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私らしい働き方インタビューvol.14 沖樂座・頭 髙橋浩一さん
2026-08-17 26:30

私らしい働き方インタビューvol.14 沖樂座・頭 髙橋浩一さん

【私らしい働き方インタビューvol.14🎤😊】

今回のゲストは、エイサー沖樂座の髙橋浩一さん。

今回のゲストは、私がエイサーを通じて出会った、高橋さん。

「居場所」という言葉から、エイサーへの想い、流れに身をまかせ自然とそうなる、そんな人生についてお話を伺いました。

エイサーを通して伝えたい想いと、これから描いている未来。普段はなかなか聞けない高橋さんの貴重なお話をお聴きください。


エイサー活動のご案内
▶︎いややねん!せんそう こどもまつり
日時:11/14(土)〜
場所:御幸森第2公園(大阪市生野区桃谷5-4-4)
ぜひ、お近くでしたらお越しください♪
私も出演させてもらえるかも〜

▶︎Instagram
https://www.instagram.com/chondaras/

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https://youtube.com/@muruchondara?si=EZcTbSyhLT31iGnN

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エイサー仲間である
フォトグラファー藤原彩子さんの
インタビューもぜひお聴きください♪
▶︎私らしい働き方インタビューvol.3
https://stand.fm/episodes/67d0af8a6fd4c2206aa729cd


