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2026-01-16 38:44

医師免許という呪縛 — エリート夫婦が長女に託した希望と破綻

映画『どうすればよかったか』が描く25年の未治療期間の裏には、愛情と理性が絡み合った家族の決断がありました。第36回では、発症時の診断の行き違いと、1980年代の医師免許の欠格事由が「病気ではない」とする束縛を強めた両親の心情を精神科医の視点から検証します。自宅研究所に象徴される「抱え込み」と、その破綻の先に見える支援の本質を読み解きます。

 

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サマリー

このエピソードでは、精神科医療の歴史や、医師免許取得を目指す家族の愛情の葛藤が語られています。長女の発症やその経過、医師になるための苦労と両親の支えが明らかになります。エリート医師の夫婦が長女の統合症状に対する希望や挑戦についても話します。夫婦は自身の余生をかけて彼女を支え、医師免許を取得できる可能性を信じ続けながら、社会の偏見や精神科医療の変化についての視点も示します。医師免許を持つエリート夫婦が長女に期待を寄せつつ、その重圧や苦悩に直面する姿が描かれています。家族の絆や選択の苦しみを通じて、人生の選択の重要性が深く考察されます。また、医師免許の影響を受けたエリート夫婦は、長女に寄せる希望とその背後にある破綻についても述べます。

精神科医療の背景
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモ等。
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、運営しているもう一つの会社、社会人サッカークラブの今期の活動が無事に終了して、ホッとしている桜がお送りします。
映画どうすればよかったか、感想会です。
前回の続きからお送りします。
25年間の未知病期間がなぜ起こったかが一番の謎かなと思うんですけど、監督自体もよく分かっていないと思うんですよ。
答えは見つけられていない気がしますね。
答えも分からなかったし。
これを僕は考えてみた結果、両親の強い愛情と強い理性というか覚悟が絡まって25年間続いてしまったのかなと思うんですよ。
決して、あのご両親は自分のためだけとか、この25年間を無意に過ごしたんじゃないと思う。
子どもたちのためになんとかっていうことをずっと記念して決意してやり続けた25年やったんかなと思うんですよね。
そこのところは何でそうかっていうことをちょっと見ていきたいと思うんですけど。
始めのシーン大切かなと思うので、この25歳のお姉さんが発症した時の話っていうのをちょっと紐解いていきたいと思うんですよ。
長女の発症と入院
ちょっと映画でも語られるし、このディレクターズノートにも記載があるんですけどね。
それをちょっと見ていきますと、25歳お姉さんが大学2年生でした。
医学部の解剖実習か、あれが始まって結構解剖実習って医学生にはストレスかかるんですよ。
聞いてます。
すごく勉強しなあかんし、いろんなストレスがかかってくる中でのことなんですよね。
この時にお姉さんが発症することになるんですけれども。
わーって叫び出して病院を連れて行ったんやけれども、翌日お父さんが連れ帰ってきたっていうことが説明されます。
もうちょっとこのところを見ておきましたら、ある夜、25歳のお姉さんが事実と異なることを大声で叫び始めると。
どうもその内容はですね、お父さんが歌合戦の番組に出たのに、それに応援に行かなくてごめんなさいみたいなことを叫び始めたようです。
お父さんはその頃関東の方に単身赴任してるんですよね。
藤野家自体は札幌にあるんですけれども、そんなことは絶対ありえん話なので。
お母さん56歳で、この時は基礎医学の研究してるお医者さん。
上級医だったと思いますわ。
17歳、高校2年生の監督ですね。
これが家にいてたんですよね。
で、単身赴任先のお父さんに電話して、どうしたらいいでしょうって聞いた。
お父さんはどう指示したかというと、自分の教え子の勤務する病院の精神科を受診するようにと。
自分の教え子の勤務する病院っていう風に英語の中では語られました。
お父さんは基礎医学の研究者で、自分の教え子の勤務する病院っていうのはどういうことかというと、
おそらく教育機関を兼ねた大病院だと想像します。
これは僕はね。
大病院の精神科を受診するようにという風にお父さんは指示して、
受診がお母さんと監督である弟と、お母さんのおじさんなのかお父さんのおじさんなのかわからないけど、
おじさんが一人付き合ったようです。
ところが弟さんは途中で送り返されたみたい。
だからどんな風に診察されて入院したかっていうのは監督は見ていない。
ただ帰ってきたのはお母さんだけだって、その晩はお母さんと弟で過ごした。
お姉さんは多分その病院に入院になった。
医師免許取得への道
翌日お父さんはその病院に出向いて、主治医の先生とお医者さんと本人とで面談して、本人とお父さんは自宅に帰ってくると。
その時お父さんが言うには、精神科医は本人は全く正常だ。
両親が病の勉強を強いたために統合症状の不良をしていたということだ。
本人もそのように言ったっていう風に述べています。
これが監督が記憶しているし、映画でも語られていましたけれどもね。
その後監督はですね、この言葉は信じられないと思う。
なぜかというと、その後の姉の行動っていうのはとても正常とは思わなかった。
監督が書き下げているのは、良い時も悪い時もあったって書いています。
この監督はですね、2003年なんですけど、お姉さんが発症してから20年後、監督が37歳の時に、当時お姉さんを診察したと思われる先生と面会しています。
その時の記録はね、このディレクターズノートというか、この映画のパンフレットに書いているんですけれども、会うことができたんですね、20年後に。
会いたかったわけですよ、監督は。その時の状態を聞いたんですね。
そのおじさんはどう言ったかっていうと、確かにそのお姉さんは私は診察したと。
ただ、若い人の精神状態の変化が大きいから、たった1回の診察で診断を下すことはできないと。
で、お父さんからは娘は元気にやっていると、年賀状をもらったこともあるっていう。
つまり、この先生は病気じゃないとは言ってないと。ただ診断はつけないねって言ったんですね。
で、この先生っていうのは、どういう先生かっていうのは、ディレクターズノートにも書いてないんですけど、
僕が想像するに、そのそこのお父さんが登場した場面で対応することができるおじさんの中で、
最も喰らいが高いというか、上の先生がやったはずなんですよ。
だってそのお父さんっていうのは、一番喰らいが高い部分の方が来たわけなので、
その方に対して対応する意思というのは、少なくともそれに類するぐらいの人が来たはず。
だからこそ、そのお父さんが、この先生がこんな風に言うたっていう言葉は、非常に重みを持って、この藤野家にのしかかっていくことになるんだけども。
その時に、たぶん言うたであろうこと、今までのことを勘案すると、お父さんとその先生との会話ではこんなんじゃなかったかなと思うんやけれども、
たぶんその先生っていうのは、現在お姉さんっていうのは、統合症状、この時は精神分裂病ですけれども、精神病とは診断はできないって言うたはずなんですよ。今すぐには。
もしかしたら統合症状かもしれないけど、違う可能性もあるので、今日の時点では確認、診断はできませんって言うた。
たぶん言うたことやけれども、精神疾患の可能性もあるし、反応性の症状、つまり一過性にこんな風になることって人間あるっちゃあるので、かもしれへんから。
だからまだちょっといろんな可能性があるよねって言うたと思う。
その中の一つで、本人が良心反発して病気の不良してるっていう可能性っていうのは、ゼロではないよねぐらいの言い方を言ったと思う。
なるほど。
で、たぶん今後フォローしていきましょうって言うたんちゃうかな。これは僕やったら必ず言うなと思うんですけれども、ただそういった特殊な状態なので、もしかしたら言えなかった場合もあるかと思うけど。
たぶんこんな風にお父さんにその位の高い先生は言うたんちゃうかなと思うんですけれども。
そうですよね。同じお医者さん同士やし、そうやね。
で、お父さんっていうのはこの一番初めに言うた、統合失調症とは診断できないっていう部分を取って、
プラスその可能性の部分を取って、病気の不良しているっていう部分だけを取り上げて伝えた。
全く正常だったもんね。
全く正常にしたんですよね。で、この際お姉さんはごめんなさいと言って頭を下げたっていうのも、ご両親の話からも伝わってきます。
確かに嘘じゃなかったんやろうと思います。お姉さんはこの時頭を下げたんだろうでしょう。
おそらく入院後ですけども、厚生新聞学の問いを行われたと思うんですよ。
数時間で症状は改善しますから、厳格妄想の興奮っていうのは、数時間で治ることっていうのはあるのでね。
それぐらいのことはあってもおかしくないかなと思うんですけど、でもこれだと長続きもしないこともあるし、
家に帰ってきた後、また悪なることもあったし、良くなることもあったんかなと思うんですけどね。
で、お父さんがその日っていうのは、多分焦ってたこともあろうし、そういう判断をしたんかなと思うんやけど、
多分どこを一番恐れたかなって思うのは、彼女の将来やったと思うんですよ。
ここで一番問題かなと思ってたのは、統合視聴症と診断されたら、医師免許は取れなくなるんですよ、この時期。
そうですよね。私もずっとそんな認識でした。
現状は違うんですけどね。
病気だからといって、医師免許の欠陥事項っていうのはなくなりました。
ただ症状に応じてはもちろん欠陥事項になることもあるんですけれど、診断されたからといって、医師免許を取れないということはなくなったんですよね。
ないんですね。
2003年くらいになるんですけれども、この時点は80年代ですからね、もちろん欠陥事項なんですよ。
つまりこの時点で統合視聴症であるっていうふうに認めて治療を受けさせちゃうと、医師の道っていうのがお姉さんには閉ざされることになるんですよね。
これを多分一番恐れたのと違うんかなと思うんですよ。
だから統合視聴症っていうふうな診断っていうのはついてないということにしないと、お姉さんっていうのは未来がなくなるぞって反射的にきっとお父さんは考えた。
そうやな。
で、一旦そこで考えて、そんなふうに家に戻した後、どうなっていくかっていうと、そこはきっちりは書いてないんだけれども、監督曰くいい時もあれば悪い時もあった。
いい時っていうのもあったわけですよ。
いい時もあったから、彼女はこの後、医師国会試験を受験するんですよね。
そうですよね。
医師国会試験を受験するってことはさ、医学部を卒業しないとダメなのよ。
そうなんよ。だからそこの実習を全部クリアしてきてるってことですよね。
そうなんです。実習だけじゃないですよ。いろんな試験がありますね。いろんな実習もありますよね。
卒業試験もありますよね。非常に難関数。めちゃめちゃ頭が冴えてる人にとっても難しいことなんですけど、それを彼女はクリアしていくことになるんですよ。
で、いい時もあってば悪い時もある。つまり悪い時は全くそんなこともできないはずですが、でもいい時もあったんだよね、この頃っていうのは。
お姉さんが20代30代の頃っていうのは、つまり症状はあんまり目立たずに勉強する時期もあった。
もうちょっというと、お姉さんは勉強をしたかったというか、するというご両親の流れに乗れた。
本当にしたかったかどうかは別にして、少なくとも頑張ったはず。
医学部の挑戦
この医学部の卒業するまでの勉強って結構大変なものなので、
そりゃそうだと思います。
たぶんお母さんは手伝ったと思うんですけれども、でもそれだけじゃ決してできない。
本人がやる気がなかったら絶対できないことなので、しかも病気もある中でやったんですよ。
ここが良かったのか悪かったのかって思うんですけれども、
つまりそれでご両親っていうのは、こいつできるというか可能性があるのではっていうふうにきっと考えたんちゃうかなと思うんですよね。
期待大きくなるよね。
だからもしかしたらやっぱり医師免許も取れるかもしれんし、
この研究医としても過ごせるんじゃないかなっていうふうに考えたんちゃうかなと思うんですよね。
ただまあやっぱり残念なことに、この登校試聴症っていろんな経過をたどるんですけれども、
良い時もあって悪い時もあって、それを繰り返す中でだんだん症状っていうのは重くなるんですよ。
そうなんですよね。
だから当初できてたようなこと、医学部の勉強ができてたお姉さんっていうのが、
おそらくどんどんしにくくなってくる状態になってくる。
だから僕らが映像で見た43歳からのお姉さんっていうのは、
とても普通の話もできへんぐらいなのに、論文の話なんてできるはずないじゃないか、
テストなんて受けられるはずがないじゃないかって普通に見てたら思うんやけど、あの画像を見てたら。
でも多分数年前にはできる事態っていうのがあったのよ。
そうなんよね。
そのイメージがグローシーの中ではあった。
つまりそういうお姉さんを生かしたいというか、可能性を残してあげないとあかんということを強く考えたのかなと思うんですけどね。
研究所の設立
確かにそうですね。
これがだからお姉さんが20代とか30代にかけてですよ。
多分お父さんが一番大きな決断をした時期っていうのがあると思うんですけど、
これがこの本人が、お姉さんがですね、おそらく大学を卒業した後1年か2年経ってて、
お母さんとかがいてたような研究室とかに勉強に手伝いに行ってたぐらいの時期。
ちょうどその頃にお父さんが退職するんですよ。
66歳で退職してきて、札幌のご自宅に帰ってくるという時期。
この時期に多分お父さんは決意したんやと思うんですよ。
つまり自分と妻とで、このお姉さんのですね、症状とか人生を引き受けるって。
なんでかっていうと、自宅を新築した、あの綺麗な自宅あるじゃないですか。
あれはね、実はもともとの家じゃないんですよ。
そうなんですか。
あの家はお父さんが退官してきて、66歳の時に退官してきた時に、
自宅を改築して、あの家にして、プラスこの研究所を作りました。
あの研究所っていうのもポイントで、普通基礎医学の人があんなことは絶対しえへんと思う。
あれそうよね、自宅の中やったもんね。
自宅の中で研究所を作った。それは趣味でね、そんなことをやる方っていうのはあるかもわかれへんけれども、
お父さんのようにちゃんとした研究機関、教育機関でずっと勤めてきた方が、
自宅の中で趣味みたいにそんなことをするはずが普通はない。
僕は今まで聞いたことないし、
まあ趣味みたいにやってる人も、それはないことはないと思うんだけれど、
比較的ちゃんとした実験器具が揃ってたんですよね。映画の中で紹介されましたけれどね。
お母さん紹介してましたよね。
お母さんも研究員だから、それができるんですよね。
お姉さんのためなんですよ。
お姉さんの実績を作るために、あの研究所を作った。家も改築した。
自分たちの余生をかけて、お姉さんの人生をサポートしようって決めたんですよね、多分。
実際そこができちゃうんですよ。
偏見と医療の変化
やっちゃったんですよね。
破綻せずにできちゃったんですよね。
まあね、その意思の可能性をやっぱり残しとかなあかんし、
今後もしかしたら意識免許を取るかもしれんし、
あるいは自分たちのように研究員としての将来もあるかもしれんし、
本人自身も病気として、なかなか理解を示すような感じでもないし、
プラスこの時期っていうのは、やっぱり偏見強かったから。
そうですね。
もしお姉さんが統合症症、精神病で診断されたら、監督自身にね。
弟さんにね。
弟さんにね、いろんな問題があるんちゃうかとか、
あるいは自分たちの親兄弟とか親戚とかに影響が出るんちゃうかと思ったと思う。
家族大切やしね、自分の一族大変だとしてると思ったと思うし。
本当にそうね。
まずそこやちゃうかな。
確かに自分たちの名声とかにも傷がつくとは若干は思ったかも分かれへんけれども、
そこよりも多分本人のため、あるいは家族のため、一族のため
っていうふうにお父さんお母さんが考えたんちゃうかなっていう気がして、
この決断をしたんちゃうかなと思うんですけどね。
でも不安いよね。娘さんのほうが絶対長生きするし、
ある程度もうちょっと精神科の病気かもっていうのも思ってるやろうし。
そうなんですよ。
ねえ。
そうそう。そこを軽視してますよね。
もうちょっと深く、もう一段深く考えたら、
やっぱりちょっとここは考えるかっていうふうなことになってもよかったんちゃうかなとは思うけど、
でもまあそういう決断を彼らはしたってことよね。
二人ともお父さんもお母さんもお医者さんやったっていうのがちょっとよしわるしやったんかもね。
お父さんのほうがお医者さんじゃないほうが不安はもっと強かったかもしれんし。
でもね、お医者さんということで一心にはやっぱりしにくいかなと思うんですよね。
やっぱり専門分野はすごく分かれてるし、
自分から専門離れるとなかなか分かんないっていうことが分かると思うんですよね。
やっぱりそこの情報って取っていかんと入ってけえへんから、
お父さんが勉強した段階っていうのはどうしても古いから、
今現時点の医療情報はどうかっていうことは常に更新更新していかなあかんっていうのが、
臨床医でそうなんですけどね。
お父さんはそういうトップに行ってた方と思われるので、
そういうことの大差は分かっていたはずだが、
でもこの時点でもやっぱりなかなかしづらかったんかなという気はするね。
でもあんなふうに不安定になる娘を見てて、
どんな気持ちだったんかなと思って。
めっちゃつらかったと思うんですけどね。
と思うんですよ。
それはつらかったですね、見てて。
つらかった。
僕ら映画見るのは1時間40分ですけれども、
しんどかったやつって数十分ぐらいですけれども、
彼らにしたらそれが日常なわけですよね。
だってもう最後の方、もういいって思いましたもん。
つらくて。
つらくてね。
あれが夜とか朝とか、わけのわからん時に起こってくるっていうことで、
もちろんそればっかりではないと思うんだけども、
そういった時期があったっていうことよね。
でもそれが耐えれるだけの能力がやっぱりあったわけですよ。
普通だったらどっかでくじけてしまうし、体調を崩してしまうし、
あるいは逆に精神的にいろんな症状が出てくるっていうのが本当やけれども、
彼らは精神的にも、意思のほうもしっかりしてたわけですよね。
そうですね。
それが耐えることができたっていう幸運というか不幸というか、
滅多にないことだと思うんですけれども、
そういうことが起こっちゃったっていうことですね。
例えば80年代の話っていうと、
今とはまた違って統合症症への偏見は強かったから、
あるいは精神科の医療っていうのもまた今ほどではなかったと思うので、
ある程度仕方がないというか、
精神科医療への偏見っていうのが強かったのはわかると思うんだけれど、
ただでも90年代とか2000年代になって、
映画が実際に映してくる場面になってくると、
日本の精神科医療もやっぱり変わっては来てるんですよ。
例えば1996年には第二世代の精神科、
抗精神病薬っていうのが使い始めて、
結構良い結果が出たなっていう時期もあったりとかするし、
あるいはこの2001年か、
2001年に医師の国家資格の欠陥事項に精神病者っていうのが撤退されます。
そうなんや、2001年。
欠陥事項の中には、
この心身の障害により業務を適切に行えない場合っていう風になります。
なるほど。
つまり診断されたからといってもなれないというわけじゃなくて、
症状が悪くて業務ができないって診断されたらっていう風に変わるわけですね。
だから診断されたとって症状がなかったら、
医師の国家資格通るよっていうことになるんですよね、2001年からは。
あるいは2002年には精神分裂病という病気が今の統合症症という名前に変わって、
世の中で統合症症への理解っていうのが深めないといけないよねっていう運動が、
運動というか動きが盛り上がってくる時期ですよ。
ちょうどこのくらいの時期っていうのが、
お姉さんの20歳とか、32歳とか34歳頃なんですよね。
なるほど。
この頃っていうのは、お姉さんっていうのは多分、
意欲低下とか執行機能の低下が目立ってきて、会話ができないような状態が目立ってきてる時期。
なので、この時期にご両親が、あるいはお父さんが、方向転換できひんかったかなという気はするんやけどね。
ほんまですね。でもお父さんも引退されてるもんね。
そうなんですよ。
でもね、これどうかな、これも想像で何でも、ディレクターズノートにも書いてないんですけど、
お父さんが引退した後、ずっと家にはいてなかったんちゃうかなという気もしてて。
あ、そうなん。
普通ね、元気な先生っていうのはバイトするんですよ。
お医者さんのバイトをしたり、あるいは先生として教育機関に教えに行ったり、何かしら外部とのつながりを持ってることが多いし、
そうすることでお給料も入るのでっていうことが、一般的にするんですよね。
エリート夫婦の試練
たぶんお父さんもそうしてたんちゃうかな。
しかも、自宅を研究所にしましたよね。
確かにね。
研究所って結構金かかるんですよ。
いろんな実験をするときにはお金かかるし、機材をかかるには莫大なお金がかかってくるので、
いくらポストにおった方といっても、引退すればそんな収入はなくなっちゃうので、
たぶんお父さんもお母さんもバイトは週数回ぐらい行ってたんじゃないかという気もしています。
わかんないけど。
でもそれって逆に外の接点にもつながるので、
医療機関とか教育機関とかにお父さんお母さんがつながってただろうから、
そうするといろんなニュースとかいろんな話、今時こうですよみたいな話は聞けたんちゃうかなという気がしてて。
そうね。
完全に家族3人だけあるいは4人だけで固まってたわけじゃないはずなので、
チャンスはあったのに。
チャンスはあったんちゃうかなという気はするんだけどね。
でも残念なことに25年かかっちゃいましたってことですね。
選択の重圧
25年のエンディングはどこで起こるかというと、
お母さんが妊娠症になって、世話できなくなってお父さんがギブアップして、
精神科病院にかかるというエンディングというかきっかけなんですけどね。
お母さん妊娠症になる前はずっとお姉さん不安定な状態でお母さんも生きてきてるわけでね。
お母さんが妊娠症になった場面って結構つらかったですよね。
つらいというかびっくりしましたね。
びっくりしました。映画なんで急に画面変わるからね。
お母さんが急に変なこと言い出したっていう感じでね。
だからお家の中で2人で話が噛み合わない人が2人いるから、お父さんつらいなぁと思いながら。
つらいなぁという感じになってね。
そうなって、ようやく監督の促しに応じてお父さんが決断したということでしたね。
まとめようと思うんですけど、この統合指標書で監督がね、
うちは統合指標書の失敗例ですというふうに語っています。
もちろん25年間の未知の期間があったという意味では失敗例というのは間違いではないけれども、
でもこの評価できる部分、ご両親がお姉さんへの対応であったんちゃうかなという気もするし、
あともう一個、お母さんが認知症出た時にお父さんが病院に入れるって判断したんですよね。
この判断も最終正しかったかなと思うんですよ。
それすらできなくなる方っていうのは結構いるので。
そうですね、ここまで来てたらね。
そこが判断できたっていうのも、確かに100点ではないが、40点ぐらいの20点になるのかよく分からないけども、
全くでもゼロ点というわけでもないなという気がするんやけどね。対応としてみるとね。
もしかしたら100点の可能性があった方にも関わらず、これぐらいの点数という評価ね。
僕が言うのはちょっと失礼なんやけれども、仮に言うとしたらそのくらいのことになるかなという気もするんやけどね。
精一杯選んで選んで選択してきた道やったからね。
あんまり他人がどうこういう話ではないのはもちろん分かるんやけれども、ついつい言いたくなる物語ではあるなと思いましたね。
そうやと思います。先進家の先生が見たらより辛い映画やろうなとは想像してましたけど、
でもなかなかこういうドキュメンタリーを見れる機会って本来はないから、本当に貴重な映画やなと思います。
そうですよね。本当にそうだと思います。
でもなんかね、すごい思ったんです。私、いろんな選択肢ってあるでしょ。人間生きていく中で。
本当に何を選択するかで変わるっていうのは想像できるんやけど、
もしこっちを選んでたらってなった時ってほら実際見れないじゃない。
はい。
1個しか生きれないから。だから今回の映画見てすごいねそれを思いました。
あの時こっちを選んでてこう動いてたらこうなったのかな。
でもこれってあくまで想像やから、きっとこっちの方が良かったんじゃないっていう方にもいろんな難題が出てきたり課題は出てくるんやろうけど、
だからこの選択する力っていうのはすごく大事やなと思って、
なかなかね、でもこの障害っていうのを持つと選択する力って弱いでしょ皆さん。
どうしてもね選択肢が少なくなるし経験値も少ないから、ここが強くするための支援ってしていけたらなーって思いました。
選択ってやっぱり人生そのものですよね。その方がどう選択したかっていうことが人生なので。
この障害を持たれている方とか病気を持たれている方もそうなんだけれども、やっぱりそういう方こそこの自分の選択って大切かなと思うんですよ。
これしかないって決めちゃって、こっちが決めたったらやっぱりダメで、たとえ失敗するにしてもその方が選ぶっていうことがやっぱり大切かなと思うので。
成功する可能性もあるし失敗する可能性があるってこの両方と取っていくっていうことが必要だから、
人生の穏やかさ
100%安全を考えたら難しいことになるよねと思うけどね。
でもきっとこの先にはこういう失敗とか苦しいことはあるよっていうのは、想像できる人はアドバイスしてあげたらいいし、その上で選択できるとね、
より広い視野で物事を見れるんやろうなって。
お父さんがもしいろんな方に相談してたら、また選択肢の幅が広がるからね。
もうちょっと知識を十分得てくれたら、きっと変わったん違うかな。
精神医学の専門家に会う機会はお父さんはたくさんあったはずなので。
もちろんその治療についてもアドバイスあったやろうし、世の中の偏見やったりとか、
お嬢ちゃんにとって何が一番いいと思うっていういろんな物の見方って世の中にはあるから、そこに触れる機会も持てたのになと思って。
知性があった方々やと思うから余計に思うのよね。
そう、そうな。機会がそれを理解して、最終その中でじゃあどうするって考える力がありあったからね。
お父さんもお母さんも。
できない方にあんまり言うのもどうかなと思うけど、この方々は絶対できたはずの方々やから。
できた。で、お姉さん自身、私5本に見てて思って、もう本当に真面目で、お父さんとお母さんが大好きやから、
必死になってお医者さんになったと思うんですよ。機体に応えようと思って。
で、この弟さんって監督されてるけど、お医者さんになってないでしょ?
なってないね。
でしょ?この家庭環境を考えた時に、やっぱりお姉ちゃんで、私がやらなきゃ、機体に応えなきゃっていうのがすごくあったと思うんですよ。
そうそう。四老したっていうもんね。
そうそう。四老して、お医者さん、やっと医学部に入ってて、すごいしんどい時間あったと思うね。
で、本当にお医者さんっていう仕事を理解してなりたかったのかなっていうところも、
もしかしたらお父さんとお母さんが期待してるから、喜んでくれるからっていう方向で選んでる可能性も、もしかしたらあるかなと思って。
うん。本当は違ったかもってことね。
本当は、本当にもっと自由にいろんな選択肢を持つことが若い時にできてたら、違う道を選んでたかもしれないし。
でなったら、この映画、最後ほらお葬式も撮ってるじゃない?
うん。
あれを見た時に、この方は今どう思ってるんかなーってちょっと想像した。
うんうんうん。
決してお父さんとお母さんの期待に応えたいと思って生きてきてたら、それはそれですごく満足した人生だったかもしれないけど、
もしかして、最後の時に正気に戻るというか、本当の魂になった時に、どんな風に感じたんやろうなーと思って。
よくね、最後の最後に後悔をしない人生を歩もうみたいなこと言うやん。
うんうん。
私もよくそれを考えて、生きていこうと今してるんやけど、
ああ、もうなんか楽しい人生だったって言って終わりたいなと思うんやけれど。
なんかそれあれね、父親が言うてたね、昔ね。
言うてたでしょ?
なんかそんな記憶があるぞ。
みんなやっぱりおっしゃってるんよ。いろんな作家さんとか本読んでても。
最後の最後に本当にいろんなことあるけど、選択を重ねて最後にたどり着いた時に、
あの棺桶の蓋が閉まる時に、あれもすればよかった、これもすればよかったっていうんじゃなくて、
とりあえず今生やりたいことはやったぞ、みたいなのが思えると幸せな人生やったなって、
多くの方が本とかにも書いてるんで、このまこちゃんはそう思えたんかなと思って。
お父さんとお母さんがドクターの中で医学部へ行くっていうプレッシャーってあるやん。
マリモ先生もね、マリモ先生のご両親はあれでしたけど、お父さんとお母さんで、
お医者さんではないけれど、まこちゃん自身も大変だったんだろうなと思って。
どう思って医学部に入って、その医学の勉強を続けて、
論文みたいなのを数本書いてるみたいなんですけれども、書いたんかっていうのは確かにわからんところではあるよね。
もしかしたら占いのことに興味を持たれてたみたいなので、
その医学部ちゃんは意思国家試験受験のバーターで、
慈悲出版の本を出させてもらったみたいなことを言ってたもんね。
うん、言ってたね。頑張ったらこれいいよ、みたいにね。
だからそれを実は本当はしたかった。
例えば人生の30代ぐらいにはそれを実はしたいと思ってたっていうのが、
もしかしたらメインだったかもわからない。
が、ただ病気になったおかげで、
そういう自分の人生を歩む動向っていうようなのがちょっと薄くなるというか、
に邪魔されてたのかなという気もするんだけどね。
でも治療を受けてからの状態っていうのは、自分が好きなことは割とできてたみたいだし。
で、弟さんがね。
よかったですよね。弟さんとお父さんと3人でね。
そうそう、いろいろ出かけたりとかね、自分がしたいことはやってたりとか、
楽しそうな場合もあったので。
結果的にでも、ああいう最後の場面が撮れる人生だったっていうことは、
彼女の人生で、病気で不幸だった場面も大きいけども、
穏やかな場面もあったかなっていうふうに思ってね。
この映画でそこも見れたなと思いましたね。
エリート夫婦の希望と破綻
つまみ食いみたいな映像を私たちは、その間を想像で埋めてるんやけれど、
最後のエンディングのところまで見せていただける機会っていうのは、本当にないから。
そうですよね。
弟さんの監督の気持ちっていうのもね、思うと何とも言えない気持ちになりました。
そうですよね。
まさに人生というか家族というかが映し出されてるなって思いましたね。
本当に。
だから終わったと自主上映会で来てらっしゃる方が、みんな同じ反応だった気がします。
ほう。みんな同じ反応?
同じ。みんなもう言葉も出ず。すぐ立って帰る人もいず。しばらく。
しばらくぼーっとしてるっていう。立てないっていう感じだった。
アンケート書いてくださいっていうのがあったから、それを書かなきゃいけないっていうのもあるんだけど、
みなさんやっぱり障害福祉の関係者の人ばっかりやったから、
なのでみんな同じ思いをそれぞれ持ってるんだろうなと思いながら。
この映画はなかなか見て感じることっていうのが多いので、整理するのも大変ですよね。
大変。そんな簡単には答え出ないけど、でもこれ本当に見とくと、
すごくご仕事で携わらなきゃいけない人たちにとってはすごくいい機会になるかなと思いました。
一つ省略と比べて、今僕が接している方について感じる幅が増えるというか。
家の中のことって先生方、特に普段外来でしか見ないからね。
まさにそうです。とても大切かなと思いましたね。
ありがとうございます。
第1節として統合資料書を語るっていうことですけれども、これで終わりにしたいなと思いますね。
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオは毎週金曜日午前5時に最新話が更新されます。
お聞きのアプリでフォローして最新話をお聞きください。
また番組を聞いた感想やご意見を募集しています。
概要欄のメッセージフォームからあなたの感想を送ってください。お待ちしてます。
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