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2022-08-14 45:18

2022/08/07:交わりに生きる教会

2022/08/07 聖日礼拝

斎藤亘師

使徒の働き -47


00:01
おはようございます。
8月を迎えまして、今朝は生産式礼拝ということを聞きし、そのための準備をしてまいりました。
先週は、大墨教会という、明石の西の方にある教会、そこは、団体は違います、日本アドベント教団という、以前からときわり御用依頼されて、生産式も行いますと。
今、ちょっと確認しましたけれども、そこは、武道士と、それからパンが、パンと言いましょうか、それが一緒になった器でしてね、まず開いて、中のウエバスをパンとしていただく。
そしてその後、今度は武道士をいただくという、そういうやり方。
こういうコロナということが起きましてからね、それぞれの教会がいろいろご苦労なさっているなと。
手順がちょっと、そこと私たちと違ったりもいたしますので、戸惑うことはありますけれども。
しかし、生産の恵みにともに預かれるということは、私たちの振興生活の中において大変大切な。
今朝、この人の働きの二章を一緒に開きました。
今朝こちらに行きまして、そして受講を見ました横畑法郎先生がね、この同じ二章の一節から、そういう交わりのある教会と言いましょうか、詳しくは見ておりませんので、
なんですが、どうぞお読みなさって、また私たちの参考になったらと思います。
私はこの二章は、申し上げましたように、この二章における大切なテーマを挙げるとするならば、それは、交わりに生きる教会と言えるかと思います。
現在、教団の住所録が、前は少し冊子にして、教会の写真とかも入れてやりました。
これは私は、ちょうど教団の委員になって、そして委員長になって間もないときに、
03:03
同盟教団は、祈りのネットワークということで、今の時代の言葉だなと言いながら聞きました。
そしては、今までの教団も先を越されたんですと言ってですね、同じような、そういう祈りのネットワークというのを作りました。
私どもも、やっぱりそれは、教団としても、それぞれの教会を覚えて祈りをするということにおいては必要だろうからということですね。
当時の委員会は、祈りの小祈りがてる、祈りの教会という、そういう名称でスタートして、
ただだいぶ手間がかかるので、もうちょっと簡素化したいということで、現在のような形になったようであります。
私は、教会ということの中には、この交わりというのは最初から欠かしてはならない、またそういう交わりがあっての教会。
私自身もクリシアになって、そして守られた一つのことは、やはり教会の交わりが非常に私にとっての大きな学びとなり、
あるいは励橋となったりして、そして当時から今に至るまで、教会の交わりの大切さということを覚えております。
もし教会に行って、こういう交わりがなかったなら、どうだったろうなと、自分は自分で信仰を守れただろうか、
自分の信仰を振り返りますと、大変危ういところがありますから、あるいは流されてしまって、そして教会を裁量になったかもわからない。
けど、そうならないように私自身が支えられて守られてきたというのは、当時の小さな教会のそういう交わりが、いろんな点で教えてくださったり守られたりして、
そして今あるということを振り返りますとね、本当に教会というのは、この交わりというのが、それこそ生かすもするし、また、自得させてしまうということもあるものだなということを覚えます。
その交わりということを、このよく私たちに教えている箇所が、その一つがこの読んでいただきました、一の働きの二章の四十一節からの、これらの言葉であります。
大事なことは、四十一節の、彼の言葉を受け入れた人たちは、バクテスマを受けた、その日三千人ほど仲間に加えられたと書いてあります。
06:12
確かにこの時、弟子たちの中のペトロが先立って、この素晴らしいペトロの説教がそこに展開するわけですね。
そして、このペトロの説教を通して、人々は心を刺され、一体私たちはどうしたらいいんだろうかという問いかけもしながら、
その時に、あなた方は、イエス様がかって私たちに教えてくださり、私たちもそうであったように、バクテスマを受けなさい。
そう言われて、その日三千人ほどの人たちが、この宣伝を受けなさった。
場所がどこであるかは明確ではない。
以前行った時に、ヨルダン川という川がありまして、今のケンタッキーフライドチキンの社長は、そこで宣伝を受けたという、そういうエピソードを聞いたことがありますが、
