ノートブックLMの試み
こんばんは笹木です。実験番組メディアヌップ SIDE-B 今日はですね前回に引き続き話題のノートブックLMを使った試みをやってみようと思います。
今回やるのはですねノートブックLMで作った音声の出力データにBGMをつけてもうちょっと本格的な音声コンテンツにしてみるというやつです。
今回ノートブックLMに出力してもらったのは岩手県の地学教師の杉山良造先生というのがいるんですけれども、
その先生が2007年に書いた東の盆地の発達史とその教材化というものです。
これは私が先日杉山先生に許可を得てノートに画像付きで転載というかねリマスターした記事があるんですけれども、
あれなかなか長いのと専門用語が多いのでカジュアルな内容にならないかなと思って音声出力してみたものなんですけれども、
なかなか漢字とかの読み間違いが多くて広く使うにはなかなか厳しいなという感じだったんですけどね。
例えば北上盆地を北上盆地って呼んだりとか、あとは神殿団旗を違う風に呼んでたりとかね。
ただそういうのを無視して入力した本人が分かっていればそんな風に聞けるんで気にならなかったんですけれども、
これをもうちょっと本格的な使えるような感じにするにはどうしたらいいんだろうと思って、
ちょっとBGMを付けたらどうだろうと思ってやってみるのが今回の試みです。
そのBGMはSU-NOで制作しました。
このSU-NOでは4.5っていうバージョンがこの間出まして、8分ぐらいまでだったかな。
長めのロングフォームの曲を作れるようになったと。
そうなるとクラシックとかジャズみたいなスタイルの曲がはたなく作れるようになるということで、
ちょっと話題だったんですけども、それを使ってちょっと重厚なというか話の重みにふさわしい、
できればですね、その話の展開に合ったような映画のサウンドトラックみたいなものを作れないかなと思って
やってみたものがこれです。
どうだろうな、これ今から合わせてみて、うまくいけばパチパチパチと。
変になったら変になったらクスクスっと笑うみたいな。
なんかそんな風にできたらなと思います。
というわけで杉山良造先生の東野盆地の発達とその教材化、
そしてそれをリマスターした東野は本当に湖だったのか。
サウンドトラック付きでお楽しみください。
遠野盆地の地形と洪水
東野盆地、大昔はすべて一円の洪水なりし、東野物語の有名な一節、あなたも聞いたことがあるかもしれませんね。
ありますね。東野が湖だったという。
なんかすごくロマンチックな響きがありますよね。
高清水展望台からの田園風景も確かに水の面影があるような気もしますし。
そう見えるかもしれませんね。
でもそれって本当にそうだったんでしょうか。
今回はですね地元の地学の先生杉山良造さんが生徒さんたちと一緒に行った研究、
この資料をもとにその伝説の真相に迫ってみたいと思います。
はいよろしくお願いします。
まず東野盆地の地形自体が非常に興味深いんですよ。
地形ですか。
北条山地のちょうど真ん中あたり、波紋岩が多い地帯に十字の形をした窪地があるんです。
十字。
そうなんです。
その周りを早姫山、石上山、六角宮山、この東野山山が囲んでいるんですが、
それぞれ地質が違うんですね。
蛇紋岩だったり、波紋岩、石灰岩だったり。
面白いですね。その十字っていうのは?
それはですね、地下にある波紋岩の断層、割れ目ですね。
雪梨とも言いますが、その影響じゃないかと考えられています。
川の流れもなんか格子状になっていたりして。
なるほど。
波紋岩っていうのは、風化するとマサっていう砂みたいになるんです。
はいはい。
その割れ目に沿って風化が進むと、不思議な形の岩、月石とか五百羅漢みたいな、
ああいう東亜地形と呼ばれるものができるんです。
ああ、それも東の物語に出てきますね。
そうなんです。地形そのものがもう物語とつながっているんですね。
うわあ、面白いなあ。それでその地形が水の伝説とはどう関係してくるんですか?
それがですね、盆地の出口、霜増沢のあたりがすごく狭くなっているんですよ。
出口が狭い?
ええ。一種のボトルネックみたいになっているので、大雨が降るとどうしても水がせき止められやすい。
ああ、なるほど。
特に西部の綾織地区なんかは、昔から洪水に悩まされてきた記録もあります。
水害が多い土地だったんですね。
そうなんです。昭和23年のアイオン台風の時なんかは、東のの市街地も一面海のごとくなったなんていう記録も残っています。
一面海のように。それはすごい光景ですね。
ええ。だからもしかすると、この洪水で一時的に水みたいになるっていう経験が伝説の背景にあるのかもしれないと考えられるわけです。
なるほどなあ。繰り返し起こる洪水が、昔は水もだったっていう記憶や言い伝えになった可能性もあると。
でもそれとは別に、地質学的に見て本当に長い間水だった証拠っていうのはあるんでしょうか?
