Bends。
Bendsはどうですか。
いいですよね。名番ですよねこれ。
これはやっぱいいよね。改めて今回聴いててもやっぱいいなって。
Bendsってどういうタイミングで聴いてます?お二人は。
なるほど。
どういうタイミングなんだろう。
うちら多分OKコンピューターかKid Aくらいじゃないですか。世代的に。
そうですね。一番最初に聴いたのは。
自分はどういうタイミングで聴いてるのかなっていうのが。
Hail to the sheaf。
そこまで行くの。
Hail to the sheaf。
Hail to the sheafは完全にリアルタイムで聴いてて。
それの前に他のアルバムは聴いてたんですけど。
それは後追いで聴いてた状態だったと思うんですよね。
Kid Aも後追いなの?
Kid Aも後追いです。
でもそれ僕もそうですね。
1分でOKコンピューターかな最初に見たのは。
僕はこれそのOKコンピューターの回でも何か言ってたような気がするんですけど。
高校の時にちょっと洋楽好きなT君っていう。
秀樹君も同じクラスだったから同級生で知ってる人がいて。
この人にパブロハニーとベンズを2枚借りた気がするんだよな。
で、高校生の時はあまりよくわからずに結構パブロハニーを聴いてたんですけど。
その借りてMDにとって。
で、ベンズもたまに聴きつつみたいな。
高校の時にその2枚は聴いてて。
OKコンピューターはもうその時出てるんですけど、そこまで行きつかなかったというか。
高校生の行動範囲では。
っていうので大学入ってOKコンピューター聴きましたね。
で、もうOKコンピューターはそっからめちゃくちゃ聴いてて。
そっからすぐにもうキットAとかどんどん行った感じですけど。
だからリアルタイムではないですね。
元々は聴いてたって感じなんですね。
そうですね。割とだから順番に聴いてるっちゃ聴いてるんですけど。
そんなに覚えてはないっていうか。
言うてもリアルタイムではないんで。
どこで一番、「うわ、レディオヘッド!」ってなったんですか、博也さん的には。
OKコンピューター?
まあそうですね。
OKコンピューターって、結構キットAとかも多分ほぼ同時期に聴いてると思うんですけど、もう出てるんで。
でもOKコンピューターでやっぱめちゃくちゃハマりましたね。
で、割と時間差でキットAにはまるみたいな感じですけど。
なるほどね。
園蔵さんはどんな感じだったんですか。
俺は雑誌とかをいろいろ見るじゃないですか、情報を仕入れてる中でも、
OKコンピューターでほぼほぼ年度代表みたいな、その時代を代表するみたいな、ほぼほぼ何を見ても上位に来るんですよ。
トップ3に入るようなアルバムで。
全然リアルタイムではないんだけど、2000年か99年かそれくらいで、そういうのを見てて、めちゃくちゃ見るなこれみたいな。
医療機構みたいな、これは聞いとこうみたいな感じで、OKコンピューターとあとほぼほぼ同時でベンズを聴いてるっていう感じですね。
なるほど。それ高校とか。
いや、大学かな、大学。99年、2000年ぐらいですかね。
高校時代にはレディオヘッドは聴いてないですね、僕は。
じゃあ一番最初にハマったみたいなのはやっぱOKコンピューターになるんですか?