見たところですね、そんな大きな川ではないですし、私の近くを流れております福田川というのがあります。
この精度かな、もうちょっと幅を広くしているかなというような、そんな感じがいたします。
ですから、もしそこで三千人が宣伝を受けたといったら、これ物理的にどうなったんだろうかなと、
変なことを想像するようなことでありましたけれども、しかし三千人の人たちが一挙に、あの百二十名ぐらいの小さな小さな群れに加わってきたというのですから、
百二十名はまだ面引きもあるでしょうし、言葉も交わしているでしょうし、共にいろいろなこともしてきたでしょうし、いろんな点でそういう力があった。
そこへ三千人が入ってきた。一体元々の百二十名はどこへ行っちゃったんだろうか。
私はそういう話をですね、尾行くぼ栄光教会という、当時森山さと氏という先生が、今問題になっております統一教会の問題をそこに指摘して、
そして先生は差の間違いと、そして間違いを指摘するだけではない、本当の救いはこれはイエス様にこそある。
決して最悪の救出と言っている分析部にあるのではない、彼は違反者であり間違いですと言ってですね、そして当時救出活動が尾行くぼ教会では始めました。
私たちの教団の牧師の中にもですね、統一教会から救出されて、現在牧師になっているという方が複数おりますよ。
皆さんが多く存じ上げているでしょうし、また牧師夫人になっている方もいらっしゃる。
09:02
そういう働きが、そういうことを一つ一つのこの身が結んで、そしてこの統一教会から救われて、そしてこの来る。
当時ですね尾行くぼ教会は、自分とかの教会のメンバーを探すのが大変だったというぐらい、笑い返しのような驚きを私は聞いたことがあります。
別に3000人が来るわけじゃないです。
けどあっという間に400人からの礼拝が、当時あまり広くはなかったですけれども尾行くぼ教会が満席になった。
ですから途中から、その救出のために来ている両親や兄弟やそういった関係の人たちは、こちらでも礼拝をしますし、またその後相談を受けますということでですね。
私が聞いておりますのは、前三陰福音教会で奉仕された森先生。森先生も彼も救出された人なんです。
ところがそのために両親が四国の松山からですね、毎週尾行くぼ教会の礼拝に飛行機で来たり、夜行バスに乗って来たり、あるいは電車で来たり、そういうことによって時々じゃない、毎週来る。
そうでないとですね、森山先生に相談して、そしてどういうふうにしたらいいだろうかという言葉の具体的なことができなかった。それで行ったんですという。
もう今手に召されましたけれども、その森先生のお父さんからも直接お聞きしたことがありました。
そうしていくうちに息子さんの先生が教会に来るようになり、そして信仰を持たれて、そして尾行教会へ信仰を形成していった。
そういった先生方が複数おりましてね、一時は総理先生方が新学校へ来るものですから、これ都立教会の新学校と間違えたら困るね、冗談のことを言いましたけどね、嬉しい悲鳴と言いましょうか、そういうことを交わしたことがあるぐらいになりました。
3000人というのは、ですからちょっと想像できませんけれども、しかしその3000人の人たちは人たちの教えを守った。
そしてお互いの交わりをし、そして彼らはパンを裂いて、そして祈るということにおいて、彼らは本当に初代のクリスチャンとしてのそういう時代を養われた。
単にですね、一挙に3000人集まった、3000人様子たちが集まってきた、それでもう喜んで喜んでですね、ああ良かったというそんな余裕もないし、一体この後どうしたらいいんだろうかという問題があったでしょうけれども、
12:16
一挙に集まった人たちにとっての一番大切なことは、今読みましたところの41冊にありますように、このペテロンの聖書からの話を聞いて、そしてそれを受け入れて、そして3000人の人たちがバクテスを受けた、というここですね。
そこには大切な、この五行の集ではない、一つの大切なポイントがある。
この3000人ほどの人たちは何を土台としたのか、ペテロンを通して聞いた聖書のお言葉でしょう。
これらの人たちは大勢ですから、聖書の背景というのは旧約聖書のそれをもって彼らにもよく理解できた。
けれどもペテロンを通しての、それは単なる旧約聖書からのそのメッセージではない、そこには本当に自分の信仰ですね、もう一度そこで確かめる必要のある鋭いというメッセージがそこに入ってきたわけです。
今まではですね、立法を学び、そして立法に従って、そしてやったらいいというような曖昧さだった。
