1. 【体験者の証言】戦争の記憶(Memories of War)
  2. 【記憶22】八杉康夫さん/Memo..
2016-05-04

【記憶22】八杉康夫さん/Memories22_Yasugi Yasuo

【記憶22】八杉康夫さん/Memories22_Yasugi Yasuo


00:00
【早川】こんにちは、早川洋平です。今日はですね、戦争の記憶ということで、広島県福山市、八杉康夫さんのご自宅にお伺いしています。
【早川】八杉さん、よろしくお願いします。 【八杉】ありがとうございます。
【早川】八杉さんといえばですね、今手元にもあるんですけども、【戦艦ヤマト 最後の乗組員の遺言】ということで、この本を、手元にある本は新版だと思うんですけど、
最初に出されたのは、今2016年なんですけど、2005年ですか?もう10年以上前。
その前に、簡単に八杉さんのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。
八杉康夫さんは、1927年、昭和2年、広島県福山市生まれ、15歳で海軍に入隊され、1945年、昭和20年ですね、
【戦艦ヤマト】の乗組員になり、同年4月、沖縄特攻で撃沈されるも成艦されたということで、その後もちろんいろんなアトラマがあるんですけども、
今のプロフィールを読むだけでももう壮絶たる、特に人生を過ごされてきたのかなと思うんですけど、
人生とさらっと言いましたら、この時まだ17歳?8歳?
【八杉】17歳。 17歳です。
正直、今私ちょうど倍の35歳なんですけども、35歳でももう想像できないんですけど、
今日何からお聞きしようかなといろいろ思ってたんですけど、そもそも、その【戦艦ヤマト】に乗る経緯っていうのはどんな感じだったんですかね?
【八杉】いや、それは、お前はな、戦艦ヤマトへ、【八杉】ヤマトへと言っちゃいけない。
【八杉】ウの556、アイウエオのウの556の11、11いうのは【戦艦ヤマト】の11分隊、そこへ行く。
【八杉】だから、【戦艦ヤマト】はずっとおったもんで、
【八杉】だから、三木医官、お前は新兵なんだから、何にもない、一等兵も何もないだから、そこで乗って訓練を受けろ。
【八杉】行った時分に、【八杉】八杉、ちょっと来い、来て。
【八杉】お前はな、しっかり、どうやって言うか、いろんなことを教わって、お前はしっかりと勉強をして、法律学校へ行けよ。
03:01
【八杉】何でかな、そんなこと、法律学校って難しいじゃないですか。
【八杉】何回、あれって、試験、試験、試験じゃん。
【八杉】そうから、俺はダメだった、帰る、帰ったとしようが、お前は行け、言うから、みんなが、お前法律学校行くじゃん、あそこ。
【八杉】難しいぞ、難しいぞ、って言って。
【八杉】それを出た。三木勘。
【八杉】いろんなことを勉強して、お前はいろいろとあるんだけど、法律学校になったら、お前は、なんと、即拒否になるんじゃない、言うて。
【八杉】図る。図って育って、打つ。
【八杉】お前、そんなとこ行くな、あそこは、言って。
【八杉】それが終わって、みんながチャチャチャチャ、服を着て、こういうふうな経歴で終わりましたよね。
【八杉】どういう経歴?
【八杉】どういう経歴ですかね。
【八杉】こういうふうな、今、見てた。
【八杉】なんで自衛隊がこうな、こうな。
【八杉】なんでそんなのか思うぜ。
【八杉】そしたら、海軍はこうです。45度。ここからこう。
【八杉】手をね、はいはい。
【八杉】こうじゃない。こうです。
【八杉】あ、失礼。
【八杉】はい。
【八杉】はい。
【八杉】で、そういうのがあって、お前、行ったんかい。
【八杉】みんなが、さっき言って、
【八杉】お世話になりました。ありがとうございます。
【八杉】何百人、何百人、ドッドドッドって言って。
【八杉】元気だな。絶対に死んだらいかんぞーいって。
【八杉】あっ、рузころんだ。
【八杉】はい!ありがとうございました!
【八杉】自分は、
【八杉】弓矢館へ、
【八杉】貰口様になりました。
【八杉】送って。
【八杉】お前、何しとのか
【八杉】なんと、
【八杉】分隊長が、お前に来いとおっしゃったぞ。
【八杉】行け!
