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はい、こんにちは、アポロです。今日も音声を聞いていただきありがとうございます。
今日はですね、ブログ初心者とか、初心者ブロガーについて話していきたいと思います。
Twitterとかを見ていると、私はブログ初心者ですとか、初心者ブロガーですっていうふうにね、自分のことを自己紹介している人って結構いるんですけど、
そういうふうに自分のことを定義付けるのは、本人にとってはそんなにあれなのかもしれないですけど、
個人的にはあまりお勧めしないというか、なぜかというと、自分のことを初心者というふうに言うとですね、それが自分のセルフイメージになるからなんですよね。
日本って謙遜の文化があるから、あんまりデシャバったことを言うと叩かれたりしますよね。
自分のことを下げてというか、控えめに言って、それで調和を保つみたいな文化があるんですけど、結構謙遜することってあると思うんですよ。
褒められたときに、いや、そんな自分はまだまだですとかね、というふうに言うことがあると思うんですけど、言葉ってすごい強力な力を持っているので、その言葉によって自分自身が洗脳されてしまうわけですよ。
例えば、あなたすごくかっこいいですねって言われたときに、いや自分なんか全然かっこよくないですよって言ったら、その言葉を一番聞いているのって自分じゃないですか。
そうすると、いや自分はかっこよくないっていうふうな洗脳がかかってしまうわけですよね。
なので、嫌われないっていう面においては、そういうふうに自分のことを下に言って、周りの人に敵を作らないっていうのは有効なのかもしれないですけど、その代償があまりにも大きすぎるわけですよ。
例えば、初心者ですみたいなことを言うと、自分のことを初心者と洗脳しているわけですね。
人間ってセルフイメージ通りの振る舞いをするので、自分は初心者ですっていうふうに言うと、初心者としての振る舞いをするわけですよ。
初心者ってそういう成功者とか、そういう人たちと対局にある存在なので、初心者として振る舞えば、当然そういう小さな結果しか得られないとか、もしくは全く結果が出ないという状態になるので、
それを自らそういう状況を作ってしまっているわけですよ。
自分のことをそういうふうに初心者ですみたいなことを言ってしまうことによって。
多くの人は嫌われるのが怖いので、そういうふうに自分のことをすごく卑下して言うことがあるんですけど、
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それって人生っていうすごく大きな観点から見ると、かなりマイナスになっているんですよね。
別に誰かに嫌われたとしても、別にいいじゃないですかっていうかね。
全員に好かれる必要はないんですよ、世の中の人全員に。
特に会ったこともないような見ず知らずの人に嫌われたとしても、人生に何ら影響はないじゃないですか。
それを嫌われるのが怖いからって言って、そういうふうに自分のことを卑下に言ってしまうことによって、
本来手にできるかもしれない結果が手に入らないっていうふうになってしまうわけですよ。
特に私は初心者です、初心者ですみたいな感じで言うと、それが本当にどんどんどんどんセルフイメージが強化されてしまって、
ますます私は初心者っていうのが、現実は強化されていくわけですよね。
自分が初心者だったら思い切って行動できないじゃないですか。
例えば、僕が常日誉を推奨している自分のコンテンツを作って販売しましょうみたいなことを言ってるんですけど、
初心者だったらそういうことってなかなか怖くてできないじゃないですか。
こんな初心者の自分が自分の商品を作って人に売っても大丈夫だろうかって思うと思うんですよ。
だからそういうセルフイメージを持っている限り、なかなか一歩が踏み出せないってなってしまうわけですよね。
他人から見て初心者かどうかっていうのは人それぞれ基準が違うわけですよ。
ここからここまでが初心者で、ここからここまでが中級者とか、ここからここまでが上級者とかって明確な定義ってないじゃないですか。
人によって物差しが違うし、だから結局自分が初心者なのかどうかっていうのは人によって変わるわけですよ。
自分がめちゃくちゃできると思ってたとしても、ある人からすればお前なんか全然初心者だよって思われるかもしれないし、
逆もあるかもしれないですね。自分はまだまだだって思いつつも、他の人からするとすごいですねあなたっていうふうになるかもしれない。
つまりそういう認知というか人からどういうふうに思われるかっていうのは相対的なものなんですよね。
その立場によって変わると思います。相手の立場によって。
例えば自分のことを父親、子供からすれば自分は父親になるけども、奥さんからすれば自分は旦那になるし、
