2024-04-20 17:40

【母親の欠乏マインドがすごすぎて、笑けてきちゃった話】


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サマリー

実家に帰った際、母親との会話で、母親の欠乏マインドに驚かされる。抽選会や桜の花に関する出来事を通じて、考え方が変わるエピソードを共有しています。

母親の欠乏マインド
ハロー、まりこのオシャレイディオへようこそ。
このチャンネルは、ファッションを暖かく愛する私、まりこが、
ファッションにまつわるエピソードや情報を脱線たっぷりでお届けする内容となっております。
ちょっとしばらく間が空いてしまいました。
もう桜も、もうあの散って、
緑の葉っぱになってきていて、
日中は夏日みたいな気温もある4月の中旬でございます。
結構ね、日中と朝晩の気温差が激しいので、
こういう時期は本当着るもの困るし、
この時期に迷子になるって方すごく多いですよね。
ストールをね、カバンに入れておくとか、
まだお住まいの地域によったら朝晩かなり、かなりもないかもしれないけど、
冷える場合とかだったらインナーダウンのベストはちょっとキュッとポンパクトに、
ポーチ、巾着に入れて持ち歩くみたいなのあってもいいかもしれないですね。
お若い方なんかはもうおへそ見えるようなTシャツみたいな着てる人もいてますけどね。
はい、そして今日の本題なんですけど、
今日のお話はファッションには全然関係ないんです。
ちょっと先日実家に帰った時に感じたことをシェアしようと思います。
どんなことかっていうと、母親と久々に会ったんですけど、
彼女と話していたらびっくりするぐらい、
欠乏マインドっていうんですか、なんていうんですか、
心理学養護にすごく精通してるわけじゃないので、
ちょっと違ってたら申し訳ないんですけど、
無いとか無くなるとか奪われるみたいな考え方がすごすぎて、
その道のスペシャリストなんじゃないかっていうぐらいすごかったんですよ。
それをシェアしたいというか、
自分の中でも語りながら整理したいみたいなのがあるので、
ちょっとそれを話しますね。
先週かな、実家に帰って、
パーティーと抽選会
母親が着物の着付け教室に通っているんですよ。
それのパーティーがあって、1年に1回やってるパーティーみたいなんですよ。
コロナの間は出来てなかったので、久々のパーティーで、
ちょっとあんたも着てくれへんみたいな感じで言われたので、
行ったんですよ。母親に着付けしてもらって、和服着て参加したんです。
そのパーティーで130名ぐらいの方がいらっしゃって、
着付け教室なんだけども、着物の販売のお店もあったりとか、
お教室だけじゃなくて、いろいろ授業を展開されている会社みたいで、
その130名の参加者の人は、生徒さんの方もいれば、
お着物を買う、お買い物をする顧客様もいたりとかで、
会社がいつも生徒さんもお買い物をする方も含めて、
顧客に対しておもてなしをするというパーティーみたいで、
それに参加したんですよ。それで、抽選会があったんです。
抽選会が最後の方にあってね、ホテルで会場で、
ホテルのコースのお料理いただいて、最後の方に抽選会ってなった時に、
着物屋さん、ご福屋さんなのでね、いろいろそういう小物とか、
いろいろ当たります、みたいなのがあって、
130名で参加者が、80名当たりますって言われたんですよ、
司会の方が。で、80人も当たるの?と思って、すごいと思ったんですけど、
横にいる母親が、50人はもらえへんのやって言い出して、
え?って思って、ごめんなさい、ちょっと笑いながら喋ってて、
悪口っていうよりもちょっと笑い話で聞いていただきたいんですけど、
え?と思って、50人はもらえへんのやって言って、
え?抽選会で130人中80人がもらえるって、
私はすごいって思ったんですよ、めっちゃオーバーブルマイやんって思ったんですけど、
50人もらえないっていう方を言ってきて、
すごいこう、そうやって取るんだって思ったんですよ。
で、ちゃっかり私も母親も当たったんです。
母親が何当たったかちょっと忘れちゃったんですけど、
私はラビットファーのホワホワの冬に合いそうなバッグ当たって、
洋服の時はちょっと持たないかもなっていうデザインだったんで、
また冬に着物を着ることがあったら持とうかなっていう感じのが当たったんですよ。
で、アートサイトが当たったなみたいな感じで、よかったよかったっていう感じだったんですよ。
で、最後の方にどんどん景品が豪華になっていって、
最後の方にすごいちょっと私何も知識がないので詳しくないんですけど、
短物で、すごい有名なというかコアなファンがいる、
手描きでお着物に模様を描くアーティストの方の作品が描かれた短物が景品であって、
それを当てた方が泣いてらっしゃったんですよ。
もうその作家さん、そのアーティストの方のこともすごく好きみたいで、
もうヒャーってなって、なんか泣かれててその当たった喜び歓喜で、
すごいなんかそんな好きなもの当たってよかったなみたいな感じでステージ見てたら、
母親がまたあれは仕立て終わった時に、
結局あれに着物に対して、仕立て上がったものに対して、
あれこれ帯とかいろいろこんな合いますよって持ってきて買わそうとするんやでとか言い出して、
えーと思って、それはお商売だし、
そりゃ仕立て終わっていかがですかって時に、
まあその流れは、なるだろうけども、
お商売が誰かに喜んでもらうためにされてるっていう多分考え方があまりないのかなと思って、
買わそうとしてくるんやで絶対みたいな感じで、
そうやって撮るんだなってまた思って、
その後そのパーティーが終わって、実家に二人で母親の運転で帰ってたんですよ。
桜の花と考え方の変化
せっかく服着てるから、まだ桜満開のもう本当にちょうど満開の日だったんですよ。
7日ぐらいで。
桜の木をバッグにね、写真撮りたいなとかって言ってたんですよ。
それで車走らせて、桜咲いてるところをドライブってほどじゃないんですけど、移動してて、
桜の木があって、きれいあれ桜めっちゃ咲いてるみたいな感じで私が言ったら、
なんかこれ極めつけやなと思ったんですけど、
でもあれソメイヨシノやって言われて、
ソメイヨシノあがんのって聞いたらすぐ散るって。
でも多分咲いてるのソメイヨシノが多い、そんな木の種類わかんないんですけど、
多分私の家の実家の周りに咲いてたのほとんどそうな気はするんですけど、
ヤエザクラとかじゃなくてね、ソメイヨシノきれいやねみたいなヘリトリしたときに、
でもすぐ散るって。
そうですかと思って、ここまで来てるの面白いなと思って、
今すぐ散る花かもしれないけど、すぐ散る花なんだけど、
今目の前で満開ですよって、今咲き誇っておりますって感じなんですけど、
すぐ散るから、すぐ散るの後のその本位はちょっとわからないんですけど、
なんかすごい本当に何でしょう、一つの出来事に対して、
どんな意味付けというかどう解釈するのかって人によって違うって言うじゃないですか、
それは本当にそうだな、そうだと思うんですけど、
こういうことかみたいな、私がすごくポジティブですって話じゃなくて、
私どっちかというと割とネガティブな方なんですけど、
遥かに上回ってきてて面白いなと思って、
今目の前で満開なのにすぐ散っちゃうからとか、
すごい抽選ですごい良いもの当たったのに、その後に買わされるだろうとか、
130人中80人が当たるのに50人は外れるんだよとか、
奪われるとか無くなるとか、そういう方にフォーカスを当てちゃう思考回路なんだなって思ったんですよね。
私も2回目ですけど、私もそういうところあるんですけど、
遥かに上回ってたんで、自分のことはポジティブな人間に錯覚するぐらいすごかったんですよ。
でも私もなぜネガティブかって言ったら、
スーパーネガティブというか、奪われるマインドのスペシャリストの彼女に育っててもらってるんでね、
私もそういうとこ、すごいっていうか私もあるだろうなというか、
あったんだろうけど薄まってきてて、久々に本気のやつ見たから、
あ、私ちょっとそのどっぷりの感じからはちょっとずつ違う見方をできるようになっていってるのかもなっていう実感もちょっとあったんですよ。
昔だったらもしかしたら一緒にせやんなって、50人は外れるよなって一緒にもしかしたら思ってたかもしれないし、
桜ってすぐ散るから虚しいよなとか、一緒にもしかしたら思ってたかもしれないなって思ったんですよ。
散るからね、短い間にわーっと咲いて儚く散ってしまうから美しいみたいなね、今だったら。
今だったらっていうか、桜に関しては昔からそう思ってるような気がするんだけどな。
ちょっと何の話か、いつものごとく取り留めないんですけど、
2回目ですけどね、怒った出来事をどう解釈するのかっていうのは本当に人によって違うなっていうのと、
その解釈ってちょっとずつ変えていけるものだろうなとも思うんですよ。
本当に感じてないことを無理に感じなくていいけども、世界を捉え直していくとか、心を開いていくとかね、
他者とか、他者っていうのは人間だけじゃなくて、自分以外のものというかね、この世界を構成しているものみたいな、
そういうのを信頼していくことで解釈って変えていけるだろうなって思うんですけど、
なかなかそのきっかけとか、そういう心を開くとかが今までの人生であまりないままなのか、
結構すごいネガティブというか、そんな風にちょっと卑屈だなって感じたんで、
そういう考え方を持ったまま来てしまってるんだなって思ったんですよ、母親に対してね。
変えてあげようとかどうにかとかは、親子だけど他人なのでね、特に思わなかったんですけど、
自分は、私は、スーパー100%ポジティブ人間になろうとは思ってないけど、こういう卑屈さは手放していきたいなって思ったんです。
決して悪口じゃないんですけどね、やっぱり近しい人との血縁関係とかね、
そういう関係の人と関わるときに鏡っていうか、なんかすごい道俗嫌悪みたいなね、
損難も感じたりとかね、いろいろあると思うんですけど、
ちょっとそれで、自分はこれからどうしていきたいかなとか、どう生きていきたいかなとか、
どういう風に解釈し直していきたいかなとか、そういうのを改めて考えるエピソードだったので、
ファッションの話では全然ないんですけど、ちょっとお話しさせてもらいました。
こういう感じでちょっと長くなってしまいましたが、今回はこんな感じです。
また次回のチャンネルでお会いしましょう。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。またねー。
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