けれども、ジエスキリストの言葉を語るペテロンの説教は、それに終わらない。
一体私たちはペテロンが言うその罪というものに対してどうしたらいいんだろうか、そういう問いかけをもってペテロンたちのところに求めてきて、
そしてやがて彼らは聖書の言葉を正しく教えてもらって、そこを起点としてバフテスマを受け、そして信仰の交わりの中に加わっていった。
四十二節を見ますと、それがそうですね、四十二節。
大切な彼らの守るべきもの、立つべきポジションというもの、立ち位置というもの、あくまでも聖書の教えというところに、
彼らはもう一度アルミノイチイダイ人たちにとっては戻ってきたわけですよ。
彼らはそれによって一般社会の大勢の人たちが集まっているその集団と私たちは違うというその違いをペテロンの説教を通して、
15:14
神の言葉こそが今私たちが生きるところの大切な立ち位置だということ。
四十二節はそういうことにおいて初代のクリシアンたちが聖書のことを守り、そして交わりを持ちパンを咲き祈りをしていたということですね。
この四十二節あるいは四十六節を見ますと、ここにパンを咲くという言葉がついて出ております。
少なからずこういう形態というのは、当時の人々の生活が守られていくためには大切なことで。
一つにはこの聖三式の一つのスタイルはここからも影響を受けているのではないだろうかと言われております。
ただ聖三式は、又はよろしく一緒になれば二十六章に最後の晩餐、
皆様はこれは私の体、これは私の血だと言って弟子たちにこれを与えました。
あれがこの聖三式の、ですから式文でもその言葉を開いてご一緒に読んでそれから聖三を受けるようになっておりますけれども、
それが聖三式の一つの姿として教えられております。
ただパンを咲くというこれは、確かにイエス様はそこでパンを咲いて弟子たちに与えなさったのですけれども、
聖三式というところから考えますとそうだなと思います。
ただペトロのこの時代のそれは単にそういうことだけではなくて、
もう一つはこの二章の発説にかかわりますと、五十説のためにいろんな国々に来ていた偉大人たちが集まってきたわけですよ。
エリサに目がけてね。
そしてそこには自分の仕事も休んで、そしてここにやってきたという人たちもおるわけです。
18:05
ところがこれらの人たちの中に先ほど申し上げたような三千人ほどの人たちが、そういう中からイエス様を信じる人たちが多く起こされた。
そして中にはもう私が戻るのは嫌だ、こんな素晴らしい世界があるならばこのエリサレームに戻っておいて、
そしてクリスチャンとしての生活を進めていきたいというそういう願いを持った人たちもたくさんおったわけです。
そうするとですね、それらの人たちは自分の就寝地に戻れば仕事がありますし、そういう中での仕事が募集されているわけですけれども、そこを全部捨てて、そしてここへ集まってきた。
ですから途端に問題が起きてきたのは、じゃあ集まってここにおるならよし、じゃあ私たちはこれからどうしてされていったらいいだろうか。
そこでですね、当時のこのエシたちは、これらの人たちをそのままにしておいてはいけない。
やっぱり私たちはせっかくここに集まって、イエス様を信じて、同じ魔法の中に加えられた人たちだから、私たちでできる限りのことをしようということで、
そしてこのパンを裂くという言葉に象徴されるように、彼らは自分たちの食べ物をそこに持ってきて、じゃあこれ一緒にどうぞと言って始まったのではないだろうかと想像するわけです。
ですから具体的にもうここにおりますという彼らに対して当時の教会がですね、パンを実際に提供するという言葉が必要とされて、
そしてそこでパンが裂かれたという言葉がそこに使われてきたわけです。
ただ申し上げましたように、確かにこの経済的な問題もあって、みんな持ち寄ってきて過ごしてやるというのがあったでしょうけれども、
けれどもしかし申し上げたように、このイエス様からペトロたちは、これは私のパンだ、これは私の血だと言って、その時の言葉が彼らの中には強い強烈に残っているわけですよ。
ですからペトロのあるいは当時のイエス様が直接パンを頂いた弟子たちは、そういう生産の時の思いを持ちながら、
今3000人の子供たちが集まってきて、そして一緒にパンを裂くというこのことの中にですね、
イエス様が勝手に私たちに教えてくださった、それを私たちは一緒に分け合っていこうという言葉で持ってなされたでしょう。
そういう意味で、この41セス以下の姿というのは、直接的な生産式ということではありませんけれども、