【八杉】フタフタフタフタ。
【八杉】安生園長、
【八杉】待ってました。
おっ 入れ
入って
お前は
06:01
補修分隊行き
補修分隊
補修分隊
一応
はい
なんでそこ行くの
補修分隊 神様分隊じゃないか
あそこは
お前行くんか
行くなあそこは
えぇ
これ行ったらささささ
勉強して
えぇ
そこで
ここで教わったことは
一歩
ここの
教室から一歩出たら
絶対に話したい
もしそのことを
話したらお前は
海軍刑務所に
行くことになるぞと
絶対言うてえがん
絶対書いてはいかん
ああ
えーと全部で
じゅう
6人か7人
おったのがお前だけ
俺は去ってきて
なんと
裏乳も
プート乳も
だから
日本でも
そういうのを考えてたわけ
アメリカへ持って大きいやつを
どうしたらいいんだと
ポケットから
こっからこっちぐらいの
マッチ
これを
出して
もし
えぇ
ウルト
乳元がなんとか書いてある
これを戦艦
大和が落としたら
大和は
ババー
粉滅状態になる
いかに大和でもそうですよね
そしたら
書くことは
鉛筆も置いてはいかん
なんにもか
一切そのことを言うてはいかん
はい
補修員なんだから
補修本体って
補修員になったら
IQが相当
上かなぁ
そうですよね
一般は100
マイナスの
90
80
そっから上やって
110
120
なんとか頑張って130
までなったら
ものすごいええと
言うとったのに
東大
東大もし行こう思ったら
150です
あそこ行こう思った
09:00
東京
帝国大学
って言ったのか
そうですね
袖持ってから
行こうあいつらすごいぞ
そしたら
147
なんとかする
その檻に
お前のIQだ
IQだったら
168やったわけ
計測できるんですね
当時できたんですね
だって
僕が
小学校行った
檻にも
全部こうか
購入だったら
だーっと
だったじゃないですか
1年から6年まで
お前はすごいな
すごいな
親が言う
やっぱり優秀だったんですね
だから
自分では優秀だとは
思うんじゃないですか
そこがまた優秀たり有縁だと思いますよ
そうですよ
今少し戻りますけど
プルトニウムというか
キーワード出てきましたけど
授業というか
中でそういうのを日本で作ってるみたいな
どういう経緯で
その言葉が出てきたんですか
プルトニウムの話は
どういう経緯で出てきたんですか
日本の軍で実は作ってるけど
内緒にしろなのか
その言葉の
どういう経緯でその言葉がその時出てきたのかな
と思って
だから
一本の
もし上から
せんかに
ヤマトへ
ヤマトはいらせんからね
小さい
だから
落としてやったら
ヤマトは粉末状態だ
一切言ってはいかん
黙って聞け
はい
プルトニウム
いろいろと
当時の日本の軍の
それが
そのくらいの威力のあるものだってこと
すでに知ってたってこと
ということは
研究して作ろうとしてたかもしれない
昭和18年の
お正月明けから
日本中から
いろんなやつを集めて
頭のいいやつを
集めて
これを作れ
アメリカへ大型の飛行機を
乗せてやって
あっちこっち落としたら
アメリカは壊滅する
そういうことを教わった
そうだったんですね
そういうことを教わった
そういう話を
聞いたのは
12:00
結構もう
日本軍はそのくらいもともと
力というか
できるんだなっていうのは
あんまり驚かなかったですか
当然できるんだ
昭和18年の
お正月明けから
頭の優秀なやつを
教授とか
何とか集めて
だから
そこで
来てたんですね
アメリカは
昭和
16年から
作られた
早いですよね
そこでさっきの話で
ヤマトに乗る
っていうことになって
やっぱり
ヤマトっていう
それ自体口にするのも
機密というかそういう感じだったと思うんですけど
そうは言っても当時の
日本の少年だったり
軍隊に入ろうとした
若者たちはヤマトって存在自体は
日本中みんな知ってたんですか
ヤマトの存在自体は
日本中知ってたんですか当時
ヤマトというのは
アイウエのウ
ウの556
それが
ヤマト
それは内部の人しか知らない
ヤマトの存在自体は
普通の人は知らなかったんですか
やっぱり知らないですね
じゃあ
僕の勝手なイメージだと
ヤマトは結構日本の国民の中でも
日本の今すごい武器だってことで
知られてて
みんな乗るのが憧れだったのかなと思ってたんですけど
そういうことではないんですね
絶対に秘密
だから
クレチンジフ
クレチンジフ
気づけ
ウの556-11
ヤスギ
ヤスオ
ハガキしか出すことができんのだから
なるほど
だから封筒に入れたりしたら
お前何と考えとるか
いかん
ハガキ
ハルドット
ウの556-11
11文体のことをね
ヤスギ
ヤスオ
ハガキでもっとドットドット
出す
みんな
これ何
ウの556
暗号ですよね
全部そう
そっか
逆にそのくらい機密で国が
かけてるような
船に乗るんだなってのは
わかってたってことですね
だって
それが
いうこともわからんじゃないの
15:00
それだけだと
ヤスギさんは
声をかけられたとき
乗るってわかったときは
何て言うんでしょう
それがそういう国をかけての
船なんだなってのはわかってたわけですかね
言われたときは
だからそれが
ヤスギちょっと来い
はい
ちょっと来い
お前はな
ヤマトへ
乗っていったぞ
ヤマト
上が
はい
ちょっと来い
乗艦との間は
1メートル開け
ってことになってた