いや、でもベンズなんですよ。
なるほど。じゃあほぼ同時期でありながら。
OKコンピューターが本当そのもう時代の象徴みたいな感じで言われてて、そこと付随してOKコンピューターとベンズと両方ほぼほぼ同時に聴いたんですけど、
持ち上げられてるのはOKコンピューターなんだけど、僕としてはベンズじゃないと。このバンド。
なるほど。
いや、ベンズでしょみたいな。ベンズでしょと。こっちだよ。OKコンピューターじゃねえよと。ベンズだよって最初なってたんですよね。
最初はそういう入りだったですね。だからベンズ、がっつりハマったのはやっぱベンズなんだろうな。OKコンピューターはちょっとわかんなかったんですよね。
そうですね。それもわかりますね。
Kid Aがもう完全にリアルタイムだったんですよね、僕は。
なるほど。
そこでその世間的な動きとか評価と、あと自分的にも、え、なんなこれみたいな、こんなんなっちゃうのっていうところで、言うとやっぱKid Aっていうのは衝撃的だったなっていうのは。
なるほど。
衝撃した。リアルタイムで衝撃したのはKid Aなんですけどね。
なんでそれを今僕が聞いたかっていうと、レディオヘッドってやっぱすごい1枚ごとに変わるんですよね。
そうっすよね。
まさにそこですよね。
だからどこでどういうふうにはまったのかなっていうのは聞いてみたいなっていう、聞いておきたいなっていうのがあったので。
Kid Aが出てるのが2000年10月。
2000年ってことか。
高校3年生。
うん、だね。
この辺はね、やっぱ時代面白いですよね。なんか、まあよく言ってますけど横で見ると面白くて。
2000年、まあその頃日本ではっていう感じでいくと。
はいはいはい。
名番ラジオ的に言うとね、ルナシーは赤いルナシー、ルナシーYが7月に出ていて、8月にはラルクのリアルが出ていて、9月にはバクチクのワンライフワンデスが出てる。そんな時代ですね。
ああ、なるほどな。その辺を思い返すとなんかすごい、いろいろなんか蘇ってくるものがありますけど。
いや、2000年なかなかすごいですね。
確かに、その辺りのラインナップはね。
2000年とかね、2000年とかかな、そこすごいですね。
2000年とかやっぱすごいターニングポイントになってる感じしますね。99年、2000年あたり、やっぱ。
いやー、まあそこはやっぱすごいですね。ベンズの話じゃないんですけど、全然。
確かに。
いや、そこの、やっぱキッドAなんですけど、あれはね、本当にすごかったですよ。
やっぱあれ、周りの反応もすごかったし、やっぱ聞いてみてその、やっぱ日本のロックとの明らかに格差を感じちゃったっていうか。
ルナシーとかラルクがあれをやってる時にレディオヘッドはこれをやってるんだっていうのが、自分の中でもう隔絶しちゃってるんですよ。壁があるんですよ、完全に。
ああ、もう日本のロックここには追いつけないなっていうのをなんか一番感じた時期ですね、たぶん。
いやー、結構それ、僕なんかこの音楽史というんですか、こういう、割となんか身近なところですけど、この年代のそういうので、一番リアルタイムで聞きたかったなっていうのの一つですね、キッドAは。
いやー、キッドAはあれで、本当にものすごい差を感じちゃいますよ、あれって。すごい差を感じたもん、俺。ものすごい、全然日本のロック全然追いつけねえわって思ったもん。
キッドAの良さをわかんないんですけど、キッドAの良さってたぶんあの時点で俺理解できてないんですよ。俺わかんねえなって思ってて、でも圧倒的な差を感じちゃったんですよね。こっちの方がすごいっていうのはなんか肌で感じた。
だからあれは本当衝撃でしたね。
その辺に通じる話でいくと、よくエルゾーさんが言ってる赤いルナCYのやつが、90年代後半のレイディ・アゲイスト・ザ・マシーンであり、コーンの要素が多いっていう、そういうところがルナCは2000年にやっている、一方でキッドAは2000年でこの音っていう、その対比でってことですよね。
俺もありますね。そのもうここまでやっちゃうんだっていう。どうしてもやっぱり日本のトップのバンドはすごいことをやったり、洋楽の要素とかも取り入れつつやるんですけど、なんていうかな、日本のヒットチャートから離れてないというか、その範囲内でやってるっていうか。
