいろ出てて、解明する人がいたり、本名に意味があるのかという人がいたりね。
この辺の本名に意味があるのかって話とかもね、僕も前にしたなーとか思って聞いてました。
解明の話ね、これねあったんですけど、この前1週間ぐらいこのネタ喋りたいなと思ってたんですが、
今日もこれは喋りません。
今日はチャージグループの話をしたいと思います。
引用配信ですね。
リブラ先生の今日の配信の中からの引用です。
AI化しに関しては学校教育がいらなくなるんじゃないかっていう茶剣の話から、
先生がいらなくなるんじゃないかっていう話から、
学校の意味っていうのをリブラ先生が言ってて、
とはいえいまだにあるってことは、やっぱり物を教えるっていうだけじゃない意味がやっぱり学校にあるんじゃないかなっていう話で、
特にコミュニケーションっていうのはね、学校じゃないとできないことだしなーみたいなことを言ってましたが、
このあたりについては僕ももうだいぶ昔、1年ぐらい前かな、お話ししてたので、
ここで改めてまたこのお話をしたいと思います。
その配信に対する力さんのコメントで、
確かに先生の役割の全部が一気になくなるわけじゃなさそうですね。
ただ僕はだからといって、学校や先生がなくならないってわけじゃなくて、義務だから行くっていう比率がどんどん増えていって、
そのうちマジでなんで学校行かなきゃいけないのっていう意見が大人からも出てくる時代が来るような気がしました。
はい、喉がガラガラするな。
お茶を飲みましょう。
お茶飲んでも全く変わらない。
ちょうどこの部分に関してなんですけど、
これ一つの例なんですけどね。
全てじゃないんですが、僕の中では結構これの答えじゃないかなと思っている話がありまして、
鹿児島ではラサール学園、ラサール高校という学校がありまして、
聞いたことある人はいるんじゃないかなと思うんですけど、
ラサール石井っていう人がこのラサール高校出身ということで、自分の名前にラサールって付けてるんですけど、
非常に優秀な学校らしいです。全寮生でね。歴史もあってっていうね。
おそらく鹿児島県では偏差値トップなんじゃないかなっていう気がします。よくわかんないです。
よくわかんないっていうのはですね、ラサールはですね、鹿児島にあるんだけど、
もはや鹿児島の高校という感覚がないんですよね。さっき言ったように全寮生だし、
いろんなところから来てるんで、人が。
でも一番ですね、県知事とか市長とかがたくさん出てますね、このラサールからね。
だから姫路西高校みたいなもんですかね、今兵庫県でいうところも。よくわかんないですけど。
なんだけど、今言ったようにちょっと地元民には案外よくわからない高校みたいなイメージがありますね。
地元民からすると鹿児島県のトップの新学校は鶴丸高校というのがありまして、
始末のお城が鶴丸城というお城だったんですけど、その名前を冠しているというね、名門鶴丸高校でございまして。
こちらは一般の公立高校なんですけど、一般的な鹿児島の人にとってはトップ高校と考えられてますね。
ラサールも別物ってなってますね。
ラサール市立なのかな?よくわかんないな。そんなことすらわかんない。
もはやですね、調べるにも値しないくらいレベルが違うっていうのがラサールなんでね。
正直あまりよく知らないんですけど。
とにかくこのラサール高校というのと、全国的に有名なラサール高校というのと、地元ではもう名実ともにトップという鶴丸高校というのがありまして、
これは聞いた話なんですが、イラストのところでの話で、あるイラストを習いに来ている生徒のご両親がですね、
旦那さんがラサール高校出身。
奥様が、お母さんが鶴丸高校出身というね。
鹿児島で言えばもう秀才同士の結婚カップルみたいな、夫婦っていうところなんですが、
しかもどちらも仕事としては会社経営をしていると。
旦那さんも会社経営をしていて、奥さんも別で会社経営をしているという夫婦のお子さんがイラストを習いているという話なんですけど、
そこのご両親がですね、学校に行かなくていいよと。
スキルを身につけたりとかそっちのほうが大事だというので、積極的にイラスト会話。
ちなみに僕の教室じゃないですかね。僕の教室じゃなくて別のところでの話を聞いた話なんで、
あんまり具体的な個人情報としては二次三次情報なので、
あんまり特定されるような個人情報じゃないと思うので今話してますけど、
そう言っていたらしいです。
だからマジでなんで学校行かなきゃいけないの?って力さんがね。
っていう意見が大人からも出てくる時代が来るような気がしましたと書いてますけど、
実際ここのご両親はこの考えのようですね。
だから子供にはイラストでもなんでもいいから身につけるスキルを身につけさせたいと。
そういうことで学校に行かさなくてもそっちをやれという感じでやらせているようです。
僕の中では県内でトップの高校の夫婦が、しかも会社経営をしているっていう超優秀人材の人たちが
子供に対してこういうふうなことを言ってるっていうのが一つの答えだなって思ったって話で。
まあ一つの一例でしかないんでね。
これが今後こうなるよっていう話に繋がるわけじゃないんでしょうけど統計的にはね。
ただ自分の僕の中では結構衝撃的だったエピソードですね。
教育の価値とコミュニティ
そんな話もありました。
そしてその後のコメントでどこだったかな。
どりぶら先生の発言であったような気がするんだけどな。
読んでみましょうか。
義務とか今までそうだからの惰性で動く部分はかなりありそうですね。
すでに学校の機能を教えてもらうことだという表面的な機能で見ている人。
例えば堀江文さんなんかは学校に行く必要なんかないって本気で思っていると思います。
