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おはようございます。小松でございます。 今日ね、今お昼食べた後で、あの大学の近くの岩谷不動村というところがあって、
そこをね、ちょっと別の道があってですね、少し散歩しながらといっても、結構上がり坂なんだけどね。
息が途中切れたら申し訳ございません。喋ってみたいなというふうに思います。 今日ちょっとあの表現論というか、ピアノの演奏とか音楽演奏と、
それとちょっとスパイスを聞かせていくというか、ちょっときつい言い方で言うと、毒とかですね、
暴力とまでは言わないけど、ちょっとえって思わせるような、 そういうスパイスを入れることについて、ちょっと手の内みたいな話をしてみたいなというふうに思います。
それでね、僕はいろんな場所で演奏をしますよね。あの即興とか、 あとはある種当たり障りのないところで、
公共空間の音を作ってますよね。だからね、そこではあまりなんかね、
あの、 違和感のある音を出すと良くないんですよ。えって思うとね、治療が進まなかったり、
利用される方の意識が止まってしまいますでしょ。 だからね、そこは入れないようにしないと換気音楽というか、
排気音楽は作れないんですよね。 ただね、そればっかりやっちゃうと、
まあ、 つるっとした、引っかかりのない
音楽になっちゃうんですよね。 それだけでも別にいいんだけど、そのライブとかね、
人前でこのパフォーマンスするときの話で言うとですね、 そういうことをやっていると、
あまりその 表現としては
水に流れて終わっちゃうみたいなね。 そういう感じになっちゃうんですよね。だからね、
まあちょっとまあ意図的にするっていうことでもないんですけど、 やっぱりちょっと違和感を出すというか、違和感を出すためにやるっていうよりもですね、
自分の存在を出すというか、
あの承認欲求じゃないんですよね。これすごく難しい言い方なんだけど、
音を出したいから出すってことですよね。誰かに見てほしいっていう願望が先にあって、 出すんじゃなくて、
なんかね、 どうしても音を出してしまうから、結果的に音がね、
周りに伝わってしまうという、 いわゆる、
観音型っていうことですよね。 初めに計画してない、思わず出ちゃったっていうのがね、あると思うんですよね。
で、そういう音っていうのはね、僕が音楽を人前で演奏する時というかね、そういう初期は結構あったんですよね。
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でね、初期に作ったThe Sceneっていうアルバムがあるんだけど、これね、 それ以降のアルバムにはない音が出てるんですよね。
当時はね、荒削りで、なんかすごく、一人よがりで、あまり寝られてなくって、欲望があって、
変動が高くってみたいな。まあ簡単に言うと聴きづらいんですよね、最初の曲というかアルバムって。
でもね、今聴くとね、やっぱり今どういうかパージされたものというか、失われたものというか、出してこなかったものが全部そこに出てるんですよね。
ああ、これが今出てないなあ。それをね、一言二言で言うと、毒と暴力なんですよね。
やむにやまれず、結果的に毒と暴力の音が出てしまったっていうね。 まあどうになる、暴力の音って結構圧が強くて、音圧が強いだけでは暴力ではないんですけど、
なんかゴーンと出ちゃうような、その音を聞くことによって人がググッと持っていかれちゃうっていう音があるんですよね。
それが割とね、即興性の強いアルバムだったので、多様されてるっていうかね、結果的に出てしまったんですよね。
これ人前で出そうかどうかがすごく当時ね、2002年の頃、気になったりとかですね、いろいろこうあの
春秋したんですけど、結局出そうっていうことで出したんですよね。 で、それが今巡り巡ってね、あの聞き直すとね、特にこれね、息子が最近あの
同家関係のね、表現をものすごく極めつつあるんですよ。 で、そういう中で、まあいろんな音をね、音楽を活用するわけじゃないですか。だから
まあ親がね、弾いた曲、ずっと聴いてるんですけど、聴き直してみたところ、いやこれはすごいと。
いやもうなんか手前見そうかもしれないけど、あんまり親のこととかよく言うタイプじゃないんだけど、これ本当にいいっていうね。
例えばひとひらの海とか、I design myself っていう曲がね、あったりしますけどね。 あと終わりのない季節ね。あのあたりがちょっとね、引っかかるというかグイグイ引き込まれていくね、あのクオリティというかね、
そういうあのテクスチャーがあるっていうふうに言ってるんですよね。 で、やっぱり聞き直したんですよね。2002年だから今から24年前ですか。早いな、24年。
やばいよね、24年前か。 やっぱ持ってるんですよ。今に出てこなかったもの。
なんかあの自分でちょっと抑圧してたものですよね。 これ出すとね、別にいいんだけど場が終わっちゃうんですよね。出し切るからね。
そういうものがね、やっぱりリミッター自分でかけてるところは絶対あるんでね、人前で弾くときってね。
でね、それがね、やっぱりあの 2002年のザシーンを聞くとやっぱあるんですよね。ちょっとリンク貼っとくからよかったら聞いて、スポティファイで今ね、こちらにリンク貼っとくね。
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でね、それっていうのは結局言葉で言うと、やっぱすごい毒なんですよね。あれなんか引き込まれたなとかね、あれもう一回聞いてみたいとかね。