そこはちゃんと意識しつつ、冒険もしつつなんですけど、レイディオヘッドってもうまったく考えてないんですよ、その辺。売れる売れないとか。
ここまで冒険しちゃったらお前今までのファン全員離れるよっていうことをやるんですよ、ここで。
それがなんかすごいなっていう。そこになんかゾゾーってしちゃったんですよね。背筋が震えるっていうか。
それはやりませんよ、誰もっていうのを。
ヒットAでレイディオヘッドがやってたんで。それはなんかもう、そこまでストイックに突き詰めちゃうんですかっていう。
日本のロックバンドもものすごいストイックにやってたと思うんだけど、それすらもなんか凌駕してるというか、そこは眼中にないっていうぐらいやっちゃうんですよね、あの頃のレイディオヘッドって。
そこの冒険心とかそういうのを感じ取っちゃって、ブルブルブルって震えるっていう。
これは何だろうっていう。
あとはそのヒットAの衝撃の理由の一つに、元々はつい5年前まではああいうベンズみたいな。
バンドサウンドをやってたバンドがこの音っていう、その進化のそれがあるからですよね。
いきなりヒットAみたいな音をポンって出てきたわけじゃなくて。
ああいうのをやり続けてきたんだったら私もね。
そこですよね、衝撃の裏側にあるものとしては。
そうなんですよね。だからレイディオヘッドがそれをやったっていうのがすごい衝撃というか。
そこまでなんかやってしまうのかと。
もともとそういう音を出してたバンドが、とかアーティストがそれをやったなら、そこまでではなかったと思うんですけど。
ライブバンドだとまたかっこいいってなる部分だったりするんで、そこも魅力的なんですよ。
そこがやっぱね、ただのハゲじゃねえんだよな。
頭髪とともに存在理由がなくなったわけではないんだよ。
存在理由はあるんだよな、ちゃんと。
ベンズの頃はまだありますからね。
ベンズの頃はそうだね、あの頃は全然あった頃だね、髪の毛も。毛孔も生き生きとしてたし。
だいぶ兆候ありますけどね、そうはいっても。
兆候もありますけど、もうなくなるなっていう兆候ありますけど。
いやー、バンドサウンドの変化とともになったんだ。
そうだよ、そういう、ね、罪深いよね。
一人の人間の毛孔のね、毛孔のあれと。
フィルの写真を見ればだいたいどの時期のサウンドなのかなっていうのが、
だいたいわかるんだよ。
ハウンドがわかるっていう。
いやー、すごい。
まあね、レディオヘッドはでも本当に、今ね、いろんな話をしてきましたけど、進化がね、本当すごいっていうところと、
そのアルバム、その間に出てるアルバム、一枚一枚が本当に名番なので、もう世界的、歴史的な。
そうですね。
どのアルバムがっていう話でもね、本当に永遠に話せるっていう。
なんか全部重要アルバムみたいな感じ。
いや、本当そう。
どれをね、本当にどれが好きっていうのに、みんなこうばらけても不思議ではないっていう。
本当にそれくらい、もう全部が名番で、その進化がすごいっていう。
進化すごいですね。
結局レディオヘッドって、一枚でそのジャンルを極めちゃうんですよね。
はいはいはい。まさにまさに。
そこをもう制覇しちゃうっていうか。
だからもう、ポーンと次にレベルアップしていけるんですよね。
だからあそこまでいけたんだろうなって思うんですけど。
まあね、今回はベンズということで。
キッド英会みたいな。
入りとしてはもうキッド英会みたいになってますけど。
なんかベンズ会みたいな。
やがてそんなに、なんか、
この95年、3月に出てるベンズですね。
だって5年、5年ですよね。
そう、5年、5年、5年。
キッド英の5年前がこれなんですよ。
うーん。
5年、5年ですよね。
5年、5年、5年。
キッド英の5年前がこれなんですよ。
Xジャパンだったら1枚しかアルバム出ないですよ。
そうですね。
1枚も出ないですよ。
いやまあ実際ね、ジェラシーからダリアが5年。
ジェラシーからダリアが5年じゃないですか。
あれの振り幅と、ベンズとキッド英の振り幅を見るとやっぱり、やっぱりすげえなって思うんですよ。