あれは
ヤスギ
ヤスギ
お正月
帰ってきたら
ヤスギヤスギ
はい
乗艦との間
1メートル開け
いいからこっち来いって
耳を引っ張って
はい
お前はな
ヤマトへ
乗っていくぞ
なった
ヤマトは帰ってきたから
お前は乗っていくんだ
だからそれまで
なんでこんなとこへ
来さすんかな
飛行機が来たら
ヤマトに乗ったり
なんでこんなことをさすんかな
言っちゃったら
ヤマトが脇の中に
俺が帰ってきたから
お前は乗っていくんだ
いいか
ちょっとこっち来い
ヤマト
それだったら
普通なことじゃない
実際に
乗ることが決まった時
例えば頭真っ白になった
すごく冷静だった
国のためになのか
死ぬかもしれない
どういう感情を抱いた
全然なんとも思わない
ヤマトは沈没しないぞ
うん
ヤマトが沈没したら
日本列島が沈没する
って言うじゃないか
はい
って言う
だから
ヤマト
ヤマト
向こうから
ここが
ひどしま
ここから
クレセンネモって
叩いて
なんと
全部下ろして
海の方は
見てはいけないことになってた
なんと
昼も
18:01
晩も
絶対に
列車が
パッパッパ
ヘッドライトは絶対付けていかない
はぁ
だから
ほほー
絶対
見ること
できるのだなぁ
あっちこっちにも
さーっと
窓をちょっと
開けても
海の方が絶対に
見えん
だからさーっと
引っ張っとるか
木をさーっとしてから
だから
なんもしても
海の方は絶対に見えんのよ
当時は
えーっと
何か
いつ頃だったかな
お前はヤマト行け
自分に
何も見えんが
そうだった
はい
そしてそのヤマト
実際乗る
役割っていうのはどういう役割で
乗ったんですか
ヤスギさんがヤマトにお前乗れと言われて
乗る時の
具体的な任務というか
役割
さっきおっしゃってた
お前は
えーっと
そっから測ろうと思ったら
5万
うそ
5万まで
測る
えーっと
えーっと
大きな
3つあるんだけど
えーっと
四方
はい
発射さそうと思ったら
4万の
2000
メートルしか
いかん
だから5万メートルまで
あっちがもし何か来たらそこまで測る
日本が一番
上だ
全世界で一番
日本が上だ
そっか
これ実際
僕もそのデータで見ると
いろんな人数が出てるんですけど
3000人前後ぐらいが
乗ってたんですが
想像がつかないですよね
うーん
当時
私たちが教わったのは
3000の
200名
教わった
その3200名
当然全員を顔合わせてるわけじゃないわ
そんなことない
どのくらいの
21:00
なかなかうまく言えないかもしれんですけど
関わった人
顔を見た人
どのくらい
その中でいますか
いやそんなに
直接関わったって言ったほうがいいですね
洋さんはおらんよそれ
そうですよね
だから
僕の場合は
お前は補修分隊
いけるって
一日間でやられて
お前は補修員
ってことになったからな
だから
上官と
話してもいい
だから
さーっとこういう風に
一番の上
上がっていく
だんだん大きい
こうさー
だんだん
上に上がっていく
細な
上がれば上がるほど
たたたたたた
僕は
エレベーターに乗っていくわけで
いかない
だから
エレベーターに上がっていくのは
四角
書いてある
たたたた
たたたたた
上に上がったら一番
あれや
だから
そこへ上がっていく
だんだん
これ
実際ヤマトに乗って
なんて言うんでしょう
乗る前と乗る時で
なんて言うんだろうな
さっきの話だと
例えば乗るって言われたときに
あんまり
感じなかったと
おっしゃったと思うんですけど
乗るときに
あまり何も
例えば私のイメージだと
当然戦争の時代に生きてないので
ヤマトに乗れっていうのは
すごい名誉なことだなって
思ってすごく喜びと同時に
死の恐怖とか
そういうのが湧き上がってくるのかな
と思うんですけど
その辺で乗る前もそうで
ヤマトに
いいな
言った
死というものは
海軍はお前たち死んだらいかんぞ
絶対に死んだらいかない
頑張って生きろ
海軍はそうじゃない
陸軍は
僕がいい中学校に
行った
行ったおりに
一週間に
二回くらいかな
24:00
一番おしまいの
六時間目の一番島で
なんと
二人くらい
教員がおる
チャット
陸軍の朝来て
文刀もさして
お前たちは
恐れ多くも
チャット
天皇陛下の
恩ために
お前たちはな
名誉の
戦士をする
その時に僕は
思った
陸軍の兵隊はそういうことか
みんなが
お前たちは
天皇陛下の恩ために
名誉の戦士をしたら
だって
二十歳でしょ
どんどんどんどん死んだら
どうするんだと思ったわけ
だから学校辞めたわけ
そうなんですね
どうにもならんわ
お前たち死んだらいかんぞ
それで
安井さんが
チャット
お前
言ってもいいけど
お前には言うけど
お前は今までのうち
正式がガッカッカいいのに
なんでこういう風な
正式にしたんだ
わざと
マジ事じゃないか
安井さんはすみませんが
学校辞めさせてください
学校辞めた
当時そんな人他にいたんですかね
おらんよ
すみませんすみません
お前なんで
あいつだけ
1位か2位か
お前がいつまであったのに
お前
わざと
マジ事だったら帰って
これダメ
これダメ
おうち行って死亡態度ないか
なんでそんなことするんだ
はい
陸軍の教官のことは言うわけにはいかんが
いかんが
そっか
すみません
陸軍辞めさせてもらいます
お前何考えるんだ
いい
中学校だもんね
お前は
