紙に対する思い
こんにちは、児童科インジニアのみきです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今日はですね、私がさっきふと思った、
少し罪悪感が晴れたかもしれないって思った話をさせてもらえたらと思ってます。
前回、前々回とかの投稿で、
なんかタスクに追われてパンクした過去があるとか、
あとは業務改善を粛々とやってた、みたいなところを話させてもらったんですけど、
なんかそこ、その時を振り返ったことで、
なんか改めて、なんか私、紙の業務に本当にストレスを感じるんだなぁとか、
紙とかあと印鑑とか、なんかそういう仕事に結構うんざりというか、
ストレス感じてたなっていうのを改めて思い出しました。
で、私は結構やっぱその時から紙減らしたい、みたいなことをずっと考えてはいて、
打倒紙。
なんか情報共有とかも、あの手書きよりやっぱデジタルの方が圧倒的に効率的だと思ってたし、
あとあの、私にとって結構その紙が何枚も何枚もあると、
なんか頭の中が散らばるみたいな感覚になって、
やっぱ、え、どこにあの情報あったんだっけ?みたいな。
どこに何書いたっけ?みたいな感じになっちゃって、
本当思考がまとまらないみたいな、
次何すればいいのかわかんないみたいなことになっちゃうことも結構あったので、
やっぱそういうので、こう携帯、手元で携帯で一元管理で見れるみたいな、
なんかそういう状態が理想だなーっていうのはいつも思って仕事してました。
なので、私はずっとあのアンチ紙のそういうやつなんだなーって結構思ってはいたんですよね。
で、その時のことをそうやって思い出してたんですけど、
でもなんかさっきちょっと思い返してて、
でも、例えば先週の数値の振り返りとか、
あとあの翌月の計画を立てるみたいな業務の時は、
結構あの紙に印刷してからじゃないと、
なんか逆に頭働かんなーみたいなことも結構あったなーっていうのを思い出したんですよね。
やっぱそういう時はなんかデータを全部プリントアウトして、
手元に赤ペンとかマーカーとか置いて、
で、そこから情報抜き取るみたいな作業は結構、
なんか効率的にその時はやれたなーっていうのをちょっと思い出してました。
で、私的にこの気づきが結構大きな発見で、
今までアンチ紙としてやってきた気がするけど、
なんかあの紙が全部嫌いってわけではなくて、
父との関係
紙が好きな業務と紙だと本当に嫌だなーって思う業務がどっちもあるのかなーっていうのに、
今日は改めて気づいたんでしょうね、さっき。
で、これが何なのかっていうと、
実は私の父はずっと紙を作る製紙工場で働いてるんですよね。
娘である私が、
あの方や、ペーパーレスか、打倒紙とかって言って、
なんか紙をこの世からなくすみたいなことを言って活動してたんですけど、
なのでなんかそういう活動をしながら、
たまにパッて父の顔が浮かんで、
わっ、父は今も紙を作っているのに、
私は紙をなくそう、世界からなくそうとして、みたいな。
なんかどこか複雑な気持ちを抱えてたりしたんですね。
でも、さっきの紙をやっぱり印刷して、計画立てるとか振り返るとか、
数値を見るみたいなことはやってたし、紙に救われてたし、
なので別に父の仕事を、私は全然否定しているわけではなかったんだっていうのを、
なんかさっき思えて、
改めて別にその紙の手触り感とかは結構好きだったりもするので、
なんかそういう良さとか、
仕事の中でもこの業務は紙がいいとか、
また読書とかでも結構言われてると思うんですけど、
やっぱ本読むときは紙がいいとか、
なんかそういうので、
なんかデジタルの良さと紙の良さとあるんですけど、
私はその使い分けを自分の中で上手く言語化できてなくて、
別にちょっとモヤモヤというか、
お父さんごめんみたいなことを結構ずっと思ってたなっていうのをさっき思いました。
一方本当、私もちっちゃい時に漫画をすごい、
何冊も何冊もノートに書いたりとかしたし、
問題集もいっぱい解いてっていう子供時代を過ごしてたので、
結局紙のおかげで少し少し育ってこれたなっていうのを改めて思って反省しました。
かといってデジタルの良さの推進をする気持ちは変わらず、
良いもの扱っていて、
でもこの作業は紙がいいよねとか、
これはデジタルがいいよねとかっていうふうに柔軟に考えてやっていけたらいいのかなとかってちょっと思いました。
皆さん、紙とデジタルの付き合い方とか使い分け、
なんかどうされてるんでしょうか?
もし何か聞けると嬉しいです。
という感じで今日はさっきふと思った、
なんとなく少し罪悪感が晴れたっていう話でした。
では今回は以上でまた次回お会いしましょう。
それではさよなら。