21:13
しかしそのことの中には弟子たちがイエス様から受けた、それを今3000人の子供たちと一緒にしているということによって、
後にこれが生産式という形に進んでいったのではないか。
あくまでも生産式は、これはイエスキリストの十字架の救いということが意味されているわけですね。
この最初の生産式、イエス様からなされたその時の歴史的な背景を見ますと、
スイコシの祭で大勢の人たちが集まってきたと書いてあります。
スイコシの祭というのは、このイスラエルの人たちが苦しんできたエジプトから救い出されるために、神が最後にとった一つの手段、
コキセスの地をカモエに塗る。
そのイダイ人の家は、神の捌きの使いはそこには行かない。
塗っていないエジプト人の、貧しいものであっても、権力者であっても、全ての人がこの捌きの前に捌きを受けられる。
そういう神様がなさった、あの羊の血をもって、そしてイスラエルの人々を救い出したという、
後々これがスイコシの祭として彼らは、自分たちはあの苦しみ、エジプトから救い出されたんだという、そういう思いを持って。
ですから、このスイコシの祭は、イエス様の十字架の救いという言葉が、そこに既に予告されていた。
そしてそれは、イエス様によって、私たちのうちに成就されたという。
聖山式は、そういう意味合いを持って、イエス様のご自分のお体を、あるいは血をもって、そして最初の人たちにそれを分かち与えた。
でしかしは、イエス様が十字架につけられて、そして私たちのすべての人のために救いのもとへと懐かしかったという。
しかし、まあ人間的に言ったらいいでしょうかね。
あんなにまでもしたって、そしてついてきたこのイエス様が、目の前に持っている十字架につけられたんでしょう。
彼らはそんな大きな経験をして、そしてもう本当にがっくりきて。
そしたら、今後に向かう弟子たちも、そこにイエス様ということを知らずに、
24:01
あなた、この間エルサイムだったことが分からなかったんですか、ということを教えるかのように説明していった。
それぐらい当時の弟子たちは、イエス様があのエルサイムの公害の処刑所でもって死なれたということから、
彼らは本当にザクザクして、身も散っていったわけですよ。
弟子たちの重たったものは、もう平安に語らなくて、頭をこうつわして、
そしてもう息を吸うのもですね、遠慮するぐらいにして、彼らは身を隠していたというのが当時です。
ところが、イエス様が14日、15日に処刑された3日目の朝、
なんとあのマリアたちは、思いもしないニュースを持ってきた。
私たちはお墓に行ってみたら、石が転げて、もしイエス様が動いたら、そこにいないと。
聞いたこのペテルとヨハネは、急いでその墓に行った。
ヨハネは若いですから、早くそのお墓に潜り込んでみたら、本当そうだった。
ペテルもそれを見た目撃者として、本当にそこには、イエス様をお墓にしたのがきちんとそこに置いてある。
イエス様の姿はない。
イエス様は、私たちに教えなさったように、十字架につけられ、
3日目によみがえりというのは、このことかということを、彼らはそこで持って、見たわけですよ。
でも、信じられたわけではないです。
トマスなんかは、いくらイエス様がやられたって言ったら、私はその場にいなかったんだから、
あなた方のように信じられないよと言って、トマスは頑張っちゃったわけでしょ。
けどもそのトマスにも、イエス様が十字架についた時のその身傷を示しながら、
信じないものにならない、信じるものになりなさいよと言って、トマスにもこれを説明し促し、
そして皆がイエス・キリストの復活ということを、そこで知ったわけですよ。
信じたわけですよ。
ですから、この聖三式というのは、イエス様が最後の日に十字架につけられる、
最後に自分たちにこれはパン、これはチラッと言ってあげてくれた、
それをね、今まさにこの方を通して私たちは、その本当の姿を見た。
なぜなら彼は死んでほぐられたり、けども三日目に蘇ったり、
この復活のそれがですね、彼らにとっての新たな信仰と原動力になって、
そしてこの聖三式というのは、私たちのためにしまった方の復活を祝うということで、
ですから教会は、来週日曜日の朝、イエス様の復活を迎えるということで、
27:05
聖三式が行われるということが習慣となってきた。
ただ、その形を未だに守っているのが、カトリック教会のミサなんですね。
そのミサを通してカトリックの人たちは、イエス様のその贖いのそれを知るわけです。
そしてこの聖三式は、このことを通して繰り返し申し上げておりますが、私たちはキリストになって一つとされた。
