「球場の客席で流しそうめんしてたらしいよ」「98年、神奈川には"もののけ"がいたらしくてさ...」 勝ち星を貯金できるという理由から"横浜大洋銀行"と揶揄されていた時代もあった大洋ホエールズ。ついに"横浜ベイスターズ"へと名前を変え、ファンなら誰もが知る"98年"に突入します。
マシンガン打線と呼ばれる最強の布陣...野球小ファンの僕でも幼少期に聞いたことがあるハマのレジェンドたち...
ここからしばらくは暗黒期に突入するわけですが、どのようにして今ほどに愛される球団となっていったのか非常に続きが気になります。優勝に沸き立つ横浜をもう一度見たい...!!!!(村田)
◆今回のお酒◆ 鶴田:ベイスターズラガー 村田:ベイスターズラガー ◆今回のキーワード◆ 横浜スタジアムにやってきた大洋ホエールズ / 飛鳥田 一雄 / ベイスターズになるホエールズ / マシンガン打線 / 9回にやってくる佐々木 主浩 / 38年後にまた会いましょう! -- ▼リクエスト・感想お待ちしています
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00:06
こんばんは、港町レイリオへようこそ。村田です。鶴田です。この番組は荒沢になって生まれ故郷の横浜に帰ってきた2人がアルコールを片手に浜談義や趣味の話で花を咲かせるレイリオです。
今回もベイスターズの歴史について話していきたいと思います。ということで鶴本、今日のお酒は何ですか?
今日もベイスターズラガーを飲んでる気持ちでやっていきたいと思います。気持ちね。リテイク。
リテイクだからね。じゃあ一応乾杯。一応手持ちあるからね、乾杯。
めちゃくちゃうまかったんだよな、やっぱプラカップ飲むベイスターズラガー、うまいね。
そうね、あれが良すぎてちょっとね、勝てないね、あの日のあのベイスターズラガーに。
いやーうまかったなぁ。じゃあ前回、1949年に山口県下関で生まれたベイスターズの元祖ですね、マルハ球団っていう名前だったんですけど、元は太陽ホエルス。
途中でなんか小築と一緒になったりしながら、大阪やったり、関東に来ようと思ったら東京に行こうと思ったら断られ、川崎でやったりみたいな、はちゃめちゃな感じで頑張ってましたけど、
1960年に初優勝したというところで終わりましたと。まさかの奇跡の初優勝を三原監督の下で
成し遂げて、その後どうなったのかっていうのをちょっと話していこうかと思うんですけど、その翌年1961年で早速
絶好調のまま行ったら、これ最下位になるんですね、また。ちょっとなんか運が悪かったのかな。
なんだけど、三原監督は名監督と今でも言われているだけあって、その翌年62年とか2位になったりとか、
また負けたりする、何回か2位とか3位とか、いいとこに行く年もあったんだね。
だったんだけど、三原監督も数年でもう辞めちゃって、また新しい監督が来て、そこからしばらく最下位とか、最下位の6位とか5位とか、
ずーっとなんか10年ぐらい続いていきますと。でもあっという間に60年代が終わり、1970年代の76年ぐらい。
うん。この年もね、最下位ですと。 弱いね。最下位ということをたくさん言ってる気がするけど。
なんで一回なんかこうちょっと優勝みたいにできたのか、なんなら不思議になっちゃうぐらい、その後結局
弱いね。 三原マジックで、その60年だけちょっと太陽がいっぱいだったんですけど。
本当に映画のおかげだよ。 忘れちゃいけないのが、この時ももちろん川崎でやってます。川崎浩二です。横浜はまだ関係ないです。
まだ川崎の。 そう思い出して。今川崎でやってるから。そうか。 タイヤボイルス。横浜まだだから。
03:07
で、76年ぐらいね、もうすでにこの時だいぶ川崎球場ができて時間も経ってるし、あと
太陽ホイールズ弱かったからお客さんも来なくて、球場がねどんどん老朽化してたんですよ。
でも本当観客席もガラガラで、基本的になんかその酔っ払いが、あの席に寝っ転がりながら応援するみたいな
ぐらいの雰囲気。 ハオスだね、たぶんね。 そうだったりとか、むしろその酔っ払いの人たち、隣にあった川崎競馬場の方を応援するみたいな。
そういう。 競馬場行った方がいいんじゃないっていう気がするけど、それぐらい今でもスペースに余裕があったってことなのかな?
