1. 小松正史『耳を澄ませば世界が変わる』
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1台のピアノを、2人で弾いた──言葉にならないもののやり取り
2026-09-29 12:12

1台のピアノを、2人で弾いた──言葉にならないもののやり取り

僕が高音、相手が低音。1台のピアノで即興をしていました。

まるで子供に帰ったみたいに、言葉を超えたやり取りができる。

半年ぐらい続きました。1年は続かなかったけど。

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https://note.com/masafumikomatsu/n/nd2a2d8db2413
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00:01
おはようございます、小松正史でございます。
えっとね、あの、糸井さんの講演会聞いた後でちょっと、ラーメン帰りき家のね、ラーメン食べてその帰りですね、
ちょっともうちょっとだけね、ちょっと喋りたいことあってね、ご飯食べた後の配信の収録でございます。
それでね、あの、今日糸井さんの話にしてもね、えっと、ドミニクチェーンさんの話にしても、
なんかやっぱりね、言葉にならない以前の感覚世界っていうのがやっぱりすごく肝を握っていてですね、
それが、そこにうまく身体を取り戻すというか、意識することによって、身体性がうまく連動していくみたいなところがあるんでしょうね。
だからあの、言葉っていうのは最後その手段ではあるんだけどね、言葉になる以前のところ、これが多分全意識につながるんでしょうね。
そういう記号化されてないところのモヤっとしたところっていうのがやっぱりすごく大事で、
で、そういうのがやっぱりAIではなかなか浮かび上がってこないんですよね。
やっぱり記号化されたものを中心に処理するので、で、そのそれ以前のところにやっぱりね、設置点みたいなところだよね。
それをやりとりというか、意識しながら耕すことによって、そこでいろいろなものが解き明かされるっていうのかな。
大事なものが出てくるきっかけになるんじゃないかっていうね。
それがすごく大事で、言葉を音か音をね、言葉にするっていうのはそれの大きな訓練になるわけですよね。
生かすものを切り捨てるものっていうことかな。
特にね、それが内在化されたものってあるでしょ。
人の個別個別の記憶とか、感情とか、思い出とかね。
一回性のものですよね。
ライフヒストリーの賜物ですけど。
そういう感情を伴ったその人とある人との関係性ですよね。
そういうのがやっぱりね、言葉にはすごく影響してるし。
僕もね、そういう付き合い本当に50過ぎてるので、少なからず人と接してきたわけなんだけど。
やっぱりずっと残ってますもんね。
20代の頃の人とかね、そういう値で付き合いのあった人っていますでしょ。
そこがずっとね、しかも僕は演奏家ではあるので、演奏家とそういう繋がりになったんですよね。
だからそういう時にね、言葉を越えたもののやり取りをまるで子供に帰ったかのように即興しあえるんですよね。
03:03
そこが結構ね、今ちょうど即興的な話になりましたけど、やっぱり出てくるわけですよね。
即興で僕が高音部分、そして相手が低音部分を弾くわけなんですよね。
それで1台、2人分の即興演奏をそれぞれ聴きながらです。
1台だからすごく一体感があるじゃないですか、本当に。
そういうのがあったんですよね。
そのやり取りが、今パッと思い出してしまったけど、半年くらい続きましたかね。
1年は続かなかったけど、なんかあるんだよね、そういう身体的なものの擦り合わせによる表現の深みみたいなね。
そういうことをすごく、まるで子供があーとかうーとか言って、僕はよくカラスと喋るのが得意なんですけどね。
カラスと喋るとか、ノンバーバルで猫ちゃんと戯れるとかね。
そういうことを結構やる方なんで、子供でしょ本当に。
肝とか思われそうですけど。
そういうその人でしかない内在的なものですよね。
言葉はやっぱり外在的なもの。
人に理解をしてもらうって意味では外在的なものでしか過ぎない。
でも外在的なものが変化の仕様によっては内在的なものを引き寄せたりとかですね、思わせたりするっていう力もあるんですよね。
だからすごいそれ難しいというか、できることだと思うんですけど、可能性としてね。
だからね、そういうのがね、やっぱりあるんじゃないかなと思ったのがやっぱり今回ドミニクシェンさんの話とかね、糸井さんの話はそうなんですよね。
そこのあたりをしっかりと高やさないと、その物事の善悪というかね、そのあたりがなかなかつかめないし。
しかもそこを名残にしてやっちゃうと、自分で満足しないというか相手に伝わらないというか、貧相というか表面的というかね、そういう表現にしかね、やっぱりならないんですよね。
そのあたりを接続してもらったりとかね、鍛えて鍛えるというかね、うまく順滑りみたいに滑らかにしていくっていうのが、滑らかというかなんていうかな、手応え持ってリアルにっていうのかな。
