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2025-09-10 16:31

なりたい未来を描いた時点でそれが現実になる

いろんな学び、気づきがあって幸せな1日でした🌸

#シドニー #セラピスト #フリーランス
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サマリー

このエピソードでは、シドニーに住むセラピストが水江拓哉氏の講演会に参加した経験を通じて、なりたい未来を描く重要性について語ります。彼女はボタニックガーデンで家族と過ごす中で、10年前に見た夢が現実になっていることを感じ、幸せをかみしめています。水谷さんの講演会では、大切な人のために動く力や、過去の特攻隊について語られています。また、シドニーでの心に残る家族との時間や気づきの瞬間も紹介されています。

水江拓哉の講演
こんにちは、シドニーのセラピストみもざです。今日は9月10日の水曜日、私の母の誕生日でした。
なので、後でおめでとうメッセージを送ろうかなと思います。
今日は、なりたい未来を描いた時点でそれが現実につながるという、なんかちょっとそれっぽいテーマをつけたので、
それについてちょっと私の最近感じたことをひたすらと話していこうかなと思っています。
私は先週の日曜日、日本の講演家の水江拓哉さんという講演家の方の講演を聞きに行くために、
シドニーの世界遺産であるオペラハウスに行ってきました。
水江拓哉さん、私知らなかったんですけど、インスタを見る限り、肩書きっていうのかな、肩書きは生き方を覚醒させるワールドスピーカー、啓発家の方らしくて、
本も出版されていたり、その著書がベストセラーになっていたり、5000人を今までプロデュース、本気を引き出し、誰もが輝く世界を、
モットーは和を起こし、和を起こす。シャリンのリンという字に起きるの、起こる、起こす。
その次は平和の和に興味の強で起こす。和を起こし、和を起こすっていうかっこいい肩書きが、モットーが。
私はインスタを見てるんですけれども、書かれてるような本当に熱い肩の公演を先週の日曜日に聞きに行ってました。
公演が昼からだったので、私は朝2人子供を連れて、夫はバトミントンに行ったので、子供2人と私だけでシティに行きました。
ボタニックガーデンでのひととき
その時にオペラハウスの隣にロイヤルボタニックガーデンっていうシドニーの中心にある大きな公演があるんですね。
公演というか、シドニーハーバーに沿ってある広大な敷地ですね。
ガーデンっていう名前もあるので、お花が咲いてたりとか、木がいっぱい終わってたりとか、本当に自然豊か。
そこで座ってオペラハウスを眺めるもいいし、あとハーバーブリッジも望めるので、結構写真スポットになったりもしています。
私も結婚した時に、そこの一つのポイント、オペラハウスとハーバーブリッジが同時に写せるポイントがあるんですけど、そこで写真を撮ったりとかしたなーっていう思い出があります。
ハーバーブリッジじゃない、ロイヤルボタニックガーデンに入って、娘、息子と買ったお昼ご飯を食べながら、公演といえど遊具とかはないので、
大きな木の根っこで遊んだりとか、あとは本当に芝生でゴロゴロしたりとか、オペラハウスを見ながら、すごいいい天気だったので、なんかすごい幸せやなーって言って、幸せをかみしめながら、たぶん2,3時間ぐらいそこにいたと思います。
その時に思ったのが、私は11年前の2014年に、その翌年に控え出たワーホリの下見も兼ねて、短期で一人でシドニーに来たんですね。
9月のシルバーウィーク、たぶん今頃ですよね。その頃に一人で来てました。2014年、私が28歳ぐらいの時ですね。
その時、シドニーの中心にある有名なボタニックガーデンで、平日の昼間から寝転んでリラックスしている人たちを見て、びっくりした思いがあります。
その人が休憩中なのか、休日を過ごされていたのかはわかんないんですけど、こんな生活があるんやっていうのを、本当に衝撃を受けた思い出があります。
で、私もね、なんかあれやりたいと思って、ゴロゴロしたいなって思ったんで、すぐ近くにあったバーガーキングっていうマクドナルドみたいなところで、ハンバーガーとポテトチップス、フライカーを買って、
