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はいどうも、イラスト講師でイラストレーター、NFTクリエイターのみやけんです。
先日、水族館に子供たちを連れて行きましてね。
そこで、あの鹿児島の水族館、イオワールドっていうところなんですけど、そこではね、
ジンベイザメを飼っている、展示している、ジンベイザメがいるんですけどね。
ジンベイザメが、一応目玉みたいなところもあるんですけど、
餌やりの時間っていうのがありまして、ちょうどね、ジンベイザメの餌やりの時間に当たったので、
餌やりの要素を見たんですけど、ジンベイザメはプランクトンをね、食べるんですね。
で、水と海水と一緒にガボガボーって飲んで、で、このエラからブシューって、
海を、海をじゃない、海水を排出する中で、残ったプランクトンを
取るみたいなね、そういう食べ方をするんですけど、ちょうどこの、
プールじゃない、水槽のこの水面表面あたりに、この餌をバーっとね、浮き網みたいなのを巻くと、
この水面の方に上がっていって、ジンベイザメが口をガーって開けて、ガボガボガボガボーって水を飲みながら餌を食べるっていう様子が見られるんですけど、
子供たちがね、それを真似してね、お風呂でね、口を開けてね、ガボガボガボーって水を飲む、飲みはしないんだけど、口の中に入れるんですけど、
やめてー、それやめてー、ジンベイザメごっこやめてくれー。
はい、さつまなまりのミミトクラジオです。 今日はですね、
あのスピー科学の話をまたしたいなと思います。 えっと今朝のね、リブラー先生、今朝かな?あれ昨日かな?
まあいや、精神科医のリブラー先生のお話を聞いてね、 これもしかしたらヒントに説明できるかなと思ったのが、
霊の話、幽霊とかお化けとか言われるね。 霊とか魂とかを
ちょっと説明できるかなと思って、それをチャレンジしてみようかと思いました。 リブラー先生は、みんな人間はね、誰しもこう
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ペルソナーと言われる、仮面をかぶってる、自分のキャラ付けっていうのをしてて、 で、その
これは何だろう、表に出すキャラ、でも本当の自分は別にあるんだよ、みたいにみんな意識を持っているかもしれないけど、
まあそうとも言えないと。 ペルソナーをね、玉ねぎの皮に例えて、どんどん剥いていくと本当の自分と思わしき芯があるかもしれないけどないかもしれない。
いや、結論としてはないっていう方向だったのかな。 皮をいっぱいめぐっていって本当の自分はないみたいなね。
話をしてまして、まあその玉ねぎは皮がいっぱい集まって玉ねぎであると。 人間の性格、キャラクターっていうのも、いろんなペルソナーを乗せたそれそのものが
その人のキャラクターであると。 向いたところに本当の自分はないんだよ、みたいなお話をされていたんです。
これを僕聞いててですね、 スピーカー学、原始仏教、
お釈迦様の説いた悟りの世界の観点から見ると、なるほどなぁと思ったのは、 そっちで言うとこのキャラ付けとか玉ねぎの皮みたいなものっていうのは
いわゆる カルマとね
言えるものかなぁと。 まあこのあたりの仏教用語はね、いろんな解釈とかあるいはこの信仰とかによって意味がね定義が
変わってくると思うんですけど、 僕が学んだメンターの言っていた解釈で言うと
こういうのは全てカルマと。 そのこの生まれ持った性格とかね、生まれた後にできる性格とかね
そういうの全てカルマというような表現をしております。 性格に至らずですね、因果関係とかも全部カルマで
と言えるっていう感じで言いますね。 ちょっと話し取れるけど因果関係っていうのはあの
夜間に火をかけるとお湯ができるとかね。 これも全部因果関係で
火があの夜間の底を温めてその熱が中に入っている水に伝わって水がだんだん 熱くなってお湯になっていくと
こういう一連の動きっていうのは因果と言いまして そしてその因果を作る要素は全てカルマ
この場合であれば火、夜間、そして水とかね こういうの全てカルマというという発想なんですが
それと全く同じようにこの人を作り上げる性格 それもカルマであるということでございまして
そのカルマというのは要するに玉ねぎの皮のように幾層重い重なって作られているものであると
