#026|父と息子が100年描いた街(前編)|ロックウッド親子|バーミンガム美術館|消える風景を残す|水彩画|父と子の愛の記録
2026-11-02 12:37

#026|父と息子が100年描いた街(前編)|ロックウッド親子|バーミンガム美術館|消える風景を残す|水彩画|父と子の愛の記録

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MeeFM(ミーエフエム)本編 #026(前編)。イギリス・バーミンガムの街を、父と息子の2代で約100年にわたって描き続けた画家、フランク・ロックウッドとアーサー・ロックウッドの物語です。父フランク(1895-1961)は、第一次世界大戦を経験し、チョコレート会社キャドバリーのデザインスタジオを率いた人物。工事現場に座り込み、変わりゆく街を水彩で記録しました。息子アーサー(1934-2019)は、ペンギンブックス等で活躍した出版デザイナーでしたが、53歳のとき「父と同じ寿命なら残り11年」と気づき、ロンドンのキャリアを捨てて帰郷します。後編では、700点以上の作品の寄贈と、市民が紡ぐ展覧会の物語をお届けします。展覧会「Illustrating Birmingham: 100 years through the eyes of the Lockwoods」は、バーミンガム美術館(ブリッジ・ギャラリー)で2026年11月3日開幕。主な参照: Birmingham Museums 公式 https://www.birminghammuseums.org.uk/stories/new-exhibition-to-open-at-birmingham-museum-art-gallery-reflects-nearly-100-years-of-birmingham-through-the-eyes-of-father-and-son-artists ほか、公式・一次情報を中心とした素材パック(全19件)に基づきます。

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MeeFM 本編です。今日は、リスナーのあなたに、ちょっと想像してみて欲しいんです。 もし、自分の住む街の風景を、親から子へ、バトンを渡すように、100年間も描き続けた親子がいたら、
100年ですか? 一体何が映っているんでしょうか? 手の塊という一面たたまりがあります。美しいランドマークとか、平和な田園風景の移り変わりなんかを想像しますけど。
ところが、彼らがキャンバスに定着させたのは、そういう綺麗なものじゃなくて、もっと生々しいものだったんです。 鉄の匂い、瓦礫の山、ブルドーザーが建物を薙ぎ倒す豪雲まで聞こえてきそうな、そういう記録
なんですよ。
なるほど。人々の台頭としても確かに。 1、3年前の形身としても確かに。 1、3年前の。
まさにそうです。 今日読み解いていくのは、展覧会の図録や歴史アーカイブ、そして、画家自身が絵の裏に残した膨大な制作ノートです。
そこから浮かび上がってくるのが、イギリスのフランク・テイラー・ロックウッドと、その息子アーサー・ロックウッドという、2人の画家の途方もない執念の物語なんです。
彼らが約100年にわたって記録し続けた、バーミンガムという街の記憶が、2026年11月3日、バーミンガム美術館のブリッジギャラリーで、一つの展覧会として結実するんですよね。
タイトルは、イラストレーティングバーミンガム 100 YEARS THROUGH THE EYESOF THE ROCKWOODS。
私、事前にこの資料群に目を通していて、一番驚いたのが、これが単なる美術展じゃないってことなんです。
街がどうやって変貌して、そこに生きる人々が何を失って、何を得てきたのか、その巨大なアーカイブとして機能しているんです。
本当にその通りですよね。今、この黄巾構想でしょうか。本当にその通りですよね。今、この黄巾構想でしょうか。今、この黄巾構想でしょうか。
まずは、その土台を作ったお父さん、フランク・テイラー・ロックウッドの背景から問い解いていきましょう。
彼、いわゆるバリバリの芸術家というよりは、ちょっと経路の違うキャリアの持ち主なんですよね。
はい。1895年生まれのフランクは、もともと技術系アーティストとしての訓練を受けていました。
技術系アーティストというと具体的にはどんな?
