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2023-12-16 14:30

片付けであるものもをないものとせずちゃんと全部拾い上げてあげる

小さくてもそこにあるなら拾ってあげてください。                  ライン公式限定のミニポッドキャストは下記のリンクから。                                                        まっちゃん/片付けコンサルタント                        ▷まっちゃんのリンクまとめ                         https://msha.ke/matchan ▷片付けで自分の心のワクワクさせる。そんなお手伝いをします♡                               ▷頑張って片付けても世界がワクワクしない人へ
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はい、皆様おはようございます。このラジオでは、片付けコンサルタントのまっちゃんが自分の心のワクワクで世界をつくるおテーマに、片付け、シンプルライフ、日々の学びについてほぼ毎朝10分ゆるーくお話をしていきます。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は昨日の夜に、夜中に、とことこマクドナルドまで歩いて、アリを食べました。グラコロをね、食べました。
私、季節をすごい楽しむのが、片付けをしてから好きになったんですけど、それって日常のその普通、普通ってすごくいいことですよね。平和な、淡々とした毎日の中での小さな喜びとか特別とかをこう、つくる、拾い上げるためには、
一番季節にのっとって、その自然の流れとかにのっとって動くのが一番、なんていうんですかね、考えなくていいというか、変化があるんですよ。だからまあ昔のね、あの人間とか日本人とかっていうのは、その季節の移ろいを和歌に読んだりとかしてたんですよね。
江戸時代じゃないか、平安時代の時のね、生活ってすごい、都会の生活はきらびやかなものじゃないですか。人集めてさ、弾を蹴って遊んだりとか、マリカ蹴って遊んだりとか、和歌を読んだりとか、なんかね、暇そうだなーって、ちょっと思ってたんですけど。
でもあなたたちもすごい仕事をしてたみたいなんですよね。でもその中でも、その季節の移ろいを感じながら、日本語、現代語訳にするとちょっとなんか、それどうなみたいな和歌とかも読みながら、日々をね、やっぱ楽しんでたんですよね。
今みたいにゲームとか、美味しいもの、めちゃくちゃ美味しいものとか、刺激的な遊びとかなかったけれども、そうやって日々の中で楽しみをね、自分たちで作ってたんだなって思うと、私らもそれ別にできるじゃんって思ったわけですよ。
何で思ったかちょっと覚えがないですけど、もともとそういうことが好きだったってわけではないので、あえて楽しむためにやり始めたみたいな感じなので、そんなこんなでね、企業の戦略にわざとピヨって乗って、検体機とかグラコロとか食べてきたわけですけども、めっちゃ乗っちゃってますけどね。
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ポッキーの人が乗っちゃってますし。そんな感じでね、美味しかったですっていう話。美味しかったですグラコロ。
今日のテーマは、ちょっとそれにちなんでですね、片付けであるものをないとせず、拾い上げて認めるっていう話をしようと思います。
これ何かっていうと、物もそうですし、自分の感情とかもそうですし、何でもそうですけど、実は持っているものとか、実はもうその環境にあるもの、自分にあるもの。
自然もそうですし、物もそうですし、お金もそうですし、人もそうですけど、それをないものとせず、ちゃんと自分は持ってるんだって認めたりとか、あるものをちゃんと自分の人生豊かにするために使えるようになる。
ただただそこになんか、ゴミのように存在してたりとか、それに対して愚痴を言い続けたりとか、ないものとして生きていくんじゃなくて、ちゃんとそれを自分のために使うって言い方はあれですけど、
使って自分の暮らしとか人生というのを豊かにできるようになる手段としても片付けというものがあるんですね。
例えばですけど、お部屋の隅っこに例えば花瓶があったとします。
花瓶があるなぁって無意識の状態で思っていて、花瓶にほこりがかぶっていたとしたら、それってただのガラクタの一環ですけど、それが片付けでね、あ、そこにあるんだっていう認知をしますよね。
そうすると、あ、花瓶があるということは私は花瓶を使うことができる。
普段から花をいけたいなぁってそういえば思ってた。
みたいなところで、あ、じゃあ花瓶にお花を入れてみようみたいな流れになるんですよ。
これは物だけじゃなくて感情もそうなんですね。
例えば、片付けを通してっていう事例を言ったら、何か本を読んだ時に喜びとかね、喜びとかいい気持ちになるものだけじゃなくて、なんか嫌な気持ちになる本とかね、写真とかいろいろあると思うんですよ。
思い出が詰まったものっていうのは。
その感情を見たくない時って、その本を視界から避けたりとか、開かないようにしたりとか、目にしないようにするんですよね。
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でもやっぱり部屋の隅っことかに置いてたりしたら、ふとした時にそれを視界に入れて、ちょっとこう日常の忙しい時とかに、ふと嫌なことをその本を目にした時に思い出したりとかして、
どんどん嫌になって、どんどん部屋の隅に追いやっていったりするんですよね。
でもその感情に向き合うタイミングじゃない時とか、エネルギーがない時っていうのはそれでいいと思うんですけど、
