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こんにちは、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。このチャンネルは、このままでいいのかなと感じているあなたへ、自分に向き合い、国家公務員を早期退職した経験と森の力を手がかりに、これからの生き方を描くヒントをお話ししています。
今日は日曜日ということでですね、夜21時15分からライブ配信できたらいいなと思っております。お休み前のひと時、もしお時間がよろしえば遊びに来ていただけたら嬉しいです。
今日はですね、午前中に対応が続きまして、収録が今になりました。
昨日ですね、私は自分の来た道ということでですね、公務員になって、それで初めて採用された労働基準監督署で、20代後半で新人に見えないにもかかわらず、全くいろんなことがわからなくて、涙涙の日々を過ごしていた、そんな話をしました。
今日はですね、その続きをします。
平成17年の11月にね、社会人だったということもあり、皆さんが4月に入るところですね、もうちょっと早く来れるかということでね、ちょっと早めに入った私だったんですが、
結局ですね、11月に入ってですね、なんと次の年の4月の1日には異動になるっていうね、そんなことになりました。
入ってね、わずか5ヶ月っていうことで、もういきなり人事異動で異動になっちゃったんですよね。
これはね、もうめちゃくちゃびっくりしました。
なぜなら、役所は一般的には2年とか、私のところはそんな感じの異動が多くて、時にね、1年で異動とか3年で異動っていうのもあるんですけれども、
多くは2年ぐらいはいて、それで人事異動でどこかにね、移るっていうことが多い役所ではあったんですね、私のところは。
なので、入ってね、わずか5ヶ月でいきなり異動っていうのは、あんまりそんなにないかなっていう。
ただ、これはですね、当時おそらくもう完全に人の配置の都合だけだったと思います。
おそらく私が入った、その最初の監督署は欠員になっていたか何かの事情で、それで私が送り込まれたみたいなところがあり、
で、またいろいろね、大きな組織の人員配置をしている中で、当然ね、新人の私はいろいろな場所にね、コマとして動かされるっていう、そういう立ち位置にあったと思いますので、
で、私はですね、行き先が日本で一番大きな労働基準監督署っていうのがあるんですけれども、東京にですね。
そこの監督署に異動ということを言われて、それで行きました。
最初の人事異動はもうめちゃくちゃ緊張しましたね。
やっと5ヶ月経って、やっと最初の監督署で何がどこにあって、どんな流れで書類が、何をしなければいけないのかみたいなことが、
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うっすらだんだんいろいろ肌感覚掴んできたみたいなね、そんな5ヶ月だった気がするので、そこからまたですね、いきなり知らない場所に行って、それも日本一の大きな監督署ってことで、
なんかもうバーっとね、机がずらりと並んでてスタッフも多くて、それでまたね、なんか担当とかも変わってゼロからっていうのが、もうすごく心細かった気がします。
なんかあの挨拶に確か行った時に、自分の机もまだなんか全然ここに行くことになっているっていうその席が全然片付いてなくてぐっちゃぐちゃだった記憶がすごい鮮明だったんですけど、
なぜならね、大きい組織すぎて、誰かが移動して机の中身とかをどんどん順繰りに移していかないと、要はこの新人私の席のその物品を片付けられないみたいな状態で、
まだここ片付かないんだよねみたいな感じで、そんななったんだと思ってね、なんかすごく心細かったっていう記憶があります。
で、なんか元のところにいたいなって、なんか慣れ親しんだここにいたいなって思いながら、なんか出勤した記憶がありますね、初日とか。
で、またね移動をして、また新しい環境でゼロから、はい、まだ当時は知っている方とかも全然少なくてですね、
5ヶ月採用になってっていうばかりだったから、知り合いとかもまだ全然いない先輩ばかりのところに、20代後半で見た目はね、なんか新人には見えない、ちょっと老けてる、
