1. 名谷教会 podcast
  2. 2013/06/23:聖日礼拝(旧音源)
2013-06-23 1:00:17

2013/06/23:聖日礼拝(旧音源)

2013/06/23 聖日礼拝(旧音源)




00:02
アーメン、帰ってきました。
今日もですね、今日のメッセージに相応しい、ぴったしの3時でした。
ありがとうございます。
では、今日もメッセージに入る前にですね、隣の方々と愛の握手をしながら、挨拶の時をお持ちたいと思います。
よろしくお願いします。
はい、よくいらっしゃいました。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
では一言、祝いたします。
愛する聖な神様、今日も神様が私たち一人一人を本当に愛して愛して、
この礼拝のところに私たちを主が呼び寄せて名を呼んで集めてくださりましたことを心から感謝いたします。
いつも本当に神様の恵みによって日々生かされ守られ、恵みと喜びと感謝にあふれる日々を送らせていただいているこの幸いな恵みを本当に感謝いたします。
今から神様、私たち一人一人に、今日お祝いの方々一人一人の心の中に、
神様どうぞ命の御言葉を、救いの永遠の命の御言葉を、神様が聞かせてお語りくださいますように手伝って教えてくださいますようにお願いをいたします。
よろしくお願いいたします。感謝して神様の命によってお祈りいたします。
アーメン。
はい、感謝します。
今日もよくいらっしゃいますか。
今日は6月の連動礼拝です。
では先ほど読んでいただきましたエレニア書の箇所から、誠の祝福の道という題にして言葉を取り継いでいきたいと思います。
今日の箇所をですね、私がもう一度読みたいと思います。聞いていてください。
私はあなた方のために立てている計画をよく知っているからだ。
宗の見つけ。
それは災いではなくて、平和を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。
アーメン。
まずはひっくりさんの皆さんに申し上げたいと思います。
03:01
皆さんはイエス様を信じて救われて本当に幸せな人生を送っていらっしゃるんでしょうか。
イエス様を信じて本当に日々恵まれた生活を送っていらっしゃるんでしょうか。
皆さん、イエス様にお会いすれば、恵まれれば人生が変えられますよね。
その証人が私と皆さんではありませんか。
イエス様に出会って、恵まれて、その救いがどんなに素晴らしいものなのか。
その救いの恵みが、罪許しの恵みがどれだけ素晴らしいことなのか。
私たちが経験して体験して、そして日々恵めのうちを歩んでいることが、それが私たちの証だとそう思っております。
イエス様を信じればですね、本当に昔は暗くて荒かった生活がですね、変えられますね。
顔の表情が変えられる。
そして生き方が変えられる。人生の目的が変えられる。
また恵まれれば、不幸だった人生がですね、本当に幸せに変えられる。
恵まれれば、家庭の問題が、子供の問題が、様々な人生の全ての問題が解決をですね、神様から教えていただく。
そして幸せに生きることができるということなんですよね。
私、明大に赴いてまいりまして、やっと3ヶ月経ちました。
早いんですね。本当に3ヶ月ですね。シューンとあっという間にですね、本当に経ちました。
その間、本当に皆さんに祈っていただいて、応援していただいてですね、日々ぼっかりをさせていただいてお届けですけれども、
その中ですね、私は皆さんの、例えば去年のこととか、あるいは10年前とか、20年前、30年前の皆さんの姿を私は知っていらないんですよね。
でも皆さんはお互いにご存知でしょ。誰々さんが昔どんな人だったのか。お互いに知っていらっしゃるんですよね。
でもですね、3ヶ月しか経っていないんですけれども、私ですね、本当に皆さんのお顔を見て、皆さんのお姿を見てですね、
本当にもう恵まれている姿が見えてくるんですね。そして本当にだいぶ変えられている姿が見えてくるんですね。
06:01
ある方は本当にですね、週に1回しか軽くして教会に来ていなかった方々が、毎日のようにですね、もう月曜日から土曜日まで毎日のように教会に来て、