どうしてそんなことするんだ
すみません辞めます
なんだ
言うから
これで辞めて
海軍へ行こう
海軍は
27:01
名誉の
戦士男は絶対言わない
頑張って生きろ
海軍はそれじゃないの
なんで違うんですか
なんで海軍は生きろで
なんでも知らん
でもそれやっぱそういうもんだったんですね
だからそうだ
単純に疑問ですよね
お前たちが死んだら
あと
どうするんだ
日本を
お前たちは
海に沈んでも
とにかく
俺らで
なんと今の
防弾今
出て
あと一カ年
地方のアメ行くんだけど
海上
えーと今どれかな
えーと
海上
あっ
漁員
陸上漁員
航空漁員
海上漁員は
絶対に10時間
泳げ
泳ぐ
自分は
絶対に
あっちこっち持って
フカワコンド
あっちこっち持って
フカワコンド
全員が
今年
今年が
陸上へ上がっていく自分には
うん
パンツを履け
そうです
まあさっきもね
はい
そうなんですね
さっきその
陸軍だったら天皇陛下の恩ためにっていうね
例えもありましたけど
その海軍時代に
いわゆる天皇陛下の
恩ためにみたいなことは
言われることあんまりないんですか
あることある
チャットして
そら天皇陛下の
恩ために
言うよそれ
天皇陛下の恩ために
死を
恐れるなみたいなことはないんですね
絶対言うといいよ
生きろ
そうか
海軍はいいな
思った
そうですよね
常に死っていうのと生きろっていうのは
全く違いますよね
当たり前じゃないですか
そうか
それで実際
そうやってヤマトに乗って
特にやすぎさん
頭も普通の人よりも
さらに良かったでしょうから
実際に乗って
日本の戦況というか
もう負けそうとか
30:00
負けるだろうみたいなことは
いつから
分かったんですか
何回も思いました
それはいつ最初に気づいたんですか
そうなったら
自分が戦艦
ヤマトへ
乗ってから
乗る前は分からなかった
いやいや
乗ることが逆にそういう戦況なんだなと思いました
ヤマト
いいな
絶対に沈没せん
あれが沈没したら
日本列島が全部沈没するって
教わったんじゃない
そう
だから
それに乗って
乗っていった自分が
補修員ですから
だから
あそこは
全部
飛艦がある
あそこに
補修員が
行って
飛艦と
話をしてもいいの
IQが相当なんだから
教わって
僕が追ったのが
一番の上じゃないの
15mあるの
あそこで
追った
だから
すごいなあ
あそこださ
状況が全部
見えるじゃないか
そういう
ことをやって
第1
図書館室
第2
図書館室
いろんなところに行くよ
おるんだから
だから
やっぱり
他の
兵隊ということは
言いませんからね
水兵
よりは
第1図書館室
第2図書館室
第3図書館室
入っても見えないんだよ
だからずっと取っていってから
やってしまった
実際大和に乗ってたのは
何ヶ月ぐらい
なんですかね
大和へ
乗っていったのは
お正月が終わって
3日目
3日目に外出して
帰ってきて
安木
安木やらんか
文太子が
はい
33:01
お前な
大和へ
お前行くことになったんだぞ
大和はあちこち
おったから
今度は帰ってきたから
大和
そうかちょうど
今のまさにお正月明けみたいな
だから
そこからちょうど大和が
撃沈されてしまう4月7日
ちょうど3ヶ月ぐらい
90日
約100日ですけど
その100日間って
やっぱり
戦争の状況とかも
安木さんも最初からある程度
気づいてらっしゃってますけど
どうでしょう
心が一定だったり
したわけじゃないと思うんですけど
どの辺からやばいな
みたいに思いましたか
その辺は
やばいな
今ね
おる
こちらにもって10発
魚雷が当たったわけや
はい
一番上におるじゃん
はい
そして
魚雷がパーって来たら
クワーって
クワーって来たら
なんと
何十発が
ザーッと
落とすじゃないの
オバカーニ
トリカーニ
あるのに
左手にもって
9発当たった
そして
トリカーニ
反対側に
1発当たったじゃないの
一番とにかく
上におるんだから
クワーって
オーって
大丈夫かな
思ったら
こうなるじゃないの
だんだんだんだん
一番上に
おるんだから
どっちか言ったら
良かった
だんだんだんだん
今ちょうど手元に
ヤマトの模型が
だから
こうなっとる
一番上ですね
だから
一番の上の
ここの下から
ここにあったわけよ
ここ
優勝の連中にいっぱいあったわけ
そこにあって
そこの下は
そこの下は
シカンシカンだった
だから
だんだんだんだん
こっちへ
36:00
9発当たって
トリカーニ
こっちへ1発
真ん中に当たった
ガーって
これはチンボするな
水を
だーっと
入れて
こうなっとった
ちょっとこうなった
出ようかどうしようか
思ったら
いつも
は?
文太子かなと思って
こういうのが
文太子
言おうと思った
いつも
安い?
はい
この文太子
言おうと思ったら
なんと
押したら
ボタンがパパーン
思った
その瞬間に
わかったわけ
そしたら
勝ったまんま
落とされた
そして日本刀を抜いた
日本刀ここに乗ってるけ
みんな
日本刀を抜いて
帽子を取って
ちょっと
こうなったら帽子じゃないよ
戦闘帽
戦闘帽を取ってここに回って
文太子って
言おうと思ったら
ここ
お腹の
ここからここに乗って
ドックドックするとか
ここに
ガッツクッガー
ガッツクッガー
血がブワーッと出た
文太子
言おうと思ったけど
声出ないですか?
