冒頭の挨拶とサムネイル作成
おはようございます。小松でございます。 今ね、二条駅に用事があって、そこからね、ちょっと自宅に帰る状態なんですけども、
この二条駅、面白い方が来てるよね。 ちょっと写真撮っておこうかな。
いつもね、あのー、 この配信してる時に、ちょっと写真撮ろうかなと思って、
写真撮る時も、肖像圏、あんまりこう、 人が映らない状態でね、しなくちゃならないので、
めんどくさいお腹になったなぁ。 何とか撮っておこう。
これサムネイルなんですよね。 なんかあの、
ノートに出たね、あの、 文章をね、しっかり読める文章に変換してやってるので、
これあの、ノート用のやつを、毎回ちょっと 癖にしなくちゃならないなと思うんですけどね。
加齢による技術と表現力の変化
で、今日は何の話かというと、 歳とって、技術は衰えるんだけど表現力が増えるっていうね、
バーターみたいな話しようかなって思うんですよね。 それでまあ、めちゃくちゃおこがましい話なんだけど、
坂本隆一さんとかの結構、しっかりこう、 どういうのかな、好きというか、好きなんだけど、
表現者としてのエキスは何なのかっていうね、 めちゃくちゃ観察しながら、彼の演奏とかやり方をよく見ることとかすることがあるんだけれども、
それで、言えることはですね、ピアノ曲で特に顕著なんだけど、 歳とればとるほどBPMね、演奏速度が遅くなるんですよ。
それで、結構ね、めちゃくちゃ遅くなる。 2分の1は絶対言わないんだけど、
例えば、1000メリの曲なんかはね、 速い時と比べたらやっぱり20から30BPM遅いんですよね。
それって、まあもちろん、 表現を違う価値観で表現するっていうのはあるけれども、
本当のことを言うと、やっぱり技術が衰えるんですよね。 僕も完全にそれで、技術が練習してももう上がらないんですよね。
そこそこ滑らかには動くところはあるけれども、 これ以上いかんなっていうのがあって、
僕はいかんっていうことが自分でよくわかってるんですけども。 それでしかも、あとね、今日さっきYouTubeで聞いたんだけど、
松岡直哉の演奏から見る技術と表現
松岡直哉さんっていうジャズというか、ラテンのピアニストさんがいらっしゃって、 今ね、亡くなられましたけど、10年くらい前だったから亡くなったんですけど、
その演奏者もですね、めちゃくちゃ上手いんだけれども、 8歳とか10歳くらいからラテンを横浜の方で弾いていらっしゃってっていうような方なんですけど、
2000年代くらいかな、の時にちょっと聞いてみるというかね、 90年代と2000年代聞くとやっぱりね、
どうしてもミスタッチが多くなってるんですよね。 ラテンって速いですから、そこら辺でちょっとミスタッチがやっぱあるなっていう感じで、
僕はその頃に聞き始めたんですよね。 1980年の後半ぐらいに松岡直哉さんが聞き始めて、やっぱりちょっとね、
もたつ気があるんですよね。 今日聞いたのはね、1970年代の終わりぐらいのね、
その頃か10年前、彼がどれぐらいかな、30の後半、40ぐらいだと思うんだけど、 それぐらいの演奏を聞くとね、なんかね針を糸に通すぐらい性格なんですよね。
ピシッてね、決まってるというか、うわここまでの技術あんだっていうような感じの方なんですよね。 その方がやっぱりちょっと50歳ぐらいになってですね、
あの、やっぱり進化的な衰えってどうしてもありますよね。 僕もありますそれはね。それで聞いてみるとやっぱね、ラテンだと速いから、
BPMを遅くできないからね、ミスタッチなんですよね。 ただ逆にこのミスタッチに味わいが出るっていうね、
ミスタッチ可愛いわって話前したことあると思うんですけどね。 それと一緒で、やっぱりその技術以上の何かっていうのはやっぱりどうしてもあって、
坂本龍一の演奏に見る表現力の深化
それが現れてるっていう。 坂本さんの話に戻すとね、遅くなってるんですよね。