なんじゃそれはみたいな。
あの2つ入って聞かされて、同じバンドって思わない人いるかもしれないぐらい変わってますからね。
いやもうトムヨークの声ぐらいしか共通でないじゃないですか。
それぐらいの振り幅があるんですかね。
いやもうトムヨークの声ぐらいしか共通でないじゃないですか。
それぐらいの進化の度合いがすさまじいんですよね。
やっぱりそうですね、進化のスピードすごいすごい。
異常ですよね。
すごいすごい。
パブロハニーからベンズも進化が結構すごいじゃないですか。
すごいんですよ。そこもやっぱりそれはまさにベンズ界で出会わず。
本来テーマ来た。
そうですね。
パブロハニーは本当、言ってみればグランジオルタナティブの枠にあったに過ぎないアルバムだと思うんですけど、
次のベンズでギターロックっていうものを極めてしまったみたいなところにまで行くじゃないですか。
行きますね。
ギターロックの究極って言ったらもうベンズじゃないですかっていうところまでやっちゃうんですよね。
ちなみにそのパブロハニーからベンズはどのくらい空いてるんですか。
2年。
2年。
なるほどね。
2年ですよ。2年で極めちゃうんですよ、ギターロックというものを。
おーすごいですね、やっぱ。
進化の速さですね。
そこの本題、ベンズがどうやってできたかっていう話をしていきますか。
ちょうどそういう話になってきたんでね。
ですね、ベンズにフォーカスして。
ギターロックの究極と今出てたアルバムがどう作られたかっていうところですけど。
パブロハニー界でいろいろレディオヘッドのそもそもの結成とか成り立ちの話をしているので、
ちょっとその辺をここでは割愛しますけど。
パブロハニー界参照ということで、その辺パブロハニー界聞き直してもらえればと思いますけど。
聞き直します。
パブロハニーは93年2月に出ていると。これがファーストアルバムですね。
93年2月。
あんまりね、UKとかでは、まぁイギリスのバンドですけどレディオヘッドは。
そんなに売れなかったんですけど、93年夏にアメリカでクリープが大ヒットして。
で93年はなのでアメリカでツアーしたりとかっていう感じの活動をしていたと。
で93年は12月ぐらいまでなんかツアーをやってたみたいなんですけど、
結構なんかもうその最後の方はかなりなんか過酷で肉体的にも精神的にも疲労がすごかったっていう。
でなんかクリープがヒットしたんで、よくレディオヘッドのクリープで言われてますけど、
そのクリープの重圧とかがもう始まっていて、
ヒットするとそれを超えなきゃみたいな、次はそれを超えなきゃみたいな、そういうようなことだったりとか。
クリープのバンドみたいなそういうような評判になったりとか、その辺が重なって、さっきの疲労とかと重なって、
かなりその時期バンド内、レディオヘッドってめちゃくちゃメンバーの結束が強いというかね。
学生時代からのメンバーなんで結束が強いイメージありますけど、
なんかバンド史上この時期が一番なんか仲が微妙だったっていう言葉、なんか振り返って言われてますね。
っていうのが93年のツアー年末までやってて、
で94年になるとセカンドアルバムを制作開始してるんですけど、
ここで迎えられたプロデューサーがジョン・レッキーっていう人で、
なんかストーン・ローゼスとか、あとライドとか、
ライドはシューゲイザーでよく出てくるようなバンドですけど、
そのライドとか手掛けたジョン・レッキーを迎えて制作開始するんですけど、
さっきも言ったクリープ以上の曲を作らないといけないっていうのがやっぱあって、
クリープの次としてこれはふさわしいのかみたいな、
そういう呪縛がやっぱあったらしくて、
この時期全然ダメだったらしいですよね、この94年になった最初のこのセッションというか。
もともとレコード会社的には春にシングル出して、
10月にアルバムみたいな予定でいたらしいんですけど、
その時の春にシングル候補になってたのが、
曲のザ・ベンズ、サルク、ナイス・ドゥリーム、キラー・カーズだったらしいんですけど、
結局その時期でのシングルは見送りになると、
まあ納得いかなかったんでしょうね。
そんな感じでセカンダーアルバム作りなんか難航してるんですけど、
