1. 名谷教会 podcast
  2. 2012/03/04:聖日礼拝(旧音源)
2012-03-04 42:53

2012/03/04:聖日礼拝(旧音源)

2012/03/04 聖日礼拝(旧音源)


00:01
ご着席ください。聖書朗読をしていただきます。
浦田恵子姉妹に、使徒の働き25章の8節から12節まで、新約聖書の280ページです。
使徒の働き25章8節よりお読みします。
しかし、パウロは弁明して、「私はユダヤ人の立法に対しても、ミヤに対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯しておりません。」と言った。
ところが、ユダヤ人の関心を買おうとしたレフトはパウロに向かって、「あなたはエルサレムに登り、この事件について私の前で裁判を受けることを願うか。」と尋ねた。
するとパウロはこう言った。
私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。
あなたもよく御存知のとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
もし私が悪いことをして死罪にあたることをしたのでしたら、私は死を逃れようとはしません。
しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、誰も私を彼らに引き渡すことはできません。
私はカイザルに上訴します。
その時、フェストは売石の者たちと協議した上でこう答えた。
あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。
以上です。
聖火隊に賛美をしていただきます新聖火の437番。
続きまして、内田牧師より、神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
03:00
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
神の約束の成就と題しまして、説教していただきます。
06:06
その前に一言お祈りをいたします。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと忌ましめと教制と義の訓練とのために有益です。
それは神の人がすべての良い働きのためにふさわしい、十分に整えられたものとなるためです。
天の神様、こうして私たちをこの宮へと導いてくださり感謝をいたします。
新しい年も二ヶ月を終え、こうして新しい月をまた備えてくださったことを感謝をいたします。
第一聖日のこの時、あなたを心から礼拝するために今集っています。
賛美を受け入れてくださり、また祈りを聞いてくださり、そして豊かに精霊を注ぎ、新しい命を注いでそれぞれにお使わしくださるように。
そしてまた御言葉を通してあなたの教えをいただくことができるように。
霊感によるものとありましたごとく、精霊様が豊かに働いて、そして一人一人にあなたが語りかけてくださるように。
そして私たちを教え、いましめ、また強制を与えて、そしてあなたの良き働き人となることができるように。
そして忠実な下辺、よくやったとあなたが言ってくださることを最高の喜びとしてあなたに使えていくものとしてくださるようにお願いいたします。
今日もまた御言葉を通してあなたをあがめ、またそこに託されたあなたのメッセージを聞こうとしております。
どうぞ下辺聞きますから、詩をどうぞお語りください。
今日もここに集えたことを感謝をいたします。
来れなかった兄弟姉妹方のうちにも、どうぞあなたがその場にあって臨んでくださるようにお願いいたします。
全てを委ねて主キリストの皆によってお祈りをいたします。
アーメン。
私たちが信仰を与えられた、私たちが信仰をものにしたとか、そういうことはおこがましいことであります。
本当に哀れみで与えられたわけですが、その与えられた信仰がさらに育まれて、あるいは強められて、そういうことが神様の御心だと思うんですね。
もちろん一人一人に与えられた信仰というのはそれぞれに尊いわけですが、願わくばその信仰がさらに足の地についたと言いましょうか。
09:04
そしてさらに確信のあるそういう信仰。
もちろん私たちは山あり谷あり、時にはスランプに陥ったり、弱さも知りつつ、そういう中で少しずつですけれども、主に喜ばれるようなそういう信仰と働き人にさせていただく。
それではどのようにしたら強められていくのかということをいろいろと考えてみますときに、決して長さではない、それはわかります。
短かろうが長かろうが、そういうこととは関係ないんだなということもわかってきます。
私たちの信仰が強められるその一つは、やはり神様は生きておられる、神様は約束なさったこと、それは必ず成就してくださる。
