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はい、皆さまおはようございます。
このラジオでは、片付けコンサルタントのまっちゃんが、自分の心のワクワクで世界をつくるおテーマに、
片付け・シンプルライフ・日々の学びについて、ほぼ毎朝10分よろく話をしていきます。
はい、今日も少し鼻声ですいません。
先日、バイト先の人たちとタガタ神社に初詣に行ってきたんですけれども、
そこの神社には今まで行ったことなくて、タガタ神社に行こうよって話が出たくらいだから、
まあ立派な神社なのかなと思ったんですよね。
伊勢神宮までは行かないけど、そんな感じの大きい初詣にふさわしい感じのね。
だから、大きくてすごい立派な神社なんて聞いたら、
そうだよ、すごく大きくて立派な神社だよって、なんかニヤニヤしながら言われたので、
どういう意味なんだろうなと思って、大きいのかなと思いながら行ったらね、
ニヤニヤされている意味がわかりました。
はい、ぜひ、ちょっと理由はここでは言わないので、調べてほしいんですけど、
すごくユニークな神社で、すごい面白かったです。
すごいユニークな神社だったんですけど、すごい歴史が長いみたいで、
石板とか読んでたらね、弥生時代から続いているみたいなんですよ。
神社って歴史が長いとかすごい長いと思うんですけど、
弥生時代ってと思って、すごく感動しましたね。
すごくユニークな神社なんで、
このユニークさを弥生時代の人が考えて作ったんだと思って、
すごいびっくりしましたし、
私はあの辺の時代好きなんですよね。
卑弥呼とかね、
立原式住居とか、
貝塚、貝塚は縄文のかもしれないですけど、
縄文とか弥生とかすごい好きなんですよ。
どこから先かっていうと、歴史を学ぼう。
一番最初に小学校の時に学んだのがその辺だと思うんですよ。
その辺で私の歴史のストック量が終わったんで、
その辺まではすごくよく覚えてて、
テストもこの辺までは自信を持って取り組んでたんですけど、
ここから先は全く覚えてないですね。
大人になってからストーリー的な感じで、
勉強というか興味を持ち始めたら面白いなと思いましたけど、
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教科書に地面で載ってる歴史はなかなかね、
縄文弥生ぐらいで一杯一杯に私はなりましたね。
というわけで、たがた神社、ぜひググってみてください。
おーってなると思うので。
今日のテーマなんですけど、
今日はですね、
みすぼらしいとか貧乏くさいの定義についてお話をしようと思います。
ちょうどね、会話の中で、
貧乏くさいって最近言わないねって、
友達と話してたんですよ、その時にね。
最近確かに貧乏くさいって、
いわゆるちょっとタブーになっているというか、
昔ほどなんですかね、
物質的に豊かになっているから、
使う機会が少ないっていうのもあると思いますけど、
まだ私が子供の頃って貧乏くさいって日常会話で言ってたりとか、
テレビとかでもいじりのお笑いの一つでも言ってたような気もするぐらい、
貧乏くさいって聞いてたような気がするんですけど、
最近確かに言わないなぁと思って、
貧乏くさいとか、みすぼらしいとかもあんまり言わないかなって思ってたんですよね。
よく私が母に言われてた気がするんですよ、
その格好、みすぼらしいからやめなさいとか、
ビロビロの下着着続けるのは貧乏くさいし、
みすぼらしいからやめなさいとか、
やめる、やめなさいっていう文の公文でよく使われてたなぁと思って、
最近言わないなぁと思ったんですよね。
でも片付けをしているときに、
この物を大切にするっていうマインドがすごく大切になってくるし、
最近SDGsっていう話もあるし、環境問題とかもあるし、
物は大切にするに越したことはやっぱりないんですけど、
この物をすごく大切に使う、最後まで使い切るっていう概念と、
みすぼらしいとか貧乏くさいってすごく、
ちょっと神一重な気がするんですよね、私は。
だからちょっと考えてみるのもいいのかなと思って、
私なりの貧乏くさいとかみすぼらしいとかと、
物を大切にするとかの違いについてちょっと考えて話してみようかなと思ったんですよ。
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以前、私の友人が、ゼーンスーさんっていう有名な、
あの方ってどういう職業なんだろう、
ラジオされたりとか本を書かれたりとか、
エッセイストなのかな、文章とかね、
すごい書かれている方が、
このことについてラジオで話されていたこともあるんですけど、
私の感覚としてはですね、
貧乏くさいとかみすぼらしいは、
見た目がうんぬんっていうよりかは、
受け身なのか、
主体的なのかだと思うんですよ。
例えばですけど、靴下をすごく大切に使いたいっていう方がいらしてですね、
靴下に穴が開いたとします。
靴下に穴が開いているものをずっと履き続けてたら、
たぶん100人中98人ぐらいは、