そうですか
ここだって
倒れた
文太子
文太子
もう絶対にこうやって
そして
そしたらこうなったと
グワーッとこうなった
そしたら上は開けた
一番
ここへ
一番上
折ったんでしょ
こっちばっかりやられて
こうなって
直した水を
水を
入れたなと思って
そしたら
グワーッとこうなって
うん
ここの煙突が
100平米あるの
ここへ持って
泳いどった
3人の人が
39:01
ブワーッと入ったじゃないの
煙突に
煙突
こうなって
一番上よ
こっから泳いで
泳いどった
これがずーっと
沈没をしていくから
こうなっとるから
渦に巻き込まれたじゃないの
23メートル
息ができない
言うとた自分に
なんかドーンと
音がしたわけ
こうなって
なんかなーと思ったら
なんと
これくらい
500
何メートル言ったんだけど
500メートル
これが
グワーッと上にあって
なんと
40メートル上がったわけ
そしたら
向こうから
3つ
口空間
こっちに持って救助に
行こうと思ったのが反対に向いて
逃げていったじゃないの
ああ
だから
写真を撮ったら
向こうはコウモト
上へさーっと
40メートル盛り上がった
盛り上がった
山とは
大爆発したわけ
だから
グワーッと上がったわけ
500メートルよ
すごいですね
そしたら
口空間向こうに
逃げていった
それから
4時間
そしたら
向こうから
手旗信号で
なんとか
救助に
来た
こちらに
おいで
おいで
ザッタッタッタ
ザッタッタッタ
言い出してあげたんだけどね
だから
そうしている間に
あそこで
ザーッと
渦に
巻き込まれて
あっちこっちに
もう
42:00
息が苦しくて苦しくて
どうしようと思ったら
上の方が
なんか
青い
俺が
どっちかなと思って
海水の中で
触って
海水の中で触ってみたら
なんと
あっちこっち
自分が
くるくるくるくる回っているわけじゃないよ
ああ思って
息が苦しくて
もうだめだ
と思った瞬間に
なんかバーンって大きな音がして
あっちこっちに
黄色いのがキラキラキラキラ
光った
なんかなと思ったわけ
そして
上に上がった
500メートルぐらいで
40メートル
ふわーと盛り上がった
その上におったら
両眼を出したり
一方の目を
出したり
死んだままいっぱい浮いてきたじゃないの
思って
それの影響で
僕が
こっちが
何言う?
右目が
こうやったの
こうやったの
見えんよ
こっちの方が
こうやったの
映ったの
こっちは何にもない
視野が
欠けちゃった部分が
そんなことになると
思わんじゃないですか
こっちが
それから
終わって
帰ってきて
銃を撃った
いつも
1位か2位ですからね
銃を撃とうと思ったら
なんと
300メートル
向こうにもって
うわー
当たった当たった当たった
ってみんなが言うの
これ
何かなと思って
言ったわけ
医者が言ったら
45:01
お前は
安城かな
お前
戦艦
乗っとったんか
お前な
力内緒だから
だんだんだんだん
ひどくなっていくぞ
直すことはできんよ
って言った
目薬で何本
入れても
直らんよって言った
力内緒はそうですよね
だから
銃を撃って
当たるんかなと思ったら
当たった当たった当たった
当たった
いいよ
だから
こっちが
老化してだんだんだんだん
ひどくなってくるよって言ったから
その時に
直すことはできんよって言ったから
それはその時の
爆発の時
光か何か分かんないですか
はっきりした原因は
だから
何人もが
死んだままで
両目が出たり
一方が
出たり
これ大丈夫かな
当たったら
目はあるから
その時は何とも
思わんかっただけで
これで
ここに持って
足に
え?
右足
ここ
ここだ
ピックアウト
ここへ持って
25センチだったか
こういう風なやつが
とんがった
厚みが
1センチくらいな
こうなった
ここへガーッと
当たっただけ
泳ごうと思って
まだササササ泳ぐのないから
ガバガバガバって
重量
何で当たったの
え?思って
この野郎
そしたらここから血が
ペーッと出た
そっから
4時間
泳いだった
おそらく大和の破片だったんですかね
きっと
なんか光って
上から
だからこうなったり
あっちこっち当たって
死んだまま
ワーッと浮いてきたりする
48:00
ここへ当たって
よかった
思ったよ
自分に当たっとったらどうするんだ
目の前で
亡くなった方もいるってこと
顔が真っ二つに
だから
なんでかなと思ったら
大和が
大爆発した
上から
光るんだ
キラキラキラキラ
それが終わっていく
ここが
多くの人が
頭を
真っ二つになったり
こっから
両方が
ない人
助かって帰っとるよ
その人
ここから
一方の足が脳になったり
やれやれ
ここだけ当たってくれて
よかった思った
そうよ
でもその4時間って
何か考えられますか
とにかく泳いでたのか
想像がつかないんですけど
あっちこっちが
浮いてから来る
これくらいの
2メートルとか
3メートル
あっちこっち浮いてきた
思ったら
浮くわ
こうやって
僕のところが
浮いてくるの
どうすればいいかな
泳ごうと思っても
これ行けない
力がずっと