その通り。どっちも楽しめるみたいな。 ちょっと時代が変わるけど、あの末期ぐらいの時はなんかもう
暇で、観客席のさ、あの結構斜面があるじゃないですか。 球場。
あそこにこう流しそうめんとかファンが勝手にこう、筒みたいなの持ってきて、流しそうめんするみたいな。
そういうことをやり始めるみたいな。いろいろな伝説を残している球場なんですけど、川崎球場。 水どうするんだろう流しそうめん。
確かに。 どうやって持ってくるんだろう?なんか水筒とかのような感じじゃない?
当時売り子さんとかいたのかな?なんか普通にそれでビールで流したらなんかこう調達が頑張れるけどさ。 水道からコース引いてきてもそういう世界観じゃないでしょ、きっと。
76年かー。売り子、ビールサーバーとかちょっと分かんないけど、アルカレブレだよね多分。 あーそうか。
で、その状況でね、打開策として太陽ホイールズ考えたのが、横浜スタジアム建設構想が。 やっぱり川崎がダメだと。
まあそろそろね、老朽化もしてきたし。 ってことで太陽ホイールズね、当時の横浜市長がアスタカイチオっていう、この人結構歴代の中でも結構割と有名な人なんですよ。
この人と協力して横浜に新しい球場を作って移転しましょうかと、こっそりね、計画を始めます。
ちょっとだけアスタカ市長を紹介しておくと、この人宮都未来とか、宮都町レイドでも前やった六大事業とかを計画した人。
いやもうじゃあ素晴らしい人だ。 結構すごいもうゴリゴリなタイプの人だったみたいで。
まあちょっと話し逸れちゃったんですけど、76年にその話をして、翌年77年に、今年も再開なんですけど、移転話が本格化します。
横浜行きますと。 川崎市民は全然知らなくて、めっちゃ反対するんだよね。移転するのかよって。
川崎市長もめっちゃ怒って、太陽球団横浜誘致に反対する川崎市民総連合っていうのを作ったりとかして、
06:04
54万人ぐらいの署名を、反対署名を届けたりとか、いろいろやったんだけど、
でもね、アスタカ市長はもうぜひ来なさいと、本教師横浜で。本教師もね、もともと横浜じゃないですかと、行って横浜に来ることになるんだよね、ついに。
そして横浜太陽ホエル図、誕生します。 あ、やっとね、ここで。 ついに77円で横浜やってきました。
新しく横浜に来た太陽ホエル図。 これはもうね、しばらくずっと優勝しない時代が続いていきます。
横浜来ても弱いんだよね、太陽ホエル図。 もうね、あんま驚かないね。 だいたい、慣れた?