あれちょっと取り込まれちゃった気がつけばみたいな、そういう毒系なものと、あとガツンと持っていかれるね、暴力性ですよね。
あのこれ暴力性って音がでかいだけの話じゃないんですよね。これなかなか言うと、ちょっと言葉では言いづらいというか。
まあ感じてもらえればいいんですけど。 まあそういうね、ものがやっぱあるんですよね。
だからまあね、あの そういうものを別に意図して出したいとか言うわけじゃないんだけど、最近あの人前でね、昨日なんかも
近畿大学で色彩に合わせてあの即興ね、10曲ぐらい弾いたんですけど、やっぱ出るんですよね。即興だと出る時があるっていうか。
まあそういうことをね、あの意図的じゃないけど、それ出し切った後、僕は何を思ったかというと、
あ、自分自身が音のカチューに取り込まれていったなっていう音の魔力をね、感じる瞬間になるんですよね。
だからね、あの7月4日にあのピアノライブが京都タワーであるでしょ。午後2時からと午後3時からとね。
まあアコースティックピアノじゃなくてデジタルピアノで申し訳ないんだけど、出てしまいそうな気がするんですよね。
もう今出てるんですもん、あの橘大のリエちゃんピアノで。すごい出てるんですよね。弾かせてくれるというか。
やっぱそこをね、今まであんまりこう段々段々閉じていったっていうのはね、多分そつなくピアノを弾こうとかね。
あの演奏しようっていうふうに思ってたっていうことと、あとは周りが忙しかったから、心に余裕がないとね、単なるねタスクになるんですよね。音楽とか演奏とか。
そうじゃなくて今ね、多少時間ができて自分自身と向き合ったりとか、あとね、あの全意識の時間が結構あるんだけど、そういう時にやっぱね、ふと出るんですよね。
音ってなんだろう、音は目に見えないけど、その音の見えない音の状態の上をね、空飛ぶ絨毯みたいに乗っかって動いていこうかなみたいなね。
そういうなんかね、変な妄想というか、そういうのがやっぱり出てきてるんですよね。
それはまあね、京都タワーは100メートル上の上空なんで、そういう空気感が出やすいっていうこともあるんだけど、出そうな気がするんですよね。
なんかね、それがね、やっぱなんか、次の展開、引き込んでいくというか。
まあこれもうちょっとね、抽象的な話で、これは伝わる確率は少ない話しちゃうけど、今でそういうふうにパージされていた自分の演奏って点なんですよね。
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よくて1000ぐらいですよね。点が1000になるかならないか。でもそのね、独とね、暴力やっていくとそれがね、1000になるし、面になるし、なんなら立体ですよね。3Dになるんですよね。
この感覚っていうのがね、持っている演奏家、ミュージシャンと持っていない表現者とでね、分かるんですよ。僕分かりますよ。
あ、この人3Dでやってるなとか、この人点だけで終わっちゃってるなとかね。
まあそういうのがね、僕は最近は忙しいっていうことを言い訳にするわけじゃないけど、やっぱ点だったんですよね。点になり下がっていたみたいな感じで。
でそれをね、やっぱり線に戻したり、元々の面とか3Dでしたもんね。ザシン3Dでしょ、あれ本当に。ひとひらの海とか、終わりのない季節とかね。アイデザインマイセルフとか。
まあそういうところに、また初心に戻るというか、戻るっていうのは昔を解雇するんじゃなくて、その立ち位置に精神性をね、また調整して、そこから今の音を出すっていうことですよね、55歳のね。
まあそういうのを、別にこれが何かになるわけじゃ全くないんだけど、自分の生きてる呼吸みたいなもんで、そういうのができたらいいかなと思っているので、7月4日ね、宣伝も加えちゃいましたけどね。
それをやると思うし。でもね、やっぱり電子ピアノでお客様が来られるけど、やっぱり割とストリート的なとこなんですよね。椅子とかないですからね。立ち見なんでね、すごい悪いんだけど。
で、没入するのはやっぱりね、8月22日のね、ピアノライブが中記憶で予定してるんですけど、今プレミアムの方にはね、ちょっと先行でご案内させ上げてるんですけども、それでうまくいく可能性は高いかなというか、少数でやる予定にしてるね、ライブがあるので。
行きたいなっていう方がね、割と周りにいらっしゃるのでね、ここでいつやるとかね、申し込み方法までちょっとご申し訳ないです。クローズドでちょっとまだね、クローズドしてるんですけどね。
必ず出ると思いますね、そこでは。絶対出そう、その暴力性と毒が。それが出て何になるんだって思われるけど。
やっぱね、僕の知り合いの年をとってきた表現者といろいろ話すときに、やっぱね、自分のわがままとか、自分の引っかかりというかね、違和感というか、そういうの出さないとね、50過ぎてから特に60、70なっていくにつれて、持たないんじゃないかって話で。
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そうしないとやってても単なる量産のコピピじゃないですか、表現。どこでやりました、何やりました、そういうリストを1個、2行増やすことしたくないからね。
そんなことして年をとってね、死んでいきたくないんで。だからそういう感じで、子供心でやーってね、引いてやーっと終わるみたいな。
ビーング際でやっていくのがいいんじゃないかなっていうね、そんなお話でした。