退職と区切りの始まり
おはようございます。小松でございます。
今日はですね、ちょっとあのごめんなさい、雨が降っててね、外から、今堀川通りの前なんだけど、ちょっと歩きながらの配信で、めちゃくちゃ今日あの周りの環境ね、ちょっとうるさくて申し訳ないんですけど、今日、今日もね、配信をしていきたいと思います。
今日の話題は、政科大学を今年過去の3月の20日で、卒業式を迎えて、退職したんですよね。
31日まであって、実質在籍というか履歴があるのは31日までなんですけど、実質政科大の仕事をここで完了させたっていう、しかもそれが、今日伝えたいのはですね、
物理的に仕事を退職した、プラスメンタル的に退職したっていうね、この辺りの区切りみたいな、どういうところで区切りは尽きられるのかみたいな、そんな話をしようかなというふうに思っております。
24年間の大学生活と職務経験
この大学25年間勤めてきて、2001年の4月1日から、2026年の3月31日まで、24年間です。繰り上げて僕25年、25年と言ってますけれども、24年間の中でいろんなことがありました。
本当に25年間、学部は3つ変わりましたしね。人文学部とポピュラーカルチャー学部とメディア表現学部の3つね。
はじめは専任コースから準教授ね。準教授が2007年、だから6年目で準教授になって、2013年から教授なので、教授になってから12年教授です。
はい、ということで、そこまでしていろんな経験をね、人間的に成長をしましたしさせられたっていうのがね、ちょっとボイシーで、プレミアムでちょっときついこと言いましたけどね、そういう感じの成長の仕方がありました。
それで、去年からメディア表現学部の教務主任という教務系の一番取りまとめのことを1年やって、それまでにも音楽専攻の教務主任、教務委員とか、あとは学生生活委員とか、諸々の仕事は一通りしたっていう感じなんですよね。
コミュニケーションツールとしてのSlack
途中そのあたりでですね、やり取りするのはもちろんリアルな会議もそうだし、あとね、テキスト媒体でチャット形式のね、スラックを主に使ったりするんですよね。
そのスラックなんかを使って、日々の段取りやり取り、全て業務しているわけですよね。途中の会議はですね、リアルな会議もあるし、なかなかね、構成メンバーが20人超えているので、場所とかタイミングっていうこともあるんですけど、遠隔というかね、ビデオ会議でやることもあったりしますよね。
そういうこともあったりして、常に土日関係なく、月曜日から金曜日、土日、月火、水曜日、金曜日、月火、水曜日、金曜日、みたいな感じで、仕事がずっとあったわけですよね。
退職の実感とSlackからの離脱
それで区切りの話になってくるんだけど、どこでこれ区切りになったかお分かりになりますかね。
まあこれね、20日の日に壇上に上がってやめますみたいな話とかね、そういうところとかっていうのはもちろんあるんだけど、そこでもね、僕ね、あんまり終わった気がしなかったんですよね。
しかも今日は、実はこれを撮っているときは3月の25日で、新しい新4年生がいるんだけれども、そこは辞めてもですね、1年間は継続して4年生、新4年生の小松ゼミのメンバーは週1回で教えたりしてるんですよね。
当然の話でございまして。
で、そういう繋がりはあるんだけれども、どこで区切りがある程度ついたかちょっとね、全然僕これ初めてね、一つの会社とかね、職場を辞めるって僕初めてなんですよ。
今までにね、大学院とか大学とか、学生の時代で別れたり辞めるというか終わったことはあったんだけど、自分の手でね、ここの大学辞めますみたいなことを言ったのはやっぱり初めてで、かなりちょっといろいろドキドキもしましたし、覚悟もいりましたし、いろんな心の変化、葛藤などたくさんありました。
それで、いろんな思いがあるわけですよね、25年間ね。
で、先ほどの卒業式の時にダンジョンに立って花束もらうんだけど、そこでもあまりね、終わったって感じしないんですよね。
Slackアカウント削除による区切り
で、どこで終わったかというふうな話なんだけど、これね、スラックから大学じゃないな、大部というかね、大会か、抜けた時にはって思ったんですよね。
これね、抜ける時って3月31日までやればいいじゃんって思うんだけど、僕はね、やっぱりちょっと新学期のガイダンスが3月の下旬、今日からね、25日から始まったわけなんですけど、それ以前にやっぱり抜けるのが一つの自分にとっての区切りかなって思ったんですよね。
これ些細なことなんだけど、やっぱり次の方々の主体的な、いろんな運営とかがあると思うし、引き継いだんですよね、教務主任をね、新しい方に。
で、いろいろなやり方、方法、方針あるんだけれども、僕はこれ伝えてもやめるわけだから、伝えようがないじゃないですか。今までやるべきことは全部伝えたので。
しかもどうしても疑問とか相談があったらいつでも別のメールでも連絡があるので、それは別に対応できるのでいいんだけれども、学部としてやり取りしているというか、そういう根っこの部分というか血液というか血管みたいなものですよね。
それがね、今流行りかもしれないけどスラックなんですよね。それを自主的にこれで退職の挨拶もしたし、学部の卒業式もやったし、ピアノも弾いたし、もういいかなと思って、それで辞めたというかね、大会した時にチャンネルが結構あったんですよね。
なんかね、今までの全然大会とかしてなくて、15個くらいあったかな。それをね、一つ一つポチポチポチポチ大会したら、なんかそれでね、結構身軽になってきたなみたいな感じなんだよね。
バーチャルな別れと心理的変化
いやこれ不思議な体験なんですよね。別れる時とか離れる時って、フェリーで離れる時って結構感じるものがありました。昔フェリーで離れる時って結構あったんですけどね。何回かその体験、九州で幾らか体験したんですけど。
陸上からよくしてくださった方がいらっしゃって、僕は会場にいて、それがどんどん離れていくっていうことにね、だんだん小さくなって、さっきまで一緒に話をしていた方がどんどん遠くなっていくっていうことで、やっぱりここの島とかはね、鳩間島とかは離れていくんだなみたいな。
そういうところはあったんですよね。でもね、ここの聖火大学はやっぱりね、長いこと言い過ぎたんで、全然そんな気持ちにならないんですよね。卒業式が終わっても、でもここって聖火大学のキャンパスじゃねえとかって思ってね、それであんまり感覚なかったんだけど、スラック抜けた時に、ああって思ったんですよ。
これ今日一番言いたかったことです。割とね、媒体的な、メディア的なものっていうのかね、レイヤーとしてはバーチャルですよね。しかもテキストベースなんでリアルなやりとりじゃないんだけどね。
ちょっと遅れが出るじゃないですか、こういうチャットって。でもそれを切った時に自分の手で、ついにここを退職したんだなっていうか、それを感じましたね。いやこれ不思議な、初めての体感だよね。
それがちょっと思ったことなんですよ。意外と人ってリアルな、さっきみたいな港で人がどんどん離れていくっていう、そういう別れ方もあるし、ネットでプチッと切れた途端、でもすごく実感あるなみたいな。
それだけ毎日見てたし、時には仕事が大変な時なんか深夜までずっと見てたスラックなので、なんとなくだけども使ってるメディアの頻度が高い方が、より心理的な距離も短かったんじゃないかなって思うんですよね。
それを切った時に自分の手で、これでついにこの大学とお別れだな、おさらばだなっていうふうに思ったんですよね。それを思った時にやっぱり心がある程度軽いというか、エンプティーというか、空間ができる感じなんだよね、これ。
不思議な空間の感じ方なんだけど、それによってやっぱりついに24年間、25年間の落とし前つけたな、これも人から切られるんじゃなくて自分から切ったんですよね。自分からどうしても切りたかったんだよねっていうことができたので、すごく心がすっきりしてるっていうのを今日お伝えしたいなというふうに思いました。
まとめ:Slackでの別れ
ということで、なかなかスラックであってもお別れはお別れだなという感じで、今日はお伝えしました。