そして私に対して語ってくださり約束してくださったことが成就したという私自身の経験、それが一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、そういうふうに積み重ねていくごとに私たちの信仰というものは本当にどんどんどんどん基礎ができ、そしてさらにその上に積み上げられていく。
でも私はいくら信仰しても、なかなか信仰が強まらない。
それはやはりそういう自分の上に神様が臨まれて、そして自分の上にそのことが私の祈ったこと、願ったこと、そして神様が約束してくださったことが成就したというその体験が乏しいからとも言えるわけですね。
ですから私たちに必要なことは、ただひたすら神を信じ、そして神に願い、そして何とか神様助けてください、そして御言葉を通して語ってくださるその約束にもうすがるようにして、神様は必ずそのことをしてくださるんだという、それをもういくつもいくつもそのことを神様に願い。
そしていつそれが成就するのか私たちにはわかりませんけれども、こういうことだ、これが神様が成就してくださったことだ、それを自分の中に体験する、そういうことを積み重ねていくことですね。
ある人は祈りのノートを常につけていきました。何気なく神様お願いしますということもきちっとノートにつける。本当に些細なことも全部ノートに、その日の神様への願い、あるいはあの人のこと、この人のこと、あるいは日本のこと、世界のこと、もうあらゆることを書いて、そして祈っていました。
12:21
そしてやがて一年たってそのノートを開いてみますと、これも成就した、これもそのとおりしてくださった、これも成就した、そういうことが次から次と起こっているということに気づいたときに、
ああ、神様はやっぱり生きて働いてくれて、そして私の身の上に、あの人の身の上に、全ての上に神様はそのことを成してくださったということを改めて思うときに、この神は間違いない、私はさらにこの方を信じていこうという、そういうことであろうと思うんですね。
私たちはその神を今日も崇めて礼拝しているわけであります。
使徒の働きの二十五章に来ました。
この章の全体はまた裁判の話でありますけれども、特に今日は十節、十一節、十二節あたりのところが中心になろうかと思います。
少しそれまでのいきさつを見ながら話をしてみますが、パウロという選挙者が今や囚われの身になったわけですが、そしてエルサレムで捕らえられて、そして今、カイザリアという港町地中海に面したカイザリアというところに身柄を移されて、
新しい総督、このフェストという人に託されたわけです。
そして、ユダヤ人の主だった者たち、二節、最首長たちとユダヤ人の主だった者たちが、このパウロをエルサレムに戻してほしいということを言うわけです。
なぜかというと、三節にありましたように、パウロがエルサレムに呼び寄せていただきたいと懇願した。
それは、彼らはパウロを途中で殺害するために待ち伏せをさせていたとありますように、あわよくばパウロをその途中で殺そうという計画のために、できればパウロをエルサレムに戻してほしいということであります。
15:00
そして、九節、この総督フェストが言いました。パウロに向かって、あなたはエルサレムに登り、この事件について私の前で裁判を受けることを願うかと尋ねた。
パウロよ、あなたはエルサレムに登って裁判を受けたいのか、そのように彼はパウロに尋ねたわけであります。
それに対してパウロが十節、十一節でこのように言ったと書いてあります。
パウロはこう言いました。私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。
あなたもよくご存知の通り、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
もし私が悪いことをして、死罪にあたることをしたのでしたら、私は死を逃れようとはしません。
しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、誰も私を彼に引き渡すことはできません。
私はカイザルに上訴します。この私はカイザルに上訴します。
カイザルというのは、みなさんもご存知のように、これはもともとはローマの独裁執政官と言われたユリウス・カイザルとも言いますが、
あるいはジュリアス・シーザーとも呼ばれますが、彼のことをカイザル、カイザルと言っていたのですが、
それが後、カイザルというのが皇帝の称号になったわけですね。
この当時の皇帝はクラウディオ皇帝だとされていますが、そのカイザル、ローマ皇帝に上訴しますとパウロは言いもゆったりですよね。
カイザルに上訴します。
要するにこの当時の世界のローマ帝国そのトップ、あるいは支配者、普通一般の者が会おうとしても会えないそういう人、
あるいは会うにしても、おそらくいろんな手続きを経て、そして承認をもらって、やっと会えるか会えないかというような、そういう立場の人。
そのカイザル、皇帝に今や一位とらわれの囚人が、私はカイザルに上訴しますと言ったのであります。
18:06
