自己分析と自己受容
はい、皆様おはようございます。片付けコンサルタントのまっちゃんです。
このラジオでは、シンプルに自分の日常をちょっとだけ好きになるためのヒントをお話ししています。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ちょっと前のポッドキャストでね、ちょっと上げるのを失敗した回があったんですけど、
すぐに教えてくださる方がいらっしゃって、私はいつも本当に周りに助けられています。
ありがとうございます。できるだけ気をつけますけれども。
でも助けてくださるのは本当にありがたいです。
今日はですね、今日のテーマは、私が最近、自己分析というか、
私考えたりとかに分析したりするのが結構得意みたいって、ちょっと最近気づいたんですけど、
ちょっとそのことに踏まえて、皆さんのためにもなるかなというお話をしようと思います。
というわけで今日のテーマは、自分の嫌なところをまるっと受け入れて、自分の武器にするという話です。
最近流行りの、高校生とか中学生の中で流行っている、
名前忘れちゃったけど、ENFPとかFGPTとか、なんかそういう性格診断みたいなやつあるじゃないですか。
最近はね、血液型じゃなくてああいう診断で、学校でちょっとワイワイ盛り上がったりとかするらしいんですけどね。
ああいう分析とかの説明文にもよく書いてありますけど、自分の長所が、長所って言っても、
自分の中の強い能力的な特性みたいなことって、うまく扱えないと、ちょっと弱みで出てしまって、
かえってそれが嫌いになって、ずっと嫌いで、素晴らしい能力を使えないってことって多々あると思うんですけど、
そういう話よく聞くなーって思いながらも、私は最近まで自分の嫌だと思っていた、
自分の武器、能力を最近やっと受け入れるようになったよって話なんですけど、
結論から言いますと、さっき言ったような分析をするって言ったら聞こえはいいですけど、
アートと自己表現の再考
ダサン的というか、計算をして物事を舵取りをしていく、みたいなところがすごく嫌いだったんですよね。
昔のポッドキャストの回で、私の友人がピュアに助産師になりたいと思って、夢を追いかけて助産師に無事になったのに比べて、
私はダサン的に助産師になりたい、いろんな自分の中での分析をして助産師になりたいと思ったけど、
結局それは心からなりたいものじゃなかったから、分析したけど、結局それは心に従った分析じゃなくて、
人にどう思われるかとか、社会的にどうなのかとか、仕事の内容とか金額とかね、そういう分析を経てのなりたい仕事だったから、
結局心に従った分析じゃなくて、結局ならなかったというか、なれなかったという話をちょろっとしましたけど、
まさにあれの記憶とすごい結びついててですね、自分のダサン的なところが嫌いだったんですね。
最近、友人と話してたことで気づいたんですけど、
今年に入ってから、今年の目標で描いてたことが、ちょっとアートに触れてみたりとか、
エッセイを描いてみたりとか、絵を描いてみたりするって、このポッドキャストでも話してたような気もするんですけど、
そういうことを私テーマに挙げてたんですよ。アートが、アートっていうと幅広いですけど、見たりするのが好きだし、
そういう画家さんに憧れるし、絵を描いてみようかなとか、エッセイね、そういう文章を書くのを褒められることが最近増えてきたから、
絵を描いてみたりとか、インスタで自分のエッセイっぽいものを載せたりとかしてたんですよ。
行動して気づいたんですけど、私はエッセイとか、絵とかで自己表現をしたりとか、表現をしたいみたいな欲が全くないんですよ。
子供の時に好きでずっと絵を描いたりとか、自分の心の中を表現して描いたりしてる人ってもうずっと無意識に描いてるじゃないですか。
エッセイとかも自分の日常の記録を書き留めておきたくて、自然とやってたりすることだと思うんですけど、
それをあえて憧れてやってみると思ったんですけど、私は自己表現をしたいという欲があまりない、脇出てこないので、やってみて気づいたことなんですけど、脇出てこないですね。
ただ今まで絵を描いたりとか、絵を描きたいなと思ったりとか、エッセイを書きたいなって、文章を書きたいなって思うことは多々あったんですね。