場所だけ変わってもね。 横浜の映画とかその当時流行りましたとか言われたら、もしかしたら、予感がね。
同じ、あとはもう一回太陽の映画とかね。 太陽ね、そうね。 横浜と太陽の映画とかぐらい上映されてたぶん優勝しないだろうなって思ってるよ。
確かに、何かのイベントがないと。 そうそうそう、やっぱりね、場所、リードはちょっと足りないかな。
そうね、で、その通り、特に何もなく、80年代のね、太陽はずっと弱くて、
横浜太陽銀行って呼ばれて馬鹿にされてましたと。 銀行? そう、あの、勝ちの数を貯金できるから、他の球団からすると。
あー、太陽ホエル図戦えば。 そう、太陽を戦えば、勝って貯金、自分の勝ち貯められるから、銀行って。
横浜銀行、横浜銀行じゃん、横浜太陽銀行って呼ばれてましたと。 だいぶ舐められたもんだね。舐められてましたと。
で、最初は作ったんですけど、まあ、あの、人ガラガラだったらしい。 せっかく作ったのに。
ねえ。 えー、流しそうめんできそうだね。
ねえ。 確かに。 その好き具合ならね。 浜瀬さんでも流しそうめん。
やれそうだよね。 まあ、どうしても綺麗だと思うけどね。
浜瀬さん、できたてだからそう。 そうかそうか。
で、その80年代、その終わりをほぼ迎え、1989年ね、これもう平成元年で、鶴田も生まれた年ですけど。
ああ、もう結構近づいてきてる。 ねえ、もうついに平成になります、昭和が終わって。
平成最初の元年も、セリーグ最下位の、最初のセリーグ最下級代になりますと。
うん。
で、93年、90年代にもうついに入るんですけど、93年、
太陽ホエル図、横浜ベイサーズに改称します。
あ、名前が変わる。 ついに名前変えます。
そっか、そこまでは太陽ホエル図のままだったんだね。
そう、ずっと太陽ホエル図に来て、変えた背景が、
もともと親会社、マルハ日露と言ってたけど、昔太陽漁業っていう会社名で、
太陽漁業もマルハっていう社名に変えて、そこからいろいろあって、今はマルハ日露になってるんだけど、
09:01
親会社も名前を変えるし、ホエル図っていう名前が、この辺の平成側の辺りはもう鯨の捕鯨の規制が結構厳しくなってきて、
はいはいはいはい。 時代にちょっと合わないと。
うーん。
そういう風になったので、変えようという風になり、じゃあどうしようかって言って、まあ横浜やるから横浜と、
ベイブリッジから取ってベイサーズになったという風に言われてます。
ベイスターズのベイはベイブリッジのベイなんだね。
うーん、スターズはなんだろうね、星、星、どこから来たのかな。
まあ、なんだろうね。
ねえ。
なんならそのまま、まあでもそのまま横浜ベイブリッジズみたいなのだと、ちょっとなんないかな。
いや、そんなハシたくさんって怒られちゃう。
まあ輝くね、まあ星々の方はまだ。
まあそうだね、確かに。
印象良いか。
ベイブリッジズはやばいね。
スターで良かった。
そうなんですよ。
で、ちょうどこの年に一番多分有名な、僕でも知ってる、アツキ星たちよっていう、
うん。
おー、横浜ベイスターズ、あの歌も出来上がります。
今だとDNAベイスターズって歌ってるやつね。
DNAベイスターズ、そう。
あの曲で行きます。
あの曲結構良い曲かなと個人的には思ってます。
良い曲だし、ずっと別に横浜で歌い続けば良いのになって思いつつ。
どうなんだろうね、それは僕も分かんないけど。
まああの、あれだね、名前ちゃんとDNAっていう名前を出せ、なんだろうね。
まあね、まあね、そこはね。
そしたらみんな口にするから。
うーん。
うん。
となり、横浜ベイスターズ、初年度は5位と。
再開は何度回避したんだけど、まあ5位ぐらいで終わりそう。
これちょっと1秒を溜めて言うほどの順位ではなかったね。
うははは。
5位でしょ。
そう、5位ですと。
で、翌年の94年、再開ですと。
95年4位、96年5位と。
まあ、1、2、3、4、5位が入れない時代が続くんですけれども、97年、もう僕らが多分、どんぐらいだ?