これを
校舎長が
少佐
校舎長が
おい
絶対に
死んだらいかんぞ
頑張って生きろ
お前は
若い
ありがとうございます
おー
上手だ
波がこうなったり
あそこの向こうにいたのかな
誰も
はい
ありがとうございます
上に上がってきた
あそこ
こちらに来い
こちらに来い
上に行った
51:03
そういうようなことがあって
その方
安木さんはお前若いからって
書いたもののこの本にも書いてありましたけど
当時31歳ぐらいだったんですよね
その方も
31歳で
そこまでできたっていうのが
本当にすごいな
そうすると
なんて言うんでしょう
今の方も間違いなくそうだと思うんですけど
4月7日も含めて
この戦争の記憶を振り返って
この人がいなかったら
戦争の記憶を振り返ったときに
この人がいなかったら
今の自分は間違いなくないだろうっていう人を
一人っていうのは挙げるのは難しいと思いますけど
いやいや
誰が思い浮かびますか
僕が足が
駄目で
溺れだした
自分に
ほーら
大きいやつ
これ持て
お前は生きろ
やっぱりその今の方
何回目行ってかな
お墓いってかな
あれを
どうしたんですか
九州
はい
九州の方行ってかな
黄岩で
もう
あの時には
奥さんも
みんな
ありがとうございます
私も一緒に行ってかな
そこ行って
そしたら
行きたい行きたい
と思うんだけど
だいぶ
行ってないですからね
だから
だいぶ行ってないんですけど
その方のお名前は
何というお名前でしたっけ
えっと
えっと
書いてある
僕もその本読んだのを
覚えてるんですけど
川崎さんです
文字通り
命の恩人ですよね
はい
何回もそこへ
お参りしたんですけど
川崎公社長ですね
あ、そうですよ
川崎さんです
はい
奥さんが
まあありがとうございます
って
一緒に行ってから
お参りしとったけど
もう奥さんは
おらないとダメですよ
54:01
そうですよね
安木さんより上ですよね
安木さん
僕は88歳だし
もしその公社長
当時31歳ですから奥さんも同い年ぐらいだったら
13、14歳
上なわけですもんね
100歳超えてますよね
そんなことは
できないだろう
そっか
だけど
自分が
元気で
お参りしようもん
あの恩人に
お前
頑張って生きろって言ってたわ
頑張って
って言って
持っとったから
生きた
4時間でしょ
だからそういうことがあって
でもそれが
当然なかったら
71年後
安木さんここにいなかったかもしれない
そうです
本当に何が
生死を分けるかって分かんないと思うんですけど
壮絶な4月の中からちょっと戻りますが
どうぞ
僕今回戦争の記憶ってことは
30年近くの方にいろんな体験された方に
インタビューさせていただいてきて
結構意外だったのが
正直な気持ちなんですけど
やっぱり戦争知らないので
僕のイメージは当時
大東亜戦争
当時
内地外地関わらず
実際に
戦地に行ってる男の人が関係なく
1億総国民が
命の心配をみんなしてた
というふうに僕はイメージ持ってたんですよ
実際話聞くと
全然そうでもなかった人も
たくさんいたり
そうですよね
安木さんご自身も
4月7日は別として
大和に乗ってた
90日間の特に最初とかなのかな
当然日常
非日常なんですけど
そこに日常ってあったのかな
大きく一緒に乗ってる人と
何か語らう時間とか
戦争を忘れる時間とか
くだらない話する時間とか
そういう時間ってあったのかな
何をしてたのかな
一般の人なんか
ひょっとして
空襲にやったらいい
いかんから言って
本当だったら
57:01
2つあったのが
3つのこれくらいの
記事用だね
サレー
ガーって
そういうこともあって
僕は
保守員ですから
第1指揮室
第2指揮室
そこへおったりして
みんなと一緒に
飯を食ったこと見れたらないよ
お前は保守員なんだから
別なわけですね
そこに入って
そこで
これ
いいか
お前
食えよ
食べたでしょ
欲しいから
来た
ありがとう
言うじゃないですか
どんな食事だったんですか
鹿が食べてるものはいいもの
それもちょっと食べたり
どういう食事なんですか
全然想像がつかないんですけど
中で作るところもあるわけですよね
あるあるある
何か覚えてる
こんだてというかありますか
こういう風な
プレートがあって
入って
ありがとう
例えば
うどんが
余ったとき
レストランを
ゆがいて
なんなんという人が
うどんが好き好き
あそこで持ってきて
いっぱいこと
あった
うどんか
くれ
あっちこっち持って
リエイトした後に持って
同じ
一般で言えば
小居
中居あたりが
来る
1:00:01
はい
すまんな
肌垂れて
ありがとうありがとう
帰ったり
控室
一般の人のこと
特集
まだ17歳で
そうです
17歳って言うと
想像がつかないんですけど
今はそうなんですね
その折は
軍隊入って猛烈な
訓練訓練を
そっから船から戻ってきて
まもなく
お前が乗っていきたい
軍艦とか
寿命艦とか
ちょっと来い
双眼鏡が
こりゃさーっと
見ろ
あちこちあるから
見たら
半島とか
島とか
怒りを
下ろしたまんま
大きいな
ロープ
は?
