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2025-08-31 07:25

安田講堂陥落の日の記憶


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サマリー

安田講堂陥落の日の記憶を通じて、父との会話や当時の学生運動の苦悩、さらに現在の発信の自由について語られています。

安田講堂の思い出
おはようございます。昨日、NHKのブラタモリという番組を見まして、普段大相撲中継しか見ないんですけれども、
ブラタモリを見まして、東京大学の安田講堂の特集だったんですけれども、やはり安田講堂といえば、私の中に鮮明に残る思い出があるんですけれども、
ボイシーの加藤先生の番組に呼んでいただいて、少しお話ししたんですけれども、安田講堂陥落の日に、テレビが生中継をしたんですね。
そのころ、幼かった私は、父と一緒にきちっと座ってテレビを見ていました。
そうしましたら、じっと無言で見ていたのですが、途中で父が私にひとり言というか、ボソッとしゃべったんですね。
こいつらの気持ちも分かるんやって一言言ったんですよ。その瞬間に、お台所にいていました母が、なんていうことを子どもの前で言うのよみたいな、瞬間的に切れちゃったんですよ。
私はびっくりしていたのですが、その後、じっとまた父は画面を集中して見ていました。
そうしましたら、そのボソッと言った二言目が、こいつらも今に分かる日が来るかわいそうやけれどって言ったんです。
人間は汚れた水の中でしか生きられないお魚だということが分かる日が来るかわいそうやけれどって言ったんです。
結局、きれいな水にしてくれと叫んでいる学生たちに対してのメッセージだったんですけれどもね。
きれいな水の中では生きていけない魚、汚れた水の中でしか生きていけないお魚。
それを大人になってというか、後日、漱石のぼっちゃを呼んだ時に、ラストシーンで生卵を校長と共闘にぶつけるシーンがありますでしょう。
結局、その当時は民主主義の海の苦しみを味わっていた日本ですよね。
その時代において若者ができることは本当にたかたかしれたことだったと思うんですよ。
大政に対して必ず負けるんだということを漱石はぼっちゃの中で言いたかったんだと思うんですよね。
そんな何も発信できない、発言できない、そういう時代を経て、我々は毎日発信できる手段を持ち、
本当に少数の政党でも国家に名乗りをあげられるような時代になったんだってつくづく思いますね。
だから純粋な水の中では生きていけませんけれども、
いつの時代もそうですけれども、徐々に自分の中には理想を持てる時代になってきていて、
それを発揮できるというか発信できるというか、そういうふうになっているんだわというふうに、
昨日思い出した時につくづく思いましたね。
ということで今日は、里のほうの後輩が午前の稽古に来るというので、彼は二刀流なので、
こちらの偉大政に二刀流がおりますので、その子を連れて行くことになりまして、
連れてまいりますということを指導者の先生にご連絡しましたら、指導者の先生もついてくるという。
まあね、二刀流を指導するってね、こんなことってね、普通ないですよ。自分も経験ないし、
ましてやその自分の経験のない子ども、学生を指導しなければいけない立場になったら、
どんなに大変かというのはよくわかりますので、一緒にまわりましょうということで、
今から着替えて行ってまいります。では皆さん、今日もゆったり休んで、
素敵な日曜日をお送りください。ではごきげんよう。
07:25

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