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2021-12-05 33:07

2021/12/05:クリスマスのお話(1)イエスってだれですか?

2021/12/05 アドベント第2聖日礼拝

尹善鎬牧師

ルカの福音書 2:1-7

00:03
みなさん、おはようございます。
先週は、みなさんに祈っていただいて、名古屋に行かせていただきました、
名古屋グレイス・トゥルース・チャーチという教会ですけれども、
日本の方々と、あるいは韓国の方々が結構集まっていらっしゃる教会でした。
午前の礼拝と午後の礼拝、2回のメッセージをさせていただきまして、
良い証のときを持たせていただきました。
背後の皆さんのお祈りを、心から感謝いたします。
さあ、今日からですね、クリスマスのお話というシリーズのメッセージを、
3回にかけて、していきたいと思います。
このメッセージは、もともと1つのメッセージですね。
でも、内容が幅が広いし、長いので、もう1回では、
予定できませんので、3回に分けてするわけです。
今日は、「イエス様って誰ですか?」という、
歴史の中の事実として、イエス様のことを証明していきたいと思います。
そして、来週は、「イエス様が神なのか?」
イエス様って神ですか?のメッセージ。
そして、3回目、クリスマス礼拝になりますが、
その時は、「イエス様を信じること、信じていいのか?」
その3つのメッセージとして完結しますので、
ぜひですね、できれば、3回のメッセージをですね、
全部聞いていただきたいと、そういうふうに願っております。
今日は特にですね、一般の歴史の資料をですね、
一緒に見ながら、実際のこのイエス様の特に誕生、
それについてのことをですね、一緒に見ていきたいと思います。
さあ、まずイエス様が生まれたと考えられている時代は、
正確に何年、何月、何日なのかは、知られていないんですね。
知られていないんです。
およそ、未死6年か4年頃だろうと言われています。
というのはですね、今からもう2000年も前でしょ。
だから今のように子どもが生まれたらですね、
自動的に病院で生まれるから証明書があるし、
区役所、市役所がちゃんとあるからね、その登録をするんだけれども、
多分ですね、もう100年前、70、80年前で子どもが生まれて、
そしてお父さんお母さんが登録するのをちょっと遅れてですね、
03:01
うちの息子の誕生日がいつだったっけ、みたいなね、
そういうことも70年、80年前もあったんじゃないですか。
そうすると2000年前の話だから、
しかも身分の高い皇帝とかね、言論員とかそういう人じゃなくて、
本当にもう凡人、庶民の人だから、その記録が残っているのがおかしいんですね。
残っていないのが当たり前のことですけれども、
そこでですね、今日の読んでいただきました、
ルカノー訓書の1節、2節、3節のこの記録がですね、
いわゆる住民登録の記録がここにあるんです。
それが、皇帝アグストスの時代に住民登録をしなさいという直例があって、
そしてヨセフもマリアもイエス様の父親ヨセフ、母親マリアが、
自分の町ベツレームに行って、住民登録に行ったときに、
道が、月が満ちて、イエス様が生まれたという話になりますが、
そこにですね、この聖書の記録が、聖書ではなくですね、
一般の記録にも合わさって、それが一致していることがあるんです。
まずね、この資料を見ていきたいと思います。
さあ、画面を皆さんご覧ください。
まずですね、このローマのガイウス・ユリウス・カエサルというね、
ヴィシ46年頃の、いわゆるローマが正式に皇帝時代が始まる前の、
いわゆる簡単に言って王様としましょうね、わかりやすく。
ローマがあの時はヴィシ46年頃でしたが、大混乱の中でした。
このカエサルがね、いわゆる政権を握って、実権を握っていたんですね。
でもね、彼はいわゆる独裁者だったんです。
周りに、いわゆる宿敵と言いますか、敵が多くあってですね、
結果的には残念ながら暗殺されて亡くなったんですね、このカエサルは。
それでまた内乱がローマに起きたんですね。
その時に、このローマの内乱に終始を打った人がいるんですね。
それがこのカエサルの養子、名前長いですね、お父さんの名前ここまでね、
ガイウス、ユリウス、カエサル、オクタービアヌスとね、
06:01
