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【25年目の卒業式③】師弟の境界を超えた瞬間、学生から贈られた「逆・卒業証書」
2026-03-21 14:09

【25年目の卒業式③】師弟の境界を超えた瞬間、学生から贈られた「逆・卒業証書」

ゼミ生10名から贈られたサプライズの卒業証書。教える側が送り出されるという、Beingの交感が起きた奇跡の瞬間!
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00:02
おはようございます、小松でございます。
3月20日に卒業式があったんですけど、それの第3番目というか、その3の話をしたいなと思いますね。
いやー、結構30分くらい、もっと喋るかなみたいな、そんな感じの意外な長いシリーズになってきておりますよね。
そんな感じのことをおしゃべりしようかなというふうに思っています。
でもね、くれぐれもね、もう小松の独り語りですからね。多分、再生回数はめちゃ減ると思います。
減るけれども喋りたいから喋ってんやね、みたいな感じで。
ここ、今日は一番ね、実はやばいかもしれない。そうなんですよね。
まあ、落ちがありますからね。落ちなくてもいいんだけどね。
それで、演奏が2時間くらいあって、授業式ね、メディア表現楽部。
それで終わった後に、皆さんがすごく感銘を受けていただけたみたいな話までしましたよね。
今日はね、そこからなんですよ。
会が終わった、よかったよかったみたいな感じで、一応ね、終了かなと思ったら、ゼミセ10人いるんですよ。
で、終わった後に、なんかね、ゼミセがね、小松ちゃんいつ空いてる?みたいな話になってですね。
まあ、式が終わった後、時間あるんじゃね?とか思ったんだけど、分かりました。
なんかね、なんかしでかしというか、予定を立ててたんだよね。
今ね、お池通りでね、めちゃくちゃ最近うるせえバイクがおるなっていう感じなんですけどね。
まあまあまあ、それは置いておきまして。
でね、ちょっと困っちゃうみたいな、小松先生かな?ちょっといいですかって感じ。
みんな4ゼミ集合みたいなね、そんな掛け声があって、10人が集まってきたんですよね。
で、何かな?まあまあ、でも最後だからなんかいろいろあるのかなっていうね、そういうちょっと予測はあったんですけど。
で、何かというと、なんかね、ちょっと小松ちゃんこの前の教団あるでしょ?教宅というか。
で、教宅が普通はその学部長から見て、分かるよね?学部長から見てみんなに手渡しするっていうことで、教員側のその座る立つところってあるでしょ?
ホワイトボードを背にしてね。で、そこにみんなが並ぶんですよ。
つまり、ホワイトボードを背にして並んでいて、小松さんはどこにいるかと言ったら、教宅のね、先生が喋る台があるでしょ?
そこの前に来なさいっていう話なんですよね。
ひょっとしてと思ったんだよね。
いやあ、これね、ほんと奇跡なんだけど、いや卒業証書?
03:06
みんな、僕は渡す側が多かったんだけど、学部長も渡すでしょ?
僕に卒業証書を渡したいって言うんですよね。
あ、ここを来たかっていう、ちょっとこれはね、意気をつかれましたね。
それでね、その卒業証書を事前にちゃんと仕込んでいましてですね。
偶然だけど、学生がもらう卒業証書の側と一緒なんで、側っていうのは外枠ね、ケースがね、紺色かな?
紺色で一緒なのをね、持ってきたんだけどねっていう。
みんなが目の前にね、教団側にいて、僕が座席側っていうのかな?
そこでやって、それでね、言われたのはここで、僕は簡単に言ったら、成果の宝って書いてあったかな?
僕は成果の宝の過程を無事単位を取って修得して、無事卒業することをここで認めますみたいなね、そういう文章だったんですけどね。
それで栄誉を称えるみたいな。
それで右にね、一人一人10名ね、お一人お一人の寄せ書きっていうのかな?のシールに色々書ける、今はそういうシステムがあるみたいで。
それを手書きで書いていただいてたんですね。
それで、あとはお花をね、手作りのお花をもらったのと、あと僕のね、イラストかな?
絵が上手い学生がいるので、その学生が書いてくれてですね、それを手渡ししてくださったっていうね。
これちょっとうるっと、涙とかそういうところよりも、僕の心の中で節目ですよね。
25年間こちらにいた節目ができたなって思うんですよね。
25年ね、やっぱり少なくない人生の中でね、いろんなことがあった。
この大学のところで退職も決意しましたですけどね。
そういう時に学生にもそういうことをちゃんと伝えていることはいるんですよね。
そういう中でね、そのゼミ生、私らと同じ時期にここを卒業するんだってことをずっと言ってたので、
用意してくれたんですよね。
いや、これで吹っ切れます、この大学と。
やっぱね、なんかね、どうしてもいろいろと業務の整理とか引き継ぎはあるじゃないですか。
それによってだんだんとこの大学への伏見をね、自分なりにしていくのかなと思っていたんだけど、ずっと気になるんだよね。
次から次へと案件の出る大学なので、常に気にせざるを得ないっていう環境なんですよ、ここね。
06:07
だからね、常に落ち着かないっていうわけじゃないんだけど、どうしてもずるずると行っちゃうんですよね、気になることが。
それがですね、3月20日。
昨日の話ではあるんですけど、すごくね、すごく何ていうのかな、自然と区切りをつけられたって感じね。
やられましたね、ちょっとね、それで。
僕の25年間のいろんなことをね。
最初の3年生ゼミも覚えてます。2001年に3年のゼミから始まったんだけど、
その時のことはやっぱり鮮明に思えてて、いろんなことがあったよね。
当時はね、僕は学生とほぼほぼ30でここの大学、入学というか就職したんだけど、
