小さなスナックの歴史
夕焼けひとりきり始まりました。 昭和2桁生まれのパーソナリティー
ミッキーロンリーがご話します。昭和レトロ。 今は懐かしい思い出。
明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。 暖かく優しい昭和の情景。
心思うままにお話しできればと思っています。 どうぞお付き合いください。
今日は 昭和レトロのお話。
テーマは小さなスナック。 このスナック。
パブ。 人によっては
馴染みのないキーワードかもしれません。 昭和の世代の皆さん。
現代に生きるリスナーの皆さん。 スナック。それは
アルコールの場所でもありますし、 人によっては馴染みのないお店であったかもしれません。
ただし昭和のあの頃、
あの時、当時の歌でも
非常に出てくるキーワードです。 それは演歌の世界であったり、ムード歌謡であったり、そして
当時は 娯楽といった部分でも今のように多様化している時代でもなくて
そして 地域において
そのビジネスマンが会社外に軽く立ち寄ったり
そして 地元の商店の人の社交場であったり
それはお酒をたしなむ人、アルコールを 飲めない人であっても
ウロン茶であったりソフトドリンクであったり ただしそのカラオケも
ウムの状況もありますけれども当時は 今のような
通信ではなくて それは
エイトトラック そして平成にかけての
ウェザーディスク、そしてその後の通信との流れになっていく
そして 当時ソナック屋
カラオケを 長寿していた
ユーザーの方が今お年を召されて大人になって その後カラオケの好きな方は
環境も変わって カラオケ喫茶に行かれる方もいたり
またカラオケボックスは非常に その全国へ
ネットを広げています ユーザーも若い学生さんから
それこそお年を召された方まで誰しも 楽しめるようなものとなっています
話を戻します そして
その小さなスナック、それは雑居ビルであったり
都会のネオン街の中に溶け込むような風景でもありましたけれども 今では非常に数を減らしています
そして 当時
ママと呼ばれるような、またマスターと呼ばれる方も
その 時代背景の中
世代交代もできなかったり今そのままお年を召された状況で 経営されている
そして お客様自身もその当時の時代から
個人的な思い出
その同じ数だけ お店のスタッフも
そして
客も年齢がスライド移行しているというケースも多い
状況です そして
今でも歌としては あの昭和のモドカヨ
同じように歌われていますし この令和の時代にもテレビ番組でも昭和レトロの
あの頃のデュエット曲や 例えば
モドカヨ ミゾラアギバエさんにしても石原雄二郎さんにしても非常に人気がありますね
そして自分の 生活を重なり合わせて哀愁漂わして
マイク片手に立てる人も 今でもいると思います
話は変わりますけれども私ミッキーも
実は スナックにも
サリーマンの時代に 少なからずとも
通っていた時がございました 決して多くはありませんけれどそして
雑居ビルの2階3階の店だったりそして ドアを開けると細長い
内装で店内そして 長いカウンター
自分がビンビールを とりあえず飲むのですけれども乾杯
試着していただいて乾杯するときは その日の疲れが飛ぶような気もしました
そして 乾杯
その頃から今も変わらず好きですし そして
小さな幸せを感じて その空間を
時にはデュエットしたり そういう思い出は今となっては懐かしいんですけれども
たまに それは商売上
のことだと思いますけれども 心を一つに
した錯覚のようにデュエットを歌うときは ただ
嬉しい 気持ちでもありましたしそして
お会計を済まして店の階段を下る そして
また 酔ってねーなんて
降りた階段のところでお別れをする その
あとの 風に吹かれる自分はとてもいい気持ちでしたね
いつだったか カッコつけて階段を降りて下に来たら静かなと思って振り返ったら誰もい
なかった そんなことも笑い話でありますけれども懐かしい曲です
スナック 私にとってもちっぽけな幸せな物語を
噛み締めた瞬間でもありましたし 懐かしい曲です
スナック昭和の時代からの店 今も引き続き
街角のどこかで開店していると思います 応援したいと思います
そんな何気ないスナックを今日は語ってみました 夕焼け一人きりこのあたりで本日終わりたいと思いますお付き合いしていただき
ありがとうございます次回の番組お楽しみに