インスタでも書いてたし、そういうのはどういう時かって言ったら、自分の自己表現のためじゃなくて、人に何かを伝えたい時とか、その絵を描いて飾るっていう自分の中での目的。
花の絵が欲しいな、でも花の絵を買いに行くのもめんどくさいな、じゃあ花の絵を描いて飾ろうみたいな、すごいダサンの中での、いい意味でのダサンだと思いますけど、目的があって初めてそういうアートを手段として使ってたことに気づいたんですよね。
強みと嫌なところの関係
友達と話もしてて、そういえば子供の時も、友人と話してたんですけど、子供の時も画用紙渡されて好きなように描いていいよっていう授業とか、土をこねて何か作品を作って大会に出しましょうみたいな授業があったんですよ。
うちの地元は陶器が有名なので窯があって、そういう授業があったんですけど、何でも描いてもいいよっていう授業、私すごい苦痛だったし楽しくなかったんですけど、ポスターを作りましょうみたいな、なんかこういう、例えば母の日のポスターを作りましょうっていう目的があった時に、手段として絵を描いたりするのは、書を取った記憶があるぐらい楽しかったんですよ。
粘土細工もね、自己表現のためにとか、自分が好きなものを作るっていう考えじゃなくて、この作品を作ったら表彰されるだろうっていう、すごい横島な気持ちで私作ったんですよね。
何を作ったかというと、その詩のキャラクターを私作ったんですよね。小学校の時に。で、全然入選されなかったんですけど、まだにその作品は私の庭に、おうちの実家の庭に置いてありますけど、だから小学校の時から結構計算高いというか、打算的な子供だったんですよね。
絵が描きたい絵を描くじゃなくて、どんな絵を描いたら大人に認められるのかとか、どんな絵を描いたら人に受けるのかみたいなことを分析しながら描いてた気がするんです。
だから自分の考えをそのまま書く作文とか本当に嫌いだったし、描いてどうなるのかと思ってた記憶があるんですけど、そういうことを踏まえて、そういう自分を思い出した時にね、友達と会話しながらね、うわって思ったんですよ。
めっちゃ嫌いな子やんみたいな、子供の時からなんちゅう打算的なのみたいな、計算高いなって思ったんですけど、ですけど、今のこの片付けのお仕事も、今バイトでやらせている役療法師の仕事も、他にもね、今までの人生の中でバイトでやってたお仕事とか、
全部自分のその計算高いというか、計算をして何か人のために役に立たせてきたかもしれないと思ったんですよね。片付けとかすごい使うんですよね。こういう戦略とか分析とか、人間の動きを分析したりとかすることなので片付けって要は。
なので、自分の嫌なところっていうか、自分の特性ですよね。強く出ちゃう。我慢しててもやめられない能力っていうのは、嫌だなと思ってそれが出ないようにするのは非常に多分もったいなくて、そうじゃなくて自分の武器にして、自分の心に従って何かをするための手段に使ったりとか、人のため世のために使うのはめちゃくちゃいいことだなって。
受け入れることができたっていうお話でした。
例えば、スーパーマンの空を飛ぶ能力があるのに、空を飛ぶことによって人を傷つけてきたりとか、嫌な思いをしてきたけど、その能力はあなたにしかないんだから、
それは自分の心に従う、自分のために使ったりとか、人のために使ったりしたらめっちゃいいじゃんって。もったいないですよね。空飛ぶ能力があるのにさ、空飛ばなかったらもったいないなって客観的には思うので、皆さんも自分のそんな能力ないですかっていう話でした。
大体自分の嫌なところとか嫌いなところと自分の強みって表裏一体だと思うので、むしろコントロールできてないと自分の長所って自分の能力って嫌な方向に出てしまうことの方が、失敗する方向に出てしまうことの方が多い気がするんですよね。隠そうと思っても隠せないものだから。
だから自分の嫌だなって思うところを振り返っていくと出てくるんじゃないかなって思います。もし皆さんも自分のそういうところがあったら、私に教えなくてもいいですけど、優しく包み込んでラッピングしてあげてください。
はい、というわけで今日のテーマは、自分の嫌なところをまるっと受け入れて自分の武器にして自分のためと人のために使っていこうぜ、スーパーパンというお話でした。
はい、では私は子供の頃のダサン的な自分をなでなでしてあげたいと思います。
では今日も皆様一日味わい尽くしてください。
ではでは。