公務員採用後の混乱と業務内容
おはようございます、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。このチャンネルは、このままでいいのかなと感じているあなたへ、自分に向き合い、国家公務員を早期退職した経験と森の力を手がかりに、これからの生き方を描くヒントをお話ししています。
たまきさん、杉広さんとは初めて、私もコラボさせていただく状況ではありましたが、とても和やかな暖かい雰囲気でお話ができました。ありがとうございました。
今日は、私が前回、20代後半に、結構どん底な状況の中、一発逆転をかけて、公務員試験にチャレンジして、それでもう4ヶ月間、寝るまも惜しみ勉強に専念して、何とか滑り込んだこの公務員の世界という、そこで一旦終わりましたが、
ここで滑り込んだ先の公務員の世界という、そんなお話を今日はできればと思います。私が入った役所というのが、厚生労働省の中の株組織で、47都道府県にそれぞれある労働局という、そういう組織でした。
労働局というのは、皆さんが一般的によく聞くのは、ハローワーク、これが職業安定系統という、そういう系統なんですが、こちらハローワーク系、それから私が入ったのは労働基準系統といって、労働基準監督署、こちらの役所です。
私は労働基準監督署と、それから上部組織の労働局というところを、21年間行ったり来たりしながら、役所人生を送っていました。
私が最初に入ったのは、都内の、とある都心部の労働基準監督署です。ここに入ったのが、11月採用という、すごく中途半端な時期でした。
これはなぜかというと、私が既に大学を卒業して、要は社会人で、当時は派遣社員だったので、ある意味、契約が終了すれば、いつでもフリーみたいな状況だったので、
採用された時に、もし4月よりも前に採用になったら来れますか、みたいな打診があったんですね。私は来れますというふうに、その時に答えたので、
そうすると、一般的にはみんな4月採用で、実際、私の同期の方もみんな、その次の年の4月に採用になっているんですけれども、私は一人、ちょっと前倒しに欠員になっているところと思われる監督署に、11月に採用になりました。
どんな状況だったかというと、私以外は当然全員先輩方で、若い方がいらっしゃるけれども、当然その方は私よりも前に入り、経験を積んでいる年の若い先輩がいる、そんな状況でした。
すごく、最初は正直めちゃくちゃ大変だったという記憶があります。
労働基準監督署が一体何をしているか分からない仕事もそんなに知らなかったですし、
労働基準監督署っておそらく皆さんが一般的にイメージするのは、労働基準監督官がいる、監督業務のイメージかと思うんですね。
よく労基に入られたとか、労基がどうのとかっていうね、監督官が何か労働基準法違反とかそれに申告があってですね、労働者側からの訴えに基づいて何か会社の中を調べるとか、
労基法違反に関して是正勧告するとかっていうのが監督官の仕事です。
私は厚生労働事務官って言って、事務官っていう仕事で入っているので、この人たちは通常労災課とかですね、
それから当時は業務課って言って、書務系の部門とか、それから労働局内のいろいろな部門に配属されるっていうことがありました。
私が配属になったのは労災課っていうところで、これはある意味ですね、まさに現場です。
完全に現場ワークで、日々ですね、労災に遭ってしまったという方のご相談、それから書類処理、それから関係各位の方たち、会社の人事系の方とかですね、
それからいろいろと医療機関の方であるとか、その労災請求という書類を受け付けて、それを審査、そして支払い決定、できるものは支払い決定し、
ダメなものは不支給処理するみたいな、そうした一連の業務をやっていました。
それ以外には労働保険の加入といって、労働者の方を一人でも雇った社長さんというか、雇い主は労災保険に入らなければいけないという、
労働保険加入の義務というのがあるんですが、これに関する適用業務といって、加入をいただいた書類処理みたいなこととか、
それから保険料の計算とか、そうしたこととかも一方やるお仕事としてありました。
なので、監督署の労災課の業務というのは、大きく分けると、労働保険に加入をしていただく会社さんの事務処理という適用業務というのと、
あと労災に関するお仕事ということで、労災関係の業務みたいなことがあります。
書類作成と電話対応の苦労
まずですね、とにかく書類を覚えるのは最初はめちゃくちゃ大変だった記憶があります。
その適用関係の書類もいろいろあるわけですね。
労働保険の加入手続きとか申告であるとか、いろいろな書く、その書類の期限であるとか、どこのチェックポイントだとかというのもいろいろあって、
それで受付はこのままではいけないものは問い合わせをするとか返すとかいろいろやらなきゃいけない。
労災は労災の方で、たくさん書類の種類があるんですよね。
労災指定病院といって、労災指定の病院の用紙はこう。
労災の指定を受けていない医療機関の場合は何号とか。
数字があるんですよ。5号用紙とか8号用紙とか、6号とか7号の括弧1、7号の括弧2、7号の括弧3とか、まずパギクりますね。
