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おはようございます。昨日は、桑名市の方に行ってまいりまして、原文彦さんという歴史研究で有名な名古屋の方の講演を聞きに行ってまいりました。
タイトルは、新訓家康神話と妖刀村正伝説ということで、非常に興味深く拝聴してまいりました。
原文彦さんとの出会いはですね、
3年前に、私が柏神宮の貴賓館というところで、講演会を企画させていただいたんですね。
その時に来てくださいました、中世史の研究家で古文書の収集家でいらっしゃる藤井さんと仲良くなりました。
その古文書をたくさんお持ちの藤井さんが、私どもの開催する徳川の講演会だったんですが、講演会の1ヶ月ぐらい前に現地を訪れたいということで、私にご連絡をくださいましてね。
それで柏神宮の中の宝物館で待ち合わせをして、その時まだ柏神宮にはカフェがございませんでしたので、
近くの今はなき観光ホテルというところのロビーでおいしいプリンアラモードみたいなのを3人で、夫と3人で行きまして。
その時に、私は初対面ですしね、どういう方かわからないので、夫について言ってほしいということで、夫について言ってもらったんですね。
夫は非常に誠実な方で、ご友人の方を10人近く連れてきてくださるにあたって、やはり下見を知っておかなければ、主催者がどういう方であるかというのを知っておかなければ連れて来れないということでした。
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その下見に来られたんですね。
あまり開催されないような内容でしたのでね、その時。
ひょっとしてその営利目的なのか、どういう目的で柏神宮で開催するというのはどういう目的でされたのか、みたいなことをよく聞かれましてね。
私はこちらの地元でありますし、貴賓館というのは明治天皇の御休憩所なんですね。それを今は一般のものも使用料を払えば利用できるんですね。
主に結婚式の披露宴とかお茶会とかに使われているのですが、私はお茶の先生に連れられて、秋祭りの時にお茶会のお運びさんのお手伝いに伺ったんです。
2年連続もありまして、2年目は娘も連れて行きましてね。娘に私の色文字を着せましてね。2人で行きまして。玉座がありましてね。和洋節中の建築内装になっているんですが、かなり高い玉座がございまして。
そこも披露がございましてね。そこに明治天皇と皇后陛下がお座りになられたお椅子が今でもちゃんと飾られてまして。
その背面ですね、その後ろ、金屏風が立つようなところですね。そこに神武天皇の日本画が、想像ではございますが、描かれているんですね。
すごく立派な建物で、建物自体も値打ちがありますし、戦前の皇族方、政治家、有力な財界の方、ほとんどすべてそこを訪れているというその休憩スペースなんですね。
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そこが、その講演会にぴったし相応しい場所だと私は思いまして、そこを選んだんですね。歴史の講演会をしてもらうには、うってつけの場所だと思って。
車寄せなんかもね、やはり昔ですからね。馬車で来られて、馬車の馬の後ろに兵隊さんみたいな、エボシにまだ羽の大きな羽がついているような方が二人乗ってますでしょ。
あれが引っかからないぐらいの高いお玄関の車寄せの屋根がございましてね、まさにあれは馬車が停まるスペースだなというふうな重厚な車寄せなんですね。
そこから階段を少し上がりまして、上がりましたら一つ目の間があるんですね。昔は畳が敷かれていたと思いますが、今は絨毯が敷かれていましてね。
そこ真正面を開けましたら広間になってまして、柏神宮の結子夫人会のお勉強会なんかはそこでさせていただくんですけれども、そこに大きなスクリーンとプロジェクターを持ち込みまして、
第2回目の歴史講演会を開催するときに、その最初の1回目で出会わせていただいた藤井さんのおかげで原先生とつながることができましてね。
本当に尾張徳川家に関するご研究では本当に日本一だと思いますね。
名古屋城に関するデータベースが原さんの頭の中に全部詰まってましてね。
名古屋城って一旦大戦法官で皇室のもの天皇陛下のものになるらしいんですね。
そこから名古屋市に天皇家から起草されることになるんですって。
その時にね、名古屋市は天皇家から受けたまわるのであるから、その受けたまわった時点で全て柱の一本、釘隠しの一つに渡るまで全ての記録を残すようにという命が下ったらしいんです。
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それでね、釘隠しとか、託報の取れるものは託報まで取っているらしいんですが、
柱の寸法、どの向きにどういうふうに立っていたか、もうありとあらゆる細かい装飾に関しても、基礎の部分に関しても、お城の設計に関すること、具体に関すること、材料に関すること、全て資料で残っているらしいんです。
で、それをね、管理研究するやはり人材が名古屋市は欲しかったんでしょうね。
当時、徳川美術館の研究員としてご活躍されていました原文子さんが、徳川美術館を退職されてすぐに名古屋市は原さんを取りに行きましたですね。
で、その原文子さん、名古屋市観光文化交流局、名古屋城総合事務所、名古屋城調査研究センター主査という非常に長い肩書きの持ち主なんですけれども、今までにも有名なところでは四神井蔵の新たな発表とか、
ございましたけれどもね、近年では地元の方たちには本当に非常に有名な方で、奈良県に住まいしてます私どもは原さんのことをお存じ上げなかったんですけれども、地元の方にとってはもう本当に名古屋の方も伊勢の方も本当によくご存じでね、原先生が来るならという感じで、
一時なんか、本当に当県に関する講演会を企画したところ、1日で1500人お申し込みがあって混乱なさったらしいですね、主催者側がね。
ですので、原先生、今は公務員でいらっしゃるので、利害関係のない講演会には出席、お出ましくださるんですが、そういうところもスパンとこうなんて言うんでしょうか、何の一手のくもりもないみたいな、
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本当に気持ちのいい方ですね。
それで今回はね、洋刀、悩ましい刀、洋刀村政伝説、村政という刀がですね、洋刀であるということで意味嫌われた時代があったんですが、
洋刀ではありませんと断言されて、その理由を、これね、A3の資料、びっしり小さな文字で書かれている資料を、A3サイズで8枚にわたる膨大な資料を私たちに下さいまして、
これに原さんのご意見を書いているんじゃないです。ご意見は、この資料、読み下し文で、小文字を読み下し文で書いてくださっているんですが、それを解説するのは言葉で、おしゃべりで解説してくださったんですが、
資料だけでね、A3ね、小さな文字で書かれているA3の資料が8枚あるんですよ。
で、もうメモを取るのに必死で、いつの時代も歴史っておかしく書き換えられるんだなというふうに思いましたね。
で、やはり家康を深刻化した時代っていうのが、やはりあったんだなっていうふうに思いましたね。
でまた、本当にね、いろんなでっち上げられたようなストーリーがあるんですが、それがね、結局ね、明治時代の作家、歴史小説作家みたいな方によってまた書き換えられていくのを、民衆の私たちは、
それをさも史実だとして受け入れちゃったり、本当にね、まあ本当にすごい講演会でした。
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神になりたかった家康と、神にしたかったその後の吉森あたりの将軍ですね。
で、まあ偉大な神になりたかった、神に家康を仕立てあげて、自分の方針も入っていると思うんですが、その後の将軍たちが、そこでね、家康を神にできない部分っていうのを何で引っ張ったのか、
繰り返そうかと考えたんでしょうね。とおっしゃってましたが、いくらやんちゃ坊主でも、神は息子を切れないですよね。
で、それを家康のせいにはせずに、村政があるじゃないかと。村政のせいにしちゃったんですよね。そこらへんがまた、当時の人々の多色思考というか、一方では自色思考が頂点を極めて、自害とかもあるんですけれどもね。
で、そういった人の歴史って、いくらでも都合よく書き換えていかれちゃうんだわというふうに思いましたですね。
しかも将軍から村政がこんなにも多く、終わりに起草されているという事実を知っただけでも、これは陽党なんて言ったらあかんというふうに思いました。
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私もね、刀に関しましてはね、全くの無知でございまして、本当に無知なんですよね。真剣を触らせて頂いたこと一回ぐらいしかないですね。
それで、終わり徳川家伝来の村政というのが、もうすごい量であるんですけれどもね。77件、21件、7件、14件、6件以下省略とかね、72件、30件とかね、すっごいあるんですけれども、
世間で言われてます陽党とかね、そういうふうな神秘的というか、なんかが乗り移っているんだわみたいな、そんな刀を大切に将軍から賜るでしょうかね、って思っちゃうんですよ。
これは後々に、いろんな民間で流された川流であったり、そういうところに行き着くんだと思うんですけれどもね。
面白おかしく書き換えるっていうのは、今の現代の週刊誌なんかもそうかも分からないですね。事実はどうなのかっていうのって、本当に教科書にも載っているような、まかり通っているような事実も、
実は違う場合も多々あるんでしょうね。今後もいろいろひっくり返ってくる事実ってあるんでしょうね。
まあそんな中でですね、昨日はね、行ったついでにここも見てきなさいって言われて、松平貞信、これ悪い人らしいんですか、悪い人でどうなのか、なんかあんまり好かれてないの展覧会が、桑名市博物館というところでされてましてね。
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なぜ私がそこに行ったかと言いますと、源氏物語を7回も書き写してるんですって、松平貞信って。しかもそれをものすごく小さい紙に書いてるんですよ。
まあ名詞で言いましたらね、名詞の4分の1ぐらいの紙に、大きいのでもね、名詞の2分の1ぐらいのサイズでしょうね。それにね、すっごい小さい字で、すべて書いて、綿字にして、
で、それを入れるタンスみたいな棚も職人さんが作ってるんですね。それを見に行ったんですが、私はね、もう少しね、大きいサイズかと思って期待して行ったんですが、あまりにも小さくて、ちょっとお雛様のお道具かなみたいな。
そんな感じで戻ってまいりました。だからね、7回も書くのであれば、ごめんなさい、1個ぐらいね、きちっとしたサイズのものを作っておけば、後で値打ちが出てきたんじゃないかしらって思うんですね。
だから、私も小さい字を書くのは好きなんですが、般若心経を4ミリ角とかに書いてね、縦に一直線に書いた軸があるんですけれども、そういうのも好きなんですけれどもね。
ただあまりにも小さい作品というのはね、値打ちがなくなっちゃうんだなということを実感しましたね。
そうですね。東京ランプっていうんですか、ゲームがあるんですね。そちら関係の方もどっさり来てらっしゃいました。しかも、桑名の市議会議長さんとか、ブランド局長さん。
博物館長さんももちろんのこと、東京から読売新聞も聞いてますし、すごい講演会でした。私どもが主催するような講演会とはちょっとレベルが違って。
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でも、その原先生が神宮で講演会をしてくださったときにね、本当にね、私は公務員ですから、無料でさせていただきますと。
お友達の紹介ですので、大好きなお友達の紹介。この人に頼まれたので、その人が送り迎えをすると言って、それならしゃべりましょうという感じで。
あのときの講演会もすごかったですが、今回も素晴らしかったですね。もう2時間でストップしなければ、もう何十時間でもしゃべっていただけるっていう風な、そういう方ですね。
しかも、はっきりとおっしゃいます。私はこう思います、ではなくて、こうです、なぜならばっていう感じです。本当に気持ちの良い講演会でございました。
私はなんか鼻がずるずるですが、これから花粉対策をして、楽しい春を迎える準備をしたいと思います。皆様も花粉にどうぞお気を付けくださいますよ。お願いいたします。ではごきげんよう。