#エイサー
#沖樂座・頭
#髙橋浩一さん
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感想

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00:00
どうもー、めぐです。こんばんはー。
お久しぶりに私らしい働き方インタビューを収録させていただきました。今回お招きしましたのは、私が参加させていただいているエイサーの団体沖楽座のチブルことトップを務められている高橋浩一さんをお招きして、ゲストさんとしてお話を伺いました。
ということで、早速どうぞ。
どうもー、早速私らしい働き方インタビューを始めたいと思います。
今日はゲストとしてですね、私のエイサーの講師の先生をしていただいている高橋さんをゲストにお招きしまして、インタビューをさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では早速なんですけども、高橋さん自己紹介をお願いできますでしょうか。
沖縄のエイサーという踊りを踊っている高橋です。現在ですね、平方市でエイサー団体を共同に立ち上げて、他にも西成区ですね、大阪市の西成区でエイサーを教えています。
たまにソロのエイサーでも出演したりしています。仕事は全然関係ないんですけど、ライフワークがエイサーで、ライスワークが生活介護の支援員をしています。
エイサーっていうのは、聞いたことない人もいているかもしれませんけど、沖縄県の沖縄島、沖縄本島のこと、沖縄島って言いますけど、中部の方で中心に旧盆の時期に踊る太鼓を用いた踊りのことをエイサーと言います。
ありがとうございます。ということで、今年の1月から私は高橋さんと、前回インタビューに出ていただいたカメラマンの綾子さんと一緒にですね、今エイサーを直接直に教えていただきながら、ようやく先週エイサーの初舞台を立たせていただきまして、ありがとうございました。
ありがとうございました。
めちゃくちゃ楽しい。
よかった。
そんな初舞台を踏んだ私なんですけれども、今日はですね、高橋さんの今のエイサーだったり、お仕事だったり、それを始められたきっかけからお伺いしてですね、どうやって今の活動につながっていったかというのをお伺いしたいと思っているんですけども、
エイサーと出会ったきっかけ?
03:00
30年前なんですよ。この間時期を調べたら、90年の9月8日だったことがほぼわかる。このインタビューのきっかけにちょっと調べたんですけど。
よく冗談で言っているのは、かわいい女の子の笑顔に騙されたからというふうに言っているんですけど、関西淡路大震災関連のボランティアをやっていて、そのつてとかつてのつてみたいな感じでバーベキューに参加したら、いきなりエイサー練習になったんですよ、その場所が。
それがきっかけですね。
それまではエイサーって?
全く知らんかった。別に沖縄、内縄口にはちょっと興味あったぐらいな感じで。
だけどそのバーベキューの時に急にエイサーの練習になったんで、その場所がそうなったんです。
それがきっかけだったんですよ。
そこで出会って、そこからエイサーに引き込まれていく大きなきっかけは?
そもそも僕、その時の考え方が風任せ人任せっていう風な感じだったので、なるがままにっていうのがあったんですけど。
そうですね。エイサーをやってて、僕はわりと兵庫県でエイサーやってたんですけども、兵庫県のメンバーはすごいいいところから教えてもらってたんで、
大阪のメンバーはまた違うところから教えてもらったんで、その辺の関係で図に乗ってというか、うまく見られてたんでね。
それで大阪の辺からもてはやされて、ガーッとのめり込んでいったっていうのはあるのかな。
なるほど。エイサーを初めてやりました。のめり込んだのは、皆さんからうまいと思われたところはあると思うんですけど、
ガーッとそこに入っていくまでに、自分の心の中に動かされたものがあったのかな。
そこはね、ちゃんとしたエイサー団体っていうわけじゃなくて、エイサー隊もある劇団みたいな感じで、役者だとかバンドとか、音響、照明ですね。
カネってやったりしてる人もいてたりしてて、そこでわりとメッセージ性があるところなんで、
06:18
若者の生き方があるとか、生きづらさをテーマにしたりとか、平和とかいうふうなことをテーマにしてやってて、そんな感じで沖縄の人とつながったりとか、県人会とつながったりとかして、
そうやってハマっていったんですね。
わあ、そうだったんですね。私がエイサーに出会ったきっかけっていうのは、私は和太鼓が初めてだったんですけど、
音楽っていうところというよりか、そのエイサーの裏にある、伝えたいメッセージ性みたいなところに高橋さんが惹かれて、
っていうのもあるし、続ける理由の一つではありますね。最初、今思い出したんですけど、太鼓を持って踊るっていうのにまずびっくりしたっていうか、
そうですよね。私もありました。
そんな感じはありますね。
エイサーっていうのは、僕は2002年ぐらいに、当時では沖縄三大エイサー祭りと言われて、今エイサー祭りめちゃめちゃたくさん増えてますけども、
青年ふるさとエイサー祭りにその団体で出場したことがあったりとか、
エイサーを知らなかったら、わからないと思いますけども、伝統エイサーとか創作エイサーの違いって多分わからないと思います。
向こうの人が内地のエイサーなのに、創作かと思ったら伝統エイサーだねって言われて、そんなことがあって。
内地はこっちの本州の方なんですけども、そこで沖縄ワンポップスっていうのは、ビギンとかね。
ビギンも実際2001年ぐらいにわりと流行ってきたので、ちょうど流行りだす頃の時期だったんですけども、
伝統エイサーと創作エイサーっていうのは、創作エイサーよりかは伝統エイサーをどんどんやっていこうねみたいな感じのことになってきて。
09:00
平方のひじむなさんとか、宝塚の方でも子どもエイサーがあるんですけども、子どもエイサーはやっぱり子どもたちがポップスの方に興味があるから、そういうのをやったりとか、