まあどっちが教員かどっちが学生か分からない状態で、とにかくね、バカ騒ぎしてたよね、当時ね。
とんでもないよね。
もう本当にね、ゼミの旅行行った時なんかね、夜まではしゃいでた学生とね、寝泊まりのところがね、
ちょっとゼミ旅行した時に、「小松先生、いい加減にしてください!」とかってゼミ生に言われて、
ごめんとかね、小松ゼミが騒いじゃって学生から地位を受けたことは、
まあその一度や二度やないよねっていう状態だよね。
そういう状態から今はね、いろいろなことがあったとしても、ありましたけどね、
いろんなところでアドバイスというか、年もね、当時はもう何だろう、
5、6歳しか離れてない、6、7歳しか離れてない状態が今はね、
もう多分親御さんよりも年齢が上ぐらいの年代ですよ。
まあ老害ですよ、はっきり言ってね、もう老害に近い感じよね。近くない、もう老害以上の老害だよね。
まあそういうふうな年代になっても、別に若作りしてるわけじゃ全然ないんだけど、
やっぱりね、対等に接してくれてるっていうの、そこがありがたいよね。
先生だからとか、ちょっと芸業とか、ドゥイングじゃなくてビーングで、
なんかこう、もうバカ騒ぎ、いまだにちょっとバカ騒ぎします、僕も正直ね。
そのあたりがね、あるからこその響き合い。
でね、そこはね、卒業証書をもらった時に、
あ、ついにここを卒業するのか、辞めるんだっていうふうに思ったんですよね。
うーん、ちょっとね、一本やられたなっていう感じで。
でその後も、まあそれ終わった後ね、もう一度こう、外でね天候が良かったので、
前日まで雨も降ったりしてた中で、ほんと晴れやかな卒業式だったんですけど、
09:02
でゼミセみんなでこう話を話しながら写真撮って、
でその後ね、僕あの以前、聖火大学の卒業じゃない、実習の中でね、
僕が曲作った曲、アチーブメントっていう曲が、あのイノセンスというCDというかアルバムの中に入ってんだけど、
あれね、聖火のアチーブメントだから、成長をね、願って僕は作った曲なんですよね。
5分くらいの曲ですごくストーリー性のある曲なんですね。
でそれをアレンジしたり歌をつけたりね、学生が授業の中で、
で環境音をそこに入れたりとかしてるようなアルバムがあるんですよ。
これほとんどの人に聴いてもらってはいないし、
発売もしてない。ネットにも配信してないんですよ。
でそのアルバムが何枚かあったので、
ゼミ生一人一人に僕のサインとゼミ生の名前を書いて日付を書いて、
最後のね、お渡しをしました。
一人一人僕はゼミでやってるのはね、
今日どうだったとかね、どんな風に制作が進んでるとかね、
なんかそういう感じの話を一人一人にやるんですよね。
そういうことで最後の締めくくりっていう形で、
やったらみんなほんと帰らないっていうか、
もうなかなかちょっとえがたい時というかね、
ちょっと終わらなかったよね、なかなか終わるのがね。
最後5時頃までいろんな話できてよかったんですけど、
そういうビーングが響き合うことがね、
最後にできてすごくよくって、一人一人のゼミ生。
いや一生お互い忘れないやろうね。
今まで卒業したゼミ生一人も忘れてないですけど、ほんとに。
そういう始めは研究で入るというか、そこを生かすような仕事かなと思ったら、
教育にどっぷり使った25年間だったですけど、
その中でやっぱり、卒業式の壇上で喋ったようにやっぱりね、
自分で成長してくれた、成長させてもらった、
人間的に成長させてもらった25年間だったなと思いますね。
これビーング的には成長してもらったポジティブなんだけど、
やっぱりね、業務的にはすごく大変なところがあったんですよね。
僕、これも別に通常界で喋ってて、そこはないとは思うんですけどね、
あえて言うと、やっぱり良かったらそこ辞めないですからね、大学。
さらに良いところがあるから、転職するわけですから。
良かったら僕は辞めなかった、それは。
それは言えるね。それは間違いなく言えるので、
12:02
別にそれをネガティブに否定してるわけじゃ全くないですよ。
さらに良いところでということで、次のところに行くのでね。
まあそんな感じで、ほんと節目の25年間。
人生にとってもほんとに25年間ってやっぱり4分の1とか5分の1ぐらいの
そういう時期になりますよね。
そこの中で、成果大学にたまたまね、僕は公募で受けて当たりましたけどね。
それ以来やっぱすごく思えば結構一緒に一回の生活の中での出会いができたし、
ここにいていろんな気づきがあったしっていうことで、
いやほんとね、良かったなっていう。
僕は別にこんなことしよう、あんなことしようって計画するのが嫌いなんだよね。
でもこれ計画してもできないことを学生とできたなっていう。
これもうゼミの自慢話と聞こえてもいいんだけど、別にそうだと思うけど自分でもね。
だから言ったでしょ。自分語りを3回するって言ったからね。
そういうことができたのが良かったし、
全てがリセットされましたね。良かったなと思って。
3回分おしゃべりさせてもらいましたね。
本当すごくそういうことができたことに感謝と、聞いていただいた皆様もね。
3回付き合っていただいた方は本当に感謝でございますし、
次の展開はまだいろいろ考えているのでね。
小松の歩みはここではまだ終わらない。いつかは終わるけどね。
終わるんだけど、ちょっと歩みをね。
ちょっとだけ次の軸足に変えて、また引き続き変わらないビーングをね。
さらに進化させる形でやっていきたいなと思ってますんでね。
良かったら見守っていただけたらありがたいですね。
それでは今日はこの辺で3回分聞いていただきましてありがとうございました。
14:09

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