幼稚園か、小学校そろそろみたいなくらいかな。
そうですね。
安定の再開スタートだったんだけど、真夏の旋風と呼ばれる、夏からね、めちゃくちゃ追い上げが始まるんですよ、ベイスターズ。
で、夏から追い上げまくり、8月に入って阪神に3連勝し、
なんか結構順位上がってきたぞってなって、
ベイスターズ、まあ元ホエールズのファンタジーは、もう何でも何でも優勝なんてキーワードは口にもできなかったんだけど、
なんかちらっと見えてきたんだよね、そのキーワードが。
ちょっと調子がいいかもしれないって。
そうそうそう。
で、8月末ぐらいの、まあ8月22日ぐらいには、まあ2位ぐらいになって、
うん。
首位、当時、まあヤクルトだったんだけど、もう少しで追いつけるんじゃないかみたいなところまで来ましたと。
12:06
うん。
ファンタジーも、もうこの辺にはちょっと優勝という、今まで口に出すのもちょっとはばかれるというか、
キーワードも使い始めてきて、横浜で飲みながら優勝かもみたいな、言い始めてきて。
一気にボルテージが高まりました。
うん。
9月に入って、9月2日に、まあ首位ヤクルトとの連戦が開始して、
うん。
これで勝てば、いけるかもっていうところから、始まり1戦目。
うん。
1戦目、試合中1本もヒットを打てない、ノーヒットのノーランで抑え込まれて、
うん。
ファンブチギレ。
そこ、勝ったらいいんだ。
そこね、勝ってない、勝ってないんですよね。
うん。
2戦目も、めっちゃ負けそうになって、
うん。
なんか雨が途中で降って、一旦中止になったんだって。
うん。
それでもうファンがブチギレちゃって、
うん。
メガホンとかゴミとかグラウンドに投げまくってブーイングしまくってたの。
うん。
でもう、それをベイヒスターズの選手たちが、
うん。
ゴミ袋を片手にこう拾い上げるみたいな。
ベイファンもみんなシーンとなるみたいな。
そんな雰囲気になって。
ゴメン、ゴメンってなる。
でそのままもう負けて、
まあそのままもうヤクルト優勝しちゃいます。
うん。
なんか後日ね、その、
選手のみなさんごめんなさいっていう横断幕をファンで、ファンがこう出して、
うん。
ファンが謝罪とか、まあしたんだけど、
ちょっとかっこ悪いな、なんかそれは。
そう。
まあそんな感じで、
うん。
97年2位で終わります。
おおー。
18年ぶり。
18年ぶりの2位。
そう、18年ぶりの2位。
あー。
翌年の98年ですよ。
うん。
この年ね、神奈川県にもののけの類がいたと。
もののけの類?
もののけがいたと言われる、神奈川の年だったんだよ、98年って。
へー。
大量はいっぱいじゃないんだけど、もののけがいたんだよ、この年は。
まず、98年の正月に、箱根駅伝、あれで、神奈川大学が優勝します。
おおー、すごいじゃん。
で、次に全国大学ラグビー選手権で、関東学院大学が優勝します。
おおー。
関東学院大学は、まあ神奈川の大学。
で、甲子園。
うん。
当時、松坂大輔がいる、つれたも、めっちゃ地元の横浜高校が優勝しもくります。
そうか、その時か。
そう、98年。
で、あとサッカーでも。
うん。
サッカーの天皇杯っていう、まあ、まあ、杯で、
今はもうないけど、横浜フリューゲルスというチームを優勝します。
うん。
神奈川とか、横浜にね、なんかいたんですよ、もののけが。
めっちゃ勝つね。
そう、来てるんですよ、98年。
15:01
で、98年、ベイサーズ。
うん。
これね、開始というか、開幕からね、めちゃくちゃ調子良いんだよね。
やっぱ、外敵要因か。
いや、あのね、一応なんか理由というか、それまでずっと負けてたんだけど、97年に2位を取れたみたいなところも、
あの、結構ね、この辺、20代前半ぐらいの若い選手たちが、ここ数年、結構育ってきたんだよね。
あー、なるほど。
で、どんどんどんどん、その人たちが、良い感じに育ってきてて、98年を迎えていますと。
おー。
特に、その、ホームランとかドカーンはあんまないんだけど、なんか、めっちゃ打つ選手が、めっちゃ揃ってるみたいなラインナップになり、
うん。
ずっと打ってるみたいな、マシンガンダセンって呼ばれる攻撃が当時の特徴的で、
へー。
まあ、打ち負けてましたと。
うん。
でも、6月後半ぐらいにはね、横浜主位にもなってたんですよ。
調子良いね。
そう、横浜の街が変わる。
うん。
98年。
うん。
で、あのー、ほんと小説とかね、前回紹介した本とかからの、いろんなこう、引用していくんですけど、
うん。
97年の沸き立った夏がまた来て、夢のようにベイスターズが強く、横浜が沸き立っていた。
夢のようにね。
そう。
ファンもね、どんどんどんどん増えていくんだね。
いや、調子良いなー。
いやまあ、強いとね、なんか見てね、応援したくなるもんね。
やっぱ強いの大事だよね。
うん。
街でもね、ベイスターズの帽子を被ってる人はどんどん増えていくんだね。
うん。
98年から、ゴンドーさんという人が新しい監督になるんだね。
うん。
ゴンドー監督は97年からベイスターズにコーチとして入って、そのまま98年は監督になった人で、
この人の個人的なというか、言ってたスローガンが、
KILL OR BE KILLED っていう。
やるかやられるかっていう。
うん。
殺したいみたいな感じの、この人のスローガンとして言ってましたと。
なかなか、いやまあ、尖ってるかと言われたらそうでもないかもだけど、まあなんか、単語は強めね。
単語はね、強め。
うん。単語は強めだよね。
そう。最近のね、2022年のスローガンが横浜反撃。
で、今年は横浜…今年なんだっけ?横浜…
進化?進化はいつだっけ?