シャッと
例えば
副砲
副砲は
上げようかと思っても
下にあるから
おらんが
ほとんど
その上にも
機銃や
ドッドッドッと上げて
高射砲とは言いませんよ
広角砲と言います
広角砲
広角砲は
もし
くれ
持って
空襲に来たら
パッパッパッパ
ほーっと
そうですか
だから
お前が乗っていく船は
もうないんだよ
まもなく
本土決戦が始まるから
お前は教育班長として
そこで持って
教えろ
ほーっと
だから
1:03:01
くれは空襲を
ドッドッドッと
あちこちの方へ行って
あそこへ行け
ここへ行け
それはヤマトの後ですね
ヤマトの後
そういうふうなことをやって
どんどん乗ってやっただけ
それヤマト乗ってるとき
その後も含めてですけど
はい
毎日
何を考えてましたか
日によって違うかもしれないんですけど
毎日俺死ぬかも死ぬかも死ぬかも
なんていうふうに思ってなかったのってことですか
いや
そういうようなことは言うてはいかないですね
でも心では思ったりはしなかったんですか
だから
ぼくは
これで
米軍が上がってくると
上がってきた
と米軍も
どうすべきかな
って
えーと
生産狩り
200倍に
薄めて
来い
絶対に飲んだら
いかんぞ
200倍にとにかく
うん
薄くしてやるわけ
水を
水をして
そんなことがいっぱいあって
いいか
えーと
これは
ガス
生産狩り
ガスを与えたとしたら
それを吸ったら
いってしまう
死ぬ
米軍がもし
ここへ乗って上陸してきたら
うーん
魚産場と青場があるから
そこのとこから行ってから
そーっと
待って
音を
とさせんように
ほれ
そのときが向こうから
あの
風がふいってきてるときに
向こうがあっちで
米軍の
兵隊がちょっちょ降るから
あっちにもってさーっと降る
えー
だから向こうから風がふいって
降りに
えー
都市戦部に乗って
ほれ
そして生産狩り
それを
ここへ巻け
そして今度は
こっちから
風がふいているときに
さーっと
1:06:01
音をさせんようにして
こっちから風がふいているのから
音を出していかんと
えーとそこへ巻いて
こっち向け
あっちこっち
はーっていってから
さーっと巻いてやったら
それを吸ったら
いいでしょ
だからそれをやれ
この本も読ませていただいて
当時日本もほとんど武器とか
そういうすごいものもどんどん
なくなっていく中で
なんかもう
それやらざるを得ないけども
不毛なというか
不毛な戦いというか
っていうのは本当は全員わかってるんですよね
そういう訓練をしながらも
あーそうそう
やってるし
やりたくないとか無駄だなんて言っちゃいけないけど
本当は全員そういうのは
もう感じてたんですかねみんな
それとも信じてた人はいたんですかね
日本が逆転するというか
本土絶対勝てるというか
えーとそうして
集まった連中は
えーと元は
明治時代
大正の時代は
25から
24
だったのが
なんと
私たちが
えーと
小学校のおりから
えーと
学校で乗って
勉強したのが
20歳からいうことだった
朝平齢というのがあった
朝平齢があったのは
それが
19歳18歳になっとった
だからもう
とととと
下がってますね
だから僕が
17なんだけど
戦艦
山と乗っとった
絶対に
教育班長として
お前は
乗れんよ
なかなか考えられないですね
今だったら
だから
だから
教育班長
一番
一番おしまい
一人
おらんの
そっか
だから
えーとそうやって
もし米軍が上がってきたら
米軍をなんとか
殺さんというか
えーとそのうちには
あれをまあ
音をさせるように
持って
そこへさあ
水と一緒に
こっち向いて
いい気がしちゃいかんと
こっちから風吹いたときに
そしたら
吸ったら全部死んでしまう
そういうことを
1:09:00
とっととっと教わるんだから
そういう日々を送ってる中で
安木さんご自身の未来とか
っていうのを描けました?
自分は生き残ってこうなる
日本は勝てるんかなと思った
うん
はい
えー
えーとそうこう
一通りに
なんと
えー
こんなものは
なかった
いやあなかった
なんと天皇陛下
放送
旅行放送される
言うとと
旅行放送
言うとと
天皇陛下
神さんじゃないの
天皇陛下
こうやってみんながあえて
ラジオ
えー
言うて
天皇陛下の
集まり集まり言うて
放送があったもんだから
集まっとったら
天皇陛下が
えー
みんな
おわった
はー
言うて
日本戦争は
終わるんか
くれ
終わるんか
じゃあ
そう言いました
これは負けた
言うて
アメリカ
に勝つわけにはいかん
かなって
でそういう
ことになって
その時って
やすきさんご自身は
なんだろうな
泣き崩れたのかほっとしたのか
どういう風に第一歩を
知って思いましたか
えー
えー
そこを寄ったら
えー
広島から
プレセンジ
列車が
走って
それが
海の方が見れんように
全部
カーテンを
下ろして
これで
どうしても間から
見れる
さーっと
海が
見えねえ今
海軍が
窓のところに
全部板を
1:12:01
たーっと張っとるじゃないの
うん
見えんが
はいはい
だから
どうなんだろう
見たら
列車
全部
ライトをパッパッと
ヘッドライトも
当時は
絶対につけんから
列車に
惹かれたらいい
いかんぞー
言うとったら
たーっと
つけて
見て
パッパッパ真っ赤な
鹿がたーっと走る
あららら
戦争終わった
その時ほっとした
みたいな感じだった
どういう感じだった
ある点ではほっとして
いつ復印ができるのかな
思った
だから
そうやって
一生懸命で
ラジオ聴いて
天皇陛下が
こういうことをおっしゃったのか
あっちこっちは
理解するけど
なんとか勘とかやったら
できるか
天皇陛下が
こういう放送
おっしゃるのか
みんなが
昼と晩と
2回やった
だから
天皇陛下かな
みんな
綺麗な
こうやって
みんなが
綺麗
綺麗にして
17歳だった安木少年が
はい
経験をしていて
振り返って当時無我夢中だったかもしれない
今振り返ると
これが支えになってたな
みたいなものとか一言って何かありますか
海軍の
教えですよね