このフェストという人、彼は州の総督として着任したとありますけれども、彼はこのパウロがなぜ囚われているのか、あるいはこのパウロをこれからどうしようか、そんなことは彼は全く関心がないわけです。
パウロがどうなろうと、そんなことは知ったことじゃない。あるいはこのユダヤ人たちが何を目論んでいるのか、彼らの訴えがどういうことなのか、そんなことにも関心はない。
彼の関心事は、ただ自分がこの立場を守って、そして無難なくこの総督の務めを果たして、そして自分に利益なことだけを求めていく。真理や正義という、そんなものは、彼は全く関心がないわけです。
ユダヤ人の任期を取って、そして自分が使わされている元のローマ政府に対する点数稼ぎ、そういうようなことしか考えていないわけです。
ですから、この裁判に自分が下手な判断をして、そして自分の立場が悪くなるということは何としてでも避けたい。そう思っていた。そういう矢先に、この囚われのパウロが、私はカイザル、ローマ皇帝に上訴しますと言ったわけです。
この上訴の願いに対して、十二節。
その時フェストは売席の者たちと協議した上で、こう答えた。あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。
この瞬間、パウロのローマ域が決定したと言えるわけです。
思い返してみますと、二十三章の十一節のところ。パウロがエルサレムに戻って大変な騒動が起きて、これから一体どうなるんだろう。自分も囚われて下手をすれば自分の命も危ういという。
そういう日の夜、十一節。その夜、主がパウロのそばに立って言いました。
勇気を出しなさい。あなたはエルサレムで私のことを明かししたように、ローマでも明かしをしなければならない。
これは主の語った言葉であり、また主がパウロに約束したことです。
21:04
お前は必ずローマに行くんだ。そしてローマで明かしをし、福音、宣教の働きをするのだ。いや、しなければならないのだ。
主がパウロにそう約束なさったこと。
それからパウロは何度も何度も危険な目に遭い。
その度に不思議なように彼は守られて、今や地中海に面するカイザリアというところに身柄を移されている。
もうこの海の向こう、ずっと行けばイタリア、そしてローマがもう目の前に来ている。
そういう中で彼は裁判を受け、お前はエルサレムで裁判を受けるのか。
その時にパウロが答えた言葉。
いや私はローマにいるローマ皇帝に上訴をいたします。
フェストは答えた。
あなたはカイザルに上訴するのか。
それではカイザルの下へ行きなさい。
すなわちローマに行きなさい。
この一連の流れの中でパウロはどんな思いだったでしょうか。
彼は本当に私はカイザル皇帝の下にローマに行くことができるんだ。
神様感謝します。
やはりあなたは約束を守ってくださった。
私の身の上にその約束が今や成就しようとしています。
そういう思いも当然考えられます。
あるいはフェストがあなたはカイザルの下ローマへ行きなさい。
そう言われた時に彼はただ静かに
それはもう既に神が約束なさったことなのだから当然といえば当然だ。
そういう思いがあったとも言えます。
私たちはパウロの心の内はわかりませんけれども
私たちはそれをどのようにここから
私の信仰の中にそれをどう移していくか
私たちは得てして神様あれをお願いします。これをお願いします。こうしてください。あらしてください。神様は約束してくださいました。
そしてその通りになると
24:00
本当に神様そんなこんなになっていいんですかと驚いてしまいます。
それは本当に感謝でありまた不思議な神様の働きである
その素直な私たちの表現でありその思いが現れているわけですが
反面私たちはどこまで神様のその約束を信じていたのかという
そこも少し問われるということも言えるわけですね。
私たちが本当に神様が約束なさったこと
それをいつもいつも瞬間瞬間信じているならば
そのことが起こったとしてもそれは神様のなさること
全知全能天地万物をつくられたこの神がなさることだから
それはもう当然といえば当然
そういう力のあるお方がなさっていることに
私たちが私が何を言えようか
ただ主をあがめます。
そう私たちは応答していく。
そこまでいくのに私たちはやはり一つ一つそういうものを積んでいかなければならない。
そのためにも私たちはひたすら主に願い主を求め
そしてこのことも神様はしてください。
これもしてくださった。これもしてくださった。
ですから私たちが誰かにこの聖書をお勧めして
そしてここに神様の約束があります。
さあ信じませんかと言って
はい信じますと言っていただきたい思いはあるけれども
それはなかなかやはり無理なところもあろうかと思うんですね。
やはり神様を受け入れそして神様との関係を回復し
そして願いそして神様の約束を一つ一つ
自分の生きていく中でそれを見ていく。
神様の業を見ていく。
そういうことをしない限り私たちの信仰もなかなか足が血につかない。
そういうことがあろうかと思うんですね。