親からすれば自分は子供っていうふうになりますよね。相手の立ち位置によって見え方が変わるわけですよ。
つまりその自分という存在自体はすごく形のないものなんですよね。
だからわざわざそんな自分でそれを定義づける必要もないわけですよ。
それによってすごく制限思考が生まれてしまって、行動できなくなったりとかっていうのがあるので、
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ブログだけに限らず何事も謙遜して、私はまだ初心者ですみたいなことを言っても、
それって何か得あんのかなっていうふうに思うんですよね。
別に堂々としていればいいじゃないですか。
特にブログなんていうのはビジネスなわけですよ結局。
僕競争とかで物事を考えるのは好きじゃないというか良くないと思うんですけど、
一種の競争みたいなもんですよブログって。
それで例えば戦国時代だと思ってくださいよ。
戦国時代でみんなが生き残るために必死に戦ってるじゃないですか。
その中で私はまだ駆け出しの武将だからちょっと手を抜いてくださいとか言わないじゃないですか。
駆け出しだろうがベテランだろうが同じ戦場で戦ったらもう一人のソルジャーなわけですよ。
だからそんなこと言っててもしょうがないんですよね、ビジネスでも。
実際にあなたがビジネスを推してお客さんの前で、
いや私まだビジネス駆け出しなんですって言わないじゃないですか。
そんなこと言ったらお客さんも不安に思うし、
お客さんからしたら初心者だろうがベテランだろうがお金払った以上同じプロなんですよね。
だからそういうことを気にしてたらパフォーマンスが下がるというか、
自分にとってのメリットってほとんどないんですよね。
唯一あるとすればあんまり叩かれないで済むっていうね。
叩かれないで済むっていう人間は所詮目立ってないというか、
どうでもいい存在というかね、どこにでもいる存在だからこそ叩かれないというふうになるわけですよ。
どっかでも言ったと思いますけど、
インターネットで駆け引いたければ最低限目立つ必要があるわけですね。
自分が目立ってくるとどうしても一定数自分のことを叩いてくる人間が現れるんですよ。
でもそれって決して不名誉なことじゃなくて、むしろすごく名誉なことなんですよね。
一番良くないのは叩かれることすらしないというか、
もう認知すらされてないというのが一番悲しいことなんですよね。
そんな人いたっけみたいな。
そういうふうに思われるのが一番悲しいこと。
誰かの言葉でありましたけど、
銅像?銅像じゃなくてもいいですけど、
そういう偉い人の像ってあるじゃないですか。
そういうのって批判される人の像はあるけど、
批判する人の像ってないんですよね。
歴史を変えてきた人たちは常に批判される側の立場の人間で、
批判する側っていうのは一切歴史に名を残さないとか、
むしろ大衆として時代に翻弄されていく人ばかりなので、
嫌われたくないとかっていう思考は、
むしろそういう自分が時代を変えていくっていう側に立てなくなってるわけですよ。
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そういうことをすることによって。
すごくもったいないと思いますよね。
あと、ブロガーっていう肩書きですよね。
そんなにみんな考えてつけてないと思うんですよ。
Twitterとかで何とか自分のアカウント名、ブロガーみたいなの書いてる人もいると思うんですけど、
それもまたセルフイメージになるというかね。
例えばブロガーっていうふうに打ってしまうと、自分はブログを書く人になっちゃうわけですよ。
だからその後に通知が効かないというか、
例えばコピーライターとか、コンテンツクリエイターとか、プロモーターとか、
いろいろあるじゃないですか。
アピリエーターもあるのかもしれないけども、
いろんな可能性があるんですけど、
私はもうブログ屋さんですってなっちゃうんですよね。
別にそれでもいいとは思うんですけど、
どうしてもいろんなもの試して、
自分にはブログが一番合ってるなっていうんだったら、
そういうブロガーみたいな肩書きもいいのかもしれないですけど、
最初からそういうふうに決めつけてしまうのもすごくもったいないというか、
もしかしたらYouTubeのほうが向いてるかもしれないし、
いろいろ人によって適性が違うわけですよ。
だからあんまり自分で自分のことを定義づけないというか、
っていうことはすごく大事だと思うんですよね。
自分は何者にでもなれるんですよ。
コンサルタントですって言えばコンサルタントになるわけだから、
別にそれで実際に何か資格がいるわけでもないし、
どういうふうなセルフイメージを持つかなんですよ。
それによって得られる結果が変わるので、
あまり自ら自分を下げるような定義づけはしないほうがいいと思います。
では今日のお世話は以上です。
最後まで聞いていただきありがとうございます。