芝生でゴロゴロするのを真似してやってみたっていうような思い出があります。
で、その当時ね、私も本当に21歳から大学病院に勤め始めて、主に手術室で、その当時も手術室でね、本当にバリバリ朝から晩まで働いていた私にとっては、
本当にこの王子のリラックスした感じとかね、なんかいい意味での適当さとか。
9月ね、結構主に天気いいんですね。だから本当に空が高くて、青くて、雲がなくて、なんかすごい別世界にね、来たような感じだったなっていうのをね、すごい覚えてます。
で、まさかね、その10年後に子供たちが、できたのもそうなんですけど、子供たちと一緒にボタニックガーデンでね、過ごす日が私の当たり前になってるんやなーっていうのもなんか噛みしめて、
それもあって、なんか幸せやな、豊かやなっていう風に感じてました。
自分の未来を描く
なんかちょっと話がずれるけど、この間、それこそその日の夜かな、夜ご飯をね、夫もシティに来たので食べに行って、
で、トイレに行ったんですね、ご飯の後に。そしたら、私はちょうどその時タオルを持たずにトイレに入っちゃったんで、手を拭くものがなかったんですね。
で、紙もなくて、なんか何にも拭くものがないっていう状態、トイレ自体に。
で、どうしよっかなーと思って、濡れたままドアを触って、ドアを開けるタイプだったんで、触らないといけなかったんですね。
ドアを触ったらどうやって拭こうかなーとかって、一瞬ね、考えてたら、ちょうど同じタイミングで手を洗って出たお姉さんがいて、
で、お姉さんが、ほんまにびっくりしたんですけど、私も。
そのお姉さんの前に出た人が開けて、ドアが閉まりそうだったんですね。
閉まりそうなドアを足でガーって開けて、で、行こうみたいな感じで、私を通してくれたんですね。
だから私はドアを触る必要がなく足でバーンって蹴って開けてくれて、で、ドアが2個あったから、もうその1個目のドア足で蹴って開けてくれて、
で、もう1個のドアも閉まる前に足でガーって止めて、足でバーンって蹴って、で、私とその彼女はね、外に出れたんですけど、
なんか、そんなんてほんまに日本ではないよなーって。
特に私もきなちゃんとその日本とオーストラリアの違いとかを結構喋りながら、前の1週間ずっと過ごしてたから、
なんか私にとっては結構それがもう当たり前になってた光景だったけど、
いやこれ日本でやらんよなーってこんなんやったら、なんかこうちょっと失礼だったり、なんかびっくりされる行為。
足でそんなんやるなんてね、普通は多分ありえない光景だったと思うんですけど、
なんかそうやって開けてくれるのっていいなーと思って、その時も。
なんかね、いい意味でその礼儀とかないっていうか、
日本だってお母さんが隣にいたら縛られそうな行為ですけど、
なんかそれもいいなーみたいなのをね、ちょっと感じてました。
ちょっと話がずれたんですけれども、
なんかそんなシドニーに私は今住んでいて、
ボタニックガーデンで過ごす、この人たちすごいって、なんでこんなリラックスしてんのって思ったところから、
10年後にね、まさか私もそれがね、当たり前というか、日常ではないんですけど、
でもそういう生活がすぐできるような状況にあるっていうのが本当に、
なんかこれやりたいとか、この人たちいいなって思った、
10年前にいいなって思ったことが今現実になってるんだなーっていうのを感じてたんですね。
で、その水泳さんのね、最初の話した水泳さんのね、公演に行ったんですね。
最初私ももう前情報ほとんどなしで行って、どんな彼になるんかなーとかね、思ってたんですけど、
一言で言うならめちゃめちゃ熱いし、あと面白い人やなっていうふうに思いました。
終始ね、言われてたのが、やっぱり自分、自分で動く。
自分がこうなりたいって思うんだったら、もう動くしかないっていうようなメッセージを私は強く受け取りました。
水泳さん自身もね、オペラハウスで公演をするってすごいことなんですね、やっぱ世界遺産だし、なかなか本当に難しいことらしいんですけど、
水泳さん自身もちょうど1年前ぐらいにオペラハウスに来られたのかな。
ここで公演したいなーって、できるかなーって。
水谷さんの講演と感動
その時に公演したいって言ったら、やっぱり周りの人にはそんなできるわけないよって、なんかこうバカにされたりもしたらしいんですけれども、
