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マスコットチャンネル始めていきます。 今日のテーマは敬語をやめたら見えた世界ということについて話をしていきたいと思います。
このチャンネルではNFTマーケティング、デザインのことなどについて話をしています。 今日のテーマ、敬語をやめたら見えた世界ということについて話をしていきたいと思います。
僕は27歳の時に木工の家具とか建具とかを作るための職業訓練校に1年間通っていました。
大学院の時に留学してデンマークにいたんですけど、そこで家具のデザインとかを学んで、
その時に当然のようにデザインだけすればいいんじゃなくて、実際作らなきゃいけなかったんですよね。
作り方なんてもちろん知らないじゃないですか。職人さんとかのそういったことをやってきたわけではないし、木工の機械とかなんて全く知らない状態だったので。
ただ実際に学校でやってたことは作って、最終的に評価を見たのがあって、
そこでどういう風なデザインをどういう風にして、こういう風に考えたものを形にしましたというところまでセットで、
そこで先生たちにいろんな意見をもらうみたいなところだったので、
当然のように作っていて、それこそ素人がいきなり家具とかを作ろうとして、
一応大学の僕が研究室に所属していたところは割とDIYみたいに機械とかを使って切り切ったりだとか、そういったことまではしてたんですけども、
でも本当に専門のそういった家具とかを作るような機械というのはいじったことなくて、それで学校で学んでいた時に、
オーストラリア人の友人が日本のノミって、木を穴を掘るための機械というか道具なんですけども、
その道具をオーストラリア人の方が持っていて、それでその人がこれ日本のなんだよって言ってて、
やっぱり日本というのはそういった作る方の技術、大工さんだったりだとか宮大工だったりだとかというのも世界的に認められていたりだとか、
そういった職人さんの技術がやっぱりすごいんだなということを学んで、なおかつデンマークの有名なデザイナーの方って、
実は作る方から入っている人も結構多くて、作ることとデザインすることというのを割と一体に考えることで、
デザインの方にも反映して新しい案とかを考えたりすることもできるんじゃないかなというふうに思っていて、
それで僕は留学から帰ってきて卒業した後に木工の食欲年校に通っていました。
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そのときに、食欲年校というのは高校卒業した18歳の子から、一応35歳程度までという募集があって、
一番年上の方で35歳の方がいらっしゃいましたね。
つまりそういった18歳から35歳までのバラバラの年齢の人が40人か30人かな、ちょっと人数忘れちゃいましたがいて、
その教室で座学的なものを学んだりだとか、実際に実技的に木工の機械だとか、
あとはさっき話したのみだとかカンナとかを使ったりするということをやっていました。
その中で僕は勝手に決めていたのが、年齢がもう違うんだけど、年齢が違うんだから、
ゼロからみんな同じ条件で習うわけじゃないですか。
だからそこで敬語って使う必要がないんじゃないかなと思ったんですよね。
それで勝手に、もしかしたら、多分そう思っていた人もいると思うんですけど、
自分より年上の人とかももちろんいるわけなんで、
そういった人からするとこうやって生意気でむかつくやつだなと思われる可能性もあるんですけど、
それはそれでいいかなと思って、
それで入学というか入った当時から敬語は使わない。
年上だろうが年下だろうが、年下はもちろん使わないですけど、
年上の人だとしても敬語を使わないで話をしようというふうに決めて、
その学校に通っていました。
つまり敬語をやめてみたんですよね。
そしたらどういうことが起きたかというと、
すごいいろんな人と仲良くなれたんですよね。
それこそすごい楽しかったですし、
やっぱり敬語ってどうしても一歩を引いてしまうというか、
どんだけ仲良くなっても、
そこに壁というか見えない、ちょっとした壁だとは思うんですけども、
やっぱり壁があって、
やっぱり敬語ってもちろん敬っているというか、
その人先輩だからという言葉遣いなんだと思うんですけども、
そうすることによってやっぱり見えない壁みたいなのが
どうしてもやっぱりできてしまっていたんだなと思ったんですよね。
それこそそうやって、
やっぱり敬語なんていらないんだなって僕は思ったんですよね。