オクタービアヌス、8月をアーゴストと言うでしょう、その英語のね、
そのアーゴストの由来の名前がこの人から出たわけですね。
さあ、アーゴストスは、この年代をよくね、よく見てほしいんですけど、
BC63年からAD14年生きていて、そして彼は、いわゆるね、
この人からローマは肯定、いわゆる帝政時代が始まったんです。
それがね、BC27年からAD14年の間に在位したということなんです。
この期間がですね、よく見てください。
で、彼はアーゴストス、アーゴストスと言ったわけです。
それで、この時はすごいもう強大な権力を持っていて、
ローマだけではなくですね、ギリシア、トルコ、今のイスラエルの北部にあるシリア、
シリアとか、イスラエル、エジプト、モロコ、ティニジアの北アフリカですね。
この地中海のね、このもう多くの国もすべてですね、すべての国をローマ植民地、
ローマ領土にした、その初めの皇帝がこのアーゴストスなんです。
さあ、なぜこの彼の話をするかと言いますと、
今日の皆さん、聖書を持ちの方、2章の1節をご覧ください。
そこに皇帝の名前が出てくるんですね。
誰ですか。アーゴストスです。この人なんですよ。アーゴストス。
この皇帝、アーゴストス、アーゴストス、この時代に
住民登録の直例があったということなんです。
不思議にですね、実際に歴史の中にですね、
この皇帝の時代に直例があったという記録があるんですよ、皆さん。
さあ、次。
これがね、この他にも実際の秘跡もあるんですけれども、
これがね、エジプト、当時このアーゴストスが支配していた
エジプトもその領土でしたから、そこのパピールスの古文書が発見されたんですね。
そこにアーゴストス時代の、いわゆる美史8世紀の時に
住民登録の直例の記録がこの文章にあるんです。
もう私たちには読めませんけどね、記録があったんです。
それが美史8年だったんです。
09:03
当時はですね、今のようにネットとかね、
種類でも書いて送っても何回かしか書かれないじゃないですか。
当時はですね、人々がそれぞれ自分の町に戻る時間もあるし、それを登録するし、
それ全部手作業でするわけですから、もうね、一度するんだったら、
もう4年、5年、6年もかかったようなんです。
そうするとですね、ちょっと合わせて考えてみたいんですよ。
美史8年に住民登録をせよとしたら、
例えばイスラエルの人々がイスラエルだけに住んでいるんじゃなくて、
ローマにもギリシアにも、あるいはアフリカに行って、
何らかの理由で移住して住んでいる。
そうしたらみんな自分の町に帰らなくてはならないんですね。
そうしたら、例えば皆さんアフリカに住んでますよ、今ね。
エジプトに住んでいて、エジプトからイスラエルの自分の町がエルサラムとしたら、
エルサラムまで帰らなくてはならないんですね。
でもね、帰る時間もかかるでしょう。行って登録するでしょうね。
もうそういう長い時間がかかるわけなんです。
今日のルカノフ文書の2章の3節を見ると、
人々はみんな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていったとあるんですね。
この記録もですね、他の、このパピルスではないんだけど、他の秘文にもですね、
自分の故郷を離れた者は自分の町に帰って、
そこで住民登録をせよという記録がちゃんと残っているんです。
さあ皆さん、なぜこういう話をここまでするかと申しますと、
この聖書のこの記録はですね、
作り話とか神話でとか、格好の話ではありませんという話を私は申し上げたいんです。
歴史の事実であるということなんです。
このルカという人は、本業が、もともとの職業が医師だったんですね。
お医者さんなんです。
彼はちゃんとこの歴史の記録を、もう聖書に残ってくれたからありがたいんですね。
皆さん、イエス様の誕生も、その生涯も、もうそれだけではありませんが、
全ての記録は幻想や格好の話ではないんです。
もう一般の非キリスト教の文書が、しかも2000年前の古文書が、
この聖書の事実ともう合致していることなんです。
12:06
これは不思議なことだと思いませんか。
皆さん、今ですね、多くの人々が、歴史的証拠もないような宗教、
そういう教祖、いわゆる信仰というところにはまっている人々が大勢います。
実体のない信仰、実体のない神を拝む人々が、悲しくも世界中に、日本にも大勢いらっしゃると思うんです。