そんなまだわずか5ヶ月しか仕事をしていない私がいきなり行ったみたいな感じで、1年目、2年目、3年目って結局3年いたんですね、そこには。
1年目は窓口の担当が中心の適用班って言って、労働保険の加入事業主の方ですね、が入っていただくその手続きっていうのを主に扱う、窓口に一番近めの席でそこの対応をするみたいなこと、そんなことをやった記憶があります。
あとは労災の自分の担当番号みたいなのも持って、それで診療費とか休業保障とかを払うみたいなこともやりながらっていうね、そんな感じでした。
2年目はですね、とにかく数をこなすっていうそういう班に配属になって、一般給付班っていうのだったんですが、そこでですね、労災って健康保険証を使えないんですね。
なので皆さんが仕事中にどこかに雇われてて、怪我をする病気になるっていう時に、通勤途中、それから仕事、業務中の場合には、保険証を出して医療機関かかっちゃいけなくて、労災は労災として、労災保険を逆に使わなきゃいけないっていうのがあるんですけど、雇われの場合ですね。
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これで、労災指定病院というところでかかると、保険証を出さずに指定病院に出す請求書というのがありまして、それを病院に出すと、労災扱いで診療費を扱ってもらえるので、要は怪我をされた労働者側はお金の負担なく無料で治療を受けることができるっていうね、そういう制度なんです。
これあんまり知られてなかったりするので、まあまあ健康保険を出して後から労災だと分かって、それの健康保険との生産をするっていう、まあまあ面倒くさいやりとりがあるんですけど、それが結構事務手続きの中では実はありました。
後から労災だということが分かったので、普通病院に行けば皆さん健康保険証を出しますからね、長年の習慣で。だから労災の時に健康保険証ではなくて、労災扱いの請求をしなきゃいけないとか、労災の場合は労災だと言わなきゃいけないということを知らない方がやっぱりすごく多いなと思います。
だけどそういうことで、そうした労災指定病院からの労働者の方が無料で受けた治療に関する診療費の請求みたいなのを、月に多分100件ぐらいまとめて指定病院から来るものを扱うみたいな、そうしたことをやったり。
それ以外にも休業保障といってお仕事を休みしているときの保障とか、怪我された時に後遺症が残った時の障害請求とか、そういったいろんな種類のものをやったり。
認定が若干難しいような職業性疾病的なこと、検証院とか、腰痛とか、そういうのもいろいろと扱いながら、労災のイロハを学んでいくみたいな、そんな時代だったかなと思います。
とにかく数をこなすみたいな、いっぱい書類があって思いながらやっていた、ひたすらひたすらそれが未処理にならないようにこなすみたいな、そういう2年目でした。
すごい思い出深いのが3年目なんですけど、3年目で初めて、私は当時新しくできた班ということで、職業性疾病といって仕事が原因で起きてしまうご病気での労災請求を専門に扱う班、職室班というのに配属されました。
職室班は当時先輩方ばかりで、私はそこに末席で入れてもらえて、すごい私は嬉しかったという記憶があるんですよね。職室やってみたかった。
なぜなら、思いじわんで大変なんだけど、やっぱりここが労災の部門の中では、客行を浴びるような大変だけれども、その分やりがいはすごくあるという、そういうお仕事だったなというふうに思います。
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単的に言うと、脳心臓疾患といって、過重労働ですね。長時間労働とかで、ご自分のある意味、もともとのご病気とかそういうものを悪化させてしまったりとか、なかなか眠れなかったりとかで睡眠時間が少なくなったりすると、脳卒中とか心筋梗塞とかそうしたもののリスクが高まるので、それでご病気になってしまったということを主張とする請求とか、
それからあとはメンタル疾患ですね。精神疾患に関する労災認定ということで、職場での長時間労働もそうですし、それからセクハラ、パワハラ、上司とのトラブル、部下とのトラブル、もろもろですね。
そうしたことによる精神的なご病気、鬱病とか適応障害とかですね、そうしたことを、労災請求をいただいたものを専門に扱う部門ということで、