機械の設計図や建築の図面を描くような、極めて正確なテクニカルドローイングの専門家ですね。
その後、第一次世界大戦の過酷な体験を経て、あの有名なチョコレートメーカー、キャド・バリーのデザインスタジオを率いる立場にまで登り詰めるんです。
キャド・バリーって、あの甘くて美味しいチョコレートの、急に華やかな世界になりましたね。
王立バーミンガム美術家協会の会員にもなるくらい重要な人物なんですけど、彼が個人として描いたのは、そういう甘いパッケージのような世界ではなかったんです。
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そこで描いたのが、さっき言っていた生々しい街の記録だったと。
資料の中に、1960年代初頭のウィーマンストリートの様子を描いた水彩画がありますよね。
現在もある警察署、ロイドハウスがまさに建設中で、鉄骨が剥き出しになった風景を描いたものです。
ここですごく素朴な疑問があるんですけど、1960年なら、カメラも普通に普及していますよね。
建物の解体や建設の記録を残すのが目的なら、写真でパシャッと撮る方が圧倒的に正確で早いじゃないですか。
なぜ、わざわざ時間のかかる水彩画で残したんでしょうか。
誰もがそう思いますよね。でも、フランクの視点からすると、写真は死んだ記録でしかなかったんです。
死んだ記録ですか?
カメラのシャッターって、たった数百分の一秒の視覚情報を切り取るだけですよね。
でも、都市の変化というのは、もっと立体的な体験なんです。
フランクがわざわざ楽器板を抱えて工事現場の前に座り込んだのは、その場所の土埃の匂い、クレーンが動く騒音、働く人々の声、
そういった時間の流れそのものを体験として紙に染み込ませたかったからなんですよ。
写真が結果の記録だとしたら、水彩画はその空間で過ごしたプロセスの記録ということですね。
まさにそういうことです。
カメラのレンズを通した冷たい像じゃなくて、何時間もその風景の前に座り続けた人間の目と手を通すことで、
街の体温みたいなものが絵の具に溶け込んでいるわけですね。
で、面白いのが、フランクがそうやって埃っぽい工事現場で絵を描いている時、
実はそのすぐ隣に小さな男の子が座って、一緒に絵筆を握っていたんです。
それが息子のアーサーなんですね。
はい。そうやって父の眼差しを間近で見て育ったアーサーなんですけど、
そのまま素直に記録画家になったわけじゃないんです。
違うんですか?
1934年生まれの彼は、グラフィックデザインを本格的に学んで、なんとロンドンへ飛び出してしまいます。
そこで、ペンギンブックスの教育部門や、大英博物館をクライアントに持つ、
超一流の出版デザイナーとして大成功を収めるんですよ。
つまり、泥臭い街の記録とは真逆の、ロンドンの洗練されたクリエイティブ業界で、
エリート街道を駆け上がったわけですね。
そうなんです。
でも資料を読むと、彼が53歳になった1987年に、
いきなりその華やかなキャリアを全部捨てて、
ふるさとのミッドランス地方に帰ってしまうんです。
それ、何があったんですか?
トップクリエイターがいきなり引退って、相当なことですよね。
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大きな理由が二つ、複雑に絡み合っていました。
一つは、父フランクの死です。
フランクは64歳で亡くなったんですが、
53歳になったアーサーは、ふと、計算してしまったんですね。
計算というと?
もし自分も父と同じ寿命だとしたら、
自分の人生はあと11年しか残っていないぞ、と。
うわぁ、53歳でのそのカウントダウンは、
ちょっとリアルすぎてゾッとしますね。
そしてもう一つの決定的な理由が、
出版デザインの世界に起きたコンピューターの導入、
つまりDTPの波でした。
待ってください、それって1987年くらいの話ですよね。
コンピューターが入ってきて、デザインの仕事って
劇的に便利で効率的になったんじゃないですか?
むしろ喜ばしいことのような気がしますが。
もちろん経営者や効率を求める人にとってはそうでした。
でもアーサーにとっては、
仕事の死を意味していたんです。
仕事の死?