そして魂というものも結局
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こういうものであり一個のこれという魂があるわけではなく色々なカルマが玉ねぎの皮のように折り重なってなんとなく形を形成したものが
魂と呼べるものでだよみたいなね なので
その僕のメンターが説明で言うと人は死んだらどうなるか 魂はどうなるかというと
玉ねぎの皮一枚一枚剥がれていってバラバラになりますと そしてこのバラバラになった玉ねぎの皮が他の誰かに
また取り入れられることによって
その人の魂の一部を形成しますみたいなね そういう観点そういう感覚で見るとわかるかなぁみたいなね
お話でございまして だから生まれ変わりとかもう否定はしてませんね
そういう意味ではそのカルマの 要はその塊ごと生まれ変わるんじゃなくてバラバラになった要素が別な形でまた組み合わさって
いろんなものと混ざり合って生まれ変わりが起きると だからなんかよく生まれ変わると前世の記憶とか言うのは
その誰か固定のこの一つの魂とか記憶をそのままじゃなくてバラバラになったものが 入り込んで一つのその記憶とか前世の記憶みたいのが表に出てきたりとかね
すると そういうものだという説明をされておりまして
でこのバラバラになった欠片の一部の念とかがいわゆる例となってある人の感覚に 触れて見えたり見えなかったり
あるいは声に聞こえたりするこれがいわゆる幽霊霊と言われるものであり ということでございます僕もそういう解釈で見ておりますね
前にね友達の霊感が強い人の話とかもしましたけどね 霊とか魂とかいうものは
その個人の固有の性格を丸々持っているわけではなくいろんなバラバラになってそれが また重なったりしたして見えたり見えなかったりするものであると
こういう解釈でございますどうでしょう皆さんなんか納得いくと思いません 生まれ変わりって
とか 命が生まれた魂が生まれた
死んでも魂が残るって言ったら世の中 魂だらけになっちゃうじゃないとか思ったことありませんか
でその玉ねぎの皮ってのは最初に言ったようにカルマというねすべての因果関係を 作る要素であり
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これを科学的に言うと
波動という ものになります
量子力学の話でミクロの単位で全部すべてのものを割っていくと最終的にはまあ 素粒子とか格子とかね
なっていって それは観測上の概念であり粒的特徴を見らが見られた時は粒子となりますし
例えば今言った格子なんていうのは光ですから光っていうのは波と粒と両方の音 特徴を持っている
特徴じゃなくてなんだ性質を持っているって言うんで涙が粒高っていうのはねやっぱり 現れ方の問題であるとでその
世の中を構成するすべての物質そして物質でもないもの意識とかね そういったカルマというものすべてはまあ
わかりやすければ波っていうものになってその波すべてのまあ すべては同一の波という単位最終的ななって一つのものになるとその一つの
ものを
なんだっけ 空測絶識の空と呼んだりすると
そういうことになっていきますよと ワンネスという言い方をしたりもしますけどね
スピリチュアルの世界ではねすべては一つのただ一つの存在であると一つというね 個別の数え方というの単位を当てることすらもまぁちょっとおかしな話なんですけどね
それしかないわけだから 1でありすべて無限であり0であるみたいなね
そういうお話になってきますややこしいですねうん まあでもねカルマっていう単位があって
それがねいろいろ重なって一つの塊っぽく見えているものが あの魂だと
だから今はね肉体というものにねこう紐付けられて一つの塊みたいになってるけども まあし肉体を失えば紐付けがなくなってその
カルマというのはバラバラになって そして他のまたところに
つくと集まると そんな感じそれが生まれ変わったまた魂だったりするの
そういう解釈して僕はそういう解釈をしておりますどうでしょうちょっとは例とか 魂とか生まれ変わりとか前世の記憶とかいうのがこの理論ですべて説明つくと
僕は思っております 長くなりましたねこんな話
今週1週間また頑張りましょうそういったらねまたねー バイバーイ