キリスト教は、今日はもう学術の時間じゃないから、大体ここまでしますけれども、
一般の歴史の事実の中にある記録と、聖書の記録は、多くの場合に一致しているということなんです。
もう一度申しますと、聖書での世界は、架空の世界ではなく、実際にあった世界であることがわかります。
だからイエス様は、歴史の中、およそ2021年前、あのイスラエル、パリシンというイスラエル国のベツレームという町で、
ローマ皇帝のアーゴストス時代に、住民登録のためにベツレームに帰ったお父さんヨセフ、
お母さんマリアの間で生まれた、という歴史の事実です。
ですから、この多くの資料が、ほぼ一致していることがわかります。
もう一人の記録を見ていきたいと思います。
フラビウスヨセフスという人です。
こういう絵が残っていることもありがたいなと思います。
フラビウスヨセフスという、AD37年から100年頃の人物。
もともとユダヤ人ですけれども、ローマ市民になって、政治家、歴史家、作家です。
この人が、結婚の年始にかかって、ユダヤ古代史という本を残したのです。
その本が、キリスト教の聖書以外としては、一番多くの資料を持っている貴重な本です。
15:01
西洋では、皆さんのようなクリチャンの方々が、聖書以外には一番愛読されている本が、このユダヤ古代史です。
私も本も多いし、高いので買えなかったのですが、
新学生の時に、図書館に全集があって、よく借りて読んだことがあります。
日本語にも多分、訳されているだろうと思うのですが、
この古代史の中に、イエス様についての記録がちゃんとあるのです。
これが、今からほぼ2000年前のことですが、こういうふうな古代史の本が残っているのです。
その中に、第20巻に、こういう記録があります。
キリストと呼ばれたイエスの兄弟の名前はヤコブと言った。
これは、聖書の記録と一致しているのです。
イエス様は巨大な兄弟がいたのです。その巨大な兄弟がヤコブなのです。
その聖書の記録が、ここの一般の記録にもあって、それが一致しているのです。
これは、いわゆる歴史家の中では、イエス様の存在を認める最も信憑性のある記録として、
とても価値あるものとして、学者の中でも認められている証拠です。
他には、こういう記録があります。不思議な記録を見ていきましょう。
第63冊に、こういう記録があります。
さて、この頃、イエス様という賢人、実際に彼を人と呼ぶことが許されるならば、が現れた。
彼は奇跡を行う者であり、また喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。
そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを起義させた。
彼こそはクリストス、キリストだったのである。
ピラトです。イエス様は処刑を判定した総督です。
彼が我々ユダヤ人の指導者たちによって告発されると、十字架形の判決を下したが、
最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。
すると、彼は3日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。
イエス様の十字架形復活の記録が一般の記録にもある。
既に神の言者たちはこれらのことや、さらに彼に関するその他無数の教壇すべき事柄を語っていたが、
それが実現したのである。
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なお、彼の名にちなんで、クリスティアノイ、キリスト教徒と呼ばれる族は、
その後、現在に至るまで連綿として残っている。
このイエス様の当時の生涯、そして十字架形、復活、
そしてその後のキリシャンたちのことも、一般の古文書に記録がある。
そして、それが我々が聖典として持っている、この福音書記録と聖書の記録と一致している。
皆さん、キリスト教は決して、格好の世界、実態のない神、
誰か、人々が作った作り話の話を拝んで信じている愚かな無礼ではありません。
むしろ、これほど歴史の事実と一致していることが証拠なのに、
そういう証拠のない、実態のない、それこそ格好の神を拝むということが、
むしろ、矛盾していると思わないでしょうか。
さあ、このような記録の中にあるところから、イエス様の誕生の話を少し、
昔に戻って話を見ていきたいと思います。
