#899  母誕生会と目黒雅叙園
2024-10-12 07:34

#899 母誕生会と目黒雅叙園

母が自らプロデュースした誕生会。
目黒雅叙園についてお話ししました。
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おはようございます、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。このチャンネルは旅好きのやすが、人生楽しく生きるをテーマに、旅のことや日常の試行錯誤を、現在進行形でお話ししているチャンネルです。
私の母という人はですね、結構個性的な人でですね、自分の誕生日を自分でプロデュースする、自分軸がかなりしっかりした人なんですよ。
今年は、母が自ら企画したプランというのが、劇団式のミュージカルを見て、都内の素敵なホテルに泊まる、こういうプランでした。
それでね、私それに参加をしてきたので、その話をしたいと思います。
母が選んだホテルっていうのが、目黒にある雅叙園っていうホテルでした。
私正直ですね、雅叙園のことをほとんど知らなかったんですよね。
結婚式場で聞いたことがあるぐらいでですね、ホテルとしてどんな感じかっていうのを、あんまり予備知識がないままに行ったんですよね。
ネットとかでもよくあんまり見て行かないで行っちゃったんですよ。
そしたらね、行ったらすごい驚きました。
いやー、なかなか豪華だったんですよね。
母はね、自分の誕生日にね、本当に記念すべきということでね、結構思い切って予約したみたいなんですよ。
どんなお客さんが泊まっているのか、私はすごく気になってホテルの方に聞いてみました。
そしたらですね、外国のお客さんが多い。
そして日本のお客さんの場合は、私たちのような晴れの日、何かの記念日だったりお祝い事だったりに使うっていう方が多いそうです。
正直ですね、朝ビュッフェ会場、朝食会場に行った時には、ほとんど外国の人でした。
なんか日本の明らかにね、純ジャパなファミリーっていうのはね、もう私たちぐらいな感じがしましたね。
一見アジア風の日本人って思ってもね、なんか会話が日本語じゃなかったりっていう雰囲気でね。
働いているスタッフの方も外国の方が多いですね。
なので着物を着た外国の方が接客してくれたりっていう、そんな感じでしたね。
こちらのホテルはコロナの前にね、インバウンド需要を見越して、だいぶその方針をね、そちらに振っていたみたいなんですが、
コロナの時に結構ダメージを受けたみたいですが、今またそういったお客さんが戻ってきてっていうことみたいです。
ホテルの中のね、いろいろなアートツアーみたいなのをやってくれて、
そこでホテルの美術品を見せてもらったり、それから歴史について説明をしてもらったりっていう、なかなか興味深いものがあって、それに参加したんですよね。
そこで教えてもらった、この芽生園の歴史っていうのが、私はすごい面白かったです。
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この芽生園の商業者の人というのは、石川県の農家の六難坊さんだそうなんです。
当時ね、昭和の初期の時代にね、農家の六難坊といえば、もうどこかに出ていくしかないと。
で、東京のお風呂屋さん20代でデッチ暴行に出た。
そこからですね、その商業者細川さんという方は、商売の才覚があったんでしょう。
あっという間にお風呂屋さんを任されるようになって、それでいろいろお客さんとのつながりの中から土地を買ったりして、不動産に目をつけて、それで寮邸を開いた。
この寮邸っていうのが芽生園の最初の前身になるようです。
で、この寮邸というのは、庶民でもお大事に気分を一日こう味わえるようにということでね、
素敵な美術品をお部屋の中に飾ったりとか、はい、というようなことでね、豪華な内装になっていたということだそうです。
それで、そこのお話の中で、私あんまり知らなかったんですが、芽生園がどうして結婚式場ってイメージがあるのかなっていうところについて、
この芽生園の細川さんが、総合結婚式場というのを日本で初めて発明したっていうことらしいんですよ。
これどういうことかというと、今や結婚式場の中にチャペルや神殿があって、写真室と衣装室があって、そして宴会ができる。
これがいわゆる結婚式場のスタンダードだと思うんですが、昭和の初期の時代にはそんなものはなかったと。
つまり結婚式といえば神社に行って神殿でお祝い、そしてもちろん支度は支度で別にして、そして宴会は宴会でこの宴会場に来ると。
結局、あっち行ったりこっち行ったりで忙しいし、大変なわけだったわけですね。
それを創業者の人は見ていて、この施設内で全部完結してしまえばいいんじゃないかというふうに集中化することを思いついて、実際にそれを実行した初めての人なんだそうなんですよ。
なので、芽生園といえば結婚式場という、結局ご自分のところで宴会をするに合わせて、結婚式ができるように神社から三玉を分けてもらって神殿を作って、写真室、衣装室をもろもろ揃えてということで、
神老、神父並びに関係の方々も一同にそこに来れば結婚式が全部終わるというシステムを作ったそうなんですよね。
この話は知っている方はそうそうという感じだと思うんですが、私あふれ全然知らなかったので、こうやって今や当たり前のシステムを当然最初に集中化して、そこで全部完結するようにということを昭和の最初の時代に考えたというのはすごいなと思いました。
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お聞きしたところでは、昭和の最初の子供の時代で、1日に百何十組って言ってたかな、最大そういう記録が残ってたりするそうです。
お聞きした後ツアーの話の中では、昭和の最初の時代には、昔はお見合い、結婚みたいな形で、本当に結婚式で初めて顔を合わせるみたいなこともあったそうなので、
そういう百何十組でごった返している中、初めましてみたいな結婚式が当時はあったのではということで、はぁと思いました。
こうやって母が自らプロデュースしてくれたお誕生会に私も参加することによって、また東京に住んでいながらも知らなかった歴史を知ることもできたし、
またこうやって父両親と過ごす時間というのは、本当にいつまでもないなと毎回思うので、ありがたい時間と思って過ごしてきました。
今日はですね、私の母が自らプロデュースした誕生会、そんなお話の中からね、目黒合授園の歴史っていうものを知って、
平穏と思った、こういうアイデアマン、昭和の時代にいたんだなということでお話ししてみました。
最後までお聞きいただきありがとうございました。安でした。
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