言っても27歳の時の35歳の人とかなんで、
6歳とか7歳とかそのぐらいの差ではあるんですけども、
それでもやっぱり人生経験とか、
いろいろ学んできたことを考えれば、
5歳とか6歳とか7歳とかって違うと
だいぶ差があるなとは思っていたんですけども、
でもそこで使わなかったことによって、
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年上の人ってすごい長くなれたんですよね。
もちろん年下の人とも長くなれたんですけども、
そこでやっぱり敬語っていらないなと思いましたし、
最初はたぶん生意気だとか、
嫌なやつだとか思われたかもしれないですけども、
やっぱりいらなくて。
でもやっぱり社会に出るともちろんそんなことできないし、
今言ったみたいに6個が7個ぐらいだから、
言ってもきれいだし、
大きなくくりで見れば同世代みたいに見られるので、
そこまで違和感はないんだと思うんですけども、
これで社会に出たときに、
会社とかで働いたときに、
上司とか社長とか専務とかみたいな人たちに、
敬語を使わないで話すと、
本当にやばいやつになっちゃうんで、
芸能界でそういった人もいますけども、
それはキャラクターで裏ではちゃんとしているような、
話も聞きますし、
それはなかなかハードルが高いですよね、実際。
僕も社会人になって、
社会人で会社で働いたときもありますけど、
そのときにそんなことはもちろんできなかったですし、
敬語を使ってたんですけども、
もちろん仲良くなる人とかもいましたけど、
やっぱりそれは多分いろんな理由があって、
社会人に出るときに、
そこまでしんそこ仲良くなるってこと自体、
そもそも難しいんだと思うんですけども、
でもやっぱりその敬語があったことによって、
壁、どうしてもどこまで仲良くなったとしても、
そこに壁があるなというふうに思いました。
やっぱりそうすると、
ある一定以上は仲良くなれないですし、
そもそも何なんだろうなっていうのは思うんですよね、
敬語が。
何て言うんですかね、
敬っている気持ちがあるんだとは思うんですけども、
でもなんかいやらしい感じにも聞こえちゃいますし、
そうやって言っていれば、
この人は別に怒らないだろうとか、
下からマウントを取るじゃないですけど、
そういった感じにも見えますよね。
取れ方次第ではあるんですけども。
だからといって今、
僕はそういうふうにできるわけではないですけど、
でも実際やめられるなら、
向こうもいいなら本当にやめたいなというふうに思いますし、
それがもっと一般化すればいいのになというふうに思いますね。
正直今日のボイシーの中で、
トリヒロフミさんが
話していたんですけども、
話していて僕は知ったんですけども、
福沢諭吉が
先輩後輩とかっていうところの上下関係でも
何々さんとかって言うんじゃなくて、
何々君って君付けで呼び合っていたらしいんですよね。
先生と生徒だとしても。
という話をしているのを聞いて、
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そうなんだと思って。
やっぱりそこに尊敬とかって思いって、
もちろん僕も話した、
僕も実際敬語を使ってたんですけども、
僕も実際敬語を使ってなくても、
尊敬している人はもちろん尊敬しているような態度を
取りますし、
だからそんなに必要ないんじゃないかなと思って。
英語だとないというか、
表現の方法によって丁寧な言い回しとかっていうのがある
っていうふうに言いますけど、
とかいうのもあったりして、
実際日本の独特な文化だとは思うんですけども、
世界の他の国にもあるかもしれないですけど、
ちょっと分からないですけど、
そういうふうに、
そこでヒエラルキーというか、
差ができちゃうことっていうのは、
見えない壁を作っちゃうのかなというふうに思いますし、
そうすることによって
カテゴライズというか、
その人はそういう人だみたいな見られ方もやっぱりしやすいから、
一般的にそういうのがないような世の中になってくれたらな
ということを、
勝手ながらというか、
実際そんなことを僕が言ってもあまり意味はないですけども、
そういう世界になったらいいのになというふうには思いました。
今日はですね、
敬語をやめたら見えた世界ということについて話をしていきました。
今日僕が話したことがあなたにとって
少しでも役に立ったりだとか、
そういう考え方もあるのねというふうに思っていただけたらとても嬉しいです。
今日も聞いてくださりありがとうございます。
失礼します。