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2023-11-04 09:23

距離を取ったら好きが無くなるわけじゃない

まっちゃん/片付けコンサルタント                        ▷まっちゃんのリンクまとめ                         https://msha.ke/matchan ▷片付けをして、自分の心のワクワクで世界をつくる♡そんなお手伝いをします。                    ▷頑張って片付けても世界がワクワクしない人へ
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▷理学療法士、片付け研究歴=年齢、名古屋在住 
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はい、皆様おはようございます。
このラジオでは、片付けコンサルタントのまっちゃんが、自分の心のワクワクで世界を作るおテーマに、
片付け・シンプルライフ・日々の学びについて発信しています。
はい、皆様おはようございます。
今日はですね、最近ちょっと朝早起きして、お弁当を作っています。
でもね、2日連続全く同じ内容なんですけど、
でもあの、マギワッパのお弁当を買ったんですね、お弁当箱。
だからね、何入れてもね、美味しそうに見えるんですよね。
作ったおかず結構全部茶色いんですけど、
卵焼きの焦げたやつと、
茄子の味噌で炒めたやつと、
あの、十穀玄米入れてるから、
十穀玄米?十穀?五穀米?十穀米?入れてるから、
全部茶色いんですけど、
でもね、美味しそうに見えるし、美味しいんですよ。
そう、だからすごくお弁当作るのが楽しくなってます。
今日のテーマはですね、少し前に友人と話して、
あ、やっぱりみんなそう思うんだっていうことなんですけど、
好きだからこそ距離を取ることもあるっていう話をしようと思います。
これはね、以前ちょろっと話したこともあるんですけど、
人とか、物とか、
同士やることとかもそうなんですけど、
なんか距離がすっごい近すぎた時とか、
なんか執着してるなって思った時とか、
少しこう、やっぱ距離が近すぎると、
好きがね、不快に変わる時ってやっぱりあるんですよね。
だから、好きだからこそ距離を取ることって、
一貫としてどんなジャンルにおいてもあると思うんですよ。
でもそれに気づかなくって、好きだからとか大切にしてあげたいと思うから、
距離をどんどん詰めることってあると思うんですけど、
好きを表現したりとか、好きを伝えるための行動とか発言とかと、
距離感って比例しないと私は思っていて、
少し話は変わりますけど、
私、語学がすごい好きなんですが、
日本語っていうものはね、
あんまりめっちゃ好きって思ったことはないんですよね。
ただ時代劇とか、それこそオーク、
オークめっちゃ好きなんですけど、
あの辺の日本語を聞いた時に、
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初めてね、あの子供の時に、
日本語ってすごい美しいなと思った記憶があるんですよ。
オークはドロドロしてるところもまた別の視点で面白いんですけど、
最近、本でね、少し昔の日本語が使われている、
言葉遣いのある本を読むことが機会が多くてですね、
あと少し年上の方たちの日本語を聞いててすごく思うんですが、
日本語って、いい意味でも悪い意味でも、
最近は悪い意味でとられることが多いですが、
距離を、相手との距離を綺麗にとって会話をする、
すごく綺麗な言語だと思ってるんですよね。
別にそれは英語が嫌だとか、
イタリア語が嫌だとかそういう意味じゃなくて、
日本のこの文化を表現するのにすごく適切な言語だと思ってるんですよ。
それは別にどの国でもそうだと思うんですけど、
だから日本語が昔からある本来の言語としての役割として、
相手との距離感を綺麗に保ちながら、
相手を尊重しつつ、自分も尊重するっていう言語だと思っていて、
だから昔って親子でも、親戚とかすごい距離が近い人でも、
今ではちょっと違和感のあるぐらい、
少し距離のある話し方、
ちょっと敬語が入ったような話し方をされてると思うんですよね。
時代劇とかもそうだと思うんですけど、
私はあまり詳しく言語学を学んだわけじゃないので、
本当のところは知りませんけど、
何も知らない無知の私が聞いてそう思うから、
多分たくさんの方そう感じてると思うんですけど、
その距離感がすごく心地がいいし、
相手のことを尊重している感じもするんですよ。
でも一方で英語みたいなすごいフレンドリーな感じとかも好きなんですけど、
あれはあれで多分英語なりの距離感の取り方とか、
また別の相手を尊重する方法があると思うんですけど、
私が言いたいのはですね、
日本語は相手を一人の人間として尊重して、
立てるような言葉遣いを家族内でもしているから、
好きだから言葉遣いをすごく距離感を詰めるとか、
中までぐいぐい入っていく発言をしていくってわけでもなくて、
やっぱり好きだからこそ、大切にしているからこそ、
距離を取った方が相手のためにも自分のためにもなるっていうことって、
往々にしてあると思うんですよね。
これってたぶん趣味とかもすごく似ていて、
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例えば昔からスキーが好きだったりとか、
テニスが好きだったりして、
すごい好きなんだけど、今はそれをすごくやりたいと心から思ってなかったりとか、
昔は好きだったっていうことでね、
そのいった物たち、スキーのグッズとか、
テニスのグッズとかにすごく執着してしまうことって結構あると思うんですよ。
昔好きだったことってそうだと思うし、
人も本当にそうなんですけど、
それでも不快に思う瞬間とか、なんか違うなって思うときは、
やっぱり一回距離を取った方がいいと思うんですね。
私はこれが人においてなかなかできなかったですね。
それこそ好きな人っていうか恩がある人、
自分を助けてくれた人とか、
お世話になった人に何かを要求された時に、
自分に拒否権があったりとか、
距離を別にずっと詰める必要はないのに、
自分にはNOと言える権限がないと思ったりとか、
自分より上の立場の人とか、
自分より経験がある人とか、
自分のお世話をしてくれた人が頼んできてくれたことは、
自分より賢い人が考えていることだから、
自分が嫌だと思っても、
はいって言わなくてはいけないと思ってたんですね。
なのでそういったところで自分でうまく距離が取れなくて、
結局嫌いになっちゃうかもみたいな感じになっちゃうこと結構あって、
それは私だけじゃなくて、
友人とか前の人の話でもその話って結構よく出るので、
好きだからこそ全部YESって言う必要はないし、
恩に感じてるからこそ全部YESっていう必要もなくて、
距離を取ることでその人のことを尊重するっていうこともありますし、
好きとか尊敬してるからっていうのと、
距離っていうのは比例しないっていうことを改めて思ったので、
今日はその話をしました。
これは物も人も何事もそうだと思います。
だから好きだからこそ近くに置いておかなければいけないってものでもないですし、
別に近くにいなくても感謝をしたりめでたり、
ふと思い出したりすることってできるって思ったらすごく安心しますよね。
距離を取ることに対して。
そんなことを思いました。
では今日もここまで聞いてくださってありがとうございました。
09:00
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ではここまで聞いてくださりありがとうございました。
さっきも言ったかもしれません。
また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ではでは。
09:23

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