一件が件数は少ないけどめちゃくちゃ重いっていうね、何ヶ月もかけてその調査をして膨大な資料がファイリングされたものがどさっとあってみたいな、それをやるみたいなことを初めて扱いました。
これは当時の私にはすごいチャレンジングな仕事だったんですけれども、そこに入れていただいてですね、上司の方とか先輩方にいろいろアドバイスいただきながらですね、
仕事を進めていってっていうのはすごくなんか、自分の中でですね、この仕事について初めてなんか、
ただね、ひたすらこなすとかではない深く関わる仕事みたいなことにとても自分の中で充実感を感じていたって覚えがあります。
聞き取り調査とかをね、やっぱりやるんですよね。だから、どうしてそういうことになってしまったのかということで、どういう働き方をしていたのかとか、何があったのかとか、その方がどんな方だったのかみたいなことを、
ご本人にもお聞きしますし、ご本人がもう亡くなってしまっている場合とかはご親族とかに聞いたり、
もちろん会社の方には実態を聞くということで、上司の方とか同僚の方とか、場合によっては部下の方とか人事系の方とか、そうした方にお話を聞くってことで、
これは実際に来ていただいたり、こちらが出向いて、長時間、数時間を及ぶ聞き取り調査をするみたいなことをやってました。
これはそういう意味でですね、非常に重いお仕事でしたし、それを聞き取って話を聞きながら、それを聴取書って言って文章にまとめるっていうことを同時にやるっていうのがあって、
これがなかなか最初は大変だったりするんですけど、このお話を聞いたことを文書にまとめて、それでそれを見ていただいて、そこにそごがなければサインをいただいて終わりになるんですけど、
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もちろんいろいろ手直しとかも入るので、最終的にサインをいただけるまで何度か手直してみたいなことをやるみたいな。
すごい本当に重い事案とかになってみると、ご本人が亡くなっちゃってるっていう、それもご病気で亡くなってしまってるって場合もありますし、
自ら命を絶ってしまったっていうような、いわゆる自殺されてしまう事案みたいなことっていうのも使ったりっていうこともありました。
後から取り返しがつかないっていうところがある話にはなってくるので、非常にこういった聞き取りっていうのは精神的にもやはりなかなかしんどいものがありましたけれども、
ただこういうお仕事とはいえ、いろいろな方のいろいろなお仕事、いろいろな背景の非常に深い部分っていうものをお聞きするっていう、そういう立場を自分が入って3年目ぐらいに経験をさせていただけたっていうのは、
ある意味、今こうした話をお聞きするお仕事、コーチングっていうのを自分がやることになった、ある意味、原点的なというか、そこにつながる部分として大切な時期だったかなというふうには感じています。
ということで、今日は私の来た道ということで、私の日本で一番大きな監督署に配属されたときの3年間のお話、特に3年目の職業性疾病の犯人に属して、そこで非常に深いお話、多種多様ないろいろな方のいろんな業種のいろんな立場のいろんな人の話を聞いたっていうね、
そんなことについてご紹介しました。
私がこの扱っているコーチングに関して、コーチングを学ぶという、そういう意味付けでコーチング講座というのを、無料体験会というのを9月も行います。
こちら9月の5日の土曜日19時30分から、それからあとは9月の17日の木曜日20時からということでご案内しております。
コーチングってどんなことだろうとかですね、今自分がちょっとやってみるということに関してどうなのかなとか、本当に気軽なお気持ちで結構ですので、よろしければ是非無料体験でお話を聞いていただけたらと思います。
あと、まあ単純にですね、この私、安っていう人は一体どんな人なのかということで来ていただくということでも全然大丈夫ですので、ご質問などにも答えしておりますので、よろしければ是非と思います。
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長くなりました。はい、お聞きいただきありがとうございました。皆様もどうか良い日曜日の午後お過ごしください。安でした。