しかも引き入られて嫌々ながら来ているんじゃなくて喜んでですね、もう行きたくて行きたくて、家が教会が遠いから近くに引っ越していきたいと、そういう気持ちさえですね、恵まれたらですね、恵まれる。そう変えられます。
ある方は、昔はちょっとですね、行かせたり、本当にもう隣に暮らしていた、そんな方々はですね、本当にですね、もう天使のように変えられて、言葉しかいも心しかいも、表情もですね、この顔がですね、生き生きとして変えられます。
本当にですね、前はもう週に1回、あるいは本当にもう義務みたいにですね、教会に来ていた方が、もう本当に私が来てくださると言っていないのにもかかわらず、喜んでですね、教会に毎日のように来て、祈って、礼拝をして、奉仕をしていることは、まさに恵みの力ではありません。
皆さん、神様の恵みに触れ合えば、人生は変えられる。そして、希望が湧いてくる。今日のお見事はその通りなんですね。将来と希望、平安がポンポンポンポンですね、もう湧き水のようにですね、湧いてくるんですよ。心から、心から湧いてくる。
その力はどこから来るんでしょうか。それは神様から来るんです。
しかし皆さん、前を向いていただけますか。でも信仰生活をしていく中で、365日、毎日がハッピーハッピーになって落ちるんだけども、そうでかない時もあるんですよね。
時には落ち込んだり、時にはがっかりしたり、時には本当に神様は生きているかいな、そういうふうに思える時もあるかもしれない。
試練があったり、本当にどうしようもできない、そんな時にですね、行き詰まりにですね、合わされる時があるかもしれない。しかし皆さん、よく見ていただきたいんですが、
試練がやってきたとしましょう。あるいは何かの大きな問題の壁にぶつかっていたとしましょう。目の前に本当につらいことがあったとしましょう。
09:03
そしたら神様は、皆さんが信仰をもって、祈りをもって、その試練を、その問題を乗り越えることができる力を与えてくださって、
そして皆さんがその問題を乗り越えて、もっと大きな恵みを体験できるように作ってくださるために、その試練が皆さんの目の前にあるということを信じて信頼して歩んでいきたいと願っております。
ですから、私たちにはですね、できないことがたくさんあります。自分の心さえですね、変えることがなかなか難しいじゃないですか。あるいは結婚した方は、旦那さんや奥さんの心を変えることも難しいでしょう。
私だって、旦那の心を変えることが難しいですし、彼女は私の心を変えることが難しいですし、私も本日来ている娘の心をですね、親の思うままにですね、させることが難しいんです。
人間にはそんな無力さがある、有限性がある、力が足りない。しかし、私にはできないことがあっても、神様にはできないことがありません。
神様には不可能なことはありません。どんなことでもお出来になる方が父なる神様なんですね。
ですから、失恋がやってきたとしましょう。病気になっていたとしましょう。なかなか難しい問題にあわされたとしましょう。その時に、自分にはこの問題は解決できない。
治ることも、癒すこともできない。解決できない。答えがどこにあるか知らない。そんな時に、神様に答え。ですから、私たちは何をすればいいのでしょうか。
解決していらっしゃる神様に祈ればいいのです。祈ればいいのですが、答えてくださる時をまず望みつつ祈っていけば、その時に癒してくださり、解決してくださる道があるのですね。
ですから皆さん、その神様のことを頭的に、心地的に知るのではなく、その神様に出会って、そして神様がどんなに素晴らしい方なのか、どういうふうにこの問題を解決してくださるか、その恵みを体験していただきたいのです。体験する。
12:02
例えば、ここに本当においしいおいしいお茶があるとしました。今は普通のお茶ですけれども、本当に一杯100万円のお茶だとしました。素晴らしい。イギリスの王様が飲むお茶としました。
これがあります。目の前にありますけれども、これがうまいうまい、おいしいおいしいと言ってもですね、いくらじっと24時間見ていても味をわかりますか。どうすればいいのでしょうか。その100万円のお茶をうまい。飲んだらわかります。神様の恵みも同じです。一緒です。