地質学的証拠と伝説の関係
そこが杉山先生たちの研究のまさに確信部分なんです。
確信部分。
鍵になるのが、過去の川が残したカガンダンキュウっていう階段状の地形があるんですが、そこの堆積物です。
カガンダンキュウ。昔の川が段々になったやつですね。
そうですそうです。特に注目したのがシンタダンキュウと呼ばれる地層で、これがだいたい12万年前から3万年前くらいにできたものなんです。
12万年前から3万年前。結構古い時代ですね。
古いですね。このシンタダンキュウの地層を調べるとですね、非常に粒子の細かい泥が見つかったんです。
泥ですか?
はい。洪水の時に溜まる泥よりも、もっともっと細かい粒子で。
もっと細かい。
これは水の流れがすごく遅くないと堆積しないヒュルストロームズっていうので見ると秒速0.1センチ以下みたいな。
秒速0.1センチ。ほとんど流れがない止まっている水みたいな感じですか?
まさにそういうことです。非常に静かな水環境だったことを示しているんです。
へぇー。
で、さらに決定的なのがですね、ケイソウっていう微細な毛類、植物プランクトンの化石なんです。
ケイソウ。
これを分析したらシンベラ族っていう種類のケイソウがたくさん見つかった。
シンベラ族。
シンベラ族。
このシンベラ族っていうのは流れのない淡水、つまり湖とか池とかそういう止まった水、専門的には都市水域って言いますけど、そういう場所を好む種類なんですよ。
あーなるほど。静かな水辺の住人みたいな。
そういうことです。その化石がたくさん出てきた。
それはかなり有力な証拠ですね。
えー、さらに花粉の化石も分析していて、地層の下の方、古い時代はくるみとか比較的暖かい気候を示す植物の花粉が多いんですが、上の方、新しい時代になるにつれて、桃皮とかもみとか寒い気候を示す新葉樹の花粉が増えていくんです。
あ、気候の変動もわかるんですね。
そうなんです。
温暖な時期から寒冷な時期に移り変わっていく中で、その静かな水域、つまり湖がずっと存在していたことを示唆していると考えられます。
うわーすごい。じゃあその12万年前から3万年前頃の新田断丘の時代には、遠野盆地はかなり長い間本当に湖だった可能性が高いということですか?
その可能性がA、非常に高いと言えると思います。
そうなんですね。
一方でもっと新しい時代の断丘、例えば松崎断丘とか綾織断丘とか、そこにも低炭素とか大きな木の化石とか見つかるんですが、地層の厚さとか状態を見ると、ずっと湖だったというよりはやっぱり洪水による一時的な水没とか土砂の堆積で作られたものだろうと考えられるんです。
なるほど。ということは遠野は湖だったっていう伝説には、もしかしたら二つの意味合いが重なってるのかもしれないですね。
と言いますと?
つまり一つはその新田断丘時代の大昔に本当にあった古代湖としての事実。
もう一つはもっと後の時代に人々が何度も目にしてきた洪水による一時的な湖みたいな光景。この二つが合わさってあの伝説が生まれたとか。
あーなるほど。それは非常に面白い視点ですね。古代湖の記憶が何万年もそのまま民話として伝わるというのはちょっと考えにくいですが。
そうですよね。
でも人々が繰り返し経験してきたこの土地は水害にあいやすいぞという事実や教訓が昔は湖だったんだという物語の形で語り継がれてきたある種の災害伝承というかハザードマップ的な役割を果たしてきたのかもしれないですね。
なるほどな。ロマンチックな伝説だと思っていたものが実は太古の地質学的な事実とそれからもっと身近な自然災害への備えというか警告というかそういう二つの側面を持っていた可能性があるわけですね。
そう解釈することもできると思います。
いやー今回の探究で遠野は湖だったっていう言葉の持つ意味がぐっと深まった気がします。単なる空想じゃなくて太古の地球の記憶とそれから人々がその土地の自然と共に生きてきた経験、知恵に根差しているのかもしれないと。
まさにそうですね。
こういう視点で見るとあなたの周りにある古い言い伝えや地名なんかももしかしたらただの昔話じゃなくてその土地の成り立ちとか昔の人の深い観察眼とかそういうものが隠されているかもしれないですよね。
十分あり得ることだと思います。
ちょっと視点を変えて地元の歴史とか伝承にもう一度触れてみるのも面白いかもしれないです。