今年だ。今年今年。今年が横浜進化。24年が横浜進化。
KILL OR BE KILLED っていう、98年。
まあ割と、まあ気合が入ってるというか。
なんか…そうね、なんかちょっと…
戦いかな?みたいな。
まあ戦いなんだろうけどね。
戦いなんだけどね。
まあ死ぬ覚悟ぐらいでやってますと。
で、ファンもね、いつもは勝ってほしいみたいな感じなんだけど、そういう雰囲気よりも、
18:04
絶対勝てと。勝てないと殺すみたいな。そんな雰囲気だったそうです。98年。
そんな…そんなか?そんな言えるあれなのか?ファンたち。言える立場なのか?
調子がいいところあるかもしれないけど。
そうよ。
でも7月もかなり好調で10連勝ぐらいとかしたりしたんだけど、
8月でちょっと疲れて、2位の中日に追いつかれそうになるんだけど、
すごい大逆転勝利とかいろいろこう奇跡と呼ばれる試合を起こし、勝って、
9月にまた調子を取り戻し、10月迎えてくんだけど、
ちょっとね、この年だけ主力の選手をざっとこう紹介させていただこうと思うんですけど、
メカゴジラ、佐伯高博。
メカゴジラ、はい。
当主人が今のベイスターズの監督の三浦大輔と浜の大魔神佐々木和弘あたりがね、
結構あのサイタンアンダとかアンダ製造機とか勝負強い打撃とかなんか、
やっぱ打つ系の…いろいろみんな打つみたいな。
そうね。
感じの人たちが揃い、マシンガン出せんと呼ばれてたんだけど。
いやー有名な人たちだね、今のメンツね。
ねえ、僕はちょっとあんまり知識ないから、まあ浜の大魔神佐々木と和弘あぐらいしか。
まあ今の三浦監督は知ってるけど、
佐々木・三浦・谷茂とか、当時でも聞いたことがある人たちだったよ、今のメンツ。
98年の時ね。
野球全然知らなかったけどね。
うーん。
分かんないけど、なんかそこの選手の名前は知ってた。
はいはいはいはい。
まあレジェンドの選手たちがいる中で、一人だけ深掘って紹介したいのが、
浜の大魔神佐々木和弘。
この人はね、この投手がマジでヤバかったと言われてます。
おお。
佐々木和弘は身長190cm、1989年にプロ野球入りをします。
でかいね。
うん。
平成2年2月22日、22歳の誕生日を迎えた、背番号22の佐々木投手と呼ばれる、
まあなんか22なんだよね、この人。背番号が。
うーん。
だから何だって出してるけど。
で、この人はね、知ってる人は全然基本的な知識なんだけど、
試合の終盤あたり、8回とか9回とかに、
21:02
味方が勝ってればいい、もしくは相手と極めて逼迫している場面で、
最後に投げる投手を抑えとか、クローザーって言いますと。
抑えね。
そう、抑えね。
相手の最後の攻撃とかを抑えて、
チームを勝利へ導くポジションなんだけど、
結構大事だから、チーム内で最も信頼の高い投手とか任される役割と、
一般的に言われていて、
抑えの投手は、1試合あたりの投げる数っていうのは少ないんだけど、
8回とか9回で出てくるから、
まあでも味方が勝ってる回数多いときは、
当番する試合数がめちゃくちゃ多いから、
長時間投げれるっていうスタミナよりも、
回復力とか安定性とか、
あとは速攻出て速攻投げるっていう、
立ち上がりの良さみたいなのがすごい求められるポジションです。
で、佐々木は割と腰とか肘にずっとこう不安があって、
学生時代から故障しやすい選手だったので、
プロ野球に入ってからあんまり初めは活躍できてなかったんだけど、
フォークボールをすごい武器にして、
95年ぐらいあたりからもうめちゃくちゃ活躍して、
どんどんどんどん成長していき、
プロ野球の中でも史上最速となる、
通算500脱三振を取ったりとか、
してまあすごい活躍しますと。
で、佐々木の顔っていうか風貌が、
当時ね、その大魔神っていう、
なんかウルトラマンというかゴジラというか、
そういう系の独撮系の映画があったんですけど、
なんかでかい魔神が復讐するというか、
なんか悪い奴をやっつけるような映画があったんだけど、
それに結構似てるっていうふうに言われてて、
大魔神と呼ばれてましたと。
本人的にはどうなの?