アルバムがもうなんかできないままツアーに出るんですよね、5月から、世界ツアーに。
で、さっき言ってたような曲は多分もうラインナップにあるし、
その前から新曲は多分曲自体はできてるんで、
結構そのツアーで後にベンズに入る曲たちを新曲としてやってるんですよね。
で、その5月27日にロンドンのアストリアでやったライブが、
ライブビデオになってるんですけど、
そこからもアルバムベンズに入ってる曲から8曲やってて、
その時点でだいぶ曲があって、演奏されてると。
で、結構ね、ここのそのツアーで、
その新曲をやることでいろんな手応えをね、掴んでいったらしいんですよね。
だからこのツアーは、そのレコーディングに詰まってツアーになった感じになってますね。
この辺の本当にスランプというかね、クリープの呪縛みたいなところから抜け出すのが、
そのライブで新曲をやって手応えをつかむっていうところがね、まさになんか、
レイティオヘッドの本質ってやっぱりそういうところにあるかっていうのが。
やっぱりライブでやらなきゃね、ダメだったんだろうね。
それは本当に思いますよね。
スタジオでこう、うーんって考え込んで、
ああだこうだやってただけでは多分打開できなかったんだよね。
その辺がね、なんか面白いなって思いましたね。
ベンズの元にあったのはそういうとこなんだっていう。
ライブってやっぱね、すごい集中力と一瞬のひらめきと、なんかすごいっすもんね。
あの場はすごいエネルギーがあるから。
そうですよね。
で、ダイレクトに見てる人のリスナーとかファンの反応があるわけだから、
あ、こっちなんだっていうのはなんか、
肌でわかる場ではありますよね、アーティストとしてはね。
そうですね。
で、その、
その、
その、
肌でわかる場ではありますよね、アーティストとしてはね。
そうですね。
で、やっぱ、まあ単発のね、こうライブっていうよりは、やっぱツアーで、
ずっとこう、演奏の積み重ねというか、
やって、じゃあ次はもっとこうしようとかっていう、
いろんなね、移動とかもやっぱコミュニケーションが取りやすかったりすると思うんで、
もっとこうしよう、ああしようっていう話も多分できただろうし、
1回1回でのね、上積みっていうのもすごいやりやすいんだろうなっていう感じがするんで、
こういう、なんか時期にツアーをやるっていうのはほんとデカいんだろうなっていう。
アルバム作るときはツアーをやれということですよね。
ツアーをやってレコーディングすべしっていう。
そう、ツアーをやってからすべしという。
ね。
ここでもそれがね。
この頃は多分楽しかったんじゃないかなと思うんですけどね。
人達的にも。
手応えをね、どっかで掴んじゃえば多分、
なんかこの方向で行けるぞみたいなのが途中で見えてそうな気はしますよね、なんとなく。
やっぱりバンドが一丸となって模索してると思うんですよね。
クリープっていうすごいヒットがあった、その次を全員がどうにかして見つけ出そうっていう時期だと思うんで。
苦しいかもしれないんだけど、楽しい時期でもあったんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね。
やっぱりすごいロックバンドとしての面白さ、楽しさと苦しさと厳しさとっていうのは一心に感じてた時期なんだろうなって思いますね。
だからやっぱもうライブ中にね、相当手応えも得て、あとはもうじゃあ撮るだけみたいな感じまでいってたのかなって。
だからもう早かったね。
早すぎるだろ。
早いですよね。
早すぎる。
まあそれまでの作業もあったのかもしれないですけどね、もともとやってた部分。
俺はフィルセルウェイが剥げるわな。
とんでもないスピード感が抜けていってますよね。
髪の毛がもう抜ける抜けるって。
それで、95年3月13日にザ・ベンズ発売ということなんで。
これがね、全英チャートで6位に入る検討。
ただ、アメリカでは不発らしいんですよね。
アメリカでは不発なんだ、ベンズって。
そう。なんかね、クリープに代わるものは見つけられずっていう評価。
今度はされちゃうんですよ。
わかるわかるわかる。
だからもう向こうはそういうふうに、
