講演会「語感を磨く」の概要
おはようございます。小松正史でございます。 今ね、ウコーンの講演会が8月21日なんですけど終わって、
それで今ね、自宅に歩いて帰るんですけど、 クエッションという会場からですね、歩きながらの、ちょっと喋ったすぐ後のね、
感覚をちょっと残しておこうかなと思ってね、 配信というか記録をしております。
それで、リスナーさんもね、何名か来ておられて、 それで、いろんな質問もいただいたりとかしてね、
良き時間だったんですけど、まず、これが何かというと、 立花大学がですね、障害学習の教育の一環で、
障害の社会の、大学生以外かな、の方に対象に、社会人に対象に、
月2回ぐらい、講演をしているものなんですね。
主催されている先生が、河野道和先生というね、
編集者なんですけど、それで良いいろんな人をですね、 呼んでいくというか、テーマをね、作って呼ぶって感じですよね。
それでテーマは、語感を磨くっていうテーマなんですけど、
いろんな観点からですね、7人の方がですね、 語感について喋っていく、自分の専門なんですけどね。
その一環で、僕が京都に住んでるっていうことと、 去年ね、耳を澄ませば世界が変わるの本をね、
出しましたので、そのご縁というか、それをご覧になられて、河野先生が僕のところに連絡をして来られて、
その時はね、僕が立花にね、移動することは知らずに、
まあ、
講演内容:聴覚と意識
依頼をされたので驚かれたところなんですけど、それで今日はどんな話をしたかというと、
聴覚の中でね、全意識の存在っていうのがすごく、
普段スルーしてるけれども、そこに焦点を当てたら、見えてくる世界が違うよっていうことなんですよね。
今日一番鋭い、すごい専門的な質問がめちゃくちゃ多かったなぁ。
なんか、自分は、私はこれでっていうより、ピンポイントで狙ってるというか、
まあそういう感じで、例えばシェーファーのね、
基調音の話ね、キーノートサウンドはどういうふうに見つけたらいいのかっていうね、すごく主観的に見つけるしかないんだけど、それってすごく難しいよねって話もあるし、
フィールドレコーディング、野外録音をしている人もいるので、そこを自分でやってるよっていうね、リスナーさんとか、
そういう話もあったし、あとはですね、結構ね、
比喩で言ったんだけど、聴覚っていうのは世界の真ん中にいてて、視覚は世界の中心、じゃあ端っこにいるか、それでね、寂しいのは視覚で落ち着くというか、
安心するのは聴覚っていう話を一応、まあこれも僕の言葉じゃないんだけどね、なんかするとですね、私はもう聴覚でもね、
周りにカラーがあって、音からカラーが見えるっていうようなね、共感覚の保有されている方だと思うんですけど、
それで共感覚的に色はね、自分以外のところではドーナツ的に色が見えるんだけど、自分のところはね、なかなか厳しいというか、
色がないからすごく寂しいっていうね、聴覚であっても寂しいっていう話があってですね、
いやまあ確かにそうだなっていうか、それってあの経路関係ないんじゃないかって、これ言わなかったんだけどね、
まあ経路じゃなくってね、あの五感とかね、聴覚とか味覚とか触覚とかそういうものじゃなくって、
あの自分の主観的な心持ちだよね、それがね、よくなかったら音だろうが視覚だろうが何だろうが味覚だろうがね、
それはもうあの寂しいものは寂しいですよね、
人が亡くなった時にご飯ね、あのまだ食べるけど美味しく感じないじゃないですか、そういうのってね、それってあの味覚が優位とかそういうことじゃないんですよね、
自分のあの五感の感じるOSの脳みそな話で、あのそこがね、やっぱり悲しかったら全部の外界の刺激がね、寂しいはずですよね、
だからそういうふうに一概に言えないんじゃないかって言われて、いやそうだなみたいな、だから聴覚だから特性があるとかそんなんじゃなくて、やっぱね、
今日も話したけどエックススケープだよね、エックスのスケープね、スケープって設備語で、あの何とかの眺めとかね風景とかそういう意味ですけど、
あのね、そのあたりがあのやっぱりどんな感覚であっても、あの嫌なものは嫌というか、嫌な時はどんな感覚でも嫌なわけですよね、
それがね、やっぱすごくあの別に聴覚優位とか視覚優位じゃないんだよなという感じね、今日の気づき、これが一番の気づきで、
アウシュビッツの事例と人間の適応力
それでね、あの河野先生がアウシュビッツの収容所の横にいるそのオタクの話っていうか、誰かSCだったかなの話になったんだけど、映画のね、
それあのすごくね、収容所から変なネガティブな音が聞こえてきても横の方で、誰だったかちょっと忘れちゃったんだけど、サラリーマンですよね、その方が、
割と裕福に暮らしていてて、それで奥様が家庭サインをやっておられたのかな、映画ですよ、それで家庭サインで自分が愛着持ってこう植物を育てているわけですよね、
隣でウメキゴイとかワメキゴイとかすごくネガティブな音が聞こえるんだけどね、収容所ですから、それには耳をふたして生きていける人がいるっていうことにちょっとね、おぞわしいぞぞっていう風な話になったんだけど、
聴覚は多様性があるんだけれども、あえてそれを聞かないか聞かないふりをするかっていうのはね、やっぱりね、やっぱりね、