生きておられる。祈れば応えられる。よく言われました。しかしその神様の恵みを喜び味わっていないとですね、いくらほかの人がですね、神様すごいですよ、こう答えてくださいました。素晴らしいですよ、すごいですよと言われても、自分が体験していないとその味がわからないんですね。恵みがわからない。
ですから皆さん、その恵みを体験できる方法は簡単です。ものすごく簡単。祈り、祈りなんです。神様にお願いして、祈って、主が叶えてくださることを信じて祈り続けるものには、主が素晴らしいことをなしてくださるんですね。
ですから皆さん、何か問題にぶつかったとしましょう。個人的な問題に。あるいは家庭に、あるいは苗田に、教会に。何か問題がある。あるいはマイナスがある。あるいは本当につらいことがあったとしましょう。
その時にですね、内向きになって、この人間の自分たちの弱さ、不可能さ、無力さを見つめ続けてですね、マイナス飛行に行くんじゃなくて、信仰をもって、善知善能なる神様を見上げて祈っていけば、
主がすべてのマイナスをプラスにしてくださる。すべての不可能なことを可能にしてくださることを信じて祈っていきましょう。信じて祈っていきましょう。教会に信仰による祈りが満ち溢れる。
皆さんの、私たちの、あるいは苗田に教会の、皆さんの家庭の信仰の大きさ分、皆さんはその分の恵みを体験できるわけです。
ですから自分がこんなに小さな信仰であれば、その分しか恵みを体験できないんです。しかしもっと大きな立派な信仰を持っていれば、主が素晴らしいことを持ってくださる。
15:15
ですから試練がやってきた。問題にぶつかった時に信仰を持つ人はワクワクするんですね。なぜワクワクするのでしょうか。神様が今度はどんなに素晴らしいことを起こしてくださるなら、ワクワクして、期待感が湧いてきてですね、祈っていくんですね。
押し込んでしまって、もうダメだ、ダメだじゃなくて、この先にはどんなに素晴らしいことが待っているんだろうとですね、期待して祈っていくんですね。
今、宮谷教会にもですね、そんな素晴らしいことが次々から次々にですね、起きているんですね。今はまだ始まっているばかりだと思います。
これからもっと素晴らしいことが、もっと不思議なことが、創造を絶する素晴らしさをですね、神様が起こしてくださること、祈りを持って、確信を持ってですね、祈って信じて歩んでいきたいと。
この信仰はですね、世の中で語っている愛犬類、そういったポジティブシンキンアンナですね、そんな考え方とは全く違います。
それは自分でできる、できる、できる、じゃなくて、自分にはできない。しかし神様にはできる。
ですから神様に信頼して、祈って、神様にしていただく。それが信仰の道になります。信仰の道。
皆さん、家様の恵みに触れ合えば、家様を信じれば、赤字が黒字に変えられます。水が葡萄汁に変えられます。マイナスがフラットに変えられます。
赤字人生が黒字人生に変えられます。
うちの家族の赤字をしていきますと、妙に選挙主として使わされて、5年目に入りました。
今まで4年間は選挙主の立場でおりましたから、実際に教会から月々の簡単に給料、先をもらっていない立場だったんですね。
また向こうの勧告に派遣協会がいく分、選挙権限を送ってもらっているわけですが、その他には個人やあるいは教会から選挙権限を送ってもらっているわけですね。
18:14
でもそれは彼らに事務があるわけではないんですよね。
今月はちょっと難しいから、あるいは今年は難しいから、先生申し上げると、もう辞めますと言われても、私が何で辞めますかと言えないんですね。
でも不思議に、毎月毎月5年に入って、今にもですね、神様がうちの5人家族を、少なくないんですね、5人だったら。
5人家族を植え上げたことは一度もない。お金がなくて食べ物がなかった時は一度もない。赤字になったことは一度もない。
食べ物がなくて着物がなくて苦しんでいたことは一度もない。不思議にですね、不思議にうちの家族を派遣されてですね、4年間、