わかんないけどなんとなく学校に行った方がいい気がする。
そうだったしあるいはルールだしが多いとは思いますが
なかなか学校がなくならないのはコミュニティという別の機能の価値が残っているからだろうなという見立てです。
というどりぶら先生のコメントがあります。
コミュニティっていうのはあるでしょうね。
人脈っていうのはそれこそ鶴丸高校とかだったらそこに繋がる人脈っていうのはやっぱり
県の職員とかあるいはお医者さんもかその後医学部に行く人も多いでしょうからね。
そういうコミュニティというか人脈というコミュニティはありそうですけれども
コミュニケーションの話どっかあったかな。
ここにはなかったのかな。お話の中であったのかな。
力さんがさっきの文章の後についているな。読みましょうかね。
学校は必要であるから行く。実は義務だから行かされているだけ。
そして行かない人も増えてきている。
自己肯定感の向上
中には確かにコミュニケーションを学ぶ場所になっている人もいる。
でもそれには学校は必須ではないって動いてきている気がします。
これも同じイラストの教室でのエピソードとして聞いた話があります。
自分の受講生ではないですが。
小学校から不登校だったというある生徒がいましてね。
その方が中学生ぐらいからイラストの教室に通い始めて
メキメキイラストのスキルを上げて
ツイッターとかでバズってインフルエンサー化して
フォロワー数13万人とかでとんでもないフォロワー数を持つ絵師になって
その子は仕事としては絵の仕事案件をどんどんもらって
絵を描いているという感じでやっている20歳前後の子がいたらしいんですけど
その子は基本小学校で学校行かなくて
それ以降学校に全く通っていないらしいんですね。絵ばっかり描いてて。
ところがこの子は聞いた話なんですけど
最初はコミュニケーションが取りにくい、苦手というのは如実に分かる感じだったらしいんですが
イラストの実力が上がっていって
SNS上での反応とかがどんどん良くなっていって
それによってですね
やっぱりそういうことを案件オファーとか書いてくださいとか来た時に
やっぱりDMとかでやり取りをするんですけど
そのやり取りの中でコミュニケーションを覚えていってというかね
使っていってそれで全然仕事が取れるような
あるいはですねやっぱりこのイラストレーターっていうのは
お客さんのこの要望を叶えたいっていうね
具現化したいっていう仕事なので
非常に細かくねやっぱり聞き取りをしたりするんですけど
これはね全然できているということで
最初はやっぱりできなかったらしいんですけど
そこの先生がね
いろいろこうアドバイスしながらやったら
もう自分でできるようになっていったっていうね話をしておりました
この理由は何かというと
結局自己肯定感なんですよね
それまでやっぱり不登校っていう追い目があって
自分に対しての肯定感が低かった子だったのが
イラストを通じて自己肯定感が高まることによって
人と堂々とコミュニケーションを取れるようになったっていうね
考えてみればですね
コミュニケーション苦手っていうのは
自分の自信のなさだと思うんですよね
僕もわかるんですけど
自信がないがゆえに相手に対して
すごく気を使うというか
ビビってしまうっていうね
ところがあったりとかして
自分の絵なんかこんな値段じゃなーとかね
よくそういう話も聞くんですけど
あるんですけど
自分の絵技術に自信があるがゆえに
いや私はこの値段ですとかね
言えることによって
対等な位置に持ってきて
コミュニケーションがちゃんと取れるということだと思うんですよね
結局コミュニケーションが上手くなるのは
学校で集団生活にぶち込むということ以上に
本人の自己肯定感が高いっていうことの方が
非常に大事だというか
そっちの方がむしろ
原因になるということが言えるんじゃないかなって
この一例を聞いて僕は思いました
学校の役割についての疑問
っていうのは
学校の集団の中にいて
なじめなくて不登校になったりするわけだから
集団の中で自己肯定感を落としていったりするわけだからね
人と比べて
確かにこの学校にぶち込んでいくことによって
コミュニケーション能力が上がる人もいるんだが
逆に自己肯定感を下げて
人と距離を取れなくなるっていう人も
一緒に生んでるんですよね
これまさに同時に生んでるんですよね
ということは
学校はコミュニケーションを養う場なのかっていうね
非常に疑問が湧くなと思っております
これも一つの例として
自己肯定感を高めたことによって
コミュニケーションが円滑にできるようになった
ということを考えるとですね
果たしてコミュニケーションとしての役割って
学校にそれもあるのかなという風に
僕自身は思ってますね
という感じですね
そんなこんなで
今回の議論の中での一部なんですが
ここのコメントの部分が
すごく僕過去に喋ったのはこれと思って
思ったので
今日再放送的にもう一回この話をさせていただきました
まず昨日はその後
AIというものが人間に対してどうなるかっていう話で
力さんはまたもう一本動画を
動画じゃなかった
配信を上げたりもしてましたけど
僕はコメントしようかなと思ったけど
コメントするにはちょっと説明がめんどくさいと思って
配信の収録を取ったというのは
この部分でした
という意見いかがでしょうか
あくまで一つの例なので
これは全てということではないんですが
僕の中では結構決定的な
出来事の2つだったな
エピソードの2つだったなと思ったので
改めてご紹介させていただきました
というところで終わっていきます
今日も誰よりずる聞いてくれて
まこてあいがでごごわした
イラスト講師宮剣でした
それではチェスト