聞かないふりをしないと生きていけないからそうなったのか、聞かないようになってくるとだんだん慣れになってね、それが当たり前になってくるっていうのがね、やっぱり人って慣れますから、そのあたりが良くも悪くも慣れていく、でも人って生きなくちゃならないから精神的に不安定になったりとかね、
変動があると生きづらいじゃないですか、だからそのあたりをやっぱり良くも悪くも人はしたたかに生きていくんだなっていうか、そこに何か感じるところがありましたよね、どうなんでしょう、それってね、答えのないことですよ、それは全然、ただそうだけれども聴覚が優位とか不利とか、耳には瞼がないからね、そのあたりをどう処理するかっていうね、
いや瞼は脳みそで強固に作ってるんだなっていうことですよね、人間したたかですよね、やっぱり強い人は強いっていうか、だから自分がね、僕は割と聴覚過敏に近いところがあって、そんなに強い聴覚過敏じゃないけれどね、そういう人ばかりじゃないなっていうか、
耳トレと感覚のバランス
鈍感に生きることが、五感を磨くで悪いふうにちょっと捉えがちとか、そういう文脈で僕喋ってるじゃないですか、悪いというかちょっともったいないんじゃないみたいなね、それは生き抜くためには、これ耳トレも近いよね、耳トレって耳を研ぎ澄ませて音を聞こうみたいな、ただそれって無責任なところがあるでしょ、耳を全開にさせてするとね、感度が高まるとね、
今まで聞かなくてもよかったような音にまで耳をね、どうしても自然と傾けちゃうっていうところがありますよね、だからね、そこがバターですよね、そのバランスはね、やっぱりこれが耳取りしましょうとか、そういうところじゃなくて、やっぱりね、
耳取りをしてもいいかどうかを、事前にちょっと感じるというか、判断するというかね、そういうこともめちゃくちゃいるなあっていうふうに思いました。
セッティングですよね、セッティングをする耳取りが何でもOKっていうわけじゃなくて、この講演会に来ておられる方は、想定して耳の磨くとか、聴覚の大切さみたいな感じで、そういう文脈では来てるんだけれども、それでもね、そういう人たちからですね、やっぱり聴覚が果たしてそうなのかとか、
あと、そうだね、その、本当に鈍くさせてるところは良いか悪いか、答えはないんだけど、そういう立ち位置の話をね、今日はね、本当にふんだんに分かち合えたなっていうふうに思いますね。
講演会の構成と内容の濃さ
僕は1時間半なんですよね、これ7時からね、8時半までで、時間が意外と短いんですよ。それで、だいたいのね、今まで6回くらい、5回かな、聞いた中では、ご自分の講演者の話がほぼほぼで、あとちょっとだけ放課後っていうことで話をね、対談したりとか質問を受けるっていうのがあるんだけど、
僕、明日ね、次の日にライブがあるんですよね。で、それでもあるし、あと次の日もね、やっぱりKonoさんも来ていただけるので、やっぱりなんかあんまり負担すると良くないなって思うんですよね。だから、早めに引き上げる。9時半、10時までやれたんですけど、ちょっとやめたんですよ。
それすごい正解だったなと思って、今家に帰りつつある最中なんですけどね。だからそういう感じで、時間はタイトだった。めちゃくちゃタイトなんだけれども、やっぱり今回ね、これ予防の話だけど、スライド23枚作ったんですよ。進行も含めて、もう全部ね、計算しまくって作り上げたんですよね。アドリブは喋ってるふりして、もう全部ね、落とすところつけて原稿作ったんですよね。
だからね、すごく内容が濃かったと思いますね。なんとなくの感じで喋るというよりも、ちゃんと狙って喋りまくったっていうのがあって、だからすごい話が面白かった、良かったとかね、あるんだけど。
でも、本当にここで喋ってるような感じのね、喋り方とかそういう感じじゃなくて、講演会の喋りをしてたなっていうふうに、そんな感じはしました。
講演会からの学びと今後の執筆
だからそんな、うこんの連続の講座だったんだけど、やっぱりこの先生のおかげで喋れたし、いつも連続で来ておられる受講生の方がいらっしゃるんですよね。
そこでも、思いがけずそれを聞いたとか感じたとかでやったっていうこともおっしゃられたので、そういう得意性、意外性、当たり前なんだけど意外性な部分と、果たして聴覚でも今までの文脈通りに聞いてて、それが良いのか悪いのかとか、
あと、どこの感覚が良くて悪くて、幸せで不幸せでってこともないだろうみたいなね。そこはもうちょっと整理をして、新刊を書こうかな、新書の新刊を書きたいなと思ってるんだけどね。
これもネタ出しの一環ですよね。すごく思想を問うような立ち位置を再確認するような、そういう本になると思いますね。答えがないんだよね、音の話って。
ただそこを真っ向から全意識とかね、その辺りのところからしっかり書いてる本がないんで、一般的に皆さん感じてるところなんだけど、それをね、どんな風に料理したらいいのかなっていう、そういう疑問がどこにあるのかっていうのを、今日は憎まなくね、受講生の方や河野先生から教えていただいたという、僕にとってすごくね、
学びありまくりのそういう回でね、感謝しながらお家に戻ってきたので、ここで終わりたいなと思います。