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セイカは昔は良かった話
2026-07-21 08:45

セイカは昔は良かった話


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おはようございます、小松でございます。
今、響きがめちゃくちゃ広い感じで届くような場所に来ております。
こちらは、某セイカ大学の琉球館というところなんですけど、
僕もここに何年いたかな、18年ぐらい、この223というところにいて、
今ちょっと、そこたまたま同僚が、仲の良い同僚が今いてて、
ちょっとそのかたまちなんですけれども、
すごいここの建物、教会の修道院みたいな感じで、
コンクリートの打ちっぱなしで、1階と2階となって、
2階がすごい広いんですよね。
三角形みたいな感じの屋根というか、
霧妻城っていうんですかね、2つあって、
それで斜めに、真ん中に行けば行くほど、
階段が、階段じゃない、屋根が上に上がっていっているような、
そんな感じのところなんですよね。
そこで、ほんとちょっと喋るだけですごく音が広がるので、
ここで思い出したのは、今ここ、ちょうど中間地点なんですよね。
そこの場所でピアノを弾いたことがありましたね、ここでね。
すごく響きがあるので、ちょうど休み時間とかね、
普段の授業の時間だと結構迷惑かかるんで、
ちょっと休憩タイムみたいなときに弾いたような、
人文学部の主催だったかなんかわからないけど、
ぜひ弾いてよみたいな感じで、
当時はいろんな場所でゲリラライブやったりとか、
オープンキャンパスだって言ったら、
在学生の松井くんっていう空中ループの子なんですけど、
今バンドやってて、その子がですね、
三振とかいろんな楽器をね、2個とかを使うんで、
僕の曲に合わせて弾くとかね、そういうことをよくやってましたよね。
なんかね、そういう余裕みたいなものがすごくある時代、
今2026年ですけど、2001年の入ったあたりぐらいは、
まだこんなに夏で暑くはなかったし、
なんかね、ちょっと風通しがよかったような感じがね、
するわけですよね。
当時はですね、目の前に本館があるんだけど、
これ本館とか何館っていうのかな、
これもね、ほとんど建ってなかったんですよね。
いつあったのかな、この本館が。
2009年だから、まだまだ全然風通しがよくて、
しかもね、奥の方に山が見えるんですよね。
山のところの、山と言っても棚田みたいな感じなので、
谷状のVの字になっているんですよね。
Vの字のところの一角にこの建物も長く、長い状態であるんですけど、
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独特の湿気感があるんですよね。
そんなところで、ここで十何年、
19年ぐらいこの建物にはいましたね。
最初入ったときは、1階だったんですよね。
1階でそんなに屋根が高くなかったんですけど、
ちょうどですね、2階にいらっしゃる、
詩人で2年ぐらい前に亡くなった片桐譲さんという方が、
超有名です。
もしよかったらググっていただいたらと思うんですけど、
詩人ですね。
詩人とかね。
その方と一緒に、いろんな活動をしたりとかもしたんですけども、
その方が退職したときに部屋が開くから、
僕はここに入ったんですよね。
入りたいなと思ったのは、やっぱり広いし、2階ってすごく好きだし、
湿気も少ないので、そんなふうな感じで入ったんですけど、
その場所も割とコンクリートでしっかりと作られているので、
よくリハーサルというか、オートハウスをしましたね。
今はちょっと、お辞めになってしまったんですけど、退職されて、
津泉邦子先生という、
妖怪研究の人文学の先生がいらっしゃったんですね。
その方はですね、ギブソンのギターを使って、
ブルースがめちゃくちゃうまいんですよ。
だからブルース的なものとピアノ的なものと、
それを合わせてですね、
津泉先生がいろんな公演をプロデュースするということで、
百物語とかね、
その辺りの妖怪系の語りのね、
いろんなイベントがあったんで、
それで僕も出てですね、
ギブソンのギターとピアノと合わせてやってたっていうのがあって、
そういうなんかね、人文学部ではあったけれども、
割とね、音楽つながりでどんどん広がっていけるような、
そういう感じのね、活動ができたんですよね。
人文学部にいながらCD作ったりいろいろ、
当時はCDがね、すごく音楽のメディアの媒体では、
その流れが一番大きかったので、
CD作ったら100枚200枚が売れたりね、
すごくそんな時代だったんですよね。
個人のインディーズで作る中でも、
100枚コールってやっぱりすごく難しいので、
大体そういうのがクリアできててですね、
すごく良い音楽の交流できたかなというふうに思いましたね。
あとね、同僚で学長だったね、
うすびさこさんも同じ時期に入ったんですよね、2001年にね。
うすびさこさん、みかみかよさん、こまつって3人が入ったんですけど、
3人ともちょっとキワキワな人間という、自分で言うなんですけれども。
さこさんが、北白川の天一の本店があるんだけど、
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そこの北白川のところで、バオバブっていうお店を開いてたんですよね。
そこのバオバブのお店、アフリカのマリ出身だから、
マリのいろんな料理とかね、お酒とかね、そういうのを振る舞って、
ランチからやってたかな、ディナーもやってたと思うんですけど、
それで月1回で土曜日の夜6時ぐらいからね、
ライブをさせてもらってたんですよね。
そういうことがすごくあって、
なんかね、月1回でやっていくっていうか、そんな時期がありましたね。
その時に松井くんも出たし、他の音楽やってる聖火関連の人も出たし、
なんとなくご飯食べながらね、ただ飯食べながら、6時、7時、8時、9時頃までやって、
それで研究室にある電子ピアノを運んでですね、やってて、
それで当時、2003年、3年、4年ぐらいの話かな、
4,5年かな、2005年前後ぐらいだと思うんですけれども、
そこに来てくれたファンの方っていうのは、
未だに細く長く続いてる人が数名いるよね、2,3名ぐらいはいるんじゃないかな。
だから当初、過去のね、今だったらYouTubeとかネット系が中心ですけれども、
リアルなところでやりとりというか、来てくれた人がすごく多かったなっていうのがあったりしましたね。
なのでそういう時代がすごくあったので、
音楽をですね、一緒にできてた時代っていうのがすごく、
2000年の前半ぐらいにはすごくあったなっていう感じだったですね。
だからね、そういう自由に音楽を作れたとか、やったとか、
で、そこでまたコミュニティが広がっていくとかね、
ネットとは違うリアルな場所でのやりとりっていうのがね、
やっぱりこの成果大学でできてたっていうのはすごくありがたかったし、
そういうところでやっぱり最初が大変じゃないですか。
音楽作るにしても、クリエイティブするにしてもね。
同じ仲間とか同士とかがいないと、やっぱりどうしてもね、
孤独になりがちだし、長続きしないところがあるんだと思いますね。
今ってネットでね、簡単にいろいろな作品とかはすぐにアップできたり、
一見なんかシェアできたりはするんだけれども、
やっぱりデジタルの問題点っていうのは、本当に手応えがないっていうことですよね。
はい、そんな感じでまた一緒にいろんなところで、
いろんな経験ね、音楽、ネットを含めて、リアルを含めて今後ともね、
よろしくお願いいたします。バイバイ。
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