イエス様のこの肉の親は、父親がヨセフ、母親はマリアです。
このヨセフさんの故郷は、ユダヤのベツレヘムという町です。
エルサレヘムからとても近いです。
彼はマリアさんと結婚して、イスラエルの北部にあるガリラという町、ナザレに住んでいたのです。
しかし、今日見たように、皇帝から住民登録をしなさいという直令があったから、
妊娠中の妻を連れてベツレヘムに行ったわけです。
そこで、今日行って、新幹線に乗って行って、登録して帰ってこれる時代じゃないですから、
行くことも数週間がかかって、そこで行って、何年ぶりに帰るかもしれないのです。
そこで行って、また滞在しながら、また住民登録して、また自分の元々住まいに帰っていくわけです。
想像して考えてみると、さっきユダヤ人は、イスラエル人は、地中海の多くの地域に散って住んでいたと申しました。
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シリアとか、トルコとか、ギリシャとか、イタリア、ローマ、エジプト、北アフリカなどに住んでいたのです。
この時は、イスラエルは、国は、政府はなかったのです。ローマの族国だったわけです。
住民登録をするために、みんなそれぞれ自分の町に帰っていくわけです。
もちろん、みんなが同じ日に、同じ時期に、お盆なっしゅみたいに行くわけではありませんが、それぞれの期間が異なるでしょう。
でも、このルカの福音書2章、それからマタイの福音書1章2章を見ると、なぜかヨシエフとマリアさんが、エルサレム、ベツレムに行った時には、
ベツレム、エルサレムに大勢の人々が、この住民登録で帰ってきたようです。
まるで、日本のお正月とか、お盆休みの規制らしいようなことだろうと思うのです。
当然、行ってみないと、泊まるところがあるかどうか、宿屋が空いているかどうかわからないので、一旦行ってみないとわからない時代です。
スマを開けて予約できる時代ではないですからね。
また、みんな例えば、アフリカとかローマに住んでいたら、今みたいに飛行機に乗ってピューンと、すぐに行ける時代ではないですから、
多分、何年ぶりに、何十年ぶりに自分の町に帰る時代でしょう。
だから、一旦帰ったら、もう何ヶ月も滞在するかもしれない。
実は、ヨセフもマリアもベツレムに行って、ある程度期間そこに滞在しているうちに、マリアは月が満ちて生まれたわけです。
行って、その翌日に生まれたわけではないんです。どれくらい滞在したのかわかりませんけどね。
そんな中、今日の記録を見ると、ヨセフとマリアは泊まるところが残念ながらありませんでした。
大勢の人々が住民登録のために、エルサレムとかベツレムにやってきたわけなんですね。
いっぱいでした。満室でした。
待っているうちに、妊娠中の奥さんのマリアさんは月が満ちて、いよいよ子供が生まれたんですね。男の子が生まれました。
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そして、もう宿屋がないんですから、生まれた子を布にくるんで、馬小屋の貝羽桶に寝かせていたわけなんです。
それから、聖書の記録を見ると、宿屋には彼らのいる場所がなかったとあります。
なぜか不思議に、普通の宿屋ではなく、お孫屋にイエスという赤ちゃんが寝かせていたわけなんです。
そして、今日も聖書は開いていませんが、このルカの福音書第2章、それからマタイの福音書という聖書を見ますと、
この馬小屋に、まずは東から旅をしていた博士たち、星を見て占いをする人々だっただろうと思われますが、
その人々が大きく光っている星を見て、そのところを訪ねてやってきたら、そこがイエス様のいるところだったんですね。
そして、黄金とかを持ってイエス様を拝んだという記録があります。
また、他には野原でのぞくしていたヒスジカイたちも、天使の話を聞いてこの馬小屋にやってきたということがあります。
こうして生まれたイエス様は、この後の生涯については、その記録は残念ながら残っていないんですね。
おそらく少年、青年の時を経て約30歳の時から、キリストとしての公の生涯を送られたわけです。
このようにイエス様は、私たちと同じようにこの時代を過ごされたということなんです。
一人の人間として、男子として、母から生まれました。
食べたり、飲んだり、歩いたり、寝たり、働きをしたりされたでしょう。
