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頑張り屋さんのがんばらない習慣ラジオ
BEの習慣、あり方の習慣で自分軸を整える
習慣オタクのマーケター、きょんです。
今日は、最近すごく増えているなぁって思う、社会人の大学院入学
あれって本当に大丈夫かなぁって、この頃ちょっと思うことがあったので、それについてちょっとお話ししたいなぁと思います。
最近ね、本当に私の周りだけでも片手で済まないぐらいの人数の人が、この数年で大学院に入学してるんですよ。
もともと行ったことがあるけど、行き直してる人もいるし、初めて大学院というものに行ってる人もいたりするんですけど、
だいたい40代ぐらいの年齢で、もう一回学ぼうという感じでね、大学院の受験をね、して入学してるんですよね。
うん、なんかそれで皆さんにちょっとね、いろいろね、その理由とかも聞いていく中で、私なりになんか疑問に思ったことが結構あるんですよね。
で、私自身も実はなんですけど、大学院まで行ってるんですよね。
まだ全然若い頃、20代の時なんですけど、勉強が好きだったっていう風にね、その時はね、思ってたんですよ。
勉強好きだなって自分。
でも正直今思い返すと、多分ちょっと社会に出るのが怖かったんですよね。
で、結構学校で比較的褒められてきた人生だったので、なんか学ぶことが割と得意だったりとか、よく頑張ってるねってね、言われるタイプだったんですよね。
なので、すごく居心地がいい世界だったと思うんですよ。
なので、なんか結局そういう居心地のいい世界から私離れたくなかったんだと思うんですよね。
そういう意味で、割とダラダラと長い間学生時代を過ごして、結構ね、社会に出たのは実は27歳だったんですよね。
なのでね、長い間大学生してたなーってね、今思ったりはします。
それもあってなんですけど、最近ね、その知ってる人たちが結構大学院に戻ってる中で話を聞いていて、
私なんか2種類の人がいるなーってすごく思ってて。
一つは、今の仕事に知識がもうちょっとあった方がいいなーっていう風に感じて大学院に行く人。
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で、すでに社会人経験があるので、自分で足りないスキルとかプレートした方がいいとかっていうのがもう明確にわかっていて、
その仕事をより良くするために学びに戻ろうっていうね、人っていうのがまず一ついます。
もう一つは、なんかすごい、ちょっと批判を恐れず言うのであれば、なんかね、学びに逃げてるタイプっていうのもね、やっぱいるなーと思って。
ほとんどの場合そういうのって、仕事がうまくいってないんですよ。
仕事があんまりうまくいってないから、なんかもう一回学びの世界に戻ることで、なんか変われるんじゃないかっていうね、期待をして戻るっていうタイプです。
で、大学院って、なんかすごく逃げ場になりやすいなーって、なんかそういう話しててね、思ったんですよね。
で、すごくこの大学院に戻るっていうのは、もう逃げ場としては最高の場所だなーって私は思っていて、そこにもちょっと3つ理由があるんですけどね。
一つ目は、学びって誰も絶対否定しないんですよ。
なんかむしろ、なんか今からまたこの40代にもなってね、学びに戻るなんてえらいねーみたいな、すごいねーって多分みんなに言われる。
推奨されるし、なんか褒められるし、いい気持ちになるんですよね。
で、二つ目は、学びの世界って、現実の中で成果を出すよりも、ずっと私は簡単だなーって正直思ってて、大学院まで自分が行ってて、行ったことがあって思った感想なんですけど、
もちろん学びの世界もね、その学びの世界でそのまま生きていこうって思ったら、めちゃくちゃ困難な道のりなんですよ。
もう例えば研究者になってね、学者になってとかってなるのはね、めちゃくちゃ困難だと思うんですけど、
でも、社会人入試でいずれ社会に戻るっていう風な、一時的な学生である、学生時代である、そういう意味での大学院入学であるならば、
結構楽だと思いますよ。
基本的には、答えがある程度ある世界だし、
社会で仕事をうまくいかせようとした時には、かなり複合的な要素がやっぱりあるんですよね。
1個のことをやったからって成功するとは限らない。
やっぱり、すごく複合的に環境とか人間関係とか、仕事のできるできないとか、どんだけ知識があるとかに関係ない部分ってすごいあると思うので、仕事がうまくいくかいかないかって。