私たちの教会生活の中であんな人があんなに拒んでいた。
あんな人が私たちがひたすら祈りその救いを願い
そして時にはもうだめかなと思うようなそんな時に
その方が信仰告白をなさる。
そしてこの前で洗礼を受けなさる。
27:02
そういうことを実際に見ていくときに
神様はなんとその力ある方やはり約束なさったように
あの方を救いにいたらしめた。
そういうものを1回2回3回4回見ていくときに
私たちはこの神様をますます強くそして深く信じていく。
私たちにとってはそんなことは不可能だろう。
そんなことは無理だろうと言ってしまいます。
それは私たちの逸らざる思いです。
でも神は全知全能。
そして力あるお方。万軍の主と言われるお方。
そのお方のなさること。
それを私たちがこれからもひたすら求めて
そのお方の約束を信じていく。
そして神様の技を見ていくということ。
パウロはこの時フェストの口から出た言葉を通して
もう一度主をあがめたわけです。
パウロにとって私はカイザルに上訴しますという言葉を口にした。
これもどんな思いで彼はしたんだろうか。
こんなことを言って首をはねられるかもわからない。
でもローマに行きたいというそういう思いもある。
しかしそこまで行くのにいろんなハードルがあるだろう。
だからやっぱり諦めようか。そういう思いもふとよぎったかもしれない。
でもこれは精霊が言わしたものであるとするならば
これもまた当然でありましょう。
パウロはただフェストの前に立たされて
そして無になってお前はエルサレムで裁判を受けるのか。
その時に精霊がパウロの口を通して私はカイザルに上訴しますと
彼の口からこの言葉が出たんだとするならば
フェストがわかった。
それならお前はカイザルのもとに行きなさいと言わしめたのもまた
精霊なのかなという気も致します。
全てにおいて神様が働いて
神御自身が自分の約束したことを否まないお方であるという
その証がここに現れているわけであります。
創世紀の十二章のところで
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主はアブラムに仰せられた
あなたは生まれた故郷
あなたの父の家を出て私が示す地へ行きなさい
そうすれば私はあなたを大いなる国民とし
あなたを祝福しあなたの名を大いなるものにしよう
そのように約束してくださった。
そしてアブラムを外に連れ出して
アブラムは天を見上げて
そして星を数える
そうするときにあなたは
あなたの子孫はこのようになると神様は約束してくださった。
彼は主を信じたという
その通りここから神の民が
星の数のように砂の数のように増え続けていったということ
あるいはモーセにしてもそうでした
モーセが神様に
お前はエジプトに行って
そして今強いたげられている同胞イスラエルをそこから救い出すのだ
それが神様の命令であり
また必ずお前はそれを成し遂げるという神様の約束でありました
モーセはいえいえ私はそんなことできるものではありません
口下手ですしそんなことをとてもできません
お前がするのではない私がするのだ
私は一緒に行ってそのことをするのだと神様はモーセに約束なさった
モーセはただそのことを信じて一歩踏み出して
エジプトの地へ行きまたパロと退治した
そしてその言葉の通り
イスラエルのためはエジプトからアラノエと旅立っていったという
そんなこともありました
イザヤ書の中にこういう言葉があります
私たちはすでに主の降誕の時にこの歌詞を読みました
一人の緑子が私たちのために生まれる
一人の男の子が私たちに与えられる
主権はその方にありその名は不思議な助言者力ある神
永遠の父平和の君と呼ばれる
この予言が新約において成就した
これがクリスマスであります
神の御子と言われるイエスキリストが
会話を受けの中に寝かされたその姿を私たちは
すでに見たわけでありますが
そのようにして神様が約束なさったこと
預言者を通して語られたそのことは成就したという
33:03
そのことその成就したということの
またさらにこの
イザヤは予言を続けたわけであります
私たちの聞いたことを誰が信じたか
主の身腕は誰に現れたか
彼は主の前に若枝のように栄え
砂漠の地から出る根のように育った
彼には私たちが見とれるような姿もなく
輝きもなく私たちが慕うような見栄えもなかった
彼は私たちの病を負い
私たちの痛みを担った
だが私たちは思った
彼は罰せられ神に討たれたのだと
私たちの背きの罪のために殺到され
私たちの都がのために砕かれた
これが主の受難
そして十字架の贖いという
そのことにおいて見事に成就したということ
この十字架の罪の贖いがなければ
私たちの救いもありません
神様はこのイザヤを通して語らしめたその約束を
約700年後にそれを成就なさったわけです
私たちにはそれがいつ起こるのか
ということは知らされませんけれども
神が言われたこと
約束なさったことは
必ず成就するのだということを
私たちは聖書を通して
そして歴史の事実として
それを知っているわけであります