私たちと同じく、聖書にもいくつかの記録がありますが、感情を持っておられたわけです。
泣いたり、怒ったりもされました。
悲しんでおられました。
例えば、友人のナザロさんが亡くなっていた時に、非常にイエス様は悲しんでおられました。
とても疲れた時には、船の中でも結構嵐で、船が揺れていた時でしたけれども、眠られました。
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また、私たちと同じく、多くの友人たちと知り合いと、よく食事を一緒にされました。
パンを食べたり、ぶどう酒を飲んだりされました。
もちろん、来週にもっと具体的にお話をしますけれども、イエス様は、すべての点において、私たちと同じように試みに遭われたのですが、罪は犯しませんでした。
それが不思議なところです。
私たちと全く同じ体を持って、感情を持って、食べたり飲んだりする人間です。
全く同じ一緒の人間ですけれども、同時に神であられますから、罪は犯さない。
神としてのイエス様については、来週にお話をしたいと思います。
そのイエス様の記録がこの聖書ですし、その中の4つの福音書という聖書があります。
イエス様についての記録ですね。
マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨアネの福音書がそれです。
彼らはイエス様の弟子とか弟子の弟子です。
彼らが目で見たこと、耳で聞いたこと、手で触ったこと、経験したことに基づいて聖書を記録したわけです。
今日のルカのように、私たちが今生きているうちに、
例えば今日本でマイナンバーカードを登録しましょうとか、年末にしたら厳選聴取しましょう、
確定資格をしましょうということがあるんですが、同じくルカはこの時代に住民登録をせよということを、
彼らがその時代に生きていたわけですから、経験したわけなんです。
それを記録に残したわけです。
経験したこと、自分でイエス様を触ったこと、自分でイエス様のお話を聞いたこと、あるいは目で見たこと。
死んだ人が蘇った、病気の人が癒された、38年間病んでいた人が起きて飛び跳ねるようになった、
そういう自分たちが実際に見たこと、聞いたこと、経験したこと、触ったことの記録が聖書なんです。
一般の歴史でも、例えばイエス様の弟子たちの存在、マタイとかパオロとか、
彼らの存在、一般の歴史でも、学校の歴史でも、当たり前のように、当然のように認めているわけです。
30:10
このような歴史と一致している証拠十分のベースのある、それがキリスト教なんです。
でも人は不思議なところがあって、そういう歴史的の証拠が確実な、実際の事実のあるものがあるにもかかわらず、
感情的に惹かれて、実態のない宗教や実態のない信仰に、そこにはまってしまうのが、我々人間なんですね。不思議だなと思うんです。
その記録が指し示しているのは、ただ一人イエス様なんです。
イエス様は過去の人物ではありません。歴史の中の人物です。リアルです。実情の人物であります。
実際にイスラエルに生きていた人です。
そして今日は簡単なことを見ましたけれども、一般の文書にもイエス様に対する記録が書かれているということなんです。
メッセージをやりたいと思います。続けて、ぜひ来週も来て、聞いていただきたいと、そういうふうに願っております。
また、クリスチャンの方も、おそらく皆さん、何十年も進行を急がして、今日の話を初めて聞かれた方がほとんどだろうと思うんですけれども、
こういうことに対する知識も、ぜひ持っていただきたい。あるいは自負心を持っていただきたいなと、そういうふうに思っています。
漠然として神がいるからじゃなくて、実際の土台もあるんだと、そこまで確信を持っていただきたいです。
イエス様は、およそ2000年前に、イスラエルという地に息をして生きておられました。
今、皆さんが私のお話を聞いておられるように、2000年前、イスラエルという野原とか丘で、多くの人たちにイエス様はお話をされました。
キリスト教は、覚悟の人、妄想の神を信じる宗教ではありません。
歴史の中に生きておられたイエスと、その方が神であることを信じることであります。
その父なる神様を信じます。イエス様って神ですか?
第2編、来週を皆さんご期待ください。お祈りします。
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