そういうのがやっぱり音にはあるし、音の力がありますけど、そういうのがやっぱり大事で、AIだとそこが組み取れないことはないかもしれない。
06:00
でも感情を持って組み取れないので、補ってあげるしかないなっていうかね、そこは投げなくてもいいだろう、AIでみたいな感じですよね。
AIって僕、壁打ちとか自分の特性よりも上回るものが返ってくるはずないですからね、深いところにおいては。
だからそういうあたりの可能性と限界点っていうのをね、やっぱりちょっと優しすぎるAIの話も今日ありましたけど、ちょっとゲーゴーするんですよ、人間にゲーゴーする。
そこは商売的なものがあると思いますよ、使わせるためにね。
そういうのがあるし、今日面白かったのは糸井さんが、甘い判断と悪い判断ありますよね。
両方を一つの答えについて伝えていくっていうか、それはプロンプトでできると思うんだけども、そういうことをやってもいいんじゃないかみたいにすると客観的にAI使いやすくなるでしょ。
すごい良いヒントだなと思って今日聞いてたんですけど、それもやっぱり人の感情の多様性を見越しながらAIと付き合うことが大事だし、
言語化の可能性と限界点、これは今回の本に体感されるところなんですけど、
言語学者とかそういう人はたくさんそういうことを言いますけど、僕の場合は実践とか体感とか演奏とか現場表現してるので、
その観点から本を書いていってもいいんじゃないかっていうか、自分の手の内、しかも言語化されてないようなプロセスだよね。
そこをちょっと深掘っていくと面白い本になるんじゃないかなというふうに思うんですけど、そこは多分自分軸を出しながら、
もうちょっと本を、本というか文章を、仕固めていってもいいのかなっていう河野先生の話だったかもしれないですね。
これちょっと最後今日は寝る前というか帰る間際にお伝えしたほうがいいかなと思ってね。
お伝えしたらいいのかなっていうのは、本を作るための骨子として記録しておいたほうがいいのかなと思って、
本当は文章とかメモがいいっていうようにドミニク先生は言うんですよね。ただ僕字が汚いし、
口のほうが早いんですよね。字を書くのちょっと苦手で、書きますけどね、やっぱりちょっとめんどくささがあって、
よっぽどいいノートとペンがあればいいんですけど、それもだいぶ影響するじゃないですか。
そういうペン欲しいんだけど、僕すぐペンなくすんですよ。
なくすと1万円とか2万円とか5万円くらいのペン、前ちょっと試したことあるんだけどすごく書き心地よくて、
でも怖いんですよね。外に持っていけない。いつそれがなくすかわかんないから。
09:03
だからペンはなくなくしてない、使ってないという、口はなくならないからね。
喋りすぎると声帯が恐ろしく衰えますけど、ある程度声帯も筋肉だから使ったほうがいいんですよね、絶対。
それは思いながらいるし、人前で喋るっていうことをすでにやってる商売ではあるので、
これ寝る前だからあんまり寝るだけなんだけど家に帰って。
やっぱりすごくそういう日頃から喋りをアスリートみたいに鍛えていくっていうかね、そういうことは常にやってて。
これは本当にね、自分ではそれがモヤモヤっとしたものを言語化する感じの訓練になってるのかなっていうか、
割と思ったことを外にパーッと出せるっていうのは限界はあるんだけれども、時間の限られた中で出していくっていうことが絞り出すというかね。
ドミニクチェーンさんだったら発行数とかスループットすることがとても大事なんだけど、
僕の場合スループットはね、喋った原稿というか喋り言葉の文字起こしされた記号があるじゃないですか。
それをちょっとした後で自分で書き直したり並べ直したり、こねくり回すっていうのが多分発行というかね。
発行するのは最近というかね、それが発行するわけなんだけど。
その話もあってすごく興味深かった。ぬかづけみたいな話があったんですけどね。
ぬかづけみたいなプロセスっていうのができたAI元にしながらでも自分でこねくり回した文章がありましたね。
それを何度か遂行していく。遂行する時間っていうのが結構今回はいるのかなっていう感じよね。
ミミスマの場合は10回は読んだけど20回ぐらい読んでもいいですよね。
こねくり回すこと自体が楽しいって言うんですから。高橋先生は人文学部のね。
すごい話ですよね。しさ深いなと思って。作った後からが勝負っていうことだよね。
だいたい今まで僕の欠点は作ったらもうこれでできたかなって思うんだけど、ちょっと情勢がいるよね。
すると本当に毎日ノートとかにほぼ自動で出して出し始めましたけども、その文章と本に出した文章。
何が違うかって言われたらそれしか言えないよね。
それは自分の説得力を持って伝えるっていうことで出てきた文章はそれほど変わらないかもしれない。
1回遂行したのと15回遂行したの。でも自分の納得感として出していく文章としてはそれが必要なのかなというふうに思ったんで。
そういうことも含めながらラーメン食べながら話してみました。
12:03
12分で結構喋れるんだねこれね。
根幹の話を今日できてよかったなということで、おやすみなさい。
12:12

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