あと、学校の先生に教える機会があって、今まで学校にでも行ってたんですけども、最初の頃は。需要が多すぎて、先生を逆に呼んでエイサー講習会しましょうって。沖縄ポップスのエイサーでやったりとか。
多い時は、だいたい夏休み中心に集中してやるんですけども、一夏で200人超える先生にのべですけど、エイサーを教えたりとかしたことがあったりとか。
そうだったんですね。もうね、振り返ってみると30年もずっと続けられてるっていうことなんですけど、この30年の間に結構いろいろあったと思う。
そうですね。
なんかこの続けていく中ですごく葛藤だったり山場だったりとか。
やめたいと思ったことが。
エイサー自体は他の団体でやりたいとかあったりとかして、10年ほど前に、やめたいが故に別の団体に入ったりとか、5年ほどいてたり。
そこではまた、3団体合同のエイサーでちょっと、夏川梨美さんの関係つてみたいなんで、ひかじまさぶろうさんとか夏川梨美さんのバックで大阪城ホールで踊ったりとか、その時70何人で踊ったりとかしたりとか。
ナンバーグランドカ月で踊ったりとか、世界のウチナン中大会の年なんで、2016年だと思うんですけど、その時にそこでいろんなエイサー団体と交流があったりとかしたんですけど、その時も前のところと掛け持ちしてやってて、やめたいと思ってた。
結局10年ぐらいそこの団体にとどまってて、そこでエイサー退場させてもらったんですけど、やっぱり自分の気持ちを大切にしていこうというふうなことで、いろいろキスがあったんですけども、やめて、今はそぼそぼとエイサーをしているという感じですね。
そしたらその中で高橋さんがずっと続けられてきた中で、ご自身でエイサーに対して大切にしている思いとか。
そうですね。あとおっしゃってた生き方に迷っている人とかに向けて、ここにいてもいいんだよっていう言葉なんですね。まず一つ目が。
12:14
ガマゲット7っていう戦時中を描いた映画があって、続編でマブイっていう戦後を描いた映画があるんですけども、そこで制作から自主上映会までボランティアとしてやってたんですけども、そこの映画のキャッチコピーがここにいてもいいんだよっていうようなことで、行き場を失った若者っていうのが99年当時でも多くいてて、
その心が刺さったっていう人も多いように聞いてたりとかして、僕もいろいろあったりとかして、
自分のことをちょっと言います。子供が23になる年なんですけど、10度の知的障害なんですけど、自分で乗り越えたわけじゃないんですけど、妻が一生懸命してくれたおかげなんで、一緒に映彩できたらいいかなと思ってたんですけど、子供とね。
やっぱりそこの場所に立ってもらうみたいな指示がなかなか本人に入らなかったりとかしてるんで、
いろいろ言ってごめんなさい。
全然大丈夫です。
9年前に転職するきっかけがあって、妻の助言で知的障害関係の生活介護の支援員を家の近くやったんですけど、
なんか変な風に願いが叶ったんですけど、今は沖縄のね、いわゆるリトル沖縄と言われている大正区で働いてて、そこでも生活介護では月に1回エイサーの時間作ってやっていったりとかしてるんですけども、話がいろいろ。
僕もいろいろ遠回りしてるかもしれない。遠回りしていいよっていうふうなことも思ってたりとか。
やっぱり昨今、遠回りしないようにみたいな感じで生きる人が多いと思いますけども、
効率よく生きたいなら生まれてすぐ死ねばいいっていうね、秘策小太郎の言葉があります。
遠回りに意味がないように見えても、意味を見つけることの方が人生が豊かになるんじゃないかなというふうに思うのと、
15:03
沖縄の黒髪言葉、黄金言葉って書いてある黒髪言葉なんですけども、最近沖縄ばやりでね、知ってる人も多いと思いますけども、
ナンクルナイサーって言葉があるじゃないですか。本当の意味っていうのは多分みんな知らないと思うんですけども、
本当はね、マクツソウケイナンクルナイサーっていうことなんですよ。マクツソウケイも含めてナンクルナイサーが大事なんですけども、
ナンクルっていうのは自然にっていう意味なんですね。
なるが生ってないなんで、ナンクルあるなんて言葉ないんですけど。
だから、誠であったら自然にそのようになりますよっていうようなことで。
そういう意味だったんですね。
そうですね。だから、沖縄系のユーチューバー、まさとしにぃに、スジトセイっていう言葉がありますが、それにつながる。
マブイっていう言葉。さっきAがマブイっていう。
マブイっていう説明してなかったですけど、魂っていう風に直立されますけども、漢字で書いたら真の振る舞いなんですね。
真の振る舞いでマブイ、マブリなんですよ。
そういう風なマブイをちゃんと持って、マクトゥソウケンマコトになっていれば、ナンクルナイサーっていう風なことがそのようになりますよっていう風なことですね。
これは高橋さんの人生を通してもナンクルナイサーにつながってますよね。
最初はAさんの出会いからですけど、その中でお子さんのこともあり、奥さんの助言があって、今のお仕事もお子さんともつながり、そして自分の活動のAさんもつながっていて、
それで儲けてるわけじゃないですよね。
いやーでも、高橋さんが根本のところにメッセージ性を感じた中でAさんをやってるっていうお話をちょっと今日お伺いしてめちゃくちゃ良かったなと思って、
音楽っていうところではすごく楽しかったりとか、本当に音に乗せて楽しさを伝えたいとも思ってるんですけど、
このAさんの活動がそうやって誰かの場所になるみたいな、そんな活動をゆくゆくやっていければ面白そうだなと私もちょっとやり始めて思っていて、
そういうことを実は高橋さんもめちゃめちゃ思っていらっしゃってやってる中で教わっているっていうのはですね、すごい貴重な体験をさせていただいていて、
18:11
そんな普段練習をしている中では本当にたくさん沖縄のお話だとかAさんの成り立ちだとかっていうのを伺ってたんですけど、
高橋さんの思っている思いみたいなところをちょっと今日直接お伺いしてきて、すごくありがたかったです。