私たちプロテスタントの大切な立場というのは、カトリックの場合はね、
カタイセスと言いましてね、このパンと同士は死体に祈った時点で、
祈った時点で、それはキリストの体で、キリストの血で、もう一滴も粗末にしてはならない。
ですからある時、この葡萄枕がこぼれた、そしたらその床を剥ぎ取ってですね、
それを生体の場に納めたという、そういうお話も残っているぐらいに、
これはキリストの体そのもの、キリストの血そのものと、カトリック教会の人たちはそういう風に信じています。
それで私たちプロテスタントは、そのあたりはですね、そこまでは行きませんけれども、
象徴的に、これは私たちの体としてこれを受け止めましょう、
血として私たちを受け止めましょう、象徴だから勝手にやったらいいわけではないですね。
そしてそこには、それをいただくことによって、
精霊はキリストと私たちそれを一つにしている。
だから生産を受けるということは、確かに式の一つではありますけれども、
この生産を通してキリストと一つにされるという、
そういう意味を私たちプロテスタントの者は、これを大切にしているわけです。
ですからどうぞ、生産式というのは単なる式だけではなくして、
パンと血に扱うことによってキリストと一つにされているという霊的なメッセージをね、
これを受け止めていくということが大切です。
私は、巨大になって間もない1年目か2年目かにですね、
オランダのアムセルダムに行って、
これはビル・アム先生が主催する世界電動車会議というのがあった。
2回目だったんでしょうか。
その2回目のときに、ホンダ先生が団長で行くのでね、
斎藤君、あなたも一緒に行きなさいよ。
いいになったんだからと言われて、何か分かりませんけれども、
そうですかと言ってついて行ったんですけれども。
船賀当時の協団委員長であるとか、いろんな人たちが行きました。
30:06
その2週間後だったんですけれども、その中の日曜日、
オランダという国は改革派の教会、大いに教会なんですね、国なんです。
それで、日曜日の午前はフリータイムです。
それぞれどうぞ自由に教会に行ってくださいと。
それで土曜日の夜の集会が終わって帰り途中、その教会をここにあるなと言って、
何人かの先生と、じゃあ来週はこの教会で、明日はこの教会で礼拝を受けましょうかと。
そうしてよく見て行ったんです。
そしたらですね、行ったらもう閉まっちゃったんですよ。
あれ、今日ないのかなと最初思ったんです。
後で分かったことは、あの十字編からですから、
まあこうだったらね、十字編になったら、ドアみんな閉まっちゃうんです。
それらで行きなさいという、そういう意味だったんですね。
こちら日本の習慣があるもんですからね、日本の教会の十字編になったら教会行こうかというのは、そういうのではない。
もう一つ驚いたのは、制裁式があったんですね。
制裁式があったんですね。
そうしたらこうだったらみんな、周りにずっと一列にですね、なって、そして和を組むわけです。
そしたら講壇から一番、あの今だったら有岡さんがおられますけども、
そこへこの生産のパンと布団紙を持って、そうして行くわけです。
で、町道さんがそれを持つ。
で、牧師は、その一番奥におる方にどうぞと言って、この生産のパンを渡すわけです。
ああ、私たちは最初じゃなくてよかったなと。
もしそうだったならば、すっかり食べちゃったじゃないかと。
ところがそこはそうじゃない。
もらったものを隣の人に渡す。
そしてそのようにして次々とこのパンがですね、配られているわけです。
あの、一個をみんなでぐらぐらと回すわけじゃない。
一個もらった時は隣。
で、隣の人に今度は行って、そしてその人に渡す。
その人はまた隣の人に渡すという、当時は初めてそういう光景を見ました。
けれどもね、生産の中にされている交わりという、あるいはパンを一つにしていただくということの、
これが一つの象徴かなと、いまだにそれをこの忘れられない出来事として覚えております。
だからここでやりましょうというわけじゃないですよ。
そうではないですけれども、しかし生産の持っている意味というのがここにもあるんだな。
そしてもう一つは、一万人からの世界の伝道者が集まってきているわけです。
そこで私はこれを見たんですよ。
オブラートに包まれたパンと、そして入っているこのぶどう湯。
これが受付でもらって帰るんですよ。
33:01
配るとは時間がありませんからね。
それで受付でもらって、それで席について。
そしたら英国のカントリー・ライス卿が来て、生産式の、これは成功会式ですけれども、