海軍の教え
絶対に陸軍とは
違うが
さっきの生きろ
全然
俺たちは陸軍に行かんで
よかったよかった
そうよ
だから
そういうことが
あったんだろうな
言葉って大事ですね
ほんの一つ生きるって言葉なのか
死んでも
覚悟して行けって言葉なのか
全然変わってきますよね
天皇陛下の恩ために
例えば
祖国
日本のために
俺たちは
1:15:01
戦死を
遂げろ
中学校で言ったじゃない
若いのはどんどんどんどん
死んでいったら後の日本はどうするんだ
思ったじゃない
僕は
だからこんなところで
僕は今日
辞めた
中学校も
でもそれを自分で決断してよかったですよね
それで
自分で辞める
今すぐ辞める
教官が
お前
どうしてそういうことするんだ
と言うから
正式ドッドッドッと
落としたわけ
正式ドッドッと
お前なんでこんなことするんだ
お前
1位か2位か3位だと
言うとったのに
お前
どうしてこんなことするんだ
いいです
お前なんとか
俺たちの
ここの中学校で
なんか
ガッカリと言いたいことが
あるのか
いえありません
教官が2人おったやつ
自分の兵隊が
おったやつのことは
言えないが
言えないが
そういうことを言ったら
もうちょっと
追ってくれ
今度
ああ言ったんだけど
いかん
どうしていかんの
今度は
なんと
あんた新学期になったら
もう一度
あんた黙ったよ
お母さんが言って
久しぶりに聞きましたねダブルって
黙った
黙った
じゃあいっぺんに行こう
言って
同級生が
一番
牛だよって
ここに来いここに来い
お前
お前
勉強が
できんかったんかい
お前のように
ちょっとちょっと勉強できるかい
お前なんでこんなことしたんだ
もういいや
入る
入ってからもう
いかんかった
そしたら
退学ということになった
学校から
いかに安木さんといってもそういう決断しないで
ずっとその
道で毎日擦り込まれてたら
変わっちゃってたかもしれない
そうでしょうね
だからご自身で逆にそれも危ないと思って
1:18:01
なかなか
それができるっていうのはすごいな
と思うんですけど
修繕
が決まって
おい安木
おい
部隊長
いい
ちょっとこれ
お前の
IQだ
あっちこっちで火がどっとどっと燃える
十数カ所で
どっとどっと燃える
焼け
お前の
IQだ
は?
だから
自分が
は?
え?
お前も
168だった
今年11月ですけど
89歳になれるということで
最後に
戦争の話聞いてきましたけど
その大局の
言葉かもしれないですけど
平和って言うとすごい漠然としてて
正直
ありがたいことに平和な時代育ってきたので
それが当たり前だから
よくわからないっていうところもあるんですけど
安木さんから見て
その平和っていうのはどういう状態なんでしょうか
いや
そういうふうに
本にも
いろんな本にも
ここには
どっとどっと
いっぱいこと
あったんですけど
新聞
あらゆる新聞にどっとどっと書いて
本当の平和というのは
何かということ
その一番
おしまいに
本当の平和
っていうのは
だから
そういうふうなことも
あるんですけど
大抵
読ませていただいて
戦争がないから平和だというのは
大間違いですと
そういうふうに書いてますよね
終戦後
日本は
民主主義国家
いうふうに
変わったんです
だから
民主主義国家というのは
皆さんが
堂々と
発言が
できますよと
1:21:00
その時に言うことは
変なことに言っちゃダメですよ
公演で
あっちこっち行って
公演したんです
公演が
620回ですから
日本実装
北海道から
橋まで
古き公演やったんですけど
江戸島へ来る
高校生ですね
いるのが
ここには原子爆弾がおった
そのための
集まって
うちで
1時間でいいですから
うちで公演をやってください
とっとっとっとと公演をやって
大和のことも
原爆のことも
僕は
原爆の
被爆者ですよ
は?
そういうふうな
話をして
ここに原爆を
あくる日の朝さー
歩いて入ってきて
そっから3日間ここに
おったんです
多くの人がバタバタ
死んでいった
男の子は
涙出しを
ありがとう
言ってきたら
終わったらバーン
ありがとうありがとう
絶対にそういうようなことを
二度とやってはいけませんよ
民主主義
国家
日本はそう
堂々と言うと
だから
あなた方が民主
主義をどうすべきか
あなた方が堂々と
やってる
はいはい
安木さんこの中にもやっぱり書いてある
今日お話が書いててすごく
ピタリとがてんが言ってたんですけどやっぱり
考えることの意味を考えて考えることを
なんで欲しいって言葉
なぜこう考えなくてはならないのか
そこを考える人間になって欲しい
っていうのが書いてある
そこがまさに
僕やっぱり
今日お話伺って一番は
中学校をみんなが
右習えて右行ってる時に
右か左かわかんないですけど
自身で考えて
その一つ
とっても
やっぱり何が
正しくないかわかんないですけど
そういう
決断というか考えられる人間になることが
やっぱり一人一人
もちろん何が正解ってないとは思うんですけど
1:24:01
大事かな
っていうのがすごく
そんなこと
言わないでください
言っちゃってますけどね
もうね
認知症が始まってきたかなと
思ってますが
今日2016年ですけどね
ちょうど
大和に乗ってから
ちょうど71年ぐらい
さっきの話でいくと
また
撮らせていただいたこのインタビュー
世の中にずっと
残していきたいと思います
ここを
映したのは
映したというのは
どうぞどうぞ
NHKので大和を
企画で撮ったっていうんですよね
それを
あなたは絶対に
案の
とにかく
お借りした
当時言ったのは
潜水艦じゃない
潜水艇用と
それを
ちょっと
見ながら
もうちょっと前
ライトパッパッパ
つけて
その状態で
写した
後で写真撮らせてください
いいですよ
とりあえず
今日は
安木康夫さんに
長い時間お話を伺いました
どうもありがとうございました
どうもありがとうございました

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