ありがとうございます。
これから高橋さんが思い描いている先とかやってみたいこととかがあったらお伺いしてください。
ほぼほぼ歓励に近づいてきてはおるんですけど、Aさんを仕事にしたいっていうのは思ってるんですよ。やろうと思えばできるとは思うんですけど、
沖縄の人でもAさんを仕事にしたいっていう人いっぱいいてますけど、教育委員会とか都道府県とか市町村で教育委員会があります。
そこに登録したりとかしたらちょっとは仕事としてできる部分があるのかなとか思ったりとか。
たぶんね、ラジオでいいとも伝わらないんですけども、Aさんに出てくる同期役のチョンダラっていうのがあって、それのカツラですね。
白の革で作ったスルガっていうのがある。それも作ったりとかしてて。
うるま市のね、もし画像を調べるんやったら、うるま市のやけな青年会とか、へしきや青年会を検索したら、髪の毛が上に伸びてるチョンダラがいてる。
沖縄市のチョンダラはね、長いのいてるんですけど、だいたい傘かぶってて、またちゃうんですけど。
カツラをね、受注で作ってね、他の団体に売ったりとかしてて。
今日もね、ちょっと納品があるんですけど。
今年は5、6本。
1、2、3、3箇所。
3箇所は初めてなんで。
リピーターさんが1箇所なんですけど、そのリピーターの時は5年ほど前かな、7本納品したことがあったんです。
でもそしたらちょっとずつ、その伏線みたいなのは、どんどん始まっていってるような感じですかね。
こんなんほんまにね、仕事にできたらいいなと思うけど。
できたらですね、今のこのエーサーの、おきらくさというエーサーのグループ、団体。
21:07
検索しても出てこないですけど。
これをですね、検索したら出てくるぐらいの活動に少しずつちょっと成長させるべく、私もそこのお手伝いを引き続きさせていただけたらと思いますので。
ということで、高橋さんめちゃくちゃ緊張されてたと思うんですけど。
知ってます。
私本当に今日は高橋さんのエーサーとの出会いとか思いとか、それをお伺いしただけでも本当に貴重なインタビューをさせていただけたと思いますので、ありがとうございました。
告知いいですか。
ぜひ。
ちょっとまだ分からない部分もあったりとかして、ちゃんと分かっているので言うたら、
これで一個だけ言っとくか。
11月14日土曜日、13時から行くのにある三浴森第二公演ですね。
いややねん戦争子ども祭りっていうのがあって、それは僕も実行委員会で10年ほど前から携わっているんですけども。
略していやせんですね。
いややねん戦争子ども祭りっていうの。
めちゃめちゃこじんまりした祭りなんですけども、そこでエーサーさせてもらいますのでよろしくお願いします。
じゃあそのご案内みたいなのは何かもうちょっとホームページに出てたりしますかね。
出せないですね。
そうなんですね。
じゃあちょっと私、高橋さんにお伺いして、このインタビューの放送会の概要欄にそこを。
ありがとうございます。
掲載しておきますので、場所や日時をですね、掲載しておきたいと思いますので。
そうですね、アナログな世代のみんなでやっているので、なかなか。
はい、ぜひちょっとこれを聞いてですね、エーサーを生で見たい、高橋さんのエーサーを生で見たいっていう方はぜひお越しいただけたらと思いますので。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあちょっと最後に、ちょっと一言だけ。
一言ですか。
はい、一言だけ。全然一言二言でも。
そうですね、全然仕事でやってるわけじゃないんで、このインタビューの趣旨からしてはまた違うかもしれないんですけども。
まあ機嫌よう、仕事じゃないようなことで、ライフワークとしてエーサー、ライスワークではなくようなことでやってますけども。
まあ本当はね、ライスワークとライフワークが一緒であれば一番いいと思いますけども。
まあ機嫌よう、やってください皆さんも。
はい、ありがとうございました。
はい、それではインタビュー終了したいと思います。
24:01
ありがとうございました。
失礼します。
ということで最後までお聞きくださりありがとうございました。
今回高橋さんのお話を伺って、私の中に一番印象に残った言葉が居場所なんですね。
私自身今このエーサーを通して、いつでもエーサー仲間が集まれるような場所に参加させてもらっています。
太鼓を叩いて踊って、そしていろんなお話を伺って、そこに居るだけで皆さんと一緒に繋がっていける、私にとってはまさにリアルなサードプレイスのような場所なんです。
今回高橋さんがこのエーサーに込めている思いだとか、沖縄のお話を改めて伺って、ただ音楽や踊りを楽しんでいるわけではなく、その背景にあるものを感じることができました。
この人が集まって繋がって、そしてこの場所って本当に自分らしくいられるんですよね。
そしてエーサーを通して、生きづらさから少し解放されたり、ことであれば自然とそうなるというような生き方を伝えていく。
そんな思いがあるからこそ、高橋さんは長くエーサーを愛し続けて、今もその先の未来を思い描いているんだなあって、そんな風に感じました。
今回のインタビューでは、普段一緒に練習しているだけではなかなかそんなお話を聞くことができなかったんですけれども、
そういう高橋さんの奥にある思いっていうのを、一対一のインタビューでお伺いすることができました。
その背景を知った上で、これからまた一緒にエーサーを踊らせていただいたり、また舞台に一緒に立たせていただける、そんな機会をいただけるということがめちゃくちゃ嬉しくて、
私はまだまだ駆け出しなんですけれども、そんな貴重な時間をいただけていることに本当に改めて感謝だなと、そんな風に感じたインタビューのお時間でした。
ということで、今日も最後までお聞きくださりありがとうございます。
それではまた。
26:30

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