どこかに訪ねてですね、あるいは教会に、あるいは信者さんに、あちこちですね、どうぞ選挙権限を送ってください、送ってください、お願いしたことは一度もありません。
ただ神様に祈っていました。ただ神様に祈っていました。もちろん最初ですね、派遣する時にはお願いしたりしたことがありましたけれども、その最初だけでした。その以降は一度もお願いしたことはありません。
でも不思議にですね、神様が知らない人から献金を送っていただいたり、あるいはアメリカからですね、送っていただいたり、
あるいは不思議にですね、ある人が神様に示されたと思うんですけれども、不思議にですね、何十万円の献金も送ってくださる。お願いしたことは一度もありません。
私の講座番号を教えていただけたことも一度もない。手が乱してくださる。食べさせてくださる。それを毎月毎月4年間5年間、今もそれを体験し続けている。だからうちには心配しません。これからも心配しません。
そんなことはないと思うんですけれども、明大の教会から本当に感謝の表で謝辞をいただいておるわけですけれども、もし本当にですね、後々ですよ。
例えば、これから40年後、他の水彩教会に使おうかとしましょう。謝辞をもらえない教会だとしましょう。心配します。神様が満たしてくださることを体験しているから。
21:01
皆さん、神様は、そしてその主が、その主を信頼して祈っていく人には、主が満たしてくださること、その確信を持っていただきたい。その恵みを体験していただきたい。
それで、我々神社がですね、どんどんどんどん立派になって大きくなっていきたいと、そう願っております。皆さん、神様は生きておられます。
全知全能なお方ですし、完全で完璧なお方ですし、神様には不可能なことはありません。どんな病気であろうが、どんな病気であろうが、心の体のどんな病気であろうが、主は癒すことができる。どんな問題も解決することができる。
その神様にお出会いすれば、人生が変えられるわけです。その神様は、我らの人生を全く新しいものに変えることができる、十分な力を持っておられるお方です。
だから、その神様にお会いすれば、人生が本当に私たちをわくわくさせてくださる、感動させてくださる神様に私たちは毎日毎日体験できるわけです。
今から一人の動画を見ていきたいと思うんですけれども、ニックなんですね。ニック・ヴィキティという人がいるんですね。この方はオーストラリアの人ですけれども、体のサンジキャップを持っています。しかし、素晴らしい人生を送っている人なんですね。
はい、今から見てみて。
今日から始めたからですね、皆さんも慣れていませんし、娘も。
はい、できました。
28:05
はい、ここまでです。
30:57
いかがでしたか、皆さん。
31:00
彼はですね、手足がない。
小さきですね、結婚してですね、子供も産みました。
皆さん、神様は生きておられ。
その神様は、皆さん、お祈りお祈りを愛しておられ。そして、素晴らしい計画を持っておられ。そして、本当の救急に私たちをイスリコーとして待っておられる。
そして、ご自身から私たちへ、皆さんへですね、愛の両手を差し伸べて、ずっと待っておられる。
皆さんの人生が60、70、あるいは80年でしょうか。その間、60年間、あるいは80年間、ずっと愛の手を差し伸べて待っておられる。
そして、この手を握りしめてごらん、掴んでごらん、と待っておられる。
強引にして、こうですね、させるんじゃなくて、ずっと。
彼はもう、栗さんの牧師の息子ですけれども、でも、そんな牧師の息子だから、みんながですね、しばらく栗さんになるわけではないかと思うんですが、
彼は、その自分はある。両足、両手がないんですけれども、でも、最後の彼の話にあったように、でも、精霊の恵みによって、翼を張って飛んでいく人生になったと明らかに言っていました。
皆さん、手を握って。
普通、神様に出会えたりすれば、人生は変えられるんですね。
33:03
もう一人、この本の主人公ですけれども、勝屋忠樹という方のお別れです。
私も塩屋神学校でこれをいただいて、ほぼ読み終えましたけれども、本当に恵まれました。
私が評価していきますと、この方はですね、小さい時にお父さんが亡くなってですね、本当に貧乏で家族がですね、バラバラに持ち出されたんですね。