でも向き合わないと、それってずっと負の不責みたいなものを自分の人生のところに置いてあるみたいな感覚ですよね。
例えば私、ひじきがあんま好きじゃないんですけど、すごい香ってるひじきを部屋の隅っこにお供えしてあるみたいな感覚ですよね。
それは私的にすごい最悪なんですけど、でも時間がないとそのひじきを片付けられないみたいな感じですよね。
でもひじきはそこにいつもあるんですよ。時々ひじきが香るんです。
香るし、好きじゃないものだから、見た目も視界に入るとちょっと嫌な感覚になるんですよね。
自分がすごい好きな本を読んで、家でくつろいでてもひじきが視界に入ってくるみたいな。最悪ですね。
そんな感じで、感情を自分がそのものとか、物だけじゃなくて人とかもそうですし、何か人に言われた時とかもそうですけど、
全般的に自分が何かを目にした時とか、何かしようとした時にどう感じているのかっていう感情を拾えるようになるんですよね。
ちょっと前のヨガのユキコさんともお話ししてましたけど、感情っていうものを拾わなくなるんですよ。大人になると。
なんでかっていうと、特に負の感情ですよね。怒りとか悲しみとか、いちいち拾ってたら疲れるし、社会の中で結構拾ってたらままならないことたくさんあるじゃないですか。
しんどくても仕事しなきゃいけないとか、しんどくても子供の世話とか、パートナーのお世話とかしなきゃいけないとか、そういうこと結構あると思うんですよ。
だから子供みたいに感情を拾い上げて、体で全力で表現したりとか、その瞬間に人に伝える。お腹が空いたとか、仕事したくないとか、今日は嫌なんだみたいなことをなかなかできないし、やってられるわけじゃないじゃないですか。
だから感情を拾うっていうことをね、忘れちゃうというか、やらないようになってくるんですよ。トレーニングでね。でもそれがすごく強くなると、感情があるのに拾わない、無視する。さっきのものと一緒ですけど、そこに絶対的にあるだろうっていうね。
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絶対的なんです。これ多分怒ってるだろうみたいな。怒ってたりイライラしてるだろうっていう時でも、それをないものとしちゃうんですよね。でもあるものをないものとするっていうのは無理なんですね。無理無理無理。
人間もね、動物だから、感情っていうのはあるんですよ。絶対的に。脳の奥の深いところに脳幹っていうところがあって、その辺から感情というのは発生して、大脳変異型っていうね。脳の一番外側の大脳皮質のちょっと内側にある大脳変異型っていうところが、感情をすごい作ってくれる。
感情をすごい作ってるんですけど、そこで自然的に発生するものなんですね。感情っていうのは。動物も発生するから、人間も生きるために発生するんですよ。
怒りとか恐怖とか、そういったものってのは人間とか動物が生きていくために、リスクを回避したりするために生まれるんですけど、それを人間っていうのは、前頭腰っていう人間が人間であることを司って理性っていうものを前頭腰で生まれて、
それが感情を制御してるんですけど、感情っていうのは動物でも人間でも絶対的に発生するもので、それを制御してるから人間なんですけど、ホモサピエンスとか。
でも感情っていうのは絶対的に自然にイヤガオウでも生まれるんですよ。生まれる。動物でも生まれるから。だから感情というものにラベルはなくていいとか悪いとかなくて、ただそれを眼無視するのは無理なんですよ。生まれるからね。
感情を拾い上げるのはすごく大切なんですね。あるからないものとすることは無理で、ただその感情をどう扱うかってのは人間が人間たるものなんですよね。
理性でどう扱うのか、それを行動に出すのか、それを言葉にするのか、制御して自分の中でそれを消費していくのかっていうのは人間ですよ。感情を全部そのまま出せって言ってるわけじゃないんですけど、出したら動物と一緒ですからね。
ただそこに絶対的にあるものをないものとするっていうのはやっぱり難しい。物でも感情でも何でも難しい。
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だったらやっぱあるものをあるものとして、そこからどうするのかを考えた方が効率的って言ったらですけど、
日常をワクワクするためにはすごく大切だと思います。何でもそうですけど、現状を把握して初めてどうしたらいいのかとか、どう動けばいいのかとか考えられるので、
ないものと無理やり自分に思い込ませるっていうのはそれこそSDGsじゃないので、あるものをちゃんと小さくてもどんだけ小さくても拾い上げていくと、
自分今怒ってんだなとか、自分イライラしてんだなとか、自分今逆に嬉しいんだなとか、自分今美味しいと思ってんだなって自分を認めてあげられるというか、
自分の人生を自分でコントロールして、コントロールって言ったらあるんですけど、自分で舵を取って楽しんでいくためにはすごく大切だし、私はそれは片付けですごく学んだことなので、
皆さんもね、ぜひ自分の感情とか、ものとか、目の前にあること、目の前に生じていることをそのまま受け取ってみてください。それが良い悪いとかじゃなくて、そのまま一回拾ってあげて、
そうなんだーって思ってあげてください。今日ちょっと長くなっちゃいましたけど、すごく私が片付けで得た大切なことをお話ししたので、ここまで聞いてくださってありがとうございます。
というわけで今日のテーマは、片付けであるものをないものとせず、ただただそこにあると認めるという話でした。では、週末楽しくお過ごしください。また次回のポッドキャストでお会いしましょう。ではでは。
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