それを貧乏くさいとかみすぼらしいって思うと思うんですよ。
ただ本人がどう思うかなんですけど、
穴が開いた靴下を履いている本人は、
そのものをすごく大切にしているって感覚で履いているのか、
ちょっとみすぼらしいなって思って履いているのか、
どっちなんだろうって考えたときに、
人にどう思われるか置いておいて、
穴が開いてるけど、
ちょっと嫌だけど、
なんかもったいないし、
次の靴下買うお金も出したくないし、
もっとこの靴下を、
なんかなんだろうね、
穴が開いてるんだけど、
そこまで意識が行ってなくて履いているみたいな。
例えばタイツとかも伝染してるんだけど、
伝染してるなぁと思いながらも、
そこまであんまり意識が向かなくて、
なんとなく履いていると、
私はみすぼらしいとか、
貧乏くさいになると思うんですよ。
古くなってたりとか、
穴が開いてたりとか、
かけていったりすることに、
気が向いてなくて、
そのまま放置をしている状態が、
貧乏くさいとかみすぼらしいに、
見えてくると思うんですけど、
そうじゃなくて、物を大切にしているとか、
最近で言うヴィンテージみたいなこととか、
あの人ってすごい物を大切に、
物を大切に長く使い続けてていいで、
みたいな感覚になるのは、
はい、すいません。
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あまりにも鼻が詰まってたんで、
一回リセットしました。
最後ドラえもんみたいな声になってたんで。
どこまで話したっけ?
タイツの伝染とか、
ストッキングの伝染とか、
コップがかけてたりすることに、
気づかずに、なんとなくそのまま使っていたら、
多分それは貧乏くさいとか、みすぼらしいとか、
そういう風に思われたり、
自分的にも多分使っている時に、
かけてるなーとか、穴が開いてるなーとか、
気づいていないんだけど、ふとした瞬間に、
思ったりしながら、
納得しないままふわーって使っている状態が、
多分貧乏くさいとか、みすぼらしい、
っていう感じになっていって、
どっちかというと、
物を大切にしている感覚とか、
ヴィンテージみたいな感覚とか、
あの人ってすごく物を大切にしているねって、
客観的にも、
別にどう見られるかは、
そんなに気にしなくてもいいと思いますけど、
客観的にも、あの人はみすぼらしいねじゃなくて、
あの人はすごく物を大切にしている人だねって、
受け取られる状態っていうのは、
そういった穴とかさ、
ストッキング電線とかさ、
物がかけていることに気づいて、
そういうことに対して、
手入れをしているとか、ケアをしている状態だと思うんですよ。
なので、私が考えた結果の、
そういった貧乏臭いとかみすぼらしい物と、
物を大切にしているとか、
ヴィンテージとか、
物に愛着がある人の、
違いっていうのは、
そういった、
経年変化とか、
かけていることとかに、
ちゃんと気づいて、そこに目を向けて、
手入れをしているかどうかだと、私は、
定義します。
今、ポッドキャストで話しながら気づきましたけど、
定義します。
なので、
物を自分は大切にしたいから、
取っている人もいると思うんですけど、
それってちゃんと自分は、
手入れをしているのかどうかっていうのが、
自分っていうか、
手入れをしたいって思えるぐらいのものなのかっていう、
自分のエネルギー度合いとか、
愛着具合みたいなのも、
一つ手放すこととか、
なかなか悩む人は、
基準にしていただけたらいいんじゃないかなと思います。
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はい。
やっぱりね、
自然とかもそうですけど、
やっぱり、
人間と一緒に生きていくっていうのは、
そのまま放置すればいいってものって、
ほぼほぼないと思うんですよ。
自然も放置がいいみたいに思われていると思いますけど、
人間と共同するための山とか、
自然っていうのは、
手入れをされているから、
やっぱり手入れしないとね、
いろいろ問題が起きてくるし、
いろいろ、
物も自然も人もバランスが取れなくなってくるので、
お互いが居心地がいい状態で、
生活を成り立っていくためには、
お互い歩み寄っていかなきゃいけないから、
手入れとか、そういうものっていうのはね、
必要だと私は思うんですよね。
放置とか、ありのままとか、自然そのままが、
必ずしも絶対的にいいとは限らないと思うので、
今日はそんな、
貧乏くさいの定義について、
お話をしました。
皆さんなりの、
その辺の定義とか、もしあったら、
教えてほしいです。
そういうのの違いとか、人との違いとか、
ぜひぜひ教えてください。
では、また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
今日も一日、味わい尽くしてください。
貧乏くさいってどの瞬間に思うだろうとか、
考えながら生活してみてください。
では、また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ではでは。