この勝屋さんは、ある家に養子に入れてもらう。
でも、その養母がですね、本当に自分をどれだけ苦しめて虐待ったのか、もう本当に苦しんで苦しんでですね、もうひどいことさえ考えたことがあったそうです。
大きくなったら復讐しよう、もうそういう思いもしていて、もうそれでどうしようもなくて、家からですね、もう取り出して行ってしまった。
少年の時だったそうです。その時から何をすることができるのでしょうか。お金もない、住む家もない。
それで彼がやったことは、本当に暴徒息子のように暴徒族になったり、暴力を振る舞ったり、強盗したり、さまざまな悪いことをですね、もうやってしまった。
そういう少年学を集めて、何かですね、まるで役者みたいにですね、組んでですね、さまざまなことをやってしまった。
それで少年刑務所にも何度も自分の家みたいにですね、出入りをした。この中で、4時台ほどでしょうか、肺炎にかかったんですね。
それでも結局治るだろうと思ってですね、ほったらかしていた。でもなかなか治らなかったんですね。
それでもっともっとひどくなって、ひどくなって、結局もう倒れてしまってですね、病院に運ばれていったんですね。
それで治療を受けたんだけども、なかなか治らなくて。治るところか、もうその肺炎がですね、もっとひどくなって、ひどくなって、もう肺がですね、だめになってしまった。
それでもうその病院でもですね、ずっと寝たきりでいたんですね。もうあなたはもう無理かも。もう病院で精一杯の治療はするんだけども、もう見込みがないんです。
自分もですね、何とみじめな人生なんです。お父さん亡くなって、家族ばらばら連れ去らされて、養護の下で本当に苦しめられて、
そのベトネですね、ベトネ寝たきりになってですね、自分の人生がですね、スライドみたいにですね、どんなに悪事をもうしなくってしまったら、それが別にスライドとみたいにですね、思い浮かんできて、このまま死ぬのかなと言ったんですね。
36:23
そしたら同じ病院で、同じ病室の隣のベッドに同じ病気で寝ているWさんがですね、死ぬのが怖い、死ぬのが怖い、もう死にたくないとよく言うんですね。
そしたらこの柿屋さんが彼に、いやもう死んだら生まれる前みたいに無になるよ。大丈夫、大丈夫、お前そんなに怖らなくていいよと言ったんですね。
でもやっと自分に闇の死の影が襲いかかっているんですね。
その時点で自分の体から霊魂が抜け出すような、そして深い深い盆底がないような、あのところに自分の霊魂が吸い込まれていってしまうような、その恐怖を感じたんですね。
やっとこれが死ぬということだなと思って、軽く両脚を胸の上に組んで死を待っていたんですね。
そしたらどこからか知らないんですけれども、空き音のような音が聞こえてきました。
でも不思議にもその空き音のような音が、ちょうど自分の心臓の拍動の音とピッタしてもっともっとどんどんどんどん大きく大きく聞こえてきたんですね。
それで自分もですね、「ああ、これで死んだら無になる。何もなくなる。大丈夫。もう少し我慢しよう。」とですね、そういうふうに考えていたんですね。
死なんて怖くない。もう少し我慢だと。でもその音がどんどんもっともっと大きくなって大きくなってですね、その時に何とも言えないような恐怖感と圧迫感に襲われてですね、
その死の強力な力が自分を飲み込もうとした時に、そして自分がその死に思い切って飛び込もうとしたんですね。
39:00
でもその時にその一瞬でした。自分がその地に飛び込んで入ろうとした時に、ものすごい恐怖感に襲いかけられて、死ぬことじゃなくて、死の彼方にある暗黒の恐怖の世界がある。
それが何なのか、正体は知りませんけれども、確かに死の向こうには暗黒の深い世界がある。それがもう怖くて、ものすごい恐怖感を感じてですね、彼は神様のことを聞いたこともない。
神様の皆を読んだこともない。そんな彼がですね、その死の直前でした。死の直前、その死の寸前ですね、その暗黒の恐怖を、地獄なんですね、地獄の恐怖を見たわけなんですね。