さらに
イエス様が十字架にかかられ
そして墓に葬られました
弟子たちが香料を持って墓に行きますと
その墓の前に置かれていた重い封印がのけられて
そして中を覗いてみますと
イエス様の体はなかった
どうしたんだろうかという
そういうことを弟子たちは
不思議に思っていたときに
ある人は
主はよみがえられたのだ
よみがえられた
そんなことが本当にあるんだろうか
そんなことを話し合っている
ところにイエス様が
現れなさって
このように言われたわけです
ルカの福音書
そこで
ルカの福音書24章の44節
また後見ていただいたらいいと思うんですが
ルカの福音書の24章の44節から
そこでイエスは言われた
36:02
私がまだあなた方と一緒にいた頃
あなた方に話した言葉はこうです
私について
孟瀬の立法と預言者と支援とに書いてあることは
必ず全部成就するということでした
そこでイエスは聖書を悟らせるために
彼らの心を開いてこう言われた
次のように書いてあります
キリストは苦しみを受け
三日目に死人の中からよみがえり
その名によって
罪の許しを得させる悔い改めが
エルサレムから始まって
あらゆる国の人々に述べ伝えられます
あなた方はこれらのことの承認です
弟子たちにとって
信じられない
主がよみがえられたなどということは
とても信じられない
でもイエス様がおっしゃった
私は三日目によみがえると
幾度かお前たちに言ったでしょう
弟子たちはなるほど聞いていましたが
右から左 左から右に
全く聞いているようで聞いていなかった
私が話した言葉
そしてモーセンの立法と
預言者と支援とに書いてあることは
必ず全部成就するということ
そのことを信じていなかった弟子たち
この時初めて主を前にして
神様申し訳ございませんと
彼らは悔いて
そして許しを願ったことでしょう
私は三日目に死人の中から
よみがえるのだと言われたイエス様の言葉は
成就したということ
あれから約二千年
教会を通して
様々な働きがなされ
多くの祈りが積まれ
そしてそれにことごとく
神様が答えてくださった
全てが成就した
もちろんまだ成就していないこともありましょう
それは私たちはいつ起こるのか
それがいつ成就するのかは分かりません
しかし必ず全部成就するのだ
そのことを私たちは信じていくときに
私たちがまた一つまた一つと
神の技を見ていく
そのことによって
私たちの信仰が強められていく
39:01
パウロが選挙者として
多くの働きをなしてきました
その一つがローマに行くということでした
これは神様の約束
そして今や
もうそのローマ行きの神の約束が成就しようとしている
そのところまで来たわけであります
本当に神様あなたは生きて働いておられる方
この方をさらに深く信じて
行けばいいんだということを
パウロは確信したことでありましょう
もしという言葉はいけませんけれども
もしパウロがローマに行けなかったとしたら
どうなっていただろうか
歴史は大きく変わっていたでしょうし
その福音選挙の働きは
ここで留められていたでしょうし
あのローマ帝国がキリスト教国に変わることもなかった
至ってはその後ヨーロッパを通し
そして新大陸を通し
東から西からこのアジア
そして極東と言われる日本にも福音が届けられたわけですが
もしこのパウロのローマ行きが閉ざされていたならば
私たちは未だにこの福音を知らない
暗黒の地に生きていかなければならなかったということ
そんなことを思うときに
この精霊の働きと信じますが
パウロが私はカイザルに上荘します
フェストはそれに答えて
あなたはカイザルに上荘したのだから
カイザルのもとローマに行きなさいと言わしめたこと
これこそ神の技である
私たちには信じられないこともなさるこの神
この力ある神が私たちの味方であるならば
誰が敵しようか
そのことを今日もう一度覚えて
この方にしっかりと信じて従って参りましょう
お祈りをいたします
天の神様
私たちの不信仰をお許しください
私たちはあなたが力ある方
天地万物の創造者
そして約束なさったことは
全て成就してくださる方と知りながら
また信仰を持って従いながら
あなたを疑いまたそれが起こると
どうしてと不思議に思ってみたりいたします
でもあなたは全てを成就なさるお方であるということを
42:02
今日もう一度教えられて感謝をいたします
私たちはただひたすらあなたを信じてあなたに従い
そしてあなたのその身技を見せていただけることを
願いつつあなたに従ってまいります
どうぞ精霊が豊かに注いであなたが技をなされるように
教会を通しまたそれぞれ置かれている持ち場立場で
神様の宮座が起こりますように
また起こったときにただ死をあがめてあなたを感謝し
さらに深く強くあなたを信じてまいるものとしてくださるよう
イエス様のお尊い皆によってお祈りをいたします
アーメン
それではただいまより
42:53

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