生産式が成功会というのはこういうやり方なのかなと思いながら見ました。
けれども一万人からの伝道者たちがそこに一堂に会して、一つの生産を受けるということの素晴らしさというものは、
いまだに若い私にとっては忘れない。40年前の話ですからね。
忘れない、今でも残っております。
言葉も違うし、肌も違うし、習慣も違うし、もういろんな違いを越えて。
しかし世界の教会で使われている伝道者たちが集まってきて、そしてここで一つになって生産を受けるということの大切さ、
その素晴らしさというものを改めてかみしめましたけれどもね。
とにも先にも一万人からの人たちと一緒に生産を受けるということは、それから二度とありませんでしたけれどもね。
生産式というのはこういう意味かなということをそこでも感じさせられました。
キリストを中心にこの方が裂かれたお身体によって、流された血種へによって、教会は生まれ、
そしてそれを中心にして教会は今日までその選挙活動を進めてきている。
ただ、私は以前に箱根でもって牧師の編集会があって、そこに行ったときにたまたま隣り合わせたのが、
カトリック教会、英一王国の教会の司会だったんです。
それからね、青い自分ですからね、マリア制覇をやっているとか、何だかんだ言ってね、
ロマフォーは無理を言うじゃない、やっぱり地味そうなんだとか、やったことがあった。
そしたら神父さんがね、日曜日、そのときも2週間か何かありましたから、
日曜日、もしよかったらどうぞ、田園職の教会に来てください。
たまたま私の姉が近くにおりましたからね、田園職じゃないですよ、その近くの自衛学校におりましたから、
自衛学校におりましたから、電車で1つ、2つくらいの駅だったでしょうか、行ったんですよ。
そして10時半か11時くらいか飲み去りに行った。
それでその神父さんを助けようと思ったらね、いないんですよ、どこにも。
来てくださいと言うのから、一番最初に迎えてくるんじゃないかと思っていたら、いなくて。
聞いたらね、あの女性の二相さんですかね、
36:02
さっき一緒に箱根の店主に行きましたよと言って、何だ置いてきぼりたいなと言ってですね、
そのときに、私はプロテスタントの牧師ですよ。
プロテスタントの牧師でも家庭局の場合はですね、遺産者ですから、その生産を受けることができないんです。
ですから、後ろでもじっと見ておりました。
パンだけが渡される。で、舌を出してそこへポッと結んで、それを十字を切って、そして抱くっていう。
で、ぶどう酒もあるんですよ。ぶどう酒もちゃんと置いてある。
あれ最後どうなんだろうかなと思って見てた。
そしたら、その神父さんが地域の最後に、ぶどう酒は全部そこで飲み干すんですよ。
すごいな。電営地域の境界、結構な集まり、人数が集まるところですから、残ったの少なかったか分かりませんけど、
それにしたってね、それを一挙に守ったのはすごいなと思って。
で、残ったパンはどうするのか。
そうした生産台がありましたね。そこに収めて、最後にそれをかぎしめるんですよ。
そこまでキリシトの身体、キリシトの血っていうことを、いささらの粗末にしてはならないっていうのが伝統的です。
それに今でもあのミサにおいて行われている姿。
それも私にとりましたね。
一応私は四先生に申し上げましたけどね、残ったぶどう酒は、
今これカップになってますから、だけど今までは普通のカップでやりますから、残ったものがある。
で、それを私は小津先生だったか大島伊介先生だったか、ちょっと忘れましたけどね、
最後にはそれを全部ね、自粛したものをそれをいただくんだということを教えてもらって、
それから全部それをしとります。
ここではちゃんとカップに乗ってますから、それをしなくても保存できますけど、
まあ保存できるから、するとかしないとかっていうんじゃなくて、
あくまでも粗末にしてはならないっていう、
カトリック教会の伝統的に守っているそれは参考にすべきだなと、
今私もそういう思いを持っております。
長くなってしまいましたけどね、精神的に入らなくてはなりませんね。
そして42節は、これは祈りを共にした交わりっていうのが、
教会はスタートの時点においてそれを行うと。
そして44節、45節を見ますと、
ここは私たちはね、今の統治協会の問題がありますからきちっと理解しておかなければなりませんが、
39:05
すべてのものを共有した交わり、これが当時の教会だった。
で、統治協会は今何が問題になっているかというならば、
統治協会は権限という名称を使っていますけどね、
それ全部こういう壺を売ったり、あるいは財産を捧げたりして、