自分が自分で口に出してオペラハウスに向けて行動したことで、1年後ここに来れましたっていう話を最初にされたんですね。
私から見てもやっぱりオペラハウスで公演するって並大抵のことじゃないし、しかもイングリッシュスピーカーじゃなくて日本語で、多分たくさんの方の協力がいると思うんですね。
それでもこうやって実現させて100人以上の方をね、読んだっていうのは、なんか本当目の前で、私がその前にね、ボタニックガーデンで感じてたことを実現した人がいるって、しかもこの1年っていうスピードでいるっていうのが、
本当に胸にグッときて感激、感動しました。
水谷さんのお話の中で、人は大切な人のためだったら動ける。例えば今ここで一人で大声を出して話してくださいって言われてもできないけど、もし誰か大切な人が隣で死にそうになっていて、誰か助けを呼ばないという状況になったときに、あなたはどうできますかって言われて、その時はね、結構皆さんできるっていう声が多かったんですね。
本当にまさにその通り、誰か大切な人のために今動く。
最後、戦争の時の話も出てきたんですね。
水谷さん自身もおっしゃってたけど、この話を美化するつもりはない。戦争の時の話というか、特攻隊の話だったんですけど、この話を美化するつもりはない。そういう人たちがいたんだよって、綺麗な切れ言として話すつもりはない。
でもこの事実は知らないといけない。そういう若い人たちがいたんだよということを知らないといけないというような話の内容でした。
その人たちはね、国のために死ぬんだとかね、生きたくて生きてるとか、美化されている話も私も聞いたことがありますけど、でも実際その方たちの残っている遺書を読ませてもらうと、まだ生きたくはないけど、生きますというメッセージが残されていたりとか、
私の分まで生きてくださいというようなメッセージが残されていたり、生きられなかった若者がいるっていうことをね、私も本当に特攻の話、本当に最近知ったんで私も。
ちょっと恥ずかしいんですけど、こんな言うのも本当多分ね、3、4年前ぐらいにそれこそ資生教授の師匠の松治さんが教えてくださったんですけど、そこから漫画を読んだりとか本を読んだりとかして、あとドキュメントを見たりとかして知っていったんですけれども、本当にそういう人たちがいて、その人たちの本当に命を今受けて、私たち日本人が生きてるっていうのを
本当に心から感謝してるし、その大切にもらった命をどういうふうにこれから生かしていくかっていうのを私も本当に考えたいなっていうふうに今は思ってます。
家族との思い出
話があっちゃこっちゃいったんですけど、本当に水江さんの講演会の日ね、とってもいろんなことを考えました。で、その日ね、たまたまシドニーではね、シドニーというかオーストラリアでは父の日だったんですね。なので水江さんの講演後の夫と子どもたち2人とね、ペルハウス周辺を歩きながらアイスを食べたり、あとご飯を食べたりね、
ちょっとした家族時間も過ごせたし、でも水江さんの講演は私は夫とも聞いたんで、なんか良かったなって、それも夫婦でそういう話を聞くってこともなかったし、英語の同時通訳が入っていたので、日本語も分かる夫なんですけど、日本語を聞きながら英語も聞きながらっていうので、結構理解が深かったんじゃないかなって、深い理解ができたんじゃないかなっていうふうに思って、
結構ね、インナーチャイルドの話とかその他ね、いろいろ自分の元となる、その時の自分はどうだったのかなとか、過去を振り返るっていう時間もあったから、そういう話普段なかなかできないし、私もそんな深い話英語でよしないんで、なかなか難しいテーマだなって普段ね、夫と話すときも思ってたんですけど、
そういう話ができた夫婦で、会話を深め合う時間にもなったのかなというふうに思ってました。
そんな感じで、とっても良い一日を、いろんな気づきがあった一日を過ごしていました。
当時ね、11年前、2014年に市長さんにね、本当に頭を下げてお願いしまくって、手に入れた貴重な10日間の休みだったんですね、しどりに行きは。
本当にしどりに来れて良かったなって改めて思いました。
そんな感じで今日は終わりにします。聞いてくださった方いたらありがとうございます。また投稿します。さよなら。
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