それまでの出版デザインは、
彼自身が列車に乗って遠くの専門家のところへ行って、
資料の質感に直接触れて、
自分の手で文字をレイアウトしていくという、
非常に身体的な作業だったんです。
でもコンピューターの画面上で全てが完結するようになると、
彼が愛していた現実世界との手触りや、
人との対話が失われてしまったんです。
モニターの前に座り続けるだけの作業に、
彼は耐えられなかった。
ああ、すごく腑に落ちました。
現代で例えるなら、
最先端のIT企業で高級をもらっていたエンジニアが、
モニター越しのバーチャルな数字に虚しさを感じて、
突然会社を辞めて、
手作業の伝統工芸職人になるような、
そういう感覚に近いかもしれないですね。
ぴったりの例えだと思います。
手触りを取り戻したかったんですよね。
だからこそ彼は、自分の残り時間を使って、
本当に残すべきもの、
自分の手が直接触れられる現実に向き合う決断をした。
それが、自分のルーツであるバーミンガミや、
ブラックカントリーと呼ばれる工業地帯を描くことだったんです。
工業地帯に戻ったアーサーは、
猛烈な勢いで街を描き始めますよね。
特に伝統的な金属加工産業とか、
消えゆく工場、古い街並みなんかを。
自分が描かなければ永遠に失われてしまうという、
脅迫観念に近い使命感を持っていました。
彼をそこまで突き動かした原動力を象徴する出来事があるんです。
アーサーが生まれ育ったアコックスグリーンの
私営団地が取り壊されることになった時のことなんですが、
彼はその解体現場に立ち会ったんです。
そしたらブルドーザーが、
彼の思い出が何十年も詰まったその家を、
なんとたった2分で押しつぶして、
瓦礫にしてしまったんです。
たった2分ですか?
子供の頃の記憶や、家族で過ごした時間が、
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たった120秒でゴミの山になるって、
それはちょっと、
圧倒的な暴力を見せつけられたようなショックだったでしょうね。
リスナーのあなたも、
近所の見慣れた建物がある日さらじになっていて、
あれ?ここ何があったっけ?
って驚いた経験があると思うんですが、
それが自分の実家だったらと思うと、
本当に言葉を失いますよね。
この現代社会における風景の儚さに対するショックが、
彼の心に火をつけたんです。
ただ彼は、古いものをただのノスタルジーで描いたわけじゃないんです。
街が変化していくエネルギー、
そのものを記録しようとしました。
例えば、どんなものを描いたんですか?
バーミンガムの象徴であるショッピングセンター、
ブルリングの再開発、
あの宇宙船のような外観で有名なセルフリッチズ百貨店が、
ゼロから建設されていく巨大なプロジェクトの過程も、
カツアケに水彩画で記録しています。
セルフリッチズの建設記録も描いていたんですね。
ここで私、アーサーという人の本当にクレイジーだなと思う部分を言ってもいいですか?
もちろんです。
普通、工場や建設現場を描く画家って、
安全な外側から建物の外観を描くじゃないですか。
イギリスの有名な画家、エル・エス・ローリーなんかも、
労働者が工場から出てくる外の風景を描いていましたよね。
一般的な風景画はそうですよね。
でも、アーサーは、なんと稼働中の工場の内側に潜り込んで描いているんですよ。
アーサー自身、危険な金属の破片が飛んでくるような熱い工場の中で、
ちまちま絵を描いているなんて、
労働者たちから見たら狂っていると思われただろう、と語っています。
そこが彼の異常なまでの執念ですよね。
水彩画だって、思うんですよ。
ただ別に、別な美力って仕事じゃないので、
やっぱり、この仕事がしたら、また死んでもいかない突然に、
なければこの仕事に緑画や編集が一切効かない、
生放送みたいな一発勝負の画材です。
そのシビアな条件で、鮮度を超える金属を叩いている熱気や、
飛び散る火の粉を避けながら筆を動かしているって、
どういう状況なんですか、本当に。
資料によればですね、
JCBという研機メーカーの部品を作っていた、
ハラデイズ・ドロップ・フォージングスという工場が、
130年の歴史に幕を閉じる時、
彼は閉鎖直前のその工場に、5日間も入り込んだんです。
5日間も、機械の油の匂い、ハンマーが振り下ろされる強音、
労働者たちの汗、彼はそのすべてを、
現場の空気ごと紙に叩き込んだんです。
なんだかもう、戦場カメラマンが前線に行くようなテンションですよね。
このアーサーは、自分の描いた絵の裏側に、
制作に費やした日数と正確な日付、
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そして描かれている場所の歴史的背景を、
びっしりと描き残していました。
絵の裏にそこまで。
つまり彼は自分の絵をアート作品として、
自己表現の道具にしたかったわけじゃないんです。
後世の歴史家や市民のための、確証のあるアーカイブとして残す意図があったんですよ。
父の作品と自分の作品、700点以上を街に託したアーサー、
その決断の先に何があったのか、
後編では、寄贈の行方と、市民が紡ぐ展覧会の物語をお届けします。
MEFM本編、前編はここまでです。
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