ベンズはわかんねえんだ、あいつらはな。
それはすげえわかるな。
結構ね、面白いですよね。
うん、すごいなんか。
パブロハニーの時期、クリープに最初のイメージは、
クリープに最初のイメージは、
クリープに最初のイメージは、
クリープに最初のイメージは、
すごいなんか。
パブロハニーの時期、クリープに最初に反応したのがアメリカで、
そっちでブレイクしたんだけど、
ベンズはね、イギリスで6位ではありますけど、
検討してアメリカでは、
クリープに代わるものは見つけられないかったっていう感じで。
わかりやすくそうだね。
やっぱりパブロハニーって、
めちゃくちゃアメリカの音なんですよ、あれって。
そうですね。
あれってものすごいピクシーズだし、ソニックユースなんだよね。
だからどっちもアメリカのバンドじゃん。
だからイギリスから出てきたバンドが、
アメリカナイズされた音を鳴らしてて、
そこに反応しただけなんだよ、アメリカ人ってのは。
で、ベンズっていうのはそうじゃないんですよね。
単純にアメリカンな音ではないし、
もっと複雑で有形らしい情緒とか複雑さとか、
いろんなものを盛り込んでいくから、
そこはアメリカ人わかんねえんだろうっていうところだよね、たぶん。
それすげえわかる。
国の色ってなんか本当はありますよね、何なんだろうな、不思議ですよね。
パブロ・ハニーはめちゃくちゃそこにフォーカスした音になってんだもんね。
ピクシーズだしソニックユースだし、もっと言えばニール・バーナだしっていう。
やっぱそれは嫌だったんだろうね、レディオヘッドはっていう。
そういう形で売れてもそれは不本意だっていう。
もっとたぶんあの人たちは複雑なものというか、もっとできる。
あんな単純な音じゃねえんだっていうさ。
っていうのもあっただろうし、それを表現したベンズだと思うんですけど、
それがアメリカで不発っていうのは、わかるっちゃわかるし、
皮肉と言えば皮肉なんですけどね。
でもイギリスではちゃんと売れたんだろうかね、そこそこ。
そうですね。
まあそんな感じでね、ベンズ発売まで行ったという感じですけど。
途中チラッと出てたと思うんですけど、
ベンズっていうタイトルの意味というか、
これはご存知ですか?
はい。はい、知ってます。
これはですね、あれですよね。
ダイビングとかしたときに、深いとこに潜って、
そっから一気に急激に水面の方に上がってきちゃうと、
血液がすごい圧迫されてたやつが、
その圧が上がってきちゃうんですね。
血液が上がってきちゃうんですね。
なんていうんですかね、血液がすごい圧迫されてたやつが、
その圧が急になくなることで沸騰しちゃうみたいな感じになるんですよね、血液が。
気泡が血の中にできちゃって。
それでいろいろ体がおかしくなっちゃうというか。
ということですよね、これベンズっていうのは。
そうですね。潜水病とか減圧症とかそういう感じみたいですね。
なぜそんなタイトルにしたんだろうか。
いやもう単純に息苦しいってことでしょ。
息苦しさの。
突然やっぱり成功してしまったことによる息苦しさとか、
そこによって周りの人間関係が疫変してしまう息苦しさ。
とにかく息苦しいっていうのがこの頃のトム・ヨークの心象だと思うんですよね。
それを直接的に表しているというか、それを表現せざるを得なかったっていうことですよね。
とにかく息苦しい、呼吸ができないのも何なんだこれはっていう。
まさに急浮上によってそういう風になる時っていうことでしょうね。
だと思いますね。
ですね。
クリープで急に深海魚がね。
深海魚がいきなりすぎ上げられて、
せめにあげられてしまうとね。
膨れ上がってね。
パンパンになっちゃう。
破裂しちゃうってね。
まさにそれだと思いますよ。
そこになんか息苦しさを覚えてしまうっていうのがやっぱり90年代のテーマだと思うんですよね。
やっぱカートコーパーもそれで死んだわけですよね。
それを生きながらにして表現してたのがトム・ヨークであって、やっぱりものすごい苦しかったんだろうなっていう。
前時代のロックスターだと単純に売れりゃパーティーだつって、女じゃドラッグだ酒じゃつって楽しめたんだけど90年代の人間はそれは楽しめなかったんだよなっていうところがやっぱロックの一つの大きなテーマになってたんですよね。