でも、学びの世界でうまくいくいかないって、やっぱり学習1本でなんですよね。
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どんだけ学びを深めたかとか、知識を得たかとか、そういう意味でやることがシンプルなんですよね。
そういう意味で、そういう意味の成果を出すっていうのは、ずっと学生の方が楽だなと思って。
3つ目は、学ぶほどやっぱり何か賢くなった気がするし、何か前に進んでる気がして、すごく刺激的なんですよね。
やっぱり今、大学院に戻ろうっていう人って元々学びがまあまあ好きだったりもすると思うんですよね。
それで新しいことを知るとか、知識を得るとか、賢くなっている感覚ってめちゃくちゃ刺激的で快感なんですよね、人って。
なので、そういう意味でも学んでいることは、何かどこに行くか進んでいるか実はよく分かってないんだけど、でもなんか進んでいる気がするんですよね。
すごい、また一つ賢くなったみたいな。何かまた一つ武器を得たみたいな感じがして。
そういう意味で本人も多分、何かやってる感があると思うんですよ。
それは何かね、現実世界で仕事をしているよりも、そっちって明確に数字出てるじゃないですか。
でも学びの世界って数値化されない分だけ、自分の感覚値として何か学んだ、進んだみたいなのがね、快感に繋がりやすいんじゃないかなって思ったりもします。
なんか、そういう意味で私、何か逃げ場になっている場合、大学院とか逃げてしまっている場合って、何かその後のことがほとんどやっぱ決まってないケースが多くて、
何か卒業した後何するのかとか、この学びを得た後どう活かしたいのかっていうのを持ってるか持ってないかって、何かすごい大事な気がするんですよね。
それがない場合、ただ単にやっぱり現実逃避なんじゃないかなって思ったりもします。
これ、何か習慣の仕事、やってますけど習慣家とも結構似てて、何かこう、自分がどうありたいのか、どういう人って何を大事にして生きていたいのかっていうのがないと、
何か毎日の本を読むとかね、運動するとかっていうその習慣そのものって何か意味がないとは言わないんですけれども、あんまり自分の生活や人生って変わらないんですよね。
学びも何か全く同じで、何かこう自分がどう生かそうとかって、こういう人のためにとか、こんなことに生かしたいとか、こう活用したいっていう風なことがない、方向がない学びっていうのは何か結局あんまり生かされないですし、
何か方向がない学びって方向がない習慣と何かすごい似てるなーって思いました。
でも念のためちょっと伝えると、私別に学ぶこと自体を否定しているわけでは全然なくて、学ぶこと自体はねすごく素晴らしいことだと思うんですよね。
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でも私何かその精度を分けるのは、その先に行きたい方向があるかどうかだってやっぱり思ったりしてます。
なので、そうだなー、なんかそういう意味でも私、結局何か目的を持ってとかね、めちゃくちゃ明確じゃなくていいんですよ。
でも何か行く先の方向、せめて方向を持って行動するって結構すごく大事な気がしてるんですよね。
そうじゃないと、何か自分が逃げてることにも気づかないというか、
自分がここに行くんだ、ここに行きたい、こっちの方向に行きたいんだってせめて思ってないと、
その学びにどれだけ意味があるのっていうかね、何か学んでることだけに遅れてないですかっていう風に結構思ったりします。
はい、というわけで今日のアクションなんですけど、今何か自分が学ぼうとしていることがあったりとか、
あとは何か続けている習慣っていうのがもしあったら、それをちょっと一つ思い浮かべてもらって、
これやった先何する?これをやった先何がある?どんな自分になりたい?
ちょっと1回だけ自分に聞いてみてください。
パッと答えが出たら私はOKだと思うんですけど、出てこなかったらせっかくなので、
じゃあこれ何に生かそうかなーとかっていう風に、目的とか方向とかそういうのを決めるいいチャンスだと思うので、
答えが出たか出なかったかもしよかったらコメント欄で教えてください。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
今日も頑張らずにいきましょう。きょんでした。