それでですね、今もう人生で一度も読んだこともない。そしてですね、もう何の力も記録もないのに、その無い記録を絞りつくってですね、自分の人生を死が飲み込もうとしたこの時に、神様助けて下さいと一言叫んだそうです。
このままで死ぬことが嫌です。もういいし、このベッドの上で寝たきりでいいですから、私を生かして下さい。そして生きてよかったと感謝して、死ぬことができるように死なせて下さいと、この言葉だけ叫んだんですね。
自分の意思ではなかった。神様の皆を呼ぶこともなかった。そんな彼が不思議にも叫ぶことができたんですね。
その神様助けて下さいと叫んだ時に、何で自分が叫んだのか、それもわからない。恐怖に襲われて、その時にその神様助けて下さいと死の寸前でした。
その時にまるで天女の上から大きな穴があふられて、その上から天女が突き破られて、自分の体に、この弱り果てている体に大きな不思議な生命の力が注い込まれることを感じた。
それが何度もあった。それでその時に一瞬に襲いかけられてきた死の恐怖が見えてしまったんです。
ずっと何ヶ月も寝たきりで半身を起きあたることすらできなかった彼が、不思議な上から生命力の力が注い込まれて、なんとベッドの上から半身を起こすことができた。
42:05
それでベッドから降りて立つことができた。自分も不思議だった。何ヶ月も寝たきりだったんです。あちこちにホースがついている自分が、いざも諦めていた自分が起きて立っている。
それで冬の夜だった。それで病院の階段を登って屋上に行って、その冷たい空気を自分の鼻で吸い込むことができて、自分が生きている、そしてこの屋上まで登ってくることができた。
そこで神様に賛美して、自分が一度も神様なんていないと思い込んでいた自分が、皆を崇めることができたんですね。
そこから彼の発薬官の病気は、肺炎はなくなって、自分がいつか復出しようと思っていたその養母はまだ生きていたわけですから、養母と出会って、許すことができなかった自分ですけれども、不思議にも許すことができる力が家から注がれて、そして養母も仲直りして、若いわけです。
そこから伝道者に牧師へ召されて、今牧師になっていらっしゃるんですね。その証はこの本になって、私は偶然、正直に言いますと何かいい証があればいいなと祈っていました。
その神様がいたところに、この本が新学校の食堂のテーブルにあって、見ていたんですね、ある方。それを叩かせて思い出して、そうですか、それを読んでみたら、私が祈っていた証がこの中にあった。
皆さん、神様は言って、死の向こうの下には深いところがあるんです。その神様は愛を持っている。そのイエス様を育成することができる素晴らしさを私たちに与えてくれます。その恵みを自分のものにする、それを受け入れることなんですよね。
今日の御言葉にあるように、神様の素晴らしい計画は、私たちに災いを、問題を、試練を与えるのではなく、将来を、希望を与えるものであります。
最後にもう一つの動画を見ていきたいと思うんですけれども、これは四つの法則という神道の救いの、本当に素晴らしくまとめていることですけど、この砂ありますね、砂。
45:07
サンドアートという素晴らしいアートですけれども、きれいな動画ですね。
これを今から見ていきたいと思いますので、どうぞ。
見てください。
52:13
ありがとうございます。
52:16
メッセージをまとめたいと思いました。
皆さん、本当にそうです。神様はあなたを愛しておられ、あなたの人生に素晴らしい計画をお持ちです。
その計画は、今日の御言葉にもあったように、私はあなた方のために立てている計画をよく知っているからだ。
それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだと思います。
さっきもありましたように、皆さんがどんな言葉で祈るかよりも、その心の中心を見ておられます。
今からお招きの時をお持ちたいと思いますので、皆さん、目を閉じていただいて、
静かな祖学のうちに、イエス様のお招きに応答しようではありませんか。
教会の方々は、鳥なしの祈りをしていただきたいと願っております。
御言葉によりますと、身を私はその外に立って裁く。