それはやっぱり今にも通じるものはあると思うんですけど、単純にパーティーやっては楽しいのかといえばそうじゃねえじゃねえかっていう。
そういうのの自我の芽生えの始まりのことの表現じゃないですかね。
そうですね。そしてこのジャケット、アートワークですからね。
こんなアートワークの部品はわけわかんないんだよな、これ。
かっこよくもねえし、なんか。
謎の人形っていうか。
顔というか。
ジャケットもっとどれかかっこよくしろよつってね。
これはなんかあの、蘇生実験用のダミー人形っぽいよね。
蘇生実験。医療用のなんかそういう。
医療用のあのさ、身近なところで言うとあの人工呼吸っていうか、心臓マッサージとかやる。
人工呼吸してる人形あるじゃないですか。あれっぽいもんね。
それですね。
まあこのタイミングからのスタンリー・ドーン・ウッドっていう、まあそれ以降のアートワークっていうのが出てきて、
まあこのタイミングからのスタンリー・ドーン・ウッドっていう、まあそれ以降のレディオヘッドのアートワーク全部手掛ける、
トム・ヨーフックの大学時代からの友人がやってるんですけど、
そのトムとスタンリーで病院の訓練棟に、なんかまあ許可を得てですけど、入って撮影してたらしいんですけど、
その時にたまたま見つけたのがこの人形で。
本当に病院の、本当にそういう実際使ってる、実際のやつなんですね。
なんか何体かある中で、これだけこんななんか、窒息してるのにまるでオーガズムに達してるみたいな、
そういう表情をしてるんで、なんかこれを撮って、それをジャケットに使ったらしいです。
なんか確かに、まあなんか安らかな顔というかなんか。
まあすごい表情っちゃすごいよね。そのなんか人形だと思うとすごい表情というか。
もっとね、見てる側としてはもっとなんかかっこよくしろよとか思うんですけど。
でもこのそのなんか身近な感じというか切実な感じ、リアルな感じが多分トム・ヨークのその心象風景にめちゃくちゃマッチしてたんだろうなっていう。
すごい有名なデザイナーがなんかやってっていう、それじゃないんだよっていう状況だったんだろうなって思いますよね。
ほんとやっぱセッパ詰まってたんでしょう。いきなり売れちゃって。
リオヘッドのジャケットってほんと面白いっすね。なんかすごいな。
それ以降のね、どのアルバムジャケットもそうだけど、シングルとかもすごく世界観が統一されてる感じのね、ジャケットだもんねリオヘッドって。
それを基本もう同じ人がずっとやったりするとか。
すごいなんかやっぱり表現する人間の心象を大事にしたデザインだなって思いますね。一貫して。
後の方が洗練されてはいるんですけど。
そうですね。
アートだなっていうのはあるけど、何よりもやっぱり、多分トム・ヨークだとは思うんですけど、この心象を反映したアートワークでなければ認められないっていうのをずっとやってるかなって感じにしますよね。
そうですね。
そこがやっぱりレディオヘッドってすごいメジャーで世界的なバンドなんだけど、やっぱ表現の根幹にあるのはすごい一人の人間のパーソナルな心象だったりするんだよなっていうところがなんか、そこに一番誠実だと思うんですよねレディオヘッドって。
そこになんか共感するところはあるなっていう。決して商業主義には陥らないっていうプライドがあるよねっていう。
という弁図ですが、なかなか苦悩しながら生み出されたセカンドアルバムですというところだし、ここのアルバムから今言ったアートワーク的なところではスタンリー・ドーンと入るようになってるし、
ナイジェル・ゴドリッジって、それ以降もプロデュースでずっとやってることになる。彼もここから入ってきてるんで。なのでもうここがいろんな意味でのスタートになってる。
そういうタイミングですね、まさに。
ずっと後まで続くレディオヘッド体制の始まりがここかなって感じしますよね。
ですね。苦悩しながらそこに行き着いたというか、そのスタートラインに立てたんだっていう。そういうタイミングであったと。
もうレディオヘッドってずっと苦悩してるんですよね。苦悩の歴史なんですよ、もう。