いや、わかんないけど大魔神もわかんない。
まあ良かったんじゃない?
まあまあまあ別にみたいな感じなのかな?
そうそう。
とにかく佐々木のこのフォークでめちゃくちゃ三振を取りまくりますと。
うーん。
めちゃくちゃ取るから、
で、しかも9回とかのね、
相手の最後のチャンスだっていう攻撃に、
急に出てきてもうバシャバシャ三振取るから、
もう当時は佐々木が出るイコール9回の攻撃も終わった、
もうなしみたいな感じに思われてるというか、
そういう認識されてて。
うーん。
9回に佐々木が車に乗って出てきたら、
もう敵ファン帰るみたいな。
いや早いよ。
もう今日は負けたみたいな。
なんならベイスターズファンも帰るみたいな。
もう勝ったはず。
そこはさ、勇士を見る、見届けないの。
それレベルで抑えまくってたんだよね。
佐々木ファン。
だからもう実質、相手チームは8回までに何とかしないと、
9回佐々木しちゃうから。
24:01
うん。
実質自分たちは9回じゃなくて8回戦ってるみたいな。
1回分少ないもんね。
そう1回分少ないぐらい。
でもうやってましたと。
うん。
それぐらいのもう戦士だったのね。
すごいなぁ。
そうなんですよ。
でまぁそんな佐々木が揃ってるベイスターズの、
ベイスターズの話にここから戻るんですけど、
うーん。
イケイケできて、98年10月。
うん。
10月8日。
はい。
ここは横浜スタジアムじゃなくて甲子園球場で阪神との試合。
うん。
勝てばベイスターズの優勝が決まる。
うん。
横浜もね、急遽横浜スタジアムのスクリーンに映像を流して、
うん。
地元ファンみんなで応援することにしたんだって。
うーん。
そんで10月8日のね試合で、
8階表、2対3で阪神にリードされてたところを何とか逆転しますと。
おー。
逆転し、8階裏佐々木が車に乗ってやってきます。
うん。
そして抑えまくり、9階裏。
うん。
最後のね投球、もう最後の辺りはベイスターズの選手たちがベンチから飛び出すもうギリギリのところでも飛び出す準備してんのもうみんな。
見たことがない笑顔で身構えてます。
うん。
最後の阪神側の出席のバッターは新庄。
うん。
日本アームの監督ビッグボスのね、新庄。
佐々木のフォーク、空振り、三振、ゲームセット、横浜優勝、38年ぶり。
38年。
38年ぶりに横浜が優勝しましたと。
いやー。
おめでとう。
おめでたいね。
いやー。
おー。
当時のね、町の様子とかをいろいろ本から引用してご紹介するんですけど。
うん。
高島屋、そこ、横浜の駅前のあれだね、の店先では旧段下が鳴り続け、中華街では優勝記念メニューや特別割引が続々と登場。
うん。
あらゆるところで記念品やセールの張り紙が踊っていた。
横浜駅の西口に設置された大型ビジョンの前でファンがもうみんなで抱き合ったと。
うん。
で、中華街では姉妹が踊って祝福の爆竹が鳴り響く。
うん。
横浜公園では若いファンが万歳しながら海に飛び込んだ。
おー。
あの日の横浜の幸せな光景は一生忘れないという記録があったそうです。
いやー、祭りだね。
いやーね、すごい盛り上がったんですよ。
うん。
で、そのままセリーグ優勝したんで、そのまま日本シリーズというセリーグとパリーグの日本一決定戦に入って。
うん。
これもね、パリーグ優勝のセイブライオンズと戦って。
うん。
これ先に4勝すれば日本一っていうルールなんですけど、2勝2敗ぐらいまで行き、ベイスターズ3勝し、次の試合が浜須田で戦うってことになって。
27:00
うん。
もう次で勝つんで、浜須田も満員で応援やばかったのよ。
うん。