そしてこう、凶悪なものが韓国に送られてきている。
莫大な資金が、しかもそれを一番収めているのが日本の統治協会の信者さんだということを、
最近のこのニュースでもってよくやっております。
それはどこに行くのか、教会じゃないんですよ、文宣名がですね。
彼はそれを資本にして、いろんな活動をしております。
確かに岸本総理は、商協連合ということでもって、
共産党に、共産主義に勝つのにはこれしかないということで、そこが二人は共通したんでしょう。
文宣名は、最初こそそのようにしてね、
北朝鮮を、あるいは共産主義国を、これをですね、一緒に力を合わせてやりつけなくちゃいけない。
そういう動きをしたようです。
しかし途中でもってね、文宣名は、その多額のお金をその人に捧げて、
それからいつの間にか商協連合というのがなくなっちゃう。
統一協会の問題はね、その場その時にか、の時、みんな変わっちゃうわけですよ。
ですから今、文部省の大臣がね、それを認可したっていう、それはいくらでも名前を変えてくるんです。
ですから、これをまさか統一協会とは関係ないとはと思うような、今式の名前にして、
そしてそれで商協法人館を取る。
そしてそれでまた布教活動を進めていく。
それで騙されているわけですね。みんな騙されている。
で、そういう団体の名前を変えるだけじゃないんですよ。
信者になりますとね、人によっては名前を変えちゃうんですよ。
それは救出のために、斉藤渉をここにお出しですと言ってきたら、いません。
本当に今まで変わっちゃってるんですから。
あるいは佐藤渉になっているか分からない。
鈴木一郎になっているか分からない。
適当に変えたい。
だからその名前にしてはいませんということで。
どれだけ私も救出活動に関わってきた時に、それで最初とも当たったことがある。
彼らは名前を変えるということによっては、もう簡単にやってしまう。
ですから団体宗教寺の名前もそのように、自分たちの都合によってはいくらでも変えちゃうというところに、
42:02
その都市教会の問題もありますし、
そして皆さん方も今度の報道でもよくご覧になったと思いますけれども、
キリストはせっかく父なる神から救わされてきたにもかかわらず、
彼は十一会に付けられ、殺されてしまった。
その救いは中途半端に終わってしまった。
だから神は改めてこの文宣名をサイリンのキリストとして使わせたい。
サイリンのキリスト、それは私なんです。
このキリストのもとでもって世界の平和がやがてやってくるということを彼はそこに言う。
ですからキリスト教にあらざるところの、そういう文宣名の教えというものがそこで、
ドイツ教会の一番要となって教えられてきた。
だから本当にキリストの救いは文宣名の救いと全く違う。
彼が十一会に使って復活して、そしてそれがあるならば、それは信じられるでしょう。
サイリンのキリストとしてね、二人を堪えた方として信じられるでしょう。
けれども彼は死にましたよ。
後継者争いが多くしていますよ。
もし彼が本当に言っているようなメシアであるならば、そんなこと起こるはずがないんですよ。
起こっていたならば、本日二千年の歴史の中で教会は全く死に別々。
もうイエス様がいなくなっちゃった、それだけで終わって、それで終わったりする。
けれどもイエス様は死んで葬られて三日に蘇られた。
私たちの信仰の一番中心のこれを持って私たちは、私たちの信仰のベースを、立ち位置をきちっと持っている。
そこにおいて私たちは本当に心からのキリストに対する信仰と信頼と、そしてこの聖賛を受けていく。
それをもとにして最後の四十六節を見ると、そして毎日心を一つにして宮に集まる。
家入れパンを先喜びと真心を持って食事を共にしたと書いてある。
本日という家庭集会のようなそういったものでしょう。
これはこの後教会に対する迫害が起きた時。
けれども最初にこのことを喜びを知ったクリスチャンたちは、それぞれ逃げた、あるいは去っていったそれぞれの地域でもって、
この間際のようなそこでもう一度復活して、キリストにあって一つということになる。
初代教会においては、教会がどんなに当時の世界中に散らばっていても、どこにあってもキリストの救いのもとにおいて一つであるということを、
45:04
彼らは自分たちの信仰の告白において、これを支援し続けて、守り続けて、そして今に至っているわけです。
お祝いをして、そして清算を進められています。
45:18

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