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夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。
二桁生まれのパーソナリティ。ミッキーロンリーがご案内します。昭和レトロ。
今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく優しい昭和の情景。心を思うままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は昭和レトロのお話。テーマは団地。団地の商店街です。
昭和の世代の皆さん、現代に生きるリスナーの皆さん。
幼い頃、子供を自分の時に団地でお過ごしになられた方。成長期にそんな思い出を紡いだ方。
多いのかもしれませんね。私ミッキーがエピソードを交えてお話し進めたいと思います。
どうぞお付き合いください。
時は昭和の40年代、50年代。あの時、あの頃。
日本において高度成長期、昭和30年代から40年代まで、多くの団地、ニュータウンが整備され、購入されました。
そして私ミッキーも、そんな世代です。
それこそ小学校3年生までの間、一つの団地にいて、また転校先でも、また一つの団地群の中に。
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形は違えど、当時の団地の姿。
大きな給水塔が団地にはあって、その中心地とも言えるような場所には、団地の下に商店街があったり、グラウンドがあって、地域の盆踊りとか運動会があったり。
そして、商店街には様々な店舗。
そこ行けば、ほとんどの物が買い揃うことができるような本屋さん、おもちゃ屋さん、それこそ市場ショッピングセンター。
現在の物よりもかなり小ぶりな物ではあるけども。
そして、床屋さん、美容院さん、銀行は一つ、郵便局。
学校終わったら、休みになるとそこに行くと、友人、同級生の人たちが溜まり場になっているような、駄菓子屋さんを記憶している人も多いことでしょう。
そして、あの頃、病地のテーブルに焼きそばの鉄板、ドーナツ椅子、そしてプラスチックの丸みを帯びたソースの入れ物、紅生姜、鰹節。
そこで食べる焼きそばは本当に美味しかったし。
さまざまな駄菓子が店内にも並んでいて、ブロマイドというのか生写真をちぎって、ウルトラマンとかウルトラマン7とか。
小さい時にダブリが出て弟がショックを受けてたの。今でも覚えている。
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特に嫌いな怪獣だったからね。
そして多くの自転車が並んで、すぐ近くで面子したり、鉄ゴマしたり、そんな思い出がよみがえる。
そして団地のあちらこちらに、自分たちが秘密基地という場所も設定して隠れた覚えがある。
特に3階建て4階建ての建物にはダストシューターがあって、今思い出すとおっかないけども、そこに隠れて遊んだこともあったっけ。危ない危ない。
そして団地の中の今では細い道に、いろんなチョークで落書きして遊んだりして、ポン菓子の車とかわらび餅の車とか、
お豆腐屋さんが来たりして、いつの間にか気がつくと夕焼けが近づいていて、
そして名残惜しく家に戻る。
そういえば思い出したけれども、なぜか古い街並みも隣接するような場所にあって、公民館とか日野宮倉が残している風情もあった。
そこからは建物の日野宮倉にスピーカーがついていて、皆の疲労を促すかのように、時折音楽が流れていた。覚えてる人も多いのだろうか。夕焼け小焼け。
そして新世界。なぜか音がかなり悪いのだけれども、水浦ひばりさんの歌とか、なんか流れてたな。
そしてそれぞれごとにグループを作って、自転車を乗ると早く帰ってしまうから、押し歩きして。
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そんな思い出がよみがえる。今思うと夕方、夕焼けは本当にきれいな空だった。
話は変わります。
団地。子供の時に過ごした人も多いことでしょう。
そして今では再開発で建物が多く建て替えられています。
耐震構造の部分からも。
そして多くの店は入れ替わってそこから育った人がいます。
昭和の世代のピークに比べて人口はほぼ半減している街が多いと聞きます。
高齢化、各家族化、そんな傾向もあって、
少しあの頃の僕たちが住んでた時と、街の垣は違いますけれど、
都心から、逆に都市をお召しになってから住まれる方もちらほらあると聞きます。
自分帰り。それこそ就活。
そしてそれこそエンジニアとかメカニックの仕事をしていた人が、
終盤にアナログに染まっていく。
アナログの価値に再度身を置きたいと考える人も多いようです。
いつも人間らしく生きる。その姿は今も昔も変わりませんね。
私指揮も近いうちに、また自分の育った団地、商店街に行ってみようと思います。
夕焼け一人きり、こんなあたりで本日終わります。
お付き合いしていただき、ありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。