一覧表にしたものをいただいて、その用紙を見ながら何号用紙の何々っていうのをまず覚えながら、
そしてチェックポイントを少しずつ覚えてということをやっていたわけです。
郵便を受け付けるお仕事を当時の課長さんが、まず郵便から入ると覚えるからって言ってくださって、
それで郵便一緒に開けてっていうのを私もやって、受付員を押して、
それでその後の事務処理をね、これは入力するとか、これは受付して返すとかですね。
そういうのを仕分けをするみたいなことをやり、自分の担当番号みたいなのをもらって、
それでこの労災審査をするっていうことを少しずつ覚えながら、あとはひたすら電話に出るっていうのをやってました。
でも電話に出るとね、訳わかんないんですよね。それはわかんないですよね。
わかんないことがわからなくて、言っていることがわからなくてみたいな、
本当に逆に言えば、相手の方ごめんなさい状態ですけどね、問い合わせをしている役所の人が、
要は何を聞かれているのかがわからない状態でやりますので、最初残念ながらね、
集合して研修するとかも11月採用だからなかったんですよね。
なので、上司の方が3日間くらいパンフレットを使って首っぴきで個室にこもって一応教えてくれたということとかもやっていただきましたが、
ただそれだけですぐに全部覚えて電話対応できるなんてこともなかったので、
電話がかかってきてはひとまず出てみるものの、相手が何を聞いているかがわからず、相手を怒らせるっていうことをまあまあやりましたね。
でも相手の方もそのうちイライラしてきてですね。
最初はね、何かこんなことを聞かれててってね、上司の方にいちいち確認して、それでじゃあこう答えてっていうのをね、
本当に何かね、トリガーの親鳥から何か口移しでもらったものをそのままピッて出すみたいな、そんな状態でやっていたから、
もういい加減にしてみたいな感じで怒られて、もう分かる方出してくださいとか言ってキレられたりとかもしましたしね。
でも半泣きに泣きながらもそうやって怒られましたみたいな。
言うともう最後しょうがないなって言っては変わってもらうみたいな。
なんか私の直属の上司の方はすぐに変わってくれるタイプではなく、
こうね、まず自分で対応して、それでね、本当に困った時に最後変わってくれるっていうタイプの方だったので、
そのいちいちね、少々お待ちくださいつって保留してみたいなことをまあまあやることになったので、
これも相手の方にご迷惑をいろいろかけました。
先輩の中にはね、多分そういうやりとり自体がまどろっこしいときっと思われたんだと思うんですが、
もう最初から電話を変わって、それでもうこうね、代わりに答えて隣で私に聞かせてこんな感じって言って、
耳で聞いて、要は覚えてねっていう、そういう形で私に指導してくれる方もいらっしゃいました。
まあそんなこんなでですね、もう右往左往しながら、当時はわからないことを覚えるということで、
実際に帰りには本をね、なんかQ&A集とかをですね、家に帰ってはもう寝落ちしてしまうので、
帰りに喫茶店に寄ってですね、そのいろんな想定質問されそうなQ&Aに関する本とかを借りてね、
それを読んで帰ったりなんていうことをしていたことをなんかうっすら思い出しました。
まあ振り出しの時にはとにかくそんな感じで聞き回ってですね、いろんな方に迷惑もかけてっていうことをやっていたっていうそんな記憶です。
情けなさと悔しさ、それでも辞めなかった理由
まあなんかとある時、先輩からですね、なんかメンタル強いねって呆れたようになんか言っていただいたんですが、
なんかね、その時はもうメンタル強いとか何かっていうより、もう半泣きに泣きながら、実際にそして泣きながらですね、泣いてましたよね。
泣いたことも何度もあります。もうなんか情けなくて悔しくて、答えられなくて、それで怒られてみたいなことがいっぱいあったので、
もう本当になんか、もうなんか情けない悔しいで、なんか自然に泣いちゃうみたいなことがすごく多かったですよね。
だけどなんか、泣くなんて最低だとか言って、またこれに怒られたりとかして、またなんかうーってなって、もうなんか涙をこらえてうるうるさせながらみたいな、
なんかそんな時代だったなと思います。
まあそこのね、11月採用から最初の3月ぐらいまでは本当にね、なんか必死でわけがわからない中、うおうさをして過ごしたっていうそんな記憶です。
まあでも、いきなりやめようとは当然思いませんでした。メンタル強いねって言ってもらって、全然強くないって思ったけど、
でも、だからね、なんか辛いからもう薬性にね、やめるなんてことは当然当時は思わず、
もうやっと掴んだね、自分のきっぷ、これでなんとか暮らしていけそうって思えた、
そのね、自分のなんかある意味ね、これまでと違う人生を歩み始めた自分を、
どうにかね、ここでとにかくなんとか生きながらえるために私は仕事を覚えるしかないって、もうその一心だけだったっていうふうに思います。
はい、そんな私の公務員になりたてのね、振り出しの20代前半についてお話ししました。
お聞きいただきありがとうございました。皆様もどうか良い1日をお過ごしください。
ヨシでした。