誰でも私の声を聞いて、扉を開けるなら、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。
54:10
人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっていると聖書は言っています。
そして、使徒は心に信じて義徒を認められ、口で告白して救われますとあります。
目を閉じていただいて、心から少しでも、ほんの少しでも、イエス様を信じたい。
私も彼のように素晴らしい人生を歩んでいきたい。
永遠の命を得たい、手にしたいと、そういった思いが少しでもあるならば、
今から先の祈りの文章ですけれども、私に続けて心から信じて、告白しようではありませんか。
イエス・キリストに人生をおゆなげしようではありませんか。
世界の三分の一がイエス・キリストを信じています。
少しでも告白したい思いがもしもあるならば、従っていこうではありませんか。
では、告白したいと思う方は、私の言う祈りに続けてお祈りくださればと思います。
主イエス様、私はあなたを必要としています。
私の罪のために十字架に死んでくださったことを、真摯感謝します。
今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。
私のすべての罪を許し、永遠の命を与えてくださり感謝します。
私の王座で、私の人生を導いてください。
あなたが望んでおられる、そのようなものに変えてください。
イエス様の皆によってお祈りします。
57:01
では、皆で今日のメッセージを覚えて、御言葉を覚えて、恵みを覚えて、
皆心から一緒に手を合わせて、恵みを伝え求めて、
かたかたはもっと素晴らしい神様の恵みを体験できますように、
そしてもっと素晴らしい人生を歩んでいけるように、
主よ、恵んでください。祝福をまっくわえてくださいとですね、
願ってお祈りしましょう。
また今日、中国のかたかたの方は、
主よどうぞ、私もあなたが信じたいです。あるいはまだ分かりません。
主よ、お家に行ってください。悟りを与えてくださいと、お祈りを必要ではありませんか。
主よ、お家に静かにお祈りいたしましょう。
その後、私がお祈りします。
主よ神様、あなたの素晴らしい計画は私たちに生かす。
素晴らしい計画です。
主よ、神の恵み、あなたの恵みが私たちに与えて、
無害の計画は災いではなく、平安であり、
希望であり、喜びであることを本当に教えていただき、ありがとうございます。
主は生きておられ、そして一人一人に素晴らしい計画を持っておられることを、主よ教えてください。
ありがとうございます。
どうぞ主よ、我々一人一人を、あなたの愛をもって主が豊かに祝してくださいますように、
お願いをいたします。
どうぞ主よ、本当に必要です。
本当に必要です。
あなたが悟りを与えてください。
教えを与えてください。
主よ、どうぞあなたが教えてくださいますように、お願いをいたします。
どうぞ神様、あなたの恵みが豊かに祝ってください。
どうぞ神様、帰りましょう。
主よ、我々一人一人あなたを祝して、
導いてくださいますように、
素晴らしいあなたの恵みを体験できますように、豊かに祝してください。
主の恵みを心から感謝します。
どうぞお祈りいたします。
愛する主の神様、
神様は私たちに向かって持っておられる計画は災いではなく、
平安であり喜びであり、将来であり希望であること、
今日も主が確かめてくださり、教えてくださいましたこと、
本当に私の心から感謝をいたします。
そのイエス様の後に捕まっていきたいと願っておりますので、
どうぞ主よ、
今日聞こえのお祈りお祈りの上に、
主の後について七八へ行くときに、
どんなに素晴らしい恵みが、祝福が、平安が、希望が、喜びが待っているのか、
それを私たちが趣味体験できますように、
1:00:00
主よどうぞ一人一人を豊かに作ってくださいますように、
お願いをいたします。
今日も御言葉を感謝します。
御神様の御名によってお祈りいたします。
01:00:17

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