そして最後に佐々木が出てくるんだよ、車で乗って。
おー。
またやってくる。
さすが。
佐々木が来たと。
お決まりだね。
そう。
で、投げてね、ちょっとね、味方のエラーでピンチになったんだけど、もう最後の打球は二塁Aの頃、ローズ、石井、小村とボールが当たって月2、試合終了、優勝と横浜ベイスターズ日本一となりましたと。
おー。
精も倒して。
倒しました。優勝直後。
うん。
360度球場のすべてのフェンスから紙テープが投げ込まれる。
うん。
テープがもう完全な円となって、色とりどりのたくさんのテープ。
ああ、綺麗だ、綺麗だ。こんなに綺麗なものは見たことがない。書けることがない、完全な輪となった。すべてが光のような幸せだったの。
いやー、その場、いたのかね。
ね、いたんじゃない?
まあそうだよね、ゆえの表現だもんね。
うん。
球場出ても外の道が、街が、どこまでも中のスタンドのようだった。
車があちこちでクラクションを鳴らしまくっている。
バンザイしている人たち、飛び跳ねている人たち、抱き合っている人たち。
海の方に歩いていくと汽笛が聞こえる。
歓喜のファンファレ。
山下公園にも喜ぶ人。
一人で歩いていても一人じゃない。
街全体がスタジアムになっていたようです。
うーん。
その後もオープンバスとかをやって、パレードとかを開催したり、
まあこのね、すごいお祭りはすごかったらしいですよ、98年。
何年ぶりよって話だもんね。
38年。
38年。
もう僕より、村田くんより年上ですね。
ちょっと年上っていうか、長いですね、生きてるより。
38年、いやーだいぶだね。
98年ってさ、なんか覚えてる?ちなみに。
覚えてるよ。
野球のことは全然詳しくなかったから、
ベイスターズとライオンズがもう宿敵みたいなもんかと思ってた。
毎度の宿敵みたいなぐらいの立ち位置なのかなと思ったら、セパも違うし、みたいな。
っていう、それぐらいの知識レベルだったけど、やってるのは知ってたし。
で、なんかセール、セールみたいなのやってたのはなんか、行ってたんだろうな。
それこそ高島屋とか。
お母さんとかと一緒に行って。
おぼろぎになると、野球で勝ったところの百貨店なのか何かがセールをするみたいな、なんとなくイメージがあったんだよな。
関連する。
その地元がやるよね。
だいたい。
それを最初に認識したのがなんか、ベイスターズが勝った時かもしれない。
うん。
30:02
あ、そうか。僕ね、マジで記憶ないんだよね、98年。
でもその、98年として覚えてるかって言われると、そんなに覚えてるわけじゃないけど、なんかその…
あ、そうだよね。子供の頃のね。
うん。
もう下手するとイギリスいる可能性もあるんだよな、小学校の時。
もしかしたらイギリスいたかもしれない。
だって小学校の時で野球好きの友達なんか全員その話多分知ったと思うんだよね。
もうヤバかっただろうね。
うん。だから知ってると思うんだよ、選手の名前も含めて。
うんうんうんうん。
うん。
うん。
何年生の時だろう?塾行き始めてたのかな?塾の時の方が野球好きの人が多かったから。
うーん。
耳に入ってくる機会多かったと思うんだよね。
うんうんうん。
うん。
へー。
その98年は、まあベイサーズの話に戻るけど、まあまあ選手も結構育ってきて。
うん。
まあ新元出世とか呼ばれたりとか佐々木がいたりとか。
うん。
結構なんか未来が明るいような、これから遂に時代が来たみたいな感じで、
まあ優勝パーティーとかでもめちゃくちゃ盛り上がって、てかちょっとした小話なんだけど、なんかそのリーグ優勝した時に、
うん。
ビールかけとかすんじゃん。
うん。
で、めちゃわーっつって盛り上がってたんだけど、
うん。
なんかビールがなくなったのか、
もしくは知らなかったのか、
うん。
ビールかけする時用のビールって常温にするんだって、まあ当たり前だけどめっちゃ冷たいから。
あー。
なんだけど、ベイサーズ優勝慣れしてないからか、
うん。
なんか冷たいビール、わーっつってかけて、クソ冷てーってなって、
うん。
佐々木とかなんかその、日本シリーズ戦った時に結構風邪ひいて熱あったら死ぬ。
ははははは。
みたいな小話が残ってますけど。
ちょっとバカすぎだね、それは。
まあそれぐらい優勝してないから、もうその喜び方は知らなかったんだよね。
そうだよね、その、なんなら常温でとか知らなかった、まあ言われてみれば冷たいなと思うけど、
そうそうそう。
38年ぶりだから、ちょっと慣れっちなかったんだろうね。
そうそうそうそう。
優勝時のビールの、慣れっちが。
そこまでね、ちょっと気が回ってなかったのかもしんないけど。
うん。
で、もうやっぱ輝かしい時代を見据えて、まあ優勝パーティーで選手の一人がね、ふざけて叫んだんだよね。
うん。
38年後に、また会いましょうっつって。
で、みんな何言ってんの、おいっつって。
うん。
でもまあ38年待っても、嬉しいぐらいやっぱ今年は嬉しかったんだよね、みんな。
まあそうだね、その、その時のテンションとしてはね。
そうなんですよ。
そんな、チョークを飛ばし、ここからね、次回から暗黒期に突入していきます。
そうだよね。
ご存知、これ以降まだベイスターズは優勝しない。
うん。
ってことで、次回、暗黒期、入ってこうと思います。
ね、なんかその、暗い、暗いことがわかっているみたいなさ、なんか、ね。
33:03
逆に気にならない?
こんなさ、9回に先出てきて、なんかもう、8回分しかないみたいな、敵チーム。
うん。
しかもみんな撃ちまくるみたいな。
うん。
なんでこっから暗黒期なんだ、みたいな。
確かに、もう翌年に、ね、なんかもう1年ぐらいとかさ。
ね。
多分優勝、同じ流れでさ。
うん。
してもいい気もするけど、そんなことはないんだね。
そうなんですよ。
次回楽しめる?暗黒期って、なんかすごいタイトル的に。
でも、まあ、うん。
横浜ウェイスさんの歴史を楽しむというか。
いやー。
まあでもね、なんか。
最後にまた感想話したいと思うけど、
うん。
やっぱこの時の、楽しさが半端なかったんじゃないかなって思うんだよね。
当時のさ、本とかのなんか記録みたいなのに書いていくと、本当になんかもう一生忘れないみたいな。
うん。
後継がそこにあって うんやっぱ
ベイスターズファンはずーっとこの時の楽しさを喜びをまた味わいたくてずっと待ってるん じゃないかってちょっと持った
ああまあだからファンでい続けるというかはいはいはいうん だいぶ忍耐してるよね
ブーブー まあ下手するとね
死んじゃうかねその嘘だよ 38なんてもう年齢よって死んじゃうねそんな待ってらんねーみたいな
あみたいな話かなまぁそんな ホイール図からベイスターズになって入賞すると言う
かいっ じゃあそんなところでそろそろ花も満開で
いいですかねそうしますかはい 港町レイドでは皆様からのお便りを募集しています
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はいではまた次の目立つ待ちレイドでお会いしましょう さよなら
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