先生時代の振り返り
こんにちは、森川まりえです。今日は先生時代の大変だった時期②のお話をしたいなと思います。
先日の収録でね、①のお話をしました。 えっと、そもそも私自身は今年の3月まで学校の先生をね、していました。学校で英語の先生をしてたんですね。
4月からは、英語コーチとして独立してね、サービスを提供してきております。 ただ、今後、私自身の経験も踏まえて、学校の先生のキャリアシーンをしていきたいなという思いがね、強くなってきました。
そこで、自分自身が先生として何が大変だったのかなっていうのをね、振り返ってみようと思って、今ね、こういう配信収録をしております。
まあ、なのでね、自分の振り返り、まとめなんですけど、でもね、仕事は違えど、同じようなことで苦しんでいる人ってね、きっといると思うんですよね。
今回、これから私がお話しする大変だった時期②っていうのも、今振り返れば、大変になってしまった要因っていうのはたくさんあるんですけど、でもじゃあなんでそれが乗り越えられなかったかっていうと、
一言で言えば、自分の優先順位が明確じゃなかったから、だっていうのが今の結論です。
だから、本当に仕事は違えど、状況は違えど、優先順位を見誤って苦しくなっちゃうっていうことは、いろんな人にね、起こりうることだと思うんですよ。
なので、今日のね、お話は私の個人的な振り返りではあるんですけど、聞いていただけたら嬉しいなと思います。
はい。で、じゃあそのね、大変だった時期②なんですけど、いつの話かっていうと、これはちょうど2年前ぐらいですかね。
2年前から始まったお話です。で、この時の大変だった時期があって、で、結局これ休職することになっちゃって、メンタルをやられてね、休職することになって、
まあいろいろ曲折ありつつ、あったんですけど、結局退職につながってしまった出来事なんですね。この大変だった時期②っていうのは。
だから、ちょっと自分の中でもかなり重たくって、今ね、一通り整理はしたんですけど、今思い出して話そうとするのに涙が出そうな感じになっております。
なので、ちょっとうまく話せるかわからないんですけど、話してみたいなと思います。はい。ちょうど2年前、何があったかっていうと、簡単に言えば、まずですね、娘が小学校当時4年生だったんですけど、
不登校気味になってしまったんですね。まあ完全なる不登校までは行かなかったんですけど、学校に足が向かなくなってしまったんです。
それはね、学校が原因だったんじゃなくって、4年生になって学童に行かなくなって、代わりに行ったわけではないんですけど、塾に通い始めたんですね。
そしたら塾が大変だった、思いのほか大変だったっていうこともあって、精神的体力的に負担になってしまったんですね。
なんですけど、親の方は塾通い始めたんだから、ちゃんと行け、ちゃんとやれ、宿題やれ、みたいなことを言ってしまって、今と思えば大反省なんですけど、
そうやってね、日々娘とバトルすることが多くてね、娘もだんだんこうしんどくなってしまって、その結果、
まあだから学校が嫌なわけじゃないんだけど、学校行きたくない、まあ要は休息が欲しかったんだと思うんですよね。
学校に足が向かなくなってきてしまいました。それがちょうど本当にね、ちょうど2年前ぐらいですね。2年前の6月ぐらいからそういうことがありました。
で、私は、まあやっぱりね、娘のことは大事だし、それに対応しようと思って、仕事を遅刻したり休んだりしてたんですけどね。
まあでも当然限界はあるし、そうやって仕事を遅刻したり休んだりあるいは早退したりしてると、仕事をどんどんしわ寄せがね、いくじゃないですか。
で、私自身もどんどんどんどんしんどくなってきちゃったんですよ。まあそれがね始まりでした。
まあただ、それが当時6月7月ぐらいの話だったので、夏休みがやってきたんですよ、その後すぐね。
だから夏休みが来たら、なんか問題がね、一旦隠れちゃったんですよね。学校がないから。
学校がないから、学校に足が向かなくなったっていう問題がね、見えなくなっちゃって、だから解決はしてないんだけど、
なんとなくそのままね、なあなあに9月になってしまったって感じですね。
だけど、そう9月になっても、当然問題は隠れてただけで解決してないので、まあ変わらず。
いや私自身も、その不登校っていうこと自体は、まあ選択肢としていいんだけれども、でもとなると、私はこのまま仕事してられないよなとか思ったんですよね。
やっぱりすごく、私自身も悩んでしまって、思い詰めてしまって、退職するしかないのかなとかっていうふうにね、考えたりもして。
だからその時点でね、私も精神的にだいぶ参ってましたね。
時短勤務の影響
なんだけど、まあ退職っていうことを決めきることもできなくてね、まあ私仕事好きでしたしね。
なのでひとまず、その当時フルタイム勤務だったんですけど、時短勤務に変更をしました。
それもね、娘の朝の学校の行きしぶりに対応するため、朝を目いっぱい遅くして、10時、5時っていう時短勤務しました。
で、それでね、まあ解決は当然しないんですよ。解決するわけではなくて、大変な状況は引き続き続いていくんですよね。
で、娘も完全なる不登校にはならなかったんですけど、まあやっぱり学校には足が向きづらくって、遅刻はしょっちゅうでしたね。
で、遅刻すると親がね、教室までついていかなきゃいけないっていうね、ルールが、まあ安全上のことからね、そういうルールがあるので、まあそんな対応も私もしつつね、だから大変な状況は引き続きありました。
10月、11月。で、そんな中、次の出来事がありまして、それは何かっていうと、えーとね、2つあるんですね。
それはね、時短勤務にしたことで起こった出来事です。
そのうちの1つが、時短勤務で私10時に出勤するんですけど、そうするとね、私の出勤を待ち構えている人がいっぱいいるんですよ。
まあ頼りにされててありがたいっちゃありがたいんですけど、私が出勤するや否や、「ああ、森川さん待ってました!」みたいな感じで、同僚の先生とかね、非常勤講師の先生とかに質問責めにあうんですよ。
それがでも私すごいね、しんどくって、私自身も時短勤務にしてるから、その時点で仕事がギュッと凝縮されてて、しんどいんですよね。
それなのに、なんか言ったら、まず自分の仕事とか、席に着く前にもう話しかけられる。
その状況が、まあそもそもね、もう精神的に追い込まれて、メンタルしんどくなってるっていうのもあるし、だからそうやって質問責め話しかけられる、席に着く前にも話しかけるみたいな状況が、本当にちょっと耐えられなくてしんどくって。
で、正直ね、しょうもないこと聞いてくるんですよ。しょうもないこと。メールの検索ができませんとかね。
そんなの私に聞くなよ、みたいな感じっていうか、なんでできないの?みたいなね、こともあったりして。
そう、だからね、それがしんどかったですね。それが一つ目です。
で、でもそれだけだったら、たぶんまだやれてたんですよ。決定的だったのはその二つ目の出来事で、二つ目の出来事は何かっていうと、
時短勤務にしたら、任せてもらえない仕事っていうのが出てきちゃったんですね。
それは何かっていうと、海外の語学研修っていうのがあったんですよ。で、私はそれにね、院卒で一緒に行く予定になってたんです。
だけど、時短勤務の人には、要は宿泊を伴う出張、院卒は行かせられませんって言われてしまって、それもね、理解はできます。制度上のことでね。
理解はできるんだけど、なんかある意味、私は大変な中、本当に倒れそうな中、仕事をしていて、
その語学研修だけが、なんか唯一のよりどころみたいになってたんですね。
なんかそれがある、そのためだけに頑張るじゃないけど、それを私に任せてもらえてるから、なんかまだ私は頑張れてたっていうとこだったんですよ。
なんだけど、結局時短勤務にしたらそれもなくなっちゃって、そしたら、なんか私はもう何を目標に頑張ればいいかわかんなくなっちゃったんですよね。
で、それが結構最後決めて、決めてって言わないね、なんかこう最後のこう、何ですか?打撃?となって、もうね、なんか崩れちゃったんですよ。
まあ、もしかしたらちょっとね、他の人には客観的に見たら、ちょっと理解ができない理由なのかもしれないけど、当時の私はもうとにかくそうだったんですよね。
それで、その研修の引率ができないってわかって、ちょっと例外的に行かせてもらえないかって、抗議、抗議っていうか、抗議じゃないね、相談っていうかもしたんですけど、
でも受け入れてもらえなくてね、それが10月、11月ぐらいの出来事で。
で、12月、1月まで頑張ったんだけど、倒れました。
休職の経緯と課題
で、結局、1月から休職することになったんですよね。
で、まあ娘は、まあその頃には塾を辞めたんですよね。実は夏休み明けに塾を辞めて、その負担だった塾を辞めたから、娘はね、だいぶ調子は戻ってきてたけど、逆に私がそういうふうになっちゃってね、なんかボロボロでしたね。
で、1月から休職をして、3月末まで休職して、学校の先生っていう仕事柄ね、その4月に復帰したんですけど、復帰したんですけど、
まあ結局のところ、またその年の今度は9月に休職、再びね、休職することになって、そのまま退職っていうことになってしまったんですけどね。
なので本当、さっきもお話ししたように、なんかちょっと今思い出してもしんどいんですけど、まあそんなことがありました。
なので娘の不登校、稽古、で時短勤務にしたことによって、出勤した途端に質問責めでやりたかった仕事ができなかったっていう、まあそのね、主に3つで
しんどくなってしまった、大変だったっていうのが2年前の状況です。
あのこの時、でも、大変だったんですよ、大変だったんだけど、でもなんとか乗り切る方法がなかったのかなっていうのはやっぱり考えてて、
いやそれが、最初にお話ししたように、これは自分自身が何を優先したいかっていうのが明確になってたら、乗り切れたんじゃないかっていう風に今振り返って思うんですよ。
例えば、まず一番最初にその娘の不登校、稽古、娘の対応っていうところからそうなんですよね。
この時に、まあその子供をとるか仕事をとるかみたいな話では、まあないんだけれども、なんか自分の中でその働く
基準っていうのかな、なんかその子育てをしながら働くっていうことが、なんかそもそもちゃんと考えられてなかったんですよね。
当然、子供がいない時と同じように働くことなんてできないんですけど、その辺をよく考えないまま、もう小4だったんですけどね、来てしまってたんですよ。
それまでなんていうか、ある意味で力技で乗り越えてきてた。それが力技で乗り越えられなくなっちゃったから、行き詰まっちゃったんですけど、
でも力技で乗り越えるんじゃなくて、ちゃんと自分の中で優先順位が明確になってればよかったなっていうふうに思います。
仕事を時短にしたことによってね、質問詰めになったっていうのは、うまくね、仕組みづくりができてればよかったのかもしれないなっていうのは思いますけどね。
ただ、もう一つ、その院卒に行けなくなっちゃったっていうのも、結局はやっぱり、なんか優先順位が自分の中で明確になっていればよかったのかなって、
なんか変にすがっちゃってたんですよね、その院卒っていうものに。
本当はそれにすがるべきものじゃなかったと思うし、冷静に考えれば、別にその院卒に行かなかったから、行けなかったからといって私の価値が下がるわけじゃないんですよね。
ないんだけど、その時はそう思っちゃったんですよ。
だからそのあたりがね、なんかしっかり見つめられてればよかったのかなっていうふうに思っています。
なのでね、まあ今ちょっと具体的にこういうことが大変だったっていうね、お話をしたんですけど、大変なことって誰しもあると思うんですよね。
どんなお仕事しててもあると思うんですよ。
だけど、その大変な時を乗り越える、どう乗り越えるか、どういうマインドで乗り越えるか、そのスキル的なこともそうだし、職場の仕組み的なことももちろんあると思うんですけど、
そういうところにスキルをね、瞬時に上げるっていうのはまあ難しいし、会社の仕組みをすぐに変えるっていうのも難しいし、
だけど自分のマインドだったらね、本当は、本当はというか、それが一番変えられるものだと思うんですよね。
なので、そのあたりね、なんか私もうまくできたらよかったんだろうなぁって、もうちょっとね遠い目を見るような感じなんですけど、
そんなことをね、今となっては思っています。
はい、ということで今日は先生時代の大変だった時期②っていうのを自分自身で振り返ってみました。
もしかしたらね、同じようにお子さんの不登校とは言わなくてもお子さんの対応とね、自分ご自身の仕事でいっぱいいっぱいになっちゃってるなんていう方もいらっしゃるかもしれないので、
そんな方のためになることは言えてないと思うんですけど、もし何かね共感してくださるところがあったら嬉しいなと思います。
ちょっと配信長くなってしまったんですけど、最後まで聞いてくださった方がいたらありがとうございます。ではまた配信します。