ただ遅いんだけど、演奏の表現はね、とんでもなく上手くなってるっていうのがどうしてもあるんですよね。すごいね、びっくりするほど上手いんですよね。
上手いという領域じゃなくて、 呼吸してるというか、ピアノが身体の一部になって、それであの
弾いてるのが好きか嫌いか知らないですよ。仕事だからやっぱり。 ただあの滑らかさとかアーティキュレーションとか
ルバートとかね、そのあたりがやっぱり自分の言葉みたいにこう 余韻を持たせて、聴くっていう感じかな。音フェチですからね坂本さんもね。
音を、自分の音を楽しむっていうか、たしなむというか、取り入れるというか、 インナーボイスとしてこう自分のピアノを聴くっていうな。
聴くこと中心で演奏してる。もっと突き詰めていっちゃうと、極端にいっちゃうとね、自分のために演奏してるって感じの
あの奏法というかね、表現力なんですよね。 それはあの逆に遅くなったからこそそのアーティキュレーションとかね
あの呼吸がわかるっていうことなんですよね。 そこってやっぱバーターじゃないですかね。つまり技術と表現力っていうのは、あの技術が上がれば表現力が上がるっていうわけじゃなくて、逆も逆の方がやっぱあるというかね。
それ長年キャリアを積んできたような演奏家さんなんかはそういうのがあったりするし、僕もそれなんですよね。
自身の演奏と限界、そして未来
あのやっぱゆっくり 自分の曲なんですけどやっぱ
カルダノートレイが10年前に演奏した曲、録音した曲、今弾けない。 弾けないことないんだけどやっぱ違う解釈で弾いちゃいますよね。
自分の身体のあの限界があるんで いつまで弾けるかわからないです。もうでも多分ね
人前で僕弾くのもそんなに長くないと思うよね。 多分どれぐらいかな。今55ですけど60まで弾けるかなぁ。
だからいつでも小松の曲弾けるよっていう感じなら、自分のためには弾きますけどね。
人前にはもう youtube もやめちゃったんで、弾かないなっていう感じはしますよね。
演奏能力の相対性とキャリアの集約
はい、ということでちょっと宣伝になりますけど8月の22日、これやってる頃ももうギリギリだとか後かもしれないけど、
もう残り少ない感じで、ほとんど埋まったのでありがたいなと思うんですが、いつまで弾けるかなって感じだよね。
まあそういうところの定感もある話で、結局は演奏能力っていうのはね、やっぱりすごく相対的なものだよね。
技術かける表現力っていうね。 そのあたりはやっぱりね意識して坂本さんなんかはやってるかなっていうね。
遅くなってますもん、すごいびっくりですよ。 すごくね攻撃的な感じでセンメディを弾く場合とも最後のオーパスっていうね。
あの最後の自分で音楽をね、あの演奏を記録したいということで作られた映画ですよね。
BPMすごい違いますよね、表現力もね。枯れてるって感じだよね。 力もやっぱりガンダからない状態で、本当にしんどい時に弾かれたんだと思うんだけど、
もう本当に最後の渾身の力をね、振り絞ってね、やるというか。
そこもすごい尊敬しますよね。しんどいはずでカメラね、あれ何台もないから弾き直してると思うんですよね。
一曲センメディで弾いても3回ぐらい弾いて繋ぎ合わせてるんだと思います。
映像をね、切り替えしてるでしょ、カメラがね。
それでやっぱりカメラの撮影者も多くないですよ。あまり多くするとノイズになるからね。
だからそれで何回も撮ってるっていうきついところもあるので、いやもう最後の力をね、振り絞って多分されてるんだと思うんですけども。
だからね、限られたその中でそれをやっていくっていうところで、どっちが良いか悪いかっていうよりも年を取ることによってね、
生まれているような表現っていうのはやはり独特だし、
だからこそその人のキャリアというかキャラクターっていうのが全て現れているのかなと思ってね。
僕も自分に納得した演奏